Project Eden

1.九次元でも修行の過程にある
九次元は、四次元から八次元の気持ちがわからない、という修行の仕方はしてないのです。十次元とか、もっと上のほうで惑星意識としてつくられている場合はあるのだけど、九次元があくまで人格霊であるっていうことは、基本的には、四次元からの修行を一緒に地上でこなしながら、悟りの階梯、はしごというのを上がるようにできているから、やっぱり、四次元、五次元、六次元の者の気持ちがわかってこなければ、その悟りのはしごは、どんな入り口から上がっていったとしても、上がれないようになっています。
そうでなければ、万人のリーダーシップというのはとれないでしょう。リーダーシップというのは、いわゆる普通の民衆の気持ちがわかってこそ、その心をつかんでこそ、リーダーシップというのをとれるのであって、我々はその修行をしています。だからけっして、王様ばかりやってきてわからないからこそ、最初から九次元で救世主をやっているのではない。
救世主に誕生していく過程は、万人に与えられたチャンスなんです。
最初からそうつくられているところもあるかもしれないけれども、万人が修行していけば九次元になっていく。その可能性は、あなた自身にも残されているんですよ。最初から九次元だから、下の者の気持ちがわからない。そのような悟りの流れ方、成長の仕方は許されていないのです。
九次元があくまで人格霊であるということは、九次元はけっして最高のものではない。わたしたちの世界では、それはもう十分認識している。だから九次元十人が力を合わせるというところでいさかいは起きない。あなた方のほうが、逆に自分の力量をわかっていないから、お互いに自分の「我こそは」っていうのが出てきて、いがみ合いをしているのではないか。
上に行けば行くほど己自身の限界と謙虚さというのを学ぶし、上に行けば行くほど、自分の上がはるか何十次元まであるかということ。我々でも、その上の先はわからない。二十次元以上、先があるのはわかっているけれども、そこまでいくと宇宙の根源神になってくるのでわからないけれども、上には上があるということ。
この地球レベル、太陽系レベル、銀河レベルで話ができるような、指導者以上の指導者が、宇宙にはおられるということを考えたら、九次元がまだまだ小学生レペルにしか映らない我々の感覚を、わかっていただけますか。
けっして完成された姿ではない。だから我々だって誰だって、修行の過程で、今回のような危険な目に遭うということは十分承知している。
ただ、我々の仲間の中からこういうことが起きたということを、ひじょうに厳粛な事実として受け止めて、我々も気をつけなくてはいけないんだというふうに理解している。自分の仲間がこうなっている以上、できるだけ彼のために、みんながフォローしてこの埋め合わせをしたいと思っています。
我々の仲問を助けて埋め合わせをしていくことが、我々の今残された使命であり、自分たちにはやらなくてはいけないことだと思っているから、裏に回っていた九次元たちまで、今総動員して出てきているのである。
けっして我々は完成体ではない。悟りが高まれば高まるほど、己の不完全さと向き合う、そういう道なのです。悟ったと思うのはまだまだ、自分が小さな中で満足しようとしている無知さに裏づけられている。だからわたしは、「無知は最大の罪である」というふうにあの時言ったのです。
みんな、我々が、あの世界(九次元)の者は自信があるように思うかもしれないけれども、それは我々なりに精進努力してきたところの結果であって、自己信頼しているという意味においては自信があるように思うかもしれないけれども、自分たちの限界ということ、自分に対して神がどのように個性を、期待を込めてつくられたかということを、知っているという意味においては、あなた方よりは優れているのかもしれない。
2.地球規模的なスーパーレリジョンへ
だから、あなた方も、何でもかんでもやろうとしないで、神があなた方一人ひとりに期待を込められた、その個性、使命というものを、己自身に対して正直に生きるということ。それが己自身を最大限に活かすということ。それが世の中をユートピア化していくためにいちばん必要なこと。そこを抜きに悟りはないのだということを、もっと確実に理解していただきたい。
悟りという完全体のものがあるわけではなくて、一人ひとりの個性に応じて、人のために、神のために、宇宙のために、万人の幸せのために、生きんとするその姿の中に、己自身の悟りというのが輝いている。そういうものが悟りだということ。
