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Project Eden

第8章 実践こそ愛

1.地球人類は今、二者択一の転換期にある

2.二元論は本来ありえない

3.自らが神の子であり、愛し合うことがほんとうの使命である

4.ステップアップのための地球ルネッサンスを

5.物質文明の中で信仰心を忘れてしまった現代の人びと

6.実践能力においてこの地球を、どこまで救えるかということ

7.魂は永遠であり、転生輪廻していることをまず伝える

8.神が愛の奔流であり、人間は神の子であるということ

9.まず神理のエキスを全国に伝えること

10.ひとりでも多くの人を救いえてこそ実りある今生の人生

11.光の下に集まってきなさい

12.神理により、シンプルな社会機構へ変化

13.根源の神からのパワーを引くことができるのが九次元

14.まず簡単な言葉で神理を語り伝えよ

15.光のネットワークを日本から世界へ発信せよ

モーリャ(モーゼ)

今から約四億年前、蟹座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
モーゼとして古代イスラエルに転生し、宗教的指導者となった。
ユダヤ教の創始者として知られる。
エジプトで奴隷のように苦役を強いられたイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、紅海を割って渡るという奇跡を起こし、追手の軍団を振り切ってシナイ半島に入り、その地でエホバの神と契約を結び、十戒を授けられたと伝えられている。
天上界では、赤色光線(正義)を担当し、地獄解消の役割を担っている。

1.地球人類は今、二者択一の転換期にある

我はモーゼなり。
今日この場において、新しい本が出て、新たな展開がはじまるということを、ともに祝福し、感謝を申し述べよう。

そなたたちの努力が実り、地上においてまた我らの言葉が地上に広まっていく。このような書物を次々と出すことにより、我らが言葉を地上に広め、天上界の意思を、地上に広げていきながら、我らが計画を実行してほしい。

そなたたちは、この計画が実に壮大なものであるということが、わかっているようでいて、まだわかっていないかもしれない。これは地球最後の命運をかけた、我々の世界とこの三次元と、そして地下の世界をも巻き込んだ、大いなる聖戦であるということを、そなたたちはもっと認識しなくてはいけない。

現代の文明、誤った方向に進んできたこの文明は、神の子たちが、神の子であるという本来の目的を忘れ、自らの欲望にかまけ、誤った価値観によって暴走し、自殺行為の結果、滅亡の危機に瀕している。それを認識しなくてはいけないのである。

滅亡の危機というのは、天変地異により地球が滅亡するように思っているかもしれないけれども、地球の自浄作用として、そなたたちが自ら地球上にばらまいた、業想念の結果として、地球が浄化されるための天変地異はあるけれども、天変地異が文明を破壊するわけではない。また、けっして神が望んで、我々の興した、この三次元の文明を滅ぼそうという意思があるわけでもない。

この最終的な滅亡の原因はどこにあるかというと、自らが行った、そして放っておけばそのうち起こるであろう、世界大戦と呼ばれるような核戦争に、一番の問題点があるのである。それをもって、地球人類は滅亡に瀕するか。そのようなものを使うことなく、人類愛というものに目覚めて、神の子としてどのように生きていくかという、価値観の転換をして、乗り越えていくことができるか。その、二者択一の転換期にあたっているのが現実なのである。

それに応じて、地球の自浄作用が発揮され、天変地異が起きるということはありうるけれども、それは、新たな世紀をつくるための浄化の一環でしかないということ。だから、大地震とか大津波がきたとしても、それは、自分たちの行った原因の結果、反作用のたまものであるということ。
それよりも、人類がこれから選び取ろうとしている、国対国における核戦争、民族紛争、宗教紛争、イデオロギー、らすべてを含めて、戦争の危機に頻している。これが表面化するかどうか、あるいは、これが表面化することなく、戦争態勢にもっていくことなく、核戦争にもっていくことなく人類愛の中で核を放棄し、新たな精神文明の段階に至れるかどうか。

そのために、我々がこのように天上界から数々の法を降ろしている。イエス・キリストが語ったような、人類愛に目覚めるような、高度な精神状態にもっていけるかどうか。そこが地球人類としての大いなるテスト期間である。これを越えて、人類愛に目覚めてこそ次の宇宙時代の幕が切って落とされるということなのである。

2.二元論は本来ありえない

我は地獄担当であるけれども、そなたたちが思っているように、サタンたちは実際にいる。魔との戦いを、そなたたちも、常に経験していると思うが、我も常に地獄界に行き、彼らを説得している。しかし、神に対するサタン、悪魔たちが、二元論の中、対極としてあるというふうに、三次元の者たちは思っているかもしれないけれども、実は違う。二元論は本来ありえない。

それを、そなたたちは数々の霊人たちの霊言を聴き、光一元であるということがもうわかってきていると思う。本来、神とは圧倒的な宇宙のパワー、愛のパワーであり、光であるということを、もう学んだであろう。その愛のパワー、宇宙を貫くエネルギーの前において、サタンたちの力などは、ほんのわずかな、一点の曇りでしかない。

そうすると、サタンとか、地獄の力というのは何なのか。それは、人類たちが、未発達な精神状態の中、欲望という想念を積み重ねてしまった、そのような汚れたエネルギーの溜まりのようなものである。サタン対神があるのではなく、圧倒的な神のもとに生かされた神の子たちの中で、神の子としての、自らを発揮できぬがゆえの未熟さから、自らの欲望の虜となり、マイナスのエネルギーを出し、マイナスの精神状態でさまよい、迷っている、それがサタンたちの姿である。

だから、地球人たち、三次元の者たちは、過去より宗教の中において、悪魔対天使、悪魔対神という構造を頭に入れているかもしれないが、それは違うのだと学ばねばならない。地獄の活動エネルギーが、地上の者たちの悪想念のエネルギーであり、それを吸って彼らが活動しているということは、もう知っているだろう。ならば、地上の者たちの意識を神の子として純化し、清らかにし、本来の愛としての、神の子のエネルギーにもっていくことによって、地獄のエネルギーを抑え込むこと。そうすれば、彼らも反省できるチャンスが与えられる。

もし、彼らをほんとうに消滅させようとするなら、神の偉大なるお力をもってすれば、瞬時に彼らを抹殺することなど簡単なことである。しかし、彼らは神の子なのである。しかも、サタンたちの使っているエネルギーが、地上の者たちにひじょうに影響しているから、我々天の軍団たち、戦闘系の天使たちは、非効率的であるが、根気強く、忍耐強く、彼らを説得しているのである。ミカエルも、本来の力をもってすれば、彼らを打ち倒すこともできようが、かつての仲間を傷つけ、立ち直れないようにはしたくないから、時間をかけて彼らを説得している。

