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Project Eden

第4章 モーリャ:正義とは愛

1.わたくしが信じる愛というのは行動実践

2.地獄界に行くと反省がなかなかできない

3.あなた方の霊能力というものの認識が多少違う

4.あの者が今動こうとしている

5.大事なのは、常に愛の心を忘れないということ

6.何もつかまなかった者は、神の愛により守られ安全である

7.必要以上に執着したときに愛は死ぬ

8.青写真を降ろすために今霊言がおこなわれている

9.書ける人たちがいる限りは書き続けてください

10.天上界が最終的に計画した大救世運動の神髄

11.みだりに神の名を呼ぶことなかれ

12.やれることをやりなさい

1.わたくしが信じる愛というのは行動実践

皆さまの、今日的、苦境の状態を見まして、わたくしから、今日はアモールに代わり、一言お話させていただこうと思ってまいりました。

以前、わたくしのほうから皆さまに申し上げてあったと思いますが、いよいよ魔が、本気になってあなた方をターゲットにしてきているのです。
そのことは以前にも申し上げていたと思うのですけども、やはり実感がなかったというのが現実だと思います。

でも、だんだんあなた方の動きが活発化され、書籍も何冊にもなり、CDとかの発売をしていくうちに、あなた方の内をやはり、サタンたちも今のうちにつぶしておこうという、そのような計画が画策されてるのも事実なのです。

今あなた方のかつての仲間たちがやっていた動き、そのようなもの以上のものが、動こうとしています。
これからあなた方がほんとうの意味で戦わなければいけないのは、第一の計画、第二の計画をつぶそうとした、そのエネルギーと戦わなければいけないのです。

今までのような、あなた方が見ていても、あのような魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような、レベルのランクの者たちではなく、ほんとうの意味で、親分にあたるようなものが出てくるということ。
その者たちと本気で、結界を張り、戦い合わなければいけないというのが、これからのレムリアでもあるということなのです。

そして、これからレムリア本来の仕事内容ーー、先ほど日蓮が言ってくれた内容です。
ひじょうに大事な内容であるから、あなた方は心に留めておいてほしいのです。

今までのように霊言のテープ起こしをして、かつての団体についてのフォローをしていくとか、そのようなものではなくて、新たな地球維新に向けて、本来のこの大救世運動が何ゆえ大救世運動であったのかーー。

かつて、インマヌエル、イエス・キリストや、わたくしや、そして仏陀がやってきたようなそのような、法をその地域の中において、極みとして出していく宗教、三大宗教のような、そういう大きな宗教を興していくとか、そのようなものではなくて、地球自体を変えていく。
その本来の宇宙の法の中に、地球人の意識を指導して、導き入れていく。それをもって本来の地球の法の完成をみるのです。

最終的なその総仕上げの時期、それゆえにこのように九次元が立て続けに出て、大救世運動というのが、力を込めて叫ばれてきたのです。

これからレムリアが、レムリア本来として、かつてのエル・カンタラーがやり残した、ほんとうの意味でこの日本という地から世界に向けて、法が発信されるのであると。それは高橋信次、エル・ランティという方が、生前もおっしゃっていたはずなのです。このジャブドーバーのケントマティと呼ばれていたこの場所から、世界に向けて法が発信されていくのだと。

仏国土ユートピアをこの地球に、地球を愛の星にするために具現化するのだということは、かつての最初のG会のときから言われていたはずなのです。

それがほんとうの意味で、誰にもわかっていなかったということ。
そのビジョンがあまりにも広大であり、人びとの、人間たちの気持ちの中で、地上の者たちの中でつかみきれなかったのです。

それゆえに、またひとつの大いなる宗教が立ち上がった、新たな精神的指導者が現れたくらいで、終わってしまっていたけれども、わたくしたちが本来考えていたのはそうではなかったということです。

神においては、単なる高度な理念を降ろすというだけではなくて、その高度な理念は地上の実践をもって、行動をもってこそ、愛と正義という気持ちをもって、地上の者を救ってこそ意味があるということ。

高級霊が単なる高度な教えをたれてるだけで、救世主と呼ばれているのであるのならば、そんなものならば、いくらでも他の者ができるでしょう。

わたしたちは行動の実践理論というものを、地球救済のための実践理論というものを、地球規模で考え、計画してきている者たちなのです。
それを地上において降ろしていく。神の子としてただ絵に描いたように、愛とか、神とかいうことを言うのではなくて、一人ひとりが神の子であり、愛の化身であるということをしっかり心に落とすということ。

そうしたらば何ができるかということ。
地球規模で何ができていくかということ。
地球単位で何ができていくかということ。

地球に太陽がひとつであるように、神の愛はひとつであり、神というものは、宇宙を貫く愛はひとつであり、天上界もひとつであるということ。
そこを、自分たちの宗教にこだわるがあまり、自分たちの神が、自分たちの救世主が、と言っていがみ合ってる。そのような愚かな段階はもう卒業しなくてはいけないということ。

地球に以前も言いましたけれども、地球に太陽が何個もあったら、その地上は灼熱地獄と化してしまうのです。
神の愛というのはひとつで、そしてその大宇宙の中において、すべての生きとし生ける神の子たちを、地球だけではない、他のすべての星々に至るまで、宇宙の根源である神の愛というのは、すべての生きとし生けるものを、生かしめんための、愛の摂理というものを働かせ、神の子たちを育んでおられるのです。

そのような法則理念であるということ。
摂理であるということ。
愛そのものであるということ。

そのことをほんとうの意味で人びとがわかったのならば、その愛の化身としてつくられた自分たち神の子が、今何をしなくてはいけないのか。
この地球をけがすだけ穢し、苦しめるだけ苦しめ、自分たちがいがみ合い、戦争をし、この地上の中で互いに滅んでいこうと、戦争の中で滅んでいこうとしているではないでしょうか。

そんなものは何の意味もないということ。
あなた方は本来神の子であるなら、愛し合いなさいと。
そして愛するもののために命をかけて、神の国を実現せよと。
それが神の教えであるのです。

愛に関することであるならば、アモールのほうからも意見があると思いますが、わたくしが信じる愛というのは、ただただそのまま愛は行動実践であります。

愛であるならば、愛が心にあるのであるのならば、口先で愛を唱えるのではなく、この地上の弱きもの、生きとし生けるもののために大いなる、また神の愛に応えるためにも、自分の人生を、自分の魂を、自分の全エネルギーをもって、どれだけのことがこの地球救済のために、神の星のために何ができるかということ。