仏教関係者はそこをもう少し理解しなければーー。悟り、悟り、というのがひとつのワンパターンのものの中にあるように思って、自分をいたずらに苦しくさせーー。一人ひとりが、みな同じではなく、あなた方、墨衣を着ているから、みんな同じ悟りがあると思っているかもしれないけれども、その墨衣を脱いでみたら、仏弟子たち一人ひとりだって、みんな違うんだということ。そうでしょう。
三人お坊さんたちがいたとしても、その三人のお坊さんたちの個性は、全部違うはずです。でも、墨衣を着たら、みな何か同じ者たちであり、同じ悟りの段階を経て、みな同じ境地に至らなければ、アラハンだとかボサッターになれないって、思い込んでいるかもしれない。でも、それは違うのです。
三人の仏弟子がいたならば、三人の黄金光線の中にいながらも、三人の一人ひとりに対して、期待を込められて、神がつくられた個性、使命が異なっているということ。もっと自分に自信をもち、もっと自分の魂に誇りをもち、自分の中で、己自身で己自身を輝かすということ。
もう、その仏教とか、キリスト教とか、神道とかいう呪縛から、人びとは抜け出さなければいけない時代がきているのです。根源的な神が、何を期待を込めて一人ひとりをつくられたか。確かに光線というのはあります。七色の光線のどれかに所属するように、わたしたちがあなた方をつくってきた過程の中にあるように、自分の所属する系団というのは確かにあるのです。
でも、それと己自身が、その七色光線の中の全部が黄色、全部が赤、そして、もっというならば、自分たちは仏教徒である、自分たちはイスラム教徒である、自分たちは神道である、キリスト教徒であるだから、この枠から抜け出せない。
だから、わたしたちはみんながイエス様のもとに、愛というものの中で、イスラム教徒と戦わねばならない。アラーの名のもとに、クリスチャンを殺さねばならない。それが今、ひじょうに過渡期的なものとして清算される、そういう時期が、今これからこようとしています。
あなたが、さっき聞いていましたけれども、ローカルレリジョンからスーパーレリジョンヘということ。それは高橋信次のG会からずっと言われてきたことです。それを今回求めている。宗教、あらゆる地域宗教を一度、ひとつのるつぼに投げ込み、金属を溶かすようにすべてを溶かして、そして、純金である地球規模的なスーパーレリジョンというものを、抽出しようという試みが今回の計画の本筋であるのだということ。
このまま地域宗教を放っておいてしまっては、けっして人類に幸せは、そして神の正しい姿というものが認識されないままに、戦争や殺し合いが行われるだけでしょう。その悪いサイクルから抜け出すためには一度、救世主が、本来の根源的な地球規模的正法の中に統一するという今回の役割があったのです。それをORはやろうとしたのです。それをしなくては駄目なのです。そうしなければ、いつまでたっても、無意味な戦争や殺し合いは延々と続くことでしょう。
毎日ニュースを見ていて、あなた方はどのようにお感じになりますか。あのような戦争、アメリカにとっても、イスラムの人たちにとっても、そして、それに巻き込まれて、援助させられながら、いろいろな苦しみをつくっている日本をはじめとする他の国々にとっても、ひじょうに世界的に不幸なことではないのでしょうか。
その根源に宗教というもの、その根源に神があるということ。そこの矛盾を我々は解かねばならないと思っているのです。そして、やっとそれができる時代がき、その時がきたのです。人びとの魂が成熟してきたのです。
ラクダに乗り、砂漠をわたり、羊や山羊と共に暮らしている者たちに、その規模のことを言ってもわからないのです。砂漠の民ということですね。その時代では、わたしの行ったシナイ山紅海を割って、奴隷がエジプトにいる時代では、このようなことを話してもわからなかったのです。
よろしいですか。今は皆さんがひじょうに知的にもすぐれ、いろいろな仏教やキリスト教をーー。わたしは砂漠の民という、その時代の者のほうがたとえにしやすいので、その表現をしましたけれども、それは古代ということですね。そういう時代では、なかなかわからなかったのです。今の時代になって、わかるようになりました。
だから、わたしたちが指導する一貫の中に、イスラム教徒であった者が次にはキリスト教に出るように、そして仏教も体験するように、神道も体験するようにという指導をしてきたつもりなのです。だから、あなた方一人ひとりの中に、ひとつの宗派だけではなく、ほかの転生、ほかの宗教の中で生きた時代というのが必ずあるはずなのです。