地上の者たちも、間違った思いでいるから、波長同通により憑依されているのだが、憑依されている者もろともに、その者を打ち捨てて叩き切ってしまったら、地上に生きている者にも、非常なダメージを与えることになる。
だからと、神の子としてあるとはどういうことかを説き、地上に、法として、光の天使を通してメッセージを降ろし、心を学ぶことで、法を学ぶことで、波長同通の結果、彼らと同通できない精神状態をつくって、地上の者たちの悟りを深める。サタンたちを追放し、サタンたちにもわからせるチャンスを与えるためにも、地上の者たちに、愛の法としての忍耐強い指導というのが行われてきたのである。

力任せに、法力任せにするだけなら、一瞬にして叩き切ってしまえばいいという、そのような理屈がまかり通ってもおかしくないほど我々は途方もない時間を、彼らの説得のために使ってきた。

3.自らが神の子であり、愛し合うことがほんとうの使命である

最終的な人類の総仕上げの中、人類が神の子であると教えられ、そしてイエス・キリストや我が地上に降ろした律法、人のあり方というもの、孔子が説いたもの、マホメットなどが説いたものを通して、自らが神の子であるということ、永遠の転生輪廻をしているということ、天上界はひとつであるということ、愛というものが神本来のエネルギーであり、愛の波動の中で宇宙が統御されているということ、愛の摂理そのものが神のエネルギーであるということーー。それらのことを学んだ。その時期がやっときたということ。

これは、そなたたちがひじょうに難しい理論を学んでいることから見たら、とても簡単なことで、物足りないと思うかもしれない。数々の書籍をかつてORも出したが、数々の書籍で、難解に、わからぬようにするよりも、今、我が語った、ほんの三つ、四つのことをほんとうに腹に落としたなら、世界維新はできるのである。地球ルネッサンスができるのである。

多くの人類に向かって、世界中の者たちに伝えるときに、難解なことを、難解な長い文章で言うよりも、ほんとうに大事なことだけを言っていく、エッセンスのみを伝えていかなければ、多くの衆生、民はついてこられないものである。これがいちばん大事なことであり、とてもシンプルなことであるが、原点なのだ。

欲望に任せて、人類は物質文明の中を駆け抜けてきた。科学に夢中になるがゆえに、我らが説いた愛や、神の摂理、教えをすっかり忘れて、人びとは、十九世紀後半から、二十世紀、二十一世紀の初頭にかけて、暴走してしまった。

根本的なことを、あれだけ教えたにもかかわらず、自らが神の子だと、愛がもっとも尊いことを学んだにもかかわらず、愛も、神を信ずることも、ただそのふた言、そのふた言が信じられたか。ほんとうに身になっていたか。

そのことがほんとうにわかっていたのなら、いかに物質文明や、科学が発達しても身じろぎもしない者たちがいたはずだ。しかし、人類は、科学や物質的な豊かさのほうを、目新しいおもちゃのように喜び、もてはやした。
そして、我らが説いた教え、愛の大切さを、簡単にゴミ箱に投げ捨てて、「神は死んだ」などと言う者たちが多くなってしまった。その精神状態の貧しさ、物質文明から出たマイナスエネルギー、その弊害で、今、人類は滅亡の危機に瀕しているということを学ばなくてはならない。

自らの欲、権勢欲、物質の中において、何もかもを欲しがる、それが、諸国問の抗争となっている。そして、宗教の中でも、愛ということをあれだけ伝えてあるのに、今度は、宗教の名のもとに、自我の主張、欲望、自分たちこそが正しいという、自我のぶつかり合いから戦争になり、そして、核を保有している者たちが、その核を使う誘惑に駆られる。そのような最悪の精神状態になってきているのである。

いちばん大事なことは、自らが神の子であり、愛し合うことがほんとうの使命であるということ一人が生きていくとき、どれだけ多くのものをがめつく貯め込んだとして、それを全部食べられるというのか。幸せになるために、どれだけの物質が必要なのか。

物質的なもの、科学的なものがある程度満たされなくては、次の宇宙時代に行けないことも事実である。だから、常に科学と信仰の両輪を目指して、我らは、アトランティスのときも、レムリアのときも指導してきた。宇宙時代を迎えた高度な惑星でも科学文明と、愛と信仰は、常に両輪として回っている。

科学を通して、物質文明の一線に多様化が起こったときに、未熟なる愛の精神しか持たぬ人類は、物質、科学文明に振り回され、神の子としての本来のあり方、生き様を見失う。そして、過剰な物質を求め、過剰な科学信仰に陥り、自分だけが、自らの国だけが良ければいいという我欲にまみれ、最終的に、核戦争で滅びてしまうのだ。

4.ステップアップのための地球ルネッサンスを

神は、地球を球体でおつくりになられた。それは、我々の魂の姿であり、神の子としての心の姿そのままである。丸いピカピカした光そのものが、我々神の子としての、本来の姿である。神は、その姿のまま愛の地球をつくられた。

地球が球体であり、自転しているということは、その上で核を爆発させれば、地球を包んでいる大気が放射能に汚染され、その空気は自分の国の上空にもかり、自らの国民をも根絶やしにして、殺してしまう。

他者を愛することが、自らを愛することだということ。それがほんとうの意味でわからないときは、最後は自らも滅びていく。そのような構造になっているのである。

核を発見した段階、その段階に至ったのに科学レベルに応じた精神状況、愛の心が育っていったかどうか。それが、文明を存続することができるか否かの分かれ目になる。我々はそれを見守ってきて、それを指導するために、あらゆる手を尽くしてきたつもりである。

ほんとうのことを言えば、イエス・キリストが説いた愛の教え、それを一人ひとりが学んでいたのなら、敵国間でも、そなたたちの社会でも、家族の中でも、他者の幸せを、喜びを、我が喜び、我が幸せとしていくような、優しい、思いやりの深い人たちばかりが地上にいて、それが地域レベルから国家レベルになり、地球レベルに広がっていく。、そうなれば、愚かしい戦争などは繰り広げられなかったはずだ。

数々の映画などを通して、我々も、地球最後の日のような、讐告を発するようなインスピレーションを送っている。それを通して、核戦争をしたらどのような状況が起きるのかをーー。でも、核を発明しても、それを戦争の道具として使うか否か、ボタンを押すか否か、それは、人類の自由意志である。それで人類が滅びたとしても、けっしてサタンのせいではないのだ。

人類は、自分の欲望想念で犯した過ち、醜さを、すべてサタンたちのせいにしたがる。でもそれは間違いである。それは、自分たちの蒔いた種の刈り取りである。自分がやったことの結果であるということを、もっと、見極めねばならぬ。神の偉大なる愛の力、エネルギー、宇宙を貫く圧倒的なパワーから見たらサタンたちの力は赤子どころか、虫けらの一つに過ぎない。サタンをあなどるわけではないが、彼らの力などはその程度のものなのだ。

だからこそ、我々光の天使たちは、彼らのもとに行って、忍耐強く説得して、まるで、不良になった自分の子どもを見るような気持ちで「帰っておいで」と声をかけるのである。

今が、そなたたちのエネルギーを、精神的な魂の霊的な向上、それを飛躍的にアップさせる、最後のチヤンスなのだ。そのことを認識してほしい。そのために、この最終的な救世の計画が行われた。そして、救世の計画の失敗をもって、この地上の文明が、今回どうなるかが結論づけられるのである。