そのためにしっかりとしたビジョンを持ち、今回の計画に当たるということ。
そのことをもってわたくしは、本来の愛であり、神の子としての正義ある生き方であると思うのです。

2.地獄界に行くと反省がなかなかできない

ですから、今までのような難しい法理念というのは、やはり認識力を高めるという意味においては価値のあることなのです。
ですから前半で仏陀は、法の理論というものをしっかりと確立されて、今お話しされていたように、初期の『太陽の法』、『永遠の法』、『黄金の法』という素晴らしいものを出されていったのです。

で、数々の素晴らしい法理念というもの、地球の法というものを預かられておられる、黄金光線の方であられますから、法理念というものはやはりエル・カウンタラーをもって降ろされたのです。

でもそれが単なる法理念だけでいいのではなく、それが今度は地球規模における実践理論として、行いの中で行われてこそ、ほんとうの救世運動であったということなのです。

一宗派をまたつくろうとして、エル・カンタラー教というのをつくろうとしたわけではないのです。
それを今度は最終的に数々の法理念をまとめ、宗教というものを、そのひとつの懐にまとめ上げて、ちゃんとした天上界からの法が降りたのならば、それを、エル・カンタラー自らが、この日本から、救世主が立つということであったとしても、立ながら、この地上というものに対して、日本から発信して、この地球の大改革運動の、大きな声をよばわるーー。そのような計画になっていたのです。

しかし、そのようなことはもう叶わず、本人の自覚のなかにもなかったことでしょう。
最初のうちは、それを言われていたのです。
でも、だんだんそれが理解できず、わからなくなっていったのです。
本人自体の判断力がもうつかないのです。
ああなってはもう何も言っても、自分自身がときどきーー、だからあなた方の本を以前読んだ時も、はっと我に返る時はあったのです。はっと我には返ってきたとしても、それが持続しないのです。

地獄界という世界をあなた方はご存知でしょうか。
地獄界に行くと反省がなかなかできないのです。
したいと思っても、周りにあまりにも悪想念がどっぷりとついている世界にいるので、どうしても自分の中で、悪いほうへ、悪いほうへ引きずられて、そして、正しい方向に反省しようと思っても、常に邪魔が入るのです。

彼はこの地上の地獄に生きております。
あの人の周りはものすごい、真っ黒な闇に包まれているのです。
魂的にはそういう状態なのです。

ですから、その中でも一筋の神の子としての強い光で、本人がはっと我に返った時があったとしても、その彼を取り囲むような、ものすごい漆黒の闇というのが彼を取り囲んでいるので、反省が続かないのです。

それを何とか打ち破りたいと思っても、もうエネルギー的には、包んでるものの力が強いのです。そして、それを打ち破るだけの気力も、もうだんだんなくなってくるのが、完全憑依の状態なのです。

ですから、哀れといえばあまりにも哀れです。
でも、あの者を包んでいるエネルギーを切れる者はこの地上には誰ひとりおりません。
それは本人自体が気づいていかなくてはしょうがないし、たとえもし、ここでミカエルが出てきて切ったとしても、やはり本人自体が自覚をしないことには、あの者と縁を切ることはできないでしょう。
それくらい霊道を開いているということは、危険なことなのです。

このように、この者(アマーリエ)もそうですけれども、霊言をとるということは、この者が、天上界と、まあわたしたちの世界であったとしても、霊界との通路がしっかりと穴があいて、通路がついているということなのですね。
ですからそれが天上界に向かっていればいいのです。
でも、下のほうに向かったときには、ずっぽりと下のほうからのものが大量に入り込んできて、魂自体も乗っ取られてしまうということなのです。

ですから本人自体がコントロールしようとしても、なかなかできない。
あなた方が、高橋信次から学んだ反省行というもので、玉磨きをする。
これは霊道が閉じていてこそやはりよくできることであって、あまりにも開いていると、反省したいと思っても、それ以外のものが、その開いた穴からどんどんどんどん入ってきて、反省どころではなくなってしまうというのが現状なのです。

ですからG会ではもう霊道を開いた者たちが多々落ちております。
その者たちは自分で反省をしなくてはいけない。これはいけないかもしれないという、神の子の善我なる意識があがってきたとしても、それ以外のものに振り回されて、やはりマイナスの方向に引き下ろされてしまったということ。

だから霊道というのは自分自らが悟って開く、それに応じて開いていくか、さもなくば、このように使命がある者が、使命に応じてその部分を開いていく。そのようにしなければ、今地上はひじょうに磁場が悪いのです。

ひじょうに悪想念が強いところなので、そんなような場所に、磁場が悪いところにいて、いきなり穴が開いて、霊界との通信ができるというと、やはりひじょうに悪いものに影響されやすいというのも事実なのです。

ですから、わたしたちの世界、また七次元以上の世界に対してコンタクトができる、霊言を降ろせるという者は、わたくしが周りを見回してみてもほかにおりません。

3.あなた方の霊能力というものの認識が多少違う

そのような一部の、自分が神であると称してしている者たち、指導霊であるというふうに、まあ悪いものでなかったとしても、そのような者たちはおりますけれども、このように高級霊界のほうからの言葉というのを、直接に降ろすことができるというのは、やはりそっちのほうに焦点が合わさっているということなのです。

そっちのほうからのエネルギーを大量に受けながらやっているということなのです。
だからパイプが今は開通しているということ。わたしたちの世界から見て開通してるというのです。

もし霊道が開いていて地下の者といったらば、地下の者たちが、霊言の地下からのパイプが開通しているというふうに喜ぶでしょう。
でもわたしたちのほうから開通しているとは言わないのです。
このパイプがどこの世界につながっているかによって、やはりそのつながった世界の者と開通しているわけです。

昨日まあ今でいう、世間で流行っている、霊能者の本をこの者が、久しぶりにまた出してきて読んでーー。いいことを言っているのにもかかわらず、読めなかったのですね。
まあ悪い人じゃないというので、また出してきて読んでたら、頭がガンガン痛くなってきて、やはり具合が悪くなっていった。

やはりそれはいいことは言おうとしてます。シルバー・バーチを使ったりして、一生懸命スピリチュアリズムを出そうとして。
まあ彼もブームの火付け役でありますから、先ほどの地球維新とかいう言葉をブームで出すことで、大衆の中に、その霊界に対するアレルギーをとっていこうと、そういう意味で出ている方であります。