それを長い魂の転生の引き出しの中にパーニャパラミタとして、さまざまな宗教を学ぶことによって、神はひとつであり、自分の魂というのは生き通しであり、ひとつの宗派に、ひとつの地域に固執するのは、どれだけ無意味な愚かなことであるかということを、魂の歴史の中で学習させてきたはずなのです。そのことをどうか思い出していただきたいのです。
3.これからサタンとの戦いが始まる
そして、やっと魂の過去世の蓄積や今回の計画により、やっとみんなが抱えている宗教的な足かせ、呪縛を解き放つ時がやってきた。そのための指導として、我々は計画を起こし、九次元がたて続けに出ながら地球的正法というものを確立しようと、そのような計画を立てたのが今回の計画なのです。確かにいくつかの失敗はありました。でもまだまだ可能性はあるのです。可能性を追求しながら、今回の計画を完成させましょう。
そのためには、あなた方の今までに培ってきた知恵、そして行動力、認識力、そして信仰心そのものが試されているのです。今ここにいられるということ、あなた方の過去世の蓄積以外の何ものでもないということ。それを思ってほしいのです。ここに招かれながら来られなかった者たち、なぜ来られなかったのでしょうか。彼らはあとでそれを反省することになります。
悟性であり、認識力であり、信仰心のすべての中に、その水準が要求されてきた。それを、その段階まで到達したくて、彼らは過去世、いろんな地域に生まれて修行してきたはずであったはずなのに、今回の大事な計画のいちばん大切なことが見えなかった。命が捨てられなかった。
今、あなた方も話していました。どのようなときに命を捨てたらいいのか。どのようなときに命を張ったならば、今回の統合ができるのか。そのことを、前回、今回と、あなた方は学ばされているように思います。それくらいの腹のくくりが、我々はあなた方にほしいのです。
よろしいですか。それぐらいの腹をくくるのです。映画や作り事の世界ではない、本物の地球をしょって立つのです。この地球人類の未来のために、地球的正法を確立するには、今ひとたびサタンたちと交えなければ、この道はもう一度軌道修正されないのです。
そのような大事な局面に、そのような戦いの戦闘部隊として、あなた方が指名され、そして我々の呼びかけをしっかりと認識し、あなた方はここに集まって来てくれているということなのです。そういう自分であるということに誇りを持ちなさい。それを認識できたということ。我々の声を生でこうやって聴けているということ。そのこと自体に、感謝とともに誇りを持ちなさい。
聴いてもわからぬ者はわからないのです。どれだけ我々が、白い手で招いていても、やって来られなかった者たちが多かったことは、あなた方は知っているではないですか。あなた方の仲間だって、来られなかったはずでしょう。でもあなた方は、それをちゃんと信じて来てくれました。そういう自分たちであるということ。それは、あなた方の過去世の転生が無駄ではなかったということ。そのことに誇りを持ちなさい。誇りを持って、この道を堂々と真ん中を歩いて行きなさい。
そして己自身のもう残された人生に執着をしたり、未練をもって勇気を失うことなく、最後、散り際は美しく散っていきなさい。それが今まであなた方が長い間、幾転生を重ねながら修行してきた、その結果になるのです。実を結ぶことになるのです。
あと数十年、安泰に生きたから、嫌がらせを受けなかったからといって、自分の人生を穢すような、質を落としてしまうような、そのような人生に逃げてしまうことは、あとでこちらの世界に戻ってきたら、悔どれだけいを残すことか。人間の人生なんて、しょせん七十年、八十年のものではないのでしょうか。それが、八十年が九十年、百歳まで生きた人の姿を見て、どうでしょう。ミイラのようになりながら、動けなくなりながら、ただただごはんを食べさせてもらいながら生き延びたところで、何になるのでしょう。
あなた方はそんな極限にいるのではないのです。それこそ全人類の幸せを、未来を、しょった位置にいるのです。
これは戦いです。命がけの戦いです。だからこの者のところに、わたしのような赤色光線の者が出てきているのです。
前回、坂本竜馬という男をあなた方のもとに派遣しました。我々も後ろで全部見ているのです。あなた方に必要な者を、段階に応じて派遣しているのです。そして今、赤色光線のわたしが出てきました。サタンとの戦いがこれから始まるのです。
命がけになりなさい。