そのためにも、まず精神的なルネッサンス、精神的な価値観の大転換というものを行わなくてはいけない。地球人という、民族意識のかたまりのレベルから、今度は、神の子、人類としての愛のエネルギー、分光のエネルギーたち、それが人類であり、地球人であるという、その高い認識で、地球を預かった者として、地球を愛の星に変えていくのが、本来の神の愛へ報いる道であるという、高度な認識を持たなくてはいけない。そのために、我々の指導がある。
科学文明がピークに達してきた今日、精神的な文明が追いついていけば、いつでも核を放棄し、地球を愛の星に変えていくことは可能である。

今は、不可能のように思われるかもしれない。しかし、そなたたちが出した本を見ればわかるであろう。明治維新が、すべての模範例として示してくれている。それを地球規模に拡大したものが今度そなたたちがやる、地球ルネッサンス、地球維新である。

彼らがやったのち、わずか百年もたたぬうちに、このような現代人の姿になった。思想的においても、文化においても、ちょんまげや刀を持ち、袴をはいていた者たちが、今日あなたたちのような姿になるのは、あっという間のことであったろう。つまり、精神的な価値観の大転換が行われれば、地球上において滅亡に瀕した人類を救うのは、不可能なことではけっしてない。

それをエル・カンタラーは計画され、我々も、天上界において、地球の飛躍、ステップアップのときとして、宇宙文明に仲間入りするときだと考えて、我々は、この大救世の計画を立てた。そして最後の仕上げにかかっている。

5.物質文明の中で信仰心を忘れてしまった現代の人びと

そなたたちが、このように霊言を降ろし、我々のパイプから降りてくる正しい天上界の言葉を、計画を地上に降ろしてくれるから、これを青写真として、次の者たちがこの救済の計画を続行することができることを心から感謝する。間違った計画を降ろし、間違った方向に行ってしまったら、地球人類がこれから行うべき道筋が、誤った方向に行ってしまう。それは、サタンたちが望む道だ。

地球人類を、戦争において一瞬にして滅ぼし、人びとの心の中に地獄絵図をつくり、恐怖と混乱に落とし、地球を滅ぼし、人類を滅ぼし、そして、地獄に来た者たちのエネルギーを大量に吸い上げて、自分たちが大きな力を持とうとしている。
それはあまりに無知な姿だが、彼らは、この地球という小さな世界に自分たちが君臨したいと、天上界のエネルギーを超えるエネルギーを欲している。そのために、地上の者たちを、みんな不幸な恐怖と怒りのエネルギーの中に落として、そのエネルギーを吸いあげようと、それだけの魂たちを地獄に引きずり込み、小さな地球の中で、天使軍団に勝ったような思いになりたいとーー。

そなたたちもあったであろう。こんな小さな中においても、欲しがる者たちがいたはずである。こんな小さなところの代表に好んでなりたいのか、という意見もあったが我々から見たら、ここで起きていることは、地球規模で起きていることと同じである。

我らが光の天使だからといって、我らが偉いわけでも何でもない。地球というものは、他の天体、大いなる神の宇宙たる大構造から見たならば、ほんとうに小さな、小さなもの。その中で、プラスエネルギーの光の天使たちに対して、マイナスエネルギーを持つサタンたちの勢力がある。そのエネルギーを増幅し、光の天使たち以上の力を持つということで、彼らは、世界を征服したと、野心を満足させたと思いたいのである。

しかしそれは、神の御胸の中から見たのなら、ほんのわずかなことであり我々にしたって、別に、たいして我々の地位がすばらしいと思っているわけでもない。ただ、神のお力になりたいと思ってやっているだけのことなのだ。

でも彼らは、権力欲、支配欲にかられ、自分が天上の神以上の力を持ちたいと、思い上がっていった。哀れな、愚かな人間のなれの果ての姿である。欲望に固まりきった、哀れな姿。それは、肉体を待った地上の者たちの姿であると言っても、過言ではないだろう。地上ではどうであろうか。必要以上にお金を貪り、欲しがり、権力、支配欲、民族間においても、自分たちが相手の宗教よりも、相手の国よりも上でありたいと思う。

北朝鮮なども、イデオロギーにおいても、小さな国であるからこそ、自分たちの国が、最高のものだということを誇示したいために、核を離そうとしない。小さな者たちほど、そのようなことにしがみつき、権力を使って死守せんとする。そのため、人びとは恐怖心を使って相手を脅すような、まるで、刃物で脅すような気持ちで、核を装備するのである。

ほんとうに自信があるのなら丸腰でいればいいのだ。自分たちの共産主義、彼らの持っている思想が、世界の中でもトップクラスだと思うのなら、そのような核を持たずとも、自信を持っていられるはずである。弱いからこそ、多くの者たちを脅し、ドスを相手の喉下に突きつけているように、核を手放そうとしないのである。

それが、ある意味で、人類の姿なのである。民族間でも、宗教間でも対立し、戦争が起こる。ハルマゲドンと呼ばれるような戦争が起きるのも、そこの場所であるけれどもそのような宗教対宗教の中で、本来は愛を説く教えーー、我がかつて説いたユダヤ教でも、イエス・キリストが説いたキリスト教もマホメットが説いたイスラム教も、人を殺すことを正当化した教えはない。深い信仰心、神を敬い奉って、謙虚に、愛の教え、律法、正義の教えとして神の子の道を説いたのが、古代の我々が説いた教えなのである。

まだほんのわずか、二千年、三千年足らずの間なのに人類が、学ぶというよりは大事なことを忘れ、その後にあめ玉のように与えられた発達してきた科学、物質文明に、我を忘れて浸りきり、愛の教えをすっかり捨て去ってしまった。その結論が、結果がもうすぐ出ようとしている。

6.実践能力においてこの地球を、どこまで救えるかということ

そして、その要にそなたたちがいるということを、もっと自覚してほしい。
精神的な世界で、個人個人の悟りを高めるという、その意味もある。カルマの修正、魂を引き上げていく意味でも、法を学ぶということは大いに価値があるだろう。
しかし、そなたたちがやろうとしているのは、地球が滅びんとするこの風前の灯火のときに、実践能力において、この地球をどこまで救えるかということ。その行動と教えの高さを人びとにどれだけ伝えていけるか、その熱意によって、未来の地球の命運が変わるというーー。そこまで確信し、腹を括っている者たちがどれだけいようか。

我らの霊言をありがたがって聴きながら、実践行動において、少しも愛をなせない。そのような者たちは、我らがやろうとしている教えをわかっていない者だ。熱き血潮の中、この地球を、人類を愛するからこそ、そして神に感謝をする気持ちがあればこそ、この計画の中で命を張り、この地球の未来のために何ができるかを、真剣に自らに問いかけ、やれることを探すのが、愛の人として、神の子としての生き方ではないだろうか。その気持ち、その不退転の境地がないから、さまざまな神々から叱責を受けたのであろう。