ただああいうふうな霊能者の場合は、もうひじょうに彼自体の周りにいいものも悪いものも、特に、悪いというか、事故死したような者たちが大量に群がっておりますので、その方が一生懸命法を説いても、やはり限界があるのです。
その説いている法の言葉の後ろに、すごい、阿鼻叫喚地獄みたいなような、その者たちの念というのが、その言葉の端々に混じってしまうのです。

ですから、下の者たちを助けていくというものも大事ではありますけれども、霊言をとる者のいちばんのことは、まあ昔から巫女と呼ばれてる者たちがおりますけれども、常に清らかであるというのは、自分が通じる世界の者とだけ接続できるように、下の者となるべく接続をとらないようにというようなことが言われるのが、身を清めてという意味があったのです。

ですから、下のほうにコンセントを入れてしまいますと、とんでもない者が入ってきて、そうすると、そちらのほうで荒らされてしまいますと、そちらのほうが波動が低くて粗雑なのです。精妙さが欠けているのです。
そうすると、粗雑なエネルギーを常に入れておきますと、波動の精妙な高次元のものがとれなくなってくるということなのです。

普通の常識では、七次元以上の言葉を普通の一介の肉体人間がとるということはほとんど不可能な状態なのです。

そうすると神を見たとかいって、だいたい一宗一派の教祖になってくる人たちが多いのですけれども、やはり、七次元以降の言葉をこのように今降ろす状態が可能であるということ。

そこの霊言パイプを護っていただきたいということが、みんな下の者、上の者もとるということではなく、やはりある程度の高級霊界からの言葉というものをとる。それを受けていってレムリアの仕事に活かしていく。
それがレムリア・ルネッサンスの本来の意味であるし、レムリアの巫女としての立場、霊媒としての意味があるのであると、わたくしは思います。

あなた方の中に、霊能力というものの認識力がちょっと多少違うと思うので、やはりそのようなこと、認識をしていただきたいと思うのです。
あのような本を読むと、頭が痛くなって、読めなくなってくるのです。このような人は。
そうすると、それを読んだことによって、その読んだ者と縁がまたできてしまうのですね。

ですからそのような本はなるべく読まないようにということを、こちらも言って封印させたのですけど、また悪くないんじゃないかと思って、昨日の夜読んでいたみたいでーー。だから、あなた方がその魔界との霊界との法則というものが、あまりにもやはり無知であるなというふうに思うので、それは、担当であるわたくしがあなた方に教えていこうかなと思うのです。

4.あの者が今動こうとしている

今まではやはり、魔界のものでも狙うものは小物なのです。
でもこれから狙ってくるのは大物が出てくると言われております。
やっぱり、だんだん本体が出てくるので、その時になったときには、正面から、戦っていく必要があります。
そうなってきた時にほんとうに、魔界との戦いになってくるのです。
それをもってハルマゲドンと言っているのですけれども。

霊界の高級霊界と、それと、地獄界との戦い。これは過去何万年とわたしたちがやってきたことでもあるのです。
わたくしたちが一生懸命、彼らを説得するためにやってきたことであるのです。

ですから、それは単に、映画や絵に描いたストーリーの中であるのではなくて、実際にあった戦いであるのです。
そこにおいて、やはり戦闘的な発想を持っていない者は、隙をつくって落とされてしまう。

それが今までの第一、第二の救世運動の結果であったので、第三の計画においてはそのような事態も覚悟をして、戦闘系の強い者を配備してきたとーー。そのような時代であるということなのです。

これからレムリアにおいて、本格的な地上浄化のテーマが出されてくる時は、やはり本腰を入れて、下のものも阻止することにかかってくるのです。
そして、今あなた方が考えている以上に、大きな、大きな、先ほども地震がありましたけど、天変地異というものも、もう神の手を支えることができずに起きてくるのです。

絶対にノストラダムスが外れたからありえないとか、結構楽観的に考えるのが人類でありますけれど、やはりそのようなこと、起こるべきことは起きてくるのです。
その中においてこそ、この動乱期を、これから十年、二十年の動乱期を、どのような形で、結末をつけていくための、人類に対するこれから行く方向性の指示を、しっかりとレムリアが打ち立てることができる。

それによって次の世代に生まれてくる者たちの、仕事のでき易さ、できにくさというのが決定されてくることなのです。
あなた方がこのビジョンを降ろすことがもしかなわなければ、そうであるならば、次の人たちの仕事はたぶん、ほんとうに難解を極めてしまったことでしょう。

ですから、この計画が、今回の一連の、今年の一月からの騒動も、いろいろありましたけれども、あれは内部攪乱をさせることで、とにかく、先に出てくる宇宙の法を出させまいとするための、動きであったのです。
まだまだあのような後始末をやっている話をしているうちは、まだよもやま話でもあったのです。

これから本格的な霊言が降りるという段階になって、彼らが騒ぎ始めた。
そしてこの霊的な磁場というものを乱そうとしてきた。
それが、小物たちが憑いてた者たちのやったことなのです。
でもこれから出てくるのは、今度は内部ではなくて外部から、大きな圧力における、魔界の者でも大いなる、大きな者、たちの力というものが働いてくるのです。

人の心は己心の魔ですから、人の心の中の闇の中に爪を立ててくるというのは、霊界の原則ではありますけれども、やはりそれを通して、外からの外部団体からも来るということも事実なのです。

ですから、それから身を護るということも、しっかりあなた方は考えねばなりません。
教団として会員数信者数を大きくして、組織対組織で戦うというのではなくて、その組織自体は小さくてもいいから、精鋭なるあなた方が、本来の腹の底からすわった自覚というものをもって、この次の計画を行動実践していくということ。発信していくということ。新たなビジョンを打ち出していくということ。

それこそが宇宙の法であり、これから本来のレムリアがやるべき神髄であったということを、あなた方は理解していただきたいのです。

これをもって、レムリアの本髄であるということです。
そして先ほどルシファーの話もしておりましたけれども、あの者が今動こうとしております。

本来は、あなた方を脅すつもりはないのです。脅すつもりはないけれども、動き出したということは
あなた方にいろいろトリックをかけてくるということなのです。

ですからあまり、K会に関しても、刺激をしないように、そしてなるべく次のレムリアオリジナルのものを出して、やはり他の教団を刺激しないようなかたちで、上手に次のビジョンを出していく。地球維新を出していく。
この方向性がいいのではないかというふうにわたくしは考えております。