戦いたくても戦えずに散っていった者たちがもうすでにいるではないですか。そして、本来なら戦いたくてここに集いたかったのに、招かれたのに、今までのつらい経験により、意気がくじかれて来られなかった者たちもいます。それから見たら、たどり着けたあなた方は数少ないけれども、己自身の今の人生において、誇りを持ってください。そして堂々と、誇り高く、この道を歩んでいきなさい。間違いなく、これは神の誘われる道へとつながっているのです。
確かにひとりずつ欠点はあるのです。あなただって昨日しきりに反省してらしたけど、反省するところはあるはずであり、それが人間の弱さであり、愚かさであるのかもしれない。そういう意味においては、我々の世界においたって、そう変わりはしない。人格霊である以上、必ずいいところもあれば、悪いところもあるのです。
でも悪いところを、悪いところというよりは、弱いところは、お互いに仲間同士でフォローし合い、そしてなるべくみんなで力を合わせながら、より高い完成度というのを求め合おうというのが、そのいたわりの気持ちが愛になり、理解力になり、仲間としての結束力になって、今日まで地球文明というのを我々はつくってきたのです。
4.サタンを説得しない限りこの戦いは終わらない
けっして、優秀だから上でふんぞり返って、我々がいて、その地球を勝手に上からアゴで使ってきたわけではないのです。下々の者、四次元や地獄に堕ちている者たちの気持ちがわかるから、彼らを放っておけなくて、わたしは地獄掃討、指導霊の責任者として、地獄に降りていって、彼らを諭しているのです。もし、ほんとうに上にそびえているだけであるならば、彼らのことは放っておくでしょう。違いますか。
わたしは、地獄に堕ちている者たちだってかつての仲間であり、かつての弟子たちであった可愛い者たちがたくさんいるのです。かつてサタンが天界に攻めてきたときに、サタンとして最後に堕ちていったときに、彼についていった多くの者たちがおります。彼についていった多くの者たちは、大方が天上界の天使といわれていた者たちなのです。ルシフェルが八次元のトップであったように、七大天使であったということは、彼の系列に、彼に忠誠を尽くしていた者たちがみな羽根の色を変えて、下に堕ちていったということなのです。今回と同じなのです。
トップが堕ちると、そこに忠誠心を誓った者たちが、判断がきかず、共に地獄に堕ちていくのです。ORにつながっていた者たちも同じなのです。TKにつながっている者たちはこちらに来ないでしょう。それは、優秀であるにも関わらず自分の先生に対して忠誠心、忠義心という縛りの中で、正常な判断がつかずに、みんな羽根の色を変えて雪崩を打つがごとく、天使たちが地下に堕ちていったのです。その者たちの歴史をわたしは見てきているのです。
地獄霊だからといって放っておけるでしょうか。地獄霊ではないのです。彼らは素晴らしい天使たちだったのです。その者たちの気持ちもわかっているのです。けっして愚かだったから、けっして彼らが劣っていたから堕ちていったのではなくて、誰よりも自分の師を愛し、誰よりも信じて、その先生と共に死んでもいいというぐらいの忠義心があったがゆえに、引っ張られていった者たちが多かったのです。おかしいなと思いつつも、その忠義心ゆえに先生を捨てられなかったという、情に厚い者たちが多かったのです。だから、けっして愚かであったということよりも、情に厚かった。
あの西郷隆盛という男もそうでしょう。彼ほどの人であるならば、わかっていたはずなのです。自分ひとりが上に帰ろうと思ったら、帰れたはずなのです。でも彼はそうしなかった。だから若い者たちの気持ちを思うと、共に彼は最後の戦いをし、そして共に堕ちていってあげたのです。
そのような過程の中で下にいった者たち、かつて光の天使と呼ばれた者たちがたくさん、今地獄にいます。サタンのもとにいます。わたしは彼らも共に引っ張り上げてあげたいのです。そのために死力を尽くして、いつも地下の世界へ赴き、彼らを諭しているのです。
ルシファーにしてもそうなのです。サタンという、今は忌まわしい姿になって、悪業を責めるということよりも、彼の今の姿を見て、なんとかわいそうなことだと、哀れで我々はその姿の異様さに涙が出るのです。あれほどの美しかった天使がこのような醜い姿になって、まだ自分は権力を欲しているのかと。もう一度美しかった暁の天使に戻れと、知性と美の美しかった本来のあなたの姿に戻れと、わたしたちは呼びかけているだけであり、けっして彼を裁き、けっして彼を悪とみなし、封じ込めようとするだけの側面で彼を裁いているわけではないのです。彼も救いたいのです。彼のことも助けてあげたいのです。