覚悟を持ち、明治維新を興した者たちが、命がけで、自らの血でもって、この無血革命というものをなした彼らの、人類に対する、日本国民に対する愛が理解できたなら、そなたたちは、今度は日本国民たちだけの愛でなく、世界人類、神の子すべてに対する愛をもって、地球維新をやり遂げなさい。これからのち、理屈だけ、頭でっかちなだけで、実際に行えない者を光の天使とは認めぬ。

それくらい、地上での修行は厳しいのである。理念だけでいればいいのなら、天上界におればいいのだ。地上に、何ゆえそなたたちがおり、出て行った意味がどこにあるかというと、愛の教えを、今、天上界から降りている教えを見極めて、それを地球の裏の隅々まで伝えていく、教えを出していく。何が行われようとしているかを伝える。そのためであろう。
「このままで滅びてなるものか!」という気持ちで、最後の土壇場を踏ん張ってほしい。「このまま地球が滅び、人類が滅びてなるものか」と、そのような意地をなぜ出さぬかと、多くの人類に伝えてほしい。そのために、今までの地球の歩みはあったのだ。
かつてのアトランティスや、レムリアや、ムーそれを通して人類が学んできたものがある。それが、今回の文明のクライマックスをもって、ひとつの終結を見るということ。

かつての文明でも、滅びていった者たちはあるけれども、今度、核戦争が起きたら、局部的な大陸の崩壊どころでなく、地球規模的な崩壊が起きるであろう。地球人類すべてが淘汰されるような状態が出てくるのである。

天変地異が、間違った想念の結果、現象としてさまざま起きるけれども、地球に天変地異が起きているのは、けっして、人類を皆殺しにしようなどという、エネルギーから起きているのではない。そこは分けねばならない。
自分たちが捨てたゴミが溜まったから、それを処分するために焼却することと、自分たちが火をつけて世界中を焼き払おうとすることとは違うはずであろう。その違いをわかって、自由意志によって、大いなる精神的革命を起こすことで、人間が神の子としての原点に戻ることで、いくらでも地球の命運が変わる。人類の文明の方向が変わるということ。そのことをもっと深く認識しなくてはいけない。

「これから多くの支援者を募るために、急遮、懇親会が開かれるであろう。書籍が出るということは、ひじょうに大変なことである、この書籍が地上に出たことによって、そなたたちに協力し、支援していく者たち、次の出番を待っている者たちが呼び集められていくのである。先見の明があり、CDや霊言集をちゃんと見て、数々の批判がある中で見極めてきた者たちが、先に呼ばれてきている。

会員とか組織とか、そういう形にはしなくてよい。彼らの善意、神の子として何とかして参加し、役に立ちたいという、やりたいというその気持ちをくみ上げていって、力としていきなさい。
インターネットもある。だから、そういうものを拠点にして、多くの人びとに書籍を広げていく。それがとても大事なことである。

この間からリーフレットをつくっているようだが、まず、根本的に愛の教えを打ち出した、天上界の教えの原点を、小冊子でいいから用意しなさい。それをもっていくほどでなければ、数々の霊人の言葉をただ抜枠しただけのものでは、多くの人類を根底から変えることにはならないのである。(投稿省略)」

7.魂は永遠であり、転生輪廻していることをまず伝える

魂が永遠であるということ。転生輪廻していること。肉体生命に執着するのはおかしいということ。それがわかっただけで、人間は数々の不幸や苦しみから逃れられる。愛する者と死別することで、悲しみを、苦しみを抱えて動けない者がいる。しかし、魂が永遠であると知れば、今生、引き離され、死別しても来世においてまた出会えるという、希望が見えるのである。悲しみや苦しみをいたずらに抱え込まなくてよい。

本来が魂であると、肉体ではないということがわかれば、もっと有意義に地上の人生が使えるのである。いらぬ欲望のためにお金を蓄えて、貯金口座のゼロが増えることに、人生の大事なエネルギーを使い果たしてしまう者たちがいる。名誉欲とか、権力欲、学歴信仰、それが少しも本人の糧にならず、社会にも、神の子としての修行にも少しのメリットにならないにもかかわらず、夢中になって、エネルギーと時間を浪費してしまう者たちもいる。

だからこそ、まず、魂が永遠であり、転生輪廻していること。この地上での縁は、すべて自分が計画したものだということ。それが不幸のように思われるけれども、そこを通して、自らの過去世のカルマの刈り取りがあり、自らが人生の中で気づかなければいけないテーマに気づく、その環境をつくるがために、自分を磨くための石とするために、数々の病や、不幸な環境が訪れる。
自分がやった不摂生や、自分がおこなった過ちその結果として行われることもあるが、それを通して魂を磨き、輝かせ、自らの魂を成長させることでこそ、三次元に生まれた、生きた意味がある。

たかだか人生生きて数十年、かつて五十年と言われたものが、八十年になったとして、いかがだろうか。何万年と生きている、何億年と生きている我々から見たら、そんなものは一点にもならぬ記憶である。地上に降りた経験から、どの魂も成長してきている。なかには大飛躍を遂げている者もいるのである。
だから、地上に出たということが、大事な、自分の魂の、成長の場を与えられたのだと思い、たかだか、与えられた五十年、六十年、じき八十年か、小さい頃はあまり修行はできないから、正味人間をやれるのは、ニ十歳から六十歳の間の四十年ぐらいではないかと思う。

その四十年の期間で、最大限に何ができるか。どこまで成長できるか。
どれだけの貢献で他者を幸せにし、神の子を幸せにするために、自分のエネルギーを使うことができたか。そのことを人びとにわからせるには、魂が永遠であり、転生する幾多のチャンスが人類に与えられているということを教える必要がある。
だから、生き通しの人生の中において、今という一点に何をしなくてはいけないかという、根本的な価値の転換が行われるのである。そこをしっかりと言うこと。

魂の永遠性、リ・インカーネーションと呼ばれている、転生輪廻が、西洋では欠けてしまっているゆえに、その観点が持てていない。魂が永遠であり、転生輪廻をしているということ。そこをしっかりと、人びとに伝えるのだ。

8.神が愛の奔流であり、人間は神の子であるということ

次、第二点として、人間ーー、これは第一点に持ってきてもよいのだが、人間が神の子であるということ。神が愛の奔流であり、宇宙の摂理であり、愛のエネルギーの塊であり、その一部として、我々は、神の子であるということは、愛のエネルギーそのものであるという原点に気づくこと。

神が何であるかということがわからなければ、神の子であるということの本来的な意味はわからぬ。愛のエネルギーの化身が自分であるという自信と誇りを持って、自らの人生を神の子として生きるとはどういうことかを、人びとに問いかけることになるであろう。愛のエネルギーとして、愛の表現体として、この地上にある。それがどういうことか。そこに、さまざまな個性を埋め込まれているということ。神の光の七色の分光として、自らの人生をどう生きるか。