5.大事なのは、常に愛の心を忘れないということ

やはり実際にこの地球をどの程度救えたか。それ自体が、ほんとうに意味のあることなのです。
そして、何度も申しますけれども、失敗することを恐れなくていいのです。
まず正々堂々と、やるべきことをしっかりとやって、今回のように不都合があったのなら、あなた方がやったように、みんなで力を合わせあって、この難局を乗り越えるために、一つひとつ学びながら、善処していけばいいのです。

そのときに大事なのは、常に愛の心を忘れないということです。
どんなに凶暴な相手であっても、凶暴なものに凶暴な理論でたち向かったら、ますます相手は激していくのです。

でもそのときに、相手に愛の思いで話をして、「けっしてあなたと正面からぶつかろうと思っているのではないよ」と。
それは妥協でも何でもなくて、そうすると、相手が、修羅のような顔が、天使の顔に、普通の人間の顔に戻ってくるのです。
そうやりながら、上手に戦っていきなさい。

そして、今はまだK会とか、G会のようなことをあなた方は、いちばんの問題のように思っているけれども、これから世界に出て行ったとき、各宗教の宗派とのぶつかり合いが出てくるのです。

キリスト教教会においても、もし今ならば、日本のこの片隅のサイトで騒いでいることだと思うでしょう。
でも、キリスト教の教義、そして組織体制までもし、それを揺るがすことになっていったときに、やはりキリスト教とのあつれきも出てくるでしょう。

そして、なによりいちばん危険なのがイスラム教であります。
イスラム教で、もしアラーの名を語って、他で霊言とっているなどということを、もし出ていったのならば、今テロというのをひじょうにロンドンとかでも時折やっておりますけども、彼らはひじょうに凶暴なのです。
K会など目にならないくらい、それは、それは凶暴なのです。
だから、彼らとどういうふうに折り合いをつけていくか。

それだから、ひとつの宗派ということではなくて、愛というものを根源的に唱いながら、彼らをもその中に入れていくということ。
そのようなことをこれから、工夫の材料として必要であると思うのです。
地球規模の愛ということ。
それを伝えていくということ。

他にも、確かにあなた方が先ほど話したように、シルバー・バーチとか、それから『神との対話』とか、いろんなところでひとつのブームを、世界的なブームをつくるために、もうほんとうであるならば、エル・カウンタラーが、号令が発せられて、あちこちに埋め込まれた者たちが、共に手を取り合って、今世界改革運動をやっている最中であったはずなのですけども、やらないうちに、どんどんみんな歳をとっていきますので、たまりかねてみんなが動き出しているのです。

で、ひとつの心霊ブームというのをつくっているのです。
で、そのような過程の中でね、あなた方が彼らに対して、彼らを共に手を携えていけるような、そのような、敵対しないようなスタンスというのを、しっかりとつくっていただきたいというふうに思うのです。

ですからひとつのイスラム教が、というふうに、表面に出してしまうと、必ずや、またテロ行為を受けますので
今回のような内容証明どころの話ではなくなると思いますので、そこらへんはくれぐれも注意をしてやるということ。
メジャーになっていけばいくほど、そこらへんのところは注意をしないと。

彼らが今ひじょうにだけり狂っております。
イスラムの、ああいう原理主義的な、ああいうテロリストたちの中にやはり魔界の者たちが今暴れ込んで、世界戦争の引き金としていこうというような、もくろみがあるのです。実際にあるのです。
ですから、あの者たちを刺激しないように、上手に愛でくるんでいく。

6.何もつかまなかった者は、神の愛により守られ安全である

そしてまあ、先ほどいいましたけど、あのような、シルバー・バーチたちであるならば、過去世とか、わたしたちの名前を直接に言わないで、その霊指導という、天上界の愛ということで、『神との対話』の場合も、個人の名前を名乗らないで、話していける。
それだからこそ逆にあれだけ広がっているというのもありますし、それだから逆に身が安全であるということも事実なのです。

あなた方を見てひじょうにお気の毒であると思うのは、あえてこの第一、第二の計画が続行しての格好であるということを証明するために、高橋信次であるとか、我々の名前を直に名前を出して、霊言をとらされているということなのです。

これはひじょうに危険なことであるということも事実であるけれども、逆に言うと、他で出てきているどんな、いかなるスピリチュアリズムの通信よりもあなた方のここに天上界の本意があるということ。
ここに焦点を合わせているということ。
逆にそのことを思って、危険の最前線を今生きているのだと、そういうふうに思われてほしいのです。

危険の最前線で、光の天使が命がけで仕事をするとき、それを脇から守るのがわたくしたち戦闘系の、赤色系団の者たちの使命でもあります。
ですからわたくしもミカエルも命がけであなた方のことを、霊的にも今までも護って参りましたし、これからも護らしていただこうと思っております。
ただその覚悟において隙があると、やはり駄目であるということなのです。

ですから正義とは愛であります。
愛というのは命をーー、愛の根本をアモールが説かれるように、本来が献身であり、自らを捨てて他者を愛することであります。
自分自身のことを、自分自身の幸せばかりをつかんでいる者は、ほんとうの意味で捧げ尽くした献身的な愛というのはできないのです。
それがある意味でいうと、戦闘系の正義を語る、赤色光線の者にも通じるのです。

自分自らの身を案じて、自分自らの幸せにあまりに執着しすぎると、逆に本人が危険になります。
それを一度振り捨てて、自分自身の幸せであるということを、一度神の使命という中に投げ入れてしまって、その中において、あなた方をもう一度、自分の人生を見つめなおす。
そうしたらば、苦しみは離れていくのです。

この世の幸せを生きるのか。神の使徒としての幸せの中に生きていくのか。その覚悟を決めときにーー、やはり覚悟がつかぬから、様々なものをつかむのです。

様々なものを失いたくないとして、この間の、『スターウォーズ』で話をしていたようですけれども、その者もそうなのです。
恐怖心というのは、本来失うことを恐れる気持ちからくるのです。
失っても良いのだと、その者はまた永遠に生きていくのだと。
自分が死んでも神の使命のために死ぬのなら何の問題もないのだと。
「この命くらいくれてやる」と言って、坂本竜馬という男の話を聞いていて思うのですけれども、ああいう者には悪霊は憑依できないのです。

「自分の命などいつでもくれてやる」と、自分は自らを捧げ尽くして、神の愛のために命がけで生きていくのが、これが自分の己の生き方であるとーー。何もつかまなかった者は、逆に神の愛により守られ、安全であるのです。