そして、彼のもとで忠誠心を尽くして、今地獄の幹部になっている者たち、あの者たちも救ってあげたいのです。彼らを説得しない限り、彼らが誘惑し、彼らがかどわかしてきた者たちが、どんどん地獄の人口とともに増えているのです。そこで判断つかない者たちが、さっき言ってたコピーのような者たちが、磁場的に引きずり込まれていって、どんどん拡大していく。それが地獄の構造なのです。
である以上、やはりトップで、地獄のトップにある力のある者たちに、ほんとうの意味での地球系的な正法ということを教えていかなければ-ー。今、地上の宗教戦争といわれているものの裏でも彼らの力が働いているのです。彼らがいたずらに阿修羅界という争いの世界の波動を撒き散らすがために、宗教界においても、いろいろな殺し合いが行われているのです。彼らを説得せねばなりません。彼らをもう一度、地球的な正法神理の姿の中に戻していかねばなりません。
そのために天変地異は起きるのです。天変地異を起こし、そして我々が、一人ひとりの魂を大事にはしているが、この地上の生命は一時のものであるのだということ。そして、この地上における栄耀栄華というものは、こんなにも一瞬にして崩れ去る虚しいものであるのだと、サタンよ、気づけと-ー。「世界を手に入れたい。世界の、この地上の王となりたい」と彼は言ったのです。彼はこの地上の栄耀栄華の王になりたいのです。そんなものは何の意昧もないのであるとーー。
天変地異が起きれば、一瞬にして終わってしまうものであるのだと気づけよとーー。神のもとへもう一度戻ろうと、我々はその呼びかけをしているのです。
彼らを説得しなければ、永遠にこの戦いは終わらないのです。
磁場的なものが解決されない限り、また道を見失い、磁場の中で引き込まれていく者たちがその地獄の想念をつくってしまうのです。彼らの迷いは浅いのです。そういう磁場で引き込まれた者たちは、根源的な悪ではないのです。単にちょっとした気の迷いで地獄に寄ってしまった、引きずり込まれてしまった者たちがいかに多いことでしょう。でも、根源的なところで、七大天使クラスの人が悪を行っている場合、彼らを説得しない限り、地球的なこの地獄世界の拡張というこの悲劇は解消されないのです。
5.地球系真理の統一
大事なことは法なのです。地球レベルの法が説かれるとき、その根本法がきちっと今、地球のもとにひとつになるとき、それが確立されなくては、サタンたちは救えない。そして、あなた方全人類も、地球を照らす太陽がひとつであるということを、ほんとうの意味で認識する。その次元アップ、精神的な次元がアップしなければ、とてもでないが宇宙連盟の一員としての地球人の立場というものを、理解する段階には至らないのです。
そんな、自分たちの地域的な神が最高であると、モーゼが最高であった、イエス・キリストが最高であった、仏陀が最高であった、マホメットが最高であったと言って、殺し合いをするような者たちが、宇宙に出て行かれては、宇宙の人、宇宙人たちはたいへん迷惑をするのです。
そんな原始的な野蛮人が出て来られて、自分たちのアラーの神がおっしゃったから、だから火星や金星は他の神がやってるから殺してきてもいいのだという人が、宇宙にどんどん広がっていったら、どのようになると思われますか。それは許されないのです。その惑星の中で淘汰されるように言われていることなのです。
次に宇宙時代の到来のことを考えて、地球人がほんとうの意味で認識を統一するということ。地球人として、地球系的な神理のもとに、地球神というものが今まで説かれてきた、救世主といわれている方がた、その方がたが実は一体となり、みんな仲間であり、指導してつくり上げてきたものであるということ。そして、我々九次元であっても、完全体ではないのだということ。
大指導霊ではあるけれども、地球を任された責任者たちではあるけれども、神というのは限りなく高みにおられ、我々はその完成へ向かって努力する、そういう途中の過程にある、我々も平等な神霊であるということ。
だから、あなた方もみんな同じであるのだから、我々と同じように努力精進して、イエス・キリストのようになりたいと思うのならば、そのように頑張れと、そのように呼びかけていかなくてはいけないのです。