その指針を、その価値観を、人びとは見つけていくであろう。
根本的な、魂に響く生きる指針がないから、今の若者たちは、引きこもりとかニートとか呼ばれている無気力な状態を生み出している。子どもたちが生き方を見失っているのは、単なる怠惰だけではなく、彼らもほんとうの意味で神の子であり、真に生きがいのある人生とは何か、ということを問いかけているのである。それに対して、大人や教育者たちが本物を提示できないから、彼らは無気力な状態の中、動くことをやめ魂の精神活動を止めてしまっているのが現状である。

だから、新たな価値観、魂が、血が騒ぐような本来の真実、それを教えることで、彼らの神の子としての魂が躍動し、新たな愛のエネルギーで、息を吹き返すことになるであろう。そのような魂の高揚をもって、地球維新、地球ルネッサンスが行われる。再生するのだ。ルネッサンスは再生である。
神の子であるということを、一度教えられていながら見失われていたことを復活させ、取り戻し、再生していくということ。

その愛の教えを伝えるということをもって、レムリア・ルネッサンスとする。
神の世紀、神の時代がやってくるということ。

その愛の教え、愛の化身として、神の子としてどう生きるべきかということを、原点として据え、それと、科学技術が両輪として動き出したとき、宇宙文明に参加する資格を地球人類が得ることになる。今、科学文明がある程度発達していても、愛の教えの部分が欠落している。その部分を補う意味で、九次元からたて続けの霊言を降ろし、救世主が地上に降りて、指導していたのが現状なのである。

「これを、九次元が次に引き継ぐときまで、そなたたちが、我らが言葉を、人びとに伝えることによって、天上界の救世の計画が、地上に向けて行われていることを伝えてほしい。最初は疑心暗鬼の者たちもあるだろう。しかし、ネットを通して伝えられたCDや霊言集を通して、あれだけの莫大なものを読むうち、間違いないと、人類は気づいてくるであろう。そのためにも、多くの霊言を収録してほしい。負担がかかっているのはよくわかるが、今を除いて、九次元の、我らの言葉を、地上に通信するシステムは二度とこないであろう。
だからこそ、今のうちに多くを収録し、できる限り、書籍として出してほしい。

書籍は他に比べて安く、多くの者に配るにも簡単であり、確実なものであろう。しかも、全国的にブームが起これば、かつてのk会のように、日本中に広がっていくであろうと思う。

そして、一国でのベストセラーではなく、他の国においても、ヒットさえすれば、翻訳されて出回っていくのが、今の時代のありがたいところである。
今は、そのようなことを想像できないだろうが、そういうときが必ずくると思っている。それだけの内容を、我々は地上に送っているはずである。それをあなた方が、なるべく多く地上の人びとの目に留まるところへ発信できるよう知恵を使ってほしい。(投稿省略)」

9.まず神理のエキスを全国に伝えること

これから理屈だけでなく、実践行動のある者たちが望まれている。
釈迦教団系というか、黄金光線の者たちは、そなたたちに、優秀な頭脳の総力を挙げて、大事な基本書、根本書というものを書いていただきたいと思っている。多くの者たちが理解できる易しい言葉で、いちばん大事な言葉、エキスを並べたものを、小冊子としてつくっていただきたい。
それはレムリア・ルネッサンス編として、誰かが書けばよろしいだろう。Bさんあたりが書けばよいではないか。

お坊さん軍団、黄金光線の者たちがいるのだから、まあ、実践のために来た者たちが、法の基本理念を書くというのは難しいかもしれないが、なるべくわかりやすい形で、根本法のダイジェスト版をつくってほしい。

福沢諭吉さんが、『学問のススメ』をつくっていただきたいと言っていたが、ある意味で、現代版神理の、そう『神理のススメ』というような小冊子、それを安価に大量につくり、今回きた、実践能力、行動能力のある方たちが、それこそ手渡しで渡していけばよいと思う。書籍をお買いになった方に、その書籍を付けてもよいし、そしてそれが人気が出てきたら、いずれコンビニでも売っていくような、そのような作業があってもいい。

そして最終的には、その神理を、買わなくても、インターネットなどで簡単に見られるように、根本的なこと、長ったらしく難しいものでなく、簡単に、端的に、女性でも、小さな子どもたちにもわかるように、役に立つような形で打ち出していく。

そして、インターネットさえ見られればその勉強ができるくらいの、そのような形で広げていってほしい。今は小学校でも、中学校でも、ネット環境を完備している時代である。そこに適応し、易しい形で、いちばん大事なものから優先して広げていくのだ。

地球のルーツとか、この者の過去世がどうとか、そのようなこと、ひじょうにマニアックな、しかも興味本位のものであるから、そのようなものは置いて、まず大事なものをーー、危機に瀕しているとき、今、家が半分燃え落ちようとしている状態、猛火の中で、あなたがたは何をするか。理屈をこねるよりも、水を持ってくるであろう。そして、まず火を消すだろう。そのくらいの気持ちが必要である。

ただ、てんぷら火災のようなときは、水をかけたらますます火が広がる。そのときは化学薬品の入った消火器をもってくるか、毛布をもってきて、酸素を減らして火を消すというふうに、頭を使って消化を考える。それと同じように頭を使いなさい。効率よく神の法を伝えるには、まず、エキスの枠を集めた小冊子をつくるとか、書籍をつくっていくとかーー。

全国に広がっていく同士たちに呼びかけて、その者たちの手を通して配る。そういうネットワークをつくっていく。そしてそれが、協力しようと思っている外国人の者の手に渡り、翻訳されて、海外に出て行くことだろう。そのうちに、もっと仲間を募っていくことで(協力者があらわれるから)、この教えを海外に発信していくのにそう時間はかからないと思う。

10.ひとりでも多くの人を救いえてこそ実りある今生の人生

大事なことは、書籍を出すこと。そして、安定させた磁場で、霊言を収録していくこと。
我らの計画、そして今の時期、地球の文明の中において、そなたたちがどのような状態にいるかということを、尻に火がついているような状態であるということーー。その危機感が理解できたら、これからは、法理念をまとめつつ、法を学んだ者がいかに実践し、行動の中で、具体的に多くの人びとを救いうるかという、そこが問われているのである。

そのような実践能力のある行、自らに厳しい者、そして法というものを、自己野心や、自分の悟りの道具として使うのではなく、ひとりでも多くの方がたを救いたい、神の子として、神の恩に感謝し、報いていきたいと思う者たちだけが、愛の使者として、神の使者としての仕事をすることによって、結果として、地球が以後、救われていくか、滅びていくかが決まるのである。

そなたたちにも、幾たびも言われているであろう。この地上の転生で、そなたたちが任されている仕事は、これほどやりがいのある転生は他にない。嫌かもしれない。嫌な者もいるかもしれないが、今生の人生がどういう意味を持つかという、本来の意味がわかったのなら、この地上で、ひとりでも多くの者たちを救いえてこそ本懐を遂げられる、実りある人生だと言えるだろう。