落ちていった者たちを見てごらんなさい。
様々なものをつかまえていたはずなのです。
ORにおいてもそうです。
この間の、Eさんたちの件にしてもそうではないでしょうか。
みんなそれぞれあぶり出していったのならば、離したくない、握りしめたいものがあったがゆえに、それを握りながら落ちていくのです。
「それを離しなさい」と言っても離せないのです。

だから救世主自らして、そういうところが今回はあったということを、それが人間の弱さであると言ってしまえばそれなのですけれども。
それを立て直すために出てきたあなたたちであるのならば、どうかもう、つかむことを捨てて、今生、最後どのくらい生きるかわからないけれども、そのようなものから一度離れて、今回の使命のために、ご自分たちの人生の価値というのを見い出していただく、そのようなことをもって、あなた方が逆に守られ、安全であるということです。

7.必要以上に執着したときに愛は死ぬ

そのようなことになったのなら、けっして魂が、それこそあなた方でいうダークサイドに落ちることはないのです。闇に落ちることはないのです。

そのような気持ち、そのために魂が永遠の命を持つ転生輪廻をするものであると、本来生きているのがこちらの実在界であり、こちらの人間界は、ほとんど数十年の修行場であるのだということを、みんな聞いているにもかかわらず、やはり地上の生に執着をし、地上の名誉や肩書きやお金や、さまざまな、まあ家庭的なこともそう、子どももそうですけど、そういう幸せに執着するのです。

何かに必要以上に執着したときには、そこには愛は死ぬのです。
愛といいながら、愛ではなくなってるということ。
その中に、ほんとうに愛を実践していく、光の使徒としての仕事はなせないのです。

あなた方がやろうとしているのは、神の使者としての仕事を問われているのです。であるならば、その自覚をしっかりとつけることです。
腹の底から、腹をくくることです。
中途半端な腹のくくりはひじょうに危険だということです。

であるならば、ここから出て行ったほうが、本人たちのためであるということ。
それを、以前のやめていった者たちにも言ったはずなのです。
それならば、今のうちに出て行きなさい。
それで、「その覚悟がつかないのであるのならば、ここにいると逆に危険なのですよ」ということを言います。
そうすると本人たちは「切られた、切られた」と言いますけれども、彼らがつかんでいるものをもって、この先に上がっていくことは、もっともっと彼らの魂の死を意味することになっていったのです。

ですからあなた方はここまで共に歩んでこられたということ。そのことをもって、今あなた方の心がけが、ひじょうに透明なものであるということをみてわかるのです。
でもこれから先に上がるときに、今度は今までとは違う、もっと新たな世界に向けてレムリアが動いていく。
世界の人類を救済していく、それがレムリアの使命。
それが神の本来の大救世運動の使命の神髄であるということ。

そのことをあなた方自身が自覚なさるのならば、ご自分たちの心をしっかりと、腹を決められ、ご自分たちの心を整理されて、つまらぬ欲を捨てて、執着を捨てて、そしてそれは向上心とか仕事をしなくなるということではございませんよ。それはしっかりとおやりになっていただきたいのです。

でも、仕事をしっかりとし、家庭を大切にし、社会をしっかりと守る。
それは当たり前のことなのです。
ただそれ以上の欲を持ってはいけないということです。

逆に言うと、もしそれで殺されたとしても、殺されればいのです。はりつけになったイエス・キリストはどうでしたでしょうか。
一生懸命法を説かれ、法敵と戦われ
ゴルゴタの丘で十字架につけられ、なくなられました。
でも、イエス・キリストは負けたでしょうか。

いえ、死なれたからこそ、その後語られて、多くの魂を、世界中の方たちを救ってこられているのです。

ジャンヌ・ダルクは、最後火あぶりになって死にました。
魔女という汚名を着たまま彼女は火あぶりになって殺されていったのです。
でも彼女は、そのまんまで負けたでしょうか。

そんなことはないはずです。彼女の勇気をたたえ、多くのフランス人たちが自由のために、そして神のもとへ帰ってきたのです。
神の奇蹟をそのままに見たのです。
聖なる神の使徒というものは、まことこのような人であったということを、目前で見ることができたではありませんか。

ですから、地上の生、地上の肉体、まだあなた方を見ていると、まだまだこの地上のものに執着しているのが見えるのです。

そこまであなた方に期待するのは酷なのかもしれない。それもよくわかるのだけれども、今回あなた方が必要以上に恐れていることーー。
この者を見ていても、必要以上に恐れているものを見ていると、自分の日常を守りたいとか、まあ子どもを守りたいということもありますけれども、やはりそういうものを必要以上に抱きしめすぎているということ。

駄目ならば駄目でいいのです。

8.青写真を降ろすために今霊言がおこなわれている

だからまず最初に、この者を通して霊言をとるのです。
そして、レムリアとしてのビジョンを、これから先に何をするかというビジョン、ひじょうに出てきているはずなのです。

ですから、レムリアを通して、この世界救世運動がどのような方向に行くかということは、ずいぶん見えてきたはずなのです。
その青写真が出てくる。それを降ろすために、今霊言が行われているのです。知的欲求を満たすためだけにとっているのではないのです。

だから、ベートーベンがああだ、こうだとか、わたしは芸術はあまりよくわかりませんけれども、それはそれでいいでしょう。文化のひとつの次の発信となるでしょう。
でも興味本位で、知的な興味本位で、過去の霊人を出してきてそれを出すならば、それはレムリアの仕事ではないということを、申し上げておきたいのです。

レムリアは改革者、革命家たちが多いのです。
そのためのビジョンを降ろすための霊言であるということ。
天上界の叡智を降ろすための仕事というのはあります。

でも、やはりそこにおいて次の、大いなる愛の星へ変われる、ステップアップがなかったら、どれだけ高度な芸術論や文学論を降ろしてみたところで、それが繁栄発展する星自体がなくなっていってしまうのです。人類自体が滅びていってしまうのです。

そんなことの前に、今は急場を、とにかくこの地球意識を、この地球レベルから、宇宙の仲間たちと同じ意識にもっていく。
まず、そこを優先していただきたい。
そしてこの急場を、マイナスエネルギーとの戦いの中で、やはり少しでもプラスの方向もっていけるようにしていただきたい。

その本来の意味が、その方向性がしっかり理解されてこそ、それを大衆伝道の中において、芸術という方法論を使って打ち出されていくのであるのならば、とても意味があることなのです。

でも、過去の印象派がどうであった、なんであったということを、単に好奇心だけでもって、霊人を呼んで話をするとしたら、それは方向性が違うということだけを申し上げておきたいのです。