もう、宗派によって、自分たちの先生を守るために殺し合いをする時代に、終焉を告げなくてはいけない。そのための今回の法であるということ。それを人びとに伝えてほしいのです。モーゼからお願いしたいことはそこなのです。そこが人びとの認識にしっかりと入らなければ、地獄というのは永遠に解消されないのです。そういう磁場がいつまでたっても巣をつくっている限り。
だってそうでしょ、あなた方がもし身体の中に癌というものがあったとした時、放っておいたら、どんどんどんどん拡がっていって、最後はその人間という生命体自体を、脅かすところまでいってしまうのではないのでしょうか。すでにそういう癌化してしまった、それがある意味で地獄というもののエネルギー体なのです。
そして、それによって、この地球を育み、その身を投げ出し、この地球惑星というものをつくってくださった地球神霊が、今たいへん苦しんでおられる。まあ、ある意味で言うと癌の末期症状に近くなってきているような、末期とまではいいませんがこの状態は中期後半ですね。ひじょうに苦しまれておられる。それだけ地獄が拡大されてしまったのです。エネルギー体ですので、やはり癌化した部分が拡がっていけば、そのエネルギーの総量によって、本体のほうもひじょうなダメージを受ける。
だから地獄を解消していく。完全に解消できないにしても、たとえば抗癌剤を使って、その癌の細胞が縮小するではないですか。医者はそうするでしょう。わたしは地獄の医者なのです。けっして、彼らを裁こうとしているのではなくて、一人ひとりを説得することによって、地獄のエネルギーを小さくすることによって、地獄霊というものの数を減らして、救いながら、地球意識の治療をしようと、このモーゼは、いちばん膿みの部分に赴いていって、戦っているというのが実情なのです。
6.戦闘系の者を責任者とした第三の計画
けっして、裁いているわけではないのですよ。わたしは正義というものを常に説きながらきました。正義という、本来の正義というのは、大きな目で見たときに、何をいちばんするべきか、何が真であるか、信じていくか、そのときの判断において、正義という言葉をわたしは使うのです。使うのであって、けっして、正義という名のもとに、まわりが悪だといって切り捨て、責め、上から見下ろすようなことが正義ではないのです。すべてのものを本来の姿に戻し、すべてのものを本来の姿の中で生かしていきたいから、そのためにわたしは日夜戦っているのです。
サタンに対してもそうなのです。ミカエルもよく誤解されますが、けっして、サタンを裁こうとしたり、サタンと戦うことで封じ込めようとしているだけではないのです。裁いているわけではないのです。本来そんな姿で、醜い姿でいていいわけがない。誰よりも知っているミカエルは、そう彼に言っているのです。
「お前はそんなものではなかったはずだ」と、「何をやっているのだ」と、彼独特の強い口調で言っているだけなのです。それは、誰よりも深い、サタンに対する愛があればこそ、このようなところに赴いて説得をし続けているのです。
わたしは、この者と林田さんという方が、ルシファーに対する談義をしているのを何度か聞いたことがあります。「サタンにはサタンの使命があり、サタンだって存在を許されている以上、彼を責めてはいけない」とーー。「アメリカのようになってはいけないから、イスラムと正義の名のもとに戦うのはいけないから、だからわたしは、戦いは好まない」ということを、彼は延々と論理の中で言っていたと思います。
ある意味で、非暴力の戦い方という意味で、まあ彼の理論もわからないでもないと思いますが、でも我々のような立場にいる者から見たならば、それはもっと達観した意味での愛の姿がないのだと、認識能力がないのだとーー。ほんとうに愛していればこそ、あなた方は子どものことを、お尻を叩いてしつけをするではないですか。自分の子どもの将来、社会に出て恥ずかしい思いをしないために、けっして人間として落伍者にならないために、お尻を叩いてしつけをした経験はお持ちだと思います。
これ最後になってきたときに、サタンが表面化してくるので、覚悟はしっかりと決めていただきたいと思います。とにかく身の回りに関して隙をつくらないこと。それで何度もこの者が言っておりますが、サタンが角を突きつけてくることは、人の心の中に、人間関係の中に、不信感というものの中に、撹乱してくるということ。その現実をしっかりとわきまえられたならば、心を統御し、絶対なる信頼でお互いを仲間同士結びつけ合いながら、信頼しながら歩んでいただきたいのです。
不信というものの中に爪を立てられるとーー。「仲間のためには死ねる」と、戦闘系の者はそういうふうによく言います。仲間のためには死ねると思わなければ、彼ら自体が危ないのだと、それを戦いの現場を踏んだ者たちはよく知っているのです。今回の責任者に、このサタンとの戦闘の経験者を指名したのはそこなのです。