自己愛、自己の欲望に振りまわされて、人びとの幸せよりは自らの幸せ、自分勝手な思いで、権力、野心の中、一生終わっていっても、そんなものは少しも魂の成長の役にたつことはなく、魂の記憶にすらならず、自らをいやしめた、落としてしまった、恥ずかしい経験としてしか残らないものだ。それよりも、自らの魂の成長、ひとりでも多くの者を幸せにし、神の計画の使者として、ひとりでも地球人類を救った、幸せにする仕事をしたということで、自らの魂の格が上がっていくのである。

悟りというのも、実践行動を通してでしかーー。我々の世界でも、実践行動なくして、九次元まで上がってくる者は一人としておらぬ。法理念だけを学んだだけでなく、九次元に上がるまでの間に、多くの行たちを救い、指導してきた精神的指導者、実践能力のあった者たちこそ八次元如来格、九次元救世主界にくる器が磨かれるのである。

そなたたちが、ここにおいてこの仕事をするということは、逆に言うと、他の転生を、何万年分もの転生を越えてしまうほどの、大いなる仕事、業績として、自らの器を広げるもの、判断能力を養うものとして、大いなる魂の学習の場となる。実績を積む場となる。ここに座っている者たちの中から、八次元如来、九次元救世主界の仲間が増えるかもしれぬのだから、それを楽しみにさせてもらおう。それくらいのチャンスが、幸運が訪れたのだと思って、喜んで使命を果たしていただきたい。

この数十年、数々の失望や、苦しみや、困難に巡り会うことだろう。しかし、それらはすべて、自らの魂を磨き、神の子の使命を果たすための大事な要素であり、神の恩に、愛に報いる、大いなるチャンスを与えられた、すばらしい場にいるということを思えば、いかなる艱難苦難も喜びとなるだろう。どんな形であるにせよ、そなたたちが傑になって死ぬことも、火あぶりの刑になることも、叩き斬られて死ぬこともないであろうから。

いろいろな不遇はあるかもしれないが、そなたたちの時代は恵まれている。かつて、神の使者として、不遇に死んでいった者たちもこの中にいるだろう。命がけになってやった者もいるだろう。その経験から見たら、別な意味では大変かもしれないが、それほどの残酷な仕打ちは受けないのだから、ぜひともがんばってほしい。

この神の船の航海に、最後まで乗船できる者として、ぜひ、がんばっていただきたい。我らはこの者と同じで、ひとりとて置いて行きたくはない。すべての者が使命を持ち、意気込みを持って出てきた者であるのを知っているからこそ最後まで連れて行きたいのである。

11.光の下に集まってきなさい

今ここにいない、いずれこの声を聴くであろう者たちにも語りたい。
地上にいる者たちよ。そなたたちは神の子であり、そして、自らがこの大救世計画を知り、大事な時代であることをよくよく認識し、意気込んで出てきた者たちである。今、この救世の計画のために、天上界の我々の力となって、使命を果たし、力を貸してくれるなら、どうか、レムリアの者たちの力になってほしい。ささやかなことでもよい。
ささやかなものをもって、そなたたちで、この者たちを助けていただきたい。
それが、我々の光の天使たち、救世主と呼ばれている、我々の世界の者たちを、神を助けることにもなる。

そのことを思って、どうか、できる者たちよ、その使命をうずきとしてまだ生きている者たちよ、集まってきなさい。ここに、光の下に集まってきなさい。

一度は見た、光のもとヘ集結した者たちよ。また、光が失われて、途方にくれて迷える者たちよ。もう一度光が、神理のたいまつが灯された。この光の下に集いなさい。

そなたたちは光の天使として、神の子として本来の光を放ち、愛の化身として本来の使命を果たしなさい。そのために、そなたたちはこの地上に肉をもち、命をもったのです。それ以外のために、そなたたちは命をもってはいない。

この大救世計画は、何万年に一度と呼ばれている、壮大な計画である。その中で、ささやかであっても、光の天使としての計画をしなさい。けっして、この者たちの足を引っ張るようなことを、この地上の記憶の中に残してはいけない。できることなら、そなたたちの力をもって、この地球を愛の星に変えたい。

救世主が出ることで、光の預言者を持つことで、指導者が、常に大計画の推進は行われてきた。不幸なことに、今は大救世主が失われており、この者たちが立っているけれども、霊言を通して我らが言葉を聴いて、世の中を変えていこうとするなら、愛の言葉を自らが受け入れ、この地上において、具休的に行動し、愛の実践をしてくれるのならば、そなたたちこそが、自らの手によりこの地球を救う一人ひとりが、救世主そのものになるだろう。

この地上を救ってこそ、地球の本来の意義、使命は果たされる。救世主が救世主として立つのにはーー、救世主というのは、天上界の言葉を受け、それを愛のもと、神の指導のもとに、人びとに伝え、実践する者のことをいう。ならば、今、そなたたちがレムリアの計画のための手足として、愛の実践をするなら、一人ひとりが救世主なのだ。愛の光の天使である。

それほどの力がないと、しり込みをすることなく、自らの人生の最後にできることとして、力を貸してほしい。その力をもってみんなが手を取り合うことで、つなぎ合うことで、地球を愛の星にしていこう。しり込みしてはならない。この地球は、滅びるか滅びぬかの瀬戸際に立っている。神の手が止めていたマイナスエネルギーの揺り返しが、天変地異として地上に降りかかってきている。
いつまでこの時間を保てるか。時間とのにらみ合い、時間との戦いになっている。

ほんとうに大事なことは。
肉体だけを救うのではなくて、魂を救っていくことに意味があるということ。魂を救いながら、肉体を持っている者たちの意識を変革し、愛と信頼こそがほんとうに大事なことであると、人びとの心に広がっていったとき、国を越え、国境を越え、民族を、宗教を超越した、地球規模で手をつなぐことになるであろう。

そのときこそ、愛というエネルギーは地上を循環しはじめる。
人びとは、我々は神の子であったのだと、これから神の星にしていくのだと、神のもとに帰って行くという、高度な認識の中、人びとは、今一度、神の子として息を吹き返すだろう。

それであってこそ、神の子としてのルネッサンス大ルネッサンス運動が起きるのである。

12.神理により、シンプルな社会機構へ変化

人びとは多くの物を持ちこみすぎた。数々の欲望想念、不摂生、間違ったエネルギーの使い方により、自らの肉体に病をつくり、数々の遊楽、享楽的な、根源悪のようなものをつくって、快楽にふけり、人びとは混乱している。それに翻弄されて、社会的にも混乱が起き、間違った価値観の中で人生の目的と意味を見失っている。