そんな時間はないのです、レムリアは。
だから、やはりこれからの方向性というものをしっかりと認識したのならば、今また新たなお坊様たちが現れました。
あなた方が、みんなで力を合わせて、易しい法で新たな、まあ、宗教ではない、宗教ではないのです。まあひとつの神理、宇宙の神理であります。

ですけどもこのレムリアとして、宇宙神理としての地球神理の総結集として、易しい言葉で伝えられるような、そのような理念というもの、そのような、天上界から伝えられている、今まで降ろされてきたものを通しての、理念というものをあなた方がまとめ上げるのです。
法の編纂というのはそれだけの壮大な力を持つものなのです。

ただ、いま霊言を一方的に受けて、それを、テープ起こしをして、本を出していただく、それだけでもたいへん素晴らしい手間のかがる、たいへんなお仕事だと思っております。感謝しております。

でも、それを通しながら、今度はあなた方がその内容に応じて、今度は老いも若きも、神理の知識のない者たちも、そして、海外にいる者たちにおいても、易しいわかりやすい言葉で、伝えていけるような、そのような内容をつくっていく。

それがあってこそ、仏陀が亡くなったあとに、法の編纂をやられた方たちがおられますねえ、仏典結集をなさった方がたがおられます。
そのような仕事も、同時にあなた方は今やっていくのです。
そのようなものをもって、やはり次の時代につなげていく。それが編纂事業としてのレムリアの使命であります。そして未来に対するビジョンであります。方向であります。
そのしっかりとしたビジョンと、その法の再編纂したものをもって、次の者たちがますます社会改革にいくのです。

あなた方まで社会の政府やイデオロギーを倒して、社会を変えていけと、そこまでは申しません。
それはあなた方の仕事ではないのです。
次の者たちの仕事なのです。

それこそ彼らは自分の命を賭して、捨てて、やはりやっていくことでしょう。途中にはその使命を果たせず、若くして散っていく者たちもいるでしょう。でもそれを覚悟で出てきている者たちなのです。

ですからその者たちのことを思ったのなら、あなた方が今法敵と戦いながら、このような仏典を、このような法を編集していく、再編纂していくという仕事は、まだまだある意味で安全なところにいる仕事だと思われて、この仕事をしていただきたいと思います。

9.書ける人たちがいる限りは書き続けてください

そして、この法理念を、かつての『太陽の法』、『黄金の法』、『永遠の法』というものの三部作を、魔界の者たちは、憑依することによって、その法典を書き換えてしまっております。
大事な、大事な天上界のアルカナで、秘儀であり、財産であり、エル・カンタラーの遺産であるような、そのような仕事を変えてしまっております。

それを正しい方向に、『太陽の法』をまた書き換えるというのではなくて、その内容において、やはり正しい方向のエキスというものを、しっかりあなた方の言葉で、書いていけばよいのです。そのような、集大成の仕事があるのです。そのために、残りの半生を使っていただきたいと思うのです。

書いて、書いて、書ける者は書きなさい。
あなた方はもうすでに、法がしっかりと入っているのです。

そして、霊言は霊言として残していくと同時に、ただ霊言をエドガー・ケイシーのように、ファイルとして残していくだけではなくて、やはりそれを読んだ者たちが、自分たちの言葉として、法として語った本を出していけてこそ、ひとつの文化というのをつくっていくことができるのです。そこに関して、遠慮はいらないのです。だから、間違っていたら、他の者が直してくれるでしょう。

わたしたちのほうも見ておりますから、どうかみんなで知恵を出し合って、それぞれの立場で、それぞれの言葉で、お書きください。

イエス・キリストの説かれた三年半の生涯におかれましても、十二弟子の者たちがそれぞれの福音書で、自分たちの言葉で、つたないながらに文字を書いたことがないような者たちまで、一生懸命福音書を書いたのです。ですから、そのようなものが今日多くの人びとを救っているのです。聖書として救っているのです。

あなた方のようにちゃんとした高度な学問を受けて、字も書け、しっかりと法を学んで、その上でこのように霊言を何度も聴いている。
それが今度はあなた方自体が、この法というものを、あなた方の悟りの段階に応じて、でいいのです。それをしっかりと出していくことです。

それがのちに、多くの人びとに読まれることになり、多くの人びとの指南書となっていくことでしょう。それでこそ意味があるのです。

霊言は霊言としていいでしょう。でもやっぱりこれは霊言であるということは、人びとが、そのときの心境で、そのときの状態によって、都合よくいいところだけ、自分のためになるところだけを聴くのがやはり、神理の書というか、霊言であったり、聖書であったりするのです。

それに対してあなた方がどう感じて、どう思ったのか。それを噛み砕いた形で、後世の者たちに伝えたいという、その思いで書き続けてごらんなさい。

かつてらいゆさんという方が、何百巻という本を書かれたということを今回出しておりますけれども、その何百巻と書いた本が、多くの人びとを、後世の者たちにとってほんとうに光となり、多くの希望の書となっていくことでしょう。あなた方がそのようなことをするのです。イエスの弟子たちがしたことを、あなた方がするのです。

自分だけは違うと思わないで、どの人もみな書けるのです。書けるだけの実力があるのです。ですから、自分は芸術家だから違うとか、僕は坊さんじゃないとか、いやわたしは女だから書かなくていいとか、そんなことはない。書ける人たちがいる限りは書き続けてください。

それがあとで、この光の本源が降りたときに、わからなければ、いつでもさっき日蓮が聞いていたように、質問ができるでしょう。

このあとの世の人たちは、そのようなことを聞きたいと思っても、もう二度と聞くことはできないのです。
あなた方は質問があれば尋ねられるではないですか。「このような方向でいいのですか」と聞けるではありませんか。

そして、「光と共に歩んでいる今あなた方の人生で、その中であなた方はこれから仕事をしなさい」と言われているだけなのです。
あとの世の人たちは聞きたいことがたくさん出てくることでしょう。
多くのことを実践行動に移したのならば、わからぬことがいっぱい出てくるでしょう。でもその時に直に、直接に、霊天上界に聞こうかと思っても、もう聞いても答えてくれる、そのようなパイプはないはずなのです。

だからこのように日蓮が、モーゼがこのように、七次元、八次元、九次元クラスの者たちが、常にあなた方にアドバイスを降ろせる時に、あなた方は精一杯の仕事をしていただきたいのです。

霊言をただ一方的に受け入れて、忠実にそれを聴いて再現することだけをもって自らの仕事とするほど、あなた方の地上での使命は甘くないのです。
そんな仕事をするためであるならば、機械でもできるのです。そうではない。