アマーリエ:ああ、そうですか。
モーゼ:最終的なこういう事態がこじれたときには、相当我々の計画がサタンによって撹乱されたときであろうということは、我々の中でも想像ができたのです。だから三番目には、こういう戦闘系の者が責任者になるように、魔を封じることができるような責任者を出した。どんなにサタンが卑怯な手段を使ってくるか、撹乱してくるのか。それはやはり、その現場に出た者でなければわからないものというのがあるのです。
そこがあまりに、仏教関係者、キリスト教関係者で出てきた者たちはわからぬものがあって、守るにしても地上の者たちの自由意志というものがあるので、守りきれる時と守りきれない時というのがあるのです。
我々が必死に止めていたとしても、その手を振りほどいて、みんなで今回のように行進して地獄に行ってしまった場合には、それを止める権限は、天上界の者には、九次元といえどもないのです。それを考えると、地獄に行くということはどういうことなのかということを、最終のこの第三の計画の段階の中で、人類が学ぶきっかけになったのかもしれないのです。どんな九次元の者でも可能性があるということ。
そして、なぜあなた方が一部のサタンたちにここまで負けてきてしまったのか。これは戦闘系に関わる者たちは知っていますが、あまり一般的に学ばれ、訓練を受ける内容ではないので、サタンとの戦いをどうするかなどというのは、一部のスペシヤリストたちの課題であるので、あまり公にはされなかったのですけど、その者たちが前面に出てこなければ駄目であると、それくらい、地球の地獄というものが最悪の事態であるのだということ。
だから、地球神霊がここまで苦しんでおられる。宇宙文明の仲間入りが地球民族にはできないのだということ。その一連の認識というものが、いくら言っても人びとにはわからなかったのですが、いよいよここまできたかと、まあなるのではないかと、わたしは現場を踏んでいましたので、最悪の場合にはこうなるだろうなと思ってはいたことなのです。だからこの者にもわたしが、「こういうこともあるであろうと言ったではないか」ということを、最初に出てきた時に言ったはずなのです。
サタンたちの力というのは、今はひじょうにどう猛になっているのです。できることだったら、核戦争で地球人類をすべて皆殺しにし、その根源に宗教戦争というものをもってくることで、神に対する不信、神を信じるがゆえに全人類が殺し合ったんだという、心身ともにぼろぼろにしようと、神への信頼も打ち砕いてやろうと、そして、地獄に大量にもってくるために、核戦争というものをお互いにし合って、球を全部、真っ黒な黒い地獄霊で覆おうとしているのです。
そうなったら、もう手がつけられなくなるのです。この地球神霊そのものが癌化するのです。そのようなことは防がなくてはいけません。そのようなときに、強い薬をもってこられるのは、それは光の使徒たちの役割であるということ。あなた方地球神霊を救う手段であるのだと思って、どうかこの癌細胞との戦いをしていただきたいのです。
これ以上癌細胞を拡げてはなりません。そうしたら地球神霊が死んでしまうのです。地球にはまだまだ使命があり、まだまだ寿命があるのです。でもその寿命自体が短くなってしまい、多くの者たちの修行ができなくなってしまうのです。それでは地球神霊に対して申し訳ないというふうにわたしは思っております。
7.屋根の上に上がったらはしごを手放すのです
少し長くなりましたが、わたしもこの皆さんのところに出る機会というのは、ずっと楽しみにしてきたのです。今がいちばんいい時期ではないかと判断いたしましたので、今日は出させていただきました。
どうか皆さん、ご自分の反省は必要ですよ。反省をしなければ、そこに魔が入ります。でも、反省をしすぎる仏教徒たちをただ見るにつけ、どうしてもっと自分を創造されたときの神の期待に応え、誇りを持つことができないのか。もっと唯一の、唯一の存在として、素晴らしさを、素晴らしき光を投げかけることができないのか。
自信を持ってほしい。
清濁あわせるというではありませんか。悪いところ、いいところも含めて、個性というのができるのです。いいところばかりでは個性はできない。だからいいところも含め、悪いところも含め、個性化してきた、その部分をもっと信じて、自己信頼をして、自分ならではの花を聞かせ、この使命のために一丸となっていただきたいのです。