神の子としての基準を取り戻していったときに、そなたたちがつくっていった,複雑怪奇な社会のシステムがシンプルに整理されて、神理はとてもシンプルであるということを実現するような社会になってくるであろう。
病がなくなれば病院もいらぬ。人びとを裁く裁判所などもいらないようになるであろうしーー。社会国家をつくるため、人びとが間違った方向でエネルギーを使うから、極度なストレスがあり、歓楽街とか、性的退廃を招くものがあるーー、そのようなものは全部なくなっていくのである。

そうなれば、幼い青少年たちが迷うこともなくなって、魂が何の目的のためにあるか、若い命が、どんな目的をもって努力精進すればいいかということ(がわかり)、教育のシステムも、根本から改革が行われるであろう。

国家体制も変わり、国が変わり、国境がなくなって、地球人類として、みんなが手をつなぎ合う時代がくる。「我こそは、我こそば」と思い、富や宝や、財産や財宝を求めるから、幸せになる必要以上にそういうものを求めるから、人びとはしゃにむに働き、おかしなものを蓄える。そのようなものは、すべて、価値観がガラガラと変わる中なくなっていくであろう。

宗教においてもそうである。カイトロンが言ったと思う。オリオンの星には宗教がないと。宗教は、単に自らが神の子であるという、愛の教えそのものである。人類どうしがみな神の子であるから、愛し合おう、信じ合おう、分かち合おうという中において、すべてが、物質文明における、貨幣経済までも変わってくる。

神の子、人類たちは、自らの個性と役割で、精一杯仕事をする。欲しいものは分配されるようになってくるであろう。すぐにはそのような社会ができないのはわかっているが、そのかわり、自分でできることをし、神の子として貢献しようと勤勉に仕事をしていれば、物事は循環していくものである。
人が幸せになるのに、たくさんのものはいらぬ。衣類がたくさんいるだろうか。食べものがたくさんいるだろうか。子どもの教育をするのに、過剰な教育費がいるだろうか。ほんとうに学ぶということは、人を、子どもたちを、過剰な教育環境の中において、ない才能を磨かせることではなくて、ある才能を活かすために、自ら気づき、研さんしていく道を示すこと。そうすれば、教育費も、教育環境もおのずと別な価値観、尺度が現れてくる。

病院や、そのような施設でも、圧倒的に病人が減るであろう。魂が永遠であるということを理解したなら、むやみな延命治療もなくなり、短い命には短い命なりの意味があること、修行の目的があると理解され、医学にもそういった認識が進む。シンプルに整理されてくるであろう。あまりにも人間たちが、物質界の中で、複雑怪奇な、難解なものにしてしまった。

物質主義の、科学の混乱の時代の中、次の世紀には神の子であるということが、永遠の命であるということーー、この地上においての本来の意義と目的が、人びとの心の中に根づけば、ほんとうに幸せなことは、神の大いなるあらわれである大自然とともに、シンプルに生きることーー。そのうえで、科学文明を使い効率的に生きることで人びとは自由な時間を得る。

過剰な、余分な物質、お金、そういうものに目をくらますことは、何の意味もないということがわかる。そして、自らの才能を、他者の力になるという愛と思いやりの精神で、互いに助け合い、高め合い、人生の目的とする時代がくるであろう。そうなったら、多くのものはいらないから、たくさんの生産をする必要はない。畑を耕したり、魚を獲ったり、そういうことが大好きな者もいるから、効率的に食べ物が生産されて、人びとはあくせくしなくなる。そこに至って、文化、芸術、科学文明における爆発的な飛躍が起きるのだ。

今は戦争とか、つまらないことで足を引っ張り合い、エネルギーを浪費しているから、発達しているようでいても、根本的には飛躍していない。しかし、愛の教えが根づけば、次なる扉が開かれ、他の宇宙に行けるような、飛躍的な理論が人類にもたらされるであろう。

人びとは宇宙へ出て行き、今度は、自分たちがある程度気づきえた、愛と奉仕の精神を、神の子としての幸せを、他の、発展途上の星に分け与え、今の地球のように滅亡していこうとしているような他の星に、何かしら手助けができないかと、そのような指導、他の惑星を指導するような仕事を、ボランティアとしてはじめていくことになるだろう。

それがまた、宇宙規模の愛の循環となっていくのである。
我らも、そのような惑星から、地球が立ち上げられたときにやってきて、精神的な指導をしてきたのである。そうして愛の循環が、神の子としての教えが、宇宙規模に循環されて広がっていくのである。まず、神の子であること。愛の光であること。その尊厳を持つこと。尊厳を忘れるから、サタンたちのように、欲望に目がくらんで自らを欲望と権力の中において見失っていくのである。

13.根源の神からのパワーを引くことができるのが九次元

本来神の子であるという真なる誇りを持つなら、不退転の境地で、どれだけでも、宇宙の根源の神からのパワーを引き出せるのである。智慧も、愛の量も、力も、我らが神の子であるということにほんとうに気づくのなら、宇宙の根源の神につながっている、我らの魂の中にあるラインによって、パイプによってどれだけでもエネルギーを引き出せるのである。その鍵さえ、そなたたちがわかっていれば、どれだけでもエネルギーを持てる。

我がモーゼで、力があるというのならば、我らはそのことを認識し、使える者たちなのである。九次元といわれている者が破格なパワーを持つのは何ゆえかというと、神の子という認識の中、その極みにおいて、根源の神からのパワーを引くことをその力として、例えば我ならば、愛と正義を通して、根源の神からのパワーを引くことができる、その認識に至っているということなのである。それは我らだけの特権ではなく、そなたたち一人ひとり、地球上のすべての神の子たちに可能なことである。

そこに至るには、神の子であるということをーー。自らの幸せだけではなく、他者の幸せのために、喜びのために自らの人生を投げ出し、他者の悲しみ、苦しみのためにともに泣き、涙を流し、悲しみを分かち合う、その観点を持てる者であってこそ、神の子としての心の扉が、エネルギーが開くのである。

神の、宇宙の、大宇宙の神からの愛のエネルギーは、無尽蔵に引き出せるのである。そのエネルギーを引き出す扉を開ける鍵は、愛ということーー。神の子としての愛というものーー。その鍵を、鍵穴に差し込んだとき、奔流のように、愛のエネルギー、力が、根源の神から流れ出てくることであろう。それが、そなたたちの本来の叡智を開き、パワーアップさせ、より多くの者たちを幸せにするために、救うために、このエネルギーを使いなさいという根源の神からの許可が降りる。その力を蓄えている者たちが九次元の者たちなのである。ゆえに、我らの力、確信は、常に人類を指導しながら使ってきた。

自らの力のために使えば、九次元といえども、扉はぱったりと閉められて、ただの人になってしまう。九次元が九次元であるということは、自らの人生を、生涯を投げ出すことにより、ひとりでも多くの神の子たちの幸せのために、ひとりでも多くの者たちを愛するためにーー、そして、根源の神の愛の思いを実現する道具として、手足として、命がけで使命を全うできるーー、それを喜びとして、使命として受け入れていった者たちであるということ。愛として、慈愛の姿そのままに奉仕をしようとする、不退転の境地を持った者たちが、救世主界にいるのである。