一人ひとりが個性を持ち、一人ひとりが経験も知恵も違う、その中で、自分が見聞きしたものをもって、己自身の言葉で、己の心に正直に文章をつづり、あとの者たちに、愛をもって伝えようと思う気持ちがあるのならば、その愛の書は必ずや後世の者たちにとって、救いの書になることでしょう。

それが今はできる、文書の編纂の時期にあなた方は生きておられるということ。
これは、いつも、いつも文章の編纂というもの、結集というものをやっている時代があるわけではないのです。仏陀の時代においてもやはりそういう時代というのがあったのです。

これが今その時期である。それが今レムリアが文証、文章というものを通じて、文証というものを通じて、実践をする。神理というものをつなぐという役割があるということ。

だからその意味においてこの者は霊言の答えが与えられるということであって、何でもかんでも興味本位に聞いたからいいというわけでもないのです。

具体的に実際に行動を出していった時に、わからな、具体的に言えることもどこまでもずばずばとお答えしましょう。

それはあなた方が動かなければ、質問はできないのです。実践をして、あなた方が本や文章を書いてみなかったら、わからないところもわからないはずなのです。

12.やれることをやりなさい

これからも何かありましたら、いつでも聞きなさい。
いつでも、どの霊人もそう言ってるはずです。
あなた方に質問がないから、わたしたちは答えられないのです。
いつもいつも次はどの九次元だとか言って、順番をおっしゃってるようですけれども、だんだん自分たちの行動をしなさい。

今日はひじょうにいい話を持っておられるとわたくしは感心して聞いておりました。
弁護士さんのところに行って、すぐ行って知識を入れてくる。
そしてみんなで何をするかと、ひじょうにこの平原さんがリーダーシップをとっておられました。

このようなことを、みんなで何かできるかという行動原理をもって、天上界に対する質問も出てくるのです。
なにもしなければ、単に興味本位なことだけを聞き並べるのでは、わたしたちはそれほど答えたくもないのです。

このレムリアのために何ができるかという、行動実践がしっかりできてきたときに、いつでも聞きなさい。
そうしたら、わたしたちは喜んで何でも答えよう。
七次元であれ、八次元であれ、九次元のわたしたちであれ、どんな些細な質問でも答えよう。

だけども勇気なく、愛なく、力なく、腹も決まらない、そして神理の使徒として、死に物狂いでやろうと思わぬ者に、わたしたちは答えはしない。
だからそのことをもって、やれることをやりなさい。

このレムリアに来たということをけっして無駄にしてはいけない。
転生の中で、次にこのような場所に居合わせたいと思っても、もうほとんど無理でありましょう。
このようなことにおかれたという奇蹟的な状況の中で、あなた方はやれることを、人生の中で優劣をつけていくのなら、どこにいちばんやれるべき力、仕事があるかをしっかり自分の頭で考えなさい。
それは我々が指示することではありません。

そしてここにいるみんな一人ひとり、別々の才能を持っているのです。
才能を、素晴らしさを神より与えられているのです。
ですからそのことをもって、あなた方は自分の仕事を探しなさい。
そのことを探すのは、あなた方の義務でもあり、責任でもあります。

神よりそのような素晴らしい肉体と知性と、そのような才能と人生を与えられたという、あなた方にとって、神に対する感謝があるのならば、その責任をしっかりと背負ってあなた方の義務を遂行しなさい。
それが、今これからあなた方にとって、要求されていることであると思います。

では今日はこれにて失礼させていただきます。

10.天上界が最終的に計画した大救世運動の神髄

ですから霊言をとることだけに夢中になるのではなく、そろそろ自分たちで、実践をされていくということ。
そして、新たにもう、光の天使たちに対する救済というものの光というものはもう投げられました。
サイは投げられております。本も二冊出ております。本人がほんとうに疑問を持っているのであるのならば、必ずやその答えが与えられているところに、今世間はなっているし、ホームページだってしっかりと、いくらインターネットの先がわからないといったって、検索して探そうと思えばできるはずなのです。

それは、口を天にあけて、「さあ神様、僕、わたしのことを悟らせて、助けておくれ」と言って口を開けていても、誰もそんなものは助けないのです。
自らが求める者だけが救われていくのです。

ですから、苦しい、K会やG会で苦しんでる者たちがいるのならば、自分で必死に救われようとして、努力して検索する者は必ずやレムリアに到達できるように、もうすでになっているはずなのです。

であるならば、次の段階で本来のメインテーマである、地球維新というレムリア本来のこと。それと九次元の方が今出てきてこのように話をしている、宇宙規模から見たこの地球計画の救済計画というのが、どこに照準が合っているのか。

地球人自体が神の子であるということを、ほんとうの共通認識として、愛のもとに立ち上げられることができるか。生きていくことができるか。

そしてお題目のように唱えていた宗教というものが幅を利かせていた神という神話の中ではなくて、ほんとうに人生の中に実践生活の中において、行動体系において、愛というものが、一人ひとり自分のものになっていかし合って、捧げ合って、献身し合って、信頼し合って、あなた方は生きていくことができるのかということを。

単なる宗教の教会や組織やドグマというものではなくて、ほんとうの意味で実践して生きることができるか。
それを地球規模に広げていくことができるか。
それこそが本来の今回の天上界が、最終的に計画した大救世運動の神髄であるということを、わたくしが今ここで宣言をいたします。

それ以外をもって、我々地球の天上界における最高神域と呼ばれているわたしたち救世主界の者たちが立てた計画はないのです。

そのようなところにおいて九次元十人がみんな手を取り合って、この地球というものを守り、指導をしてきているということ。
九次元だけではないです。多くの、ミカエルたちも含めても、八次元、七次元、六次元の者たちみんなが一丸となって、天上界が一丸となってこの地上救済に入っているのです。
地球救済に入っているのです。

そのことが今天上界からの理念として降りているということ。
その計画が今立てられているということ。
その計画において、不屈の闘志があるということ。
そして、それに対して魔界の者が、やはりまだまだ、罠を仕掛けてきて、彼らもけっしてあきらめていないということ。

その最後の決戦をもって、我々はやはり彼らをも含めて、愛の神の子への彼らの本来の姿に戻していくためにも、我々は愛のために戦わなくてはいけない。
この地球を愛の星にするために、もう一度頑張らなくてはいけない。
そのように思っているのです。

これをもって我々の大救世運動の、本筋、神髄であるということをあなた方に伝えましょう。
けっして難解なものではないのです、神理は。

神理というものはある程度のことを知ったのならば、あとは腹をくくって生き抜くだけなのです。
やり続けるだけなのです。
戦い続けるだけなのです。

戦うのは、敵のために戦うのではないのです。
己自身の中にある、弱さに向かって戦い、己自身の心を戦えば戦うほど、行動実践をすればするほど、己自身の弱さや、まだまだごまかしていた部分というのが浮き上がってくるのです。

浮き上がってくるのを見るのは辛いです。
己自身の未熟さを見せつけられるわけです。
でも見せつけられながら、見せつけられながら、己自身が成長していくのです。

そして、成長しながら己自身の心を純化しながら成長していった時、より多く神のために、多くの神の子たちのために奉仕し、仕事のできるだけの自分の人格というもの、力量というものを手に入れていくことができるのです。
実践あるのみです。
実践行動あるのみなのです。

けっして信仰を、神を、神の神理というものを、叡智というものを、絵に描いた餅にしてはなりません。
あなた方が生きなければいけません。
生きざまを通してあるのです。

11.みだりに神の名を呼ぶことなかれ

あなた方はもっと驚くかもしれない。
神というものを信じなかったとしても、神を信じていて「神よ、神よ」と呼び続けていても、天上界に帰れずに下に落ちていく者たちがいくらでもいるのです。
みだりに神の名を呼ぶことなかれ。
神よ、神よと言う者だけが神の国に帰るのではないということをイエス・キリストもおっしゃられていると思います。
それと同じなのです。

逆に言うと、神ということを生前一言も認めなくても、高級霊界に帰って来られる方もいるのです。

それは何を意味しているかというと、この地上に生きていた人生の中において、本人は神というものを受け入れないとか、信じなかったといっても、生きた行動体系の中において、自分を捨てて、多くの人びとの幸せを望んで、神の子同胞たちのために命がけで生きたという、実践生活の中においての愛という原理が働いていった時は、どんないかなる宗教に所属していなくても、「神というものを認めない」と口で言っていても、その者の愛の気高さにおいて、高級霊界に帰って来るだけの資格があり、浮力の法則において、ご自分が高い世界に帰って来るということなのです。

ですから、新興宗教ということで、「神よ、神よ」と言って、ましてや過去の何とか団体だけの神だとかいう、その情けないことを聞いていると、そのような神が神がということで、自分のとこだけの霊人だけだなんていうことは、ひじょうにくだらない次元であるということを、わたくしが言ってることはわかっていただけるでしょうか。

だから建前はどうでもいいのです。
お題目は何でもいいのです。
自分の救世主や、そして自分たちの神の名前などどうでもいいのです。
神などというのは、大宇宙を統べる唯一無二のものであります。
根源的なものであります。
愛そのものであります。

神というものを信じるのであるのならば、己自身の中に愛を、愛というものを生きざまの中で、行動の中で、人生の中で、生き抜いてこそ、その者が本来「神よ」と呼ばわるだけの資格が己自身にあるのだということを、わたしは言いたいのです。

どうも理屈理論だけで難解なことを言って、少しも自分から愛ある行動をしないで、自分だけとくとくとしている者たちを見ると、わたしはほんとに神の心から遠く離れた者たちだと思ってしかたないのです。

だから、落ちていった者、まあORにしても、見てみればわかるのです。
最後は理屈だけです。
愛がないのです。
自分自身の家庭においても、自分自身の会員たちにおいても、ましてや地域社会や地球に対する愛など少しもないのです。

難しい知識や知恵を降ろせるからといって、そのものだけでエリート的な発想の中で、知識をいくら溜め込んで自分で偉そうに言ってみたって、そんなものが多くの人びとの人生をどれだけ変えられるというのでしょうか。
受け売りの知識などというのは、何も人を根源的には変えないのです。
そんなものは神の叡智とは程遠いところにあるのです。
己自身だけの欲、自分自身だけのプライドの中に落ちていく。自分自身の魂を落としていくのです。

ですから、知識もほどほどにしなさい。
あなた方は知識、知識ということにとらわれすぎ、難解なものにすごく興味を持つ。それは優秀なればこそそういうとこがあるかもしれない。
知的好奇心というものは、ある意味で欲求と同じなのです。職業病なんかと同じなのです。どれだけでも美食を重ねれば、どんどんおいしいものが食べたくなる。

それと同じで神理知識もどんどん話のやり取りで、難解なものがほしいと思ったならば、どんどん哲学的なものになって、それが神理を追求してると間違った方向にいく。
そんなものではない。

神の叡智というものはひじょうにシンプルであって、易しい根源的なものであるということ。それを繰り返し言われているのです。
あとはそれを行動実践で行えるか。
あなた方ひとりの人生の中で何がなせるか。
それだけをもって、人生のあなた方の価値というのは、神理の使徒としても意味をなすということ。

そして、あなた方が一人ひとりこの組織を通してやれること、そのものをもってレムリアの活動、レムリアが外に向かって光を発する、神の光を発する磁場となれるかどうかが決まるのです。

団体として、漠然とみんながやるというよりは、一人ひとりの心がけがこのレムリアを変えていき、このレムリアの磁場を変えていくのです。

この磁場を今は持っている。七次元から九次元にかけて、逆に宇宙界に通じるだけの磁場を今、確保しているのです。この磁場を落とさないこと。
この磁場を穢さないこと。
けっしてつぶさないこと。

そして、その磁場に今いられる自分たちであるということを神に感謝しなさい。
そして自分自身の人生をきらめかせ、研ぎ澄まし、行動し、愛を単なる目先で唱えることだけでなく、神というのをみだりに名前を呼ぶだけの神ではなく、神の子として恥ずかしくない生き方として、愛の実践を己の人生を通して、やわら神に与えられた才能をフルに生かし、努力を惜しまず、腹をしっかりと決めて、みんなで共通の認識の中で、しっかりとこの世界の救世運動をしていきなさい。

それをわたしはあなた方の言葉に激励として伝えたいと思って、今日は参りました。

モーリャ(モーゼ)

今から約四億年前、蟹座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
モーゼとして古代イスラエルに転生し、宗教的指導者となった。
ユダヤ教の創始者として知られる。
エジプトで奴隷のように苦役を強いられたイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、紅海を割って渡るという奇跡を起こし、追手の軍団を振り切ってシナイ半島に入り、その地でエホバの神と契約を結び、十戒を授けられたと伝えられている。
天上界では、赤色光線(正義)を担当し、地獄解消の役割を担っている。

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