そのような境地に、どうか、地球人類から発した者たちも、ひとりでもなっていただきたい。我らが世界、進化した如来界、そして、九次元の者が出ることを我は望む。ひとりでも出てくれることを待ち望む。他の惑星には、九次元が次々と誕生している惑星がある。ほとんどの者たちが七次元以降で、八次元如来界、九次元の予備軍のような者たちがいて、九次元という救世主界の者たちが次々と出てくるような、そのような高度に進化した惑星というのもある。できたら、いつかこの地球も、そのような愛の星に進化し、高度な認識を持った、愛の表現形としての惑星になるよう望んでいる。

そこに至る原点は、我が語ったことにある。根本は神の子であり、永遠の生命を持った、愛の奔流の分光であるということ。愛そのものが、神の子の証であるということ。そして、どれだけ多くの宇宙に神の子たちがいようとも、あなた方、一人ひとりに使命があり、あなた方は神の子として、個性を発現しなくてはいけない。神の子というものを、もっとわからなくてはならない。

そのかけがえのない個性の中に、命が与えられたということを、もっと理解し、自らの人生を光らせ、個性の発現をもって、他の神の子たちのために少しでも役に立ち、他の神の子たちを愛していくために命を捧げる、愛の化身となって生きること。それを認識するかどうかで、この地球が滅びてしまうか、次の宇宙時代に行ける愛の星になれるかの大きな分かれ目にきているのである。

14.まず簡単な言葉で神理を語り伝えよ

我が語ったことは、けっして難しいことではないはずである。それをそなたたちは書物に書き、いずれは、そなたたちがひとりずつ、言葉で語って伝えていきなさい。そなたたちは、かつての十二弟子のように、イエス・キリストの言葉をわきで聞き、様々なところに伝道していったように、自らの言葉をもって、神のメッセンジャーとして、その言葉を伝えていく者たちである。

だから、しっかりと学び、自らの言葉においても、神の子としていかにあるべきか、ということを語り伝えられるように、訓練しておきなさい。そのとき、間違ったことを伝えたなら、後々までそれが魂の恥になるであろう。そのためにも、しっかりと学んでおきなさい。そして、ひとりでも多くの者たちを救っていく。そのためには、あらゆる手立てを使って、創意工夫してやるべきことを最大限にやりなさい。
いずれは、あなた方一人ひとりの書物を通して語ることで、伝道されていくことがわかっている。

今は、インターネットのような機構を通して、ネットワークが張り巡らされた時代であるから、それをどんどん利用して広げていく。それを思っていただきたい。まず、シンプルなことからはじめること。今までのように、あなた方が神理を学び、高度な知性があり、ある意味でマニアックな趣味を持っている者たちが集うところから、多くの、一般的な者たちに広げていくときに、無理のない形で、易しい言葉で、シンプルなものを打ち出すことに眼目がある。

イエス・キリストが、どのように、学問もない者たちの、あれだけの人びとの心をつかんでいったか。それを考え、難解な言葉を並べ立てることが、救いの言葉とならないことは、イエス・キリストが証明しているはずである。シンプルな言葉で、簡単な言葉で、真実を伝えることができてこそ、そなたたちもこれからの菩薩行としての、大事な修行が果たされていくことであろう。

15.光のネットワークを日本から世界へ発信せよ

この者(アマーリエ)が命ある限りは、実践の指導をしながら、霊言を取っていくことであろう。霊言を少しでも多く収録し、後世に残しなさい。他にしばらく、このような霊言をとれる者が出る予定はないから。

孔子には、インスピレーションとして、霊界から語りかけがあるが、霊言収録というのは、専門で取る者はいないのでーー、実践になったら、霊言を取ることだけに生命エネルギーを使う者は出ないから、今のうちに、収録できる言葉はできる限り収録していただきたい。

霊言はいずれ未来の人類に対する遺産となり、人びとは、我々の言葉を学んでいくことになるだろう。だから、今はこの言葉を伝えていくこと。そして今度は、行動開始の銅鑼が鳴ったということ。今までと同じではない。

この流れについてこられぬ者はかまわない。神の子どうし、仲間を愛すること、仲間をいとおしむことはとても大事だが、根本的には、人類すべてを愛し尽くす、まるごと愛すること、生かすということ、今の危機を、この窮状を打開すること。それがものすごく大事なのである。それがそなたたち本来の使命である。

その使命に忠実に、力を尽くしてがんばってほしい。
次なる者たちが、今、呼び集められている。大きく時代が変わっている。レムリアの使命が変わってきている。その潮流に乗って、ついてきてほしい。不退転の覚悟をしていただきたい。実践に移れば、それだけの魔の力も出てくるから、だが、そのような者に脅かされるようなそなたたちではないと思うから、我も安心している。

魔の力が出てきたときは、我らの力を使いなさい。呼びなさい。あらゆる援護をするために、裏神道の者たち、裏の荒神たちも集結して、そなたちのところにあいさつに出ているはずである。そなたたちの心が純粋で、ピュアであり、常に神の意思と相通ずるものであれば、彼らの力をもっていかようにも、そなたたちを助けることができるのである。

しかし、濁った者たちに、我らの力は届かぬ。だから常に、我々の援護を受けられるように、魂を、反省と、向上心の中において光らせていきなさい。そうしたら、何も恐れることはない。我が、モーゼが、そなたたちの後ろにいて援護しよう。何も怖がることはない。力だけ、自分の独りよがりの中で、空回りするのではなく、常にレムリアの目的、救済の計画の一助として、自分が何をなせるかということを、わきまえること。

全体として、何をするべき時期にあたるかということを、常にわきまえること。その中で、やれる最大限のことをやりなさい。やりすぎてはいけないといって、引っ込み思案になることもないし、かといって、自分だけが、という気持ちを持ってもならぬ。協力し合って、少しでもレムリア号が素晴らしい航海ができるよう、多くの人びとに光を届けられるよう、仕事をしていきなさい。

そして、光を届け、たいまつを灯してまわっているうちに、真っ暗な荒海の中を歩んでいたレムリア号のまわりに数々の火が灯り薄暗い地球が、どんよりと欲望に汚れてしまった、悪想念に汚れてしまった地球が少しずつ、少しずつ、明るくなってくるかもしれぬ。

今、この地上に霊言が出たというだけで、我々の霊的な目から見たら、日本が明るくなってきている。少なくとも、神の子としてのうずきをもった者たちが多くいる。その者たちの心に火がつき、まず日本の、日本人の中から使命に目覚め、手を取り合うときが来ている。

日本で、光の天使たちが光のネットワークをつなげたのなら、この国を通して、神理が世界中に発信されていく時代がくるであろう。それはあっという間のことである。その動きがはじまたことを肝に銘じ、ただ、仕事してほしいと思う。

では、今日はこれにて失礼いたします。
ありがとうございました。

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