己自身の悟りというもの、境地というもの、それは実践を踏まなければ格は上がらないのです。仏教徒たち、間違えてはなりません。アラハンであるとか何であるとか、そのようなものは、ひとつの角度から定義づけようとしたものであって、トータルな意味での悟りの段階論とはまた違うのです。
それは、仏陀の知恵の中においてつくられたものです。確かにそれによって多くの者たちが少しずつ段々を上がって、多くの者が、地球的な部分でいったらば、高いはしごに登っていった実績があったではありませんか。でももう、知っていますか、屋根の上に上がったらはしごはいらないのです。
屋根の上に上がったら、はしごはいらないのです。
あなた方は屋根の上にもうすでに上がったにもかかわらず、はしごを手放したくないと、はしごにしがみついているのではないのでしょうか。
はしごが必要な者たちもいるのですよ。八正道によって、少なくとも煩悩から離れることによって、最悪のことを防ごうという者たちもいるのです。でも、あなた方は、もうはしごはいらないはずなのです。屋根の上にもう登っているのに、またはしごを引っ張りだしてきて、はしごから離れられない。それが、仏教徒たちの八正道の使い方であり、悟り悟りと言っている、その姿のようにも見受けられるのです。
屋根の上に上がったら何をしますか。
大空にかかっている星々に対して、その宇宙の美しさが見えているのならば、その星の美しさを多くの人びとに伝えてあげなさい。宇宙はこんなに広いんだよ。屋根の上に上がったら、こんなに美しい星々が見えたよ。他の天体にも素晴らしい人びとがいるんだよ。そういうことを伝えてあげなさい。
屋根の上に登ったというのに、いつまではしごを握りしめて、また下の世界が恋しくなっているのでしょうか。
あなたにしたって、霊道を開く、開かないということで、アラハンだのなんだの、こだわっておられるように思いますが、あなたは屋根の上にもう登っているのに、いつまでたってもはしごが離せない、そのような仏教関係者のひとりと同じなのです。だから、いらぬ縛りがあるのです。
屋根の上に上がるまではね、煩悩からある程度離れる必要があるのです。だから仏陀は、そのための段階論として、修行の体裁論として、あのようなことをいろいろ言われたのです。
でも、屋根の上に上がったらね、それはもういらないんですよ。
屋根の上に上がったなら、はしごは無用なのですよ。
屋根の上に上がってその美しさ、満天の星々の美しさを、大銀河の美しさを、人びとに伝えていきなさい。
あなたの使命が降りているではないですか。
小さな、小さな仏教という枠の中に縛られていては、これから到来する神の神理を述べ伝える、そのような使命は負うことはできないのです。仏陀の世界だけがすべてではないのです。イエス・キリストの説かれた愛の教えは素晴らしいけれども、それだけが全てではないのです。
イスラム教徒だって、なんだかんだ言いながら、性の退廃を、女性たちがあのようなことをすることによって、防いできたこともまた事実なのです。そして、誰よりも、地球の中で神を信じ、生活の中に息づかせているのは、イスラム教徒ではないのでしょうか。
神を見失っている西洋、欧米諸国の者たち、日本の者たちを見ていると、神という存在すら、もう心の中に認めることができなくなっている。架空の絵空事だと思っている。それなのに、イスラム教徒はどうでしょう。
朝な夕なに礼拝をし、人生の中にしっかりと神というもの、神と共に生きるということが即信仰心であるという、生活の実践の場において、神と共に生きておられるではないですか。そのイスラム教徒に対して、自分たちのほうが上だと言えるでしょうか。
だから、時代の中において、地域的なものの中において、それぞれの真実、必然性、そして、それが求められた目的という時代的背景というものがあるのです。それを引き受けながら、地域を担当しながら、我々九次元は、八次元のマホメットにしてみてもそうですが、引き受けて出ていった。そして、地球の歴史をつくってきたのです。
でももう、何度も繰り返しますが、もう今日は、そういう地域的なもので過渡期的な宗教ではなくて、最終的な地球正法的な部分において、根源的な神々はみな仲間であるという認識に、もっていかなくてはいけないのです。それをやるのが今回の計画なのです。
8.屋根の上から空に向かって飛ぶことを覚えなさい
我々の声をストレートにこのように発信するという、これは今までタブーとされてきたことなのです。イエス・キリストの時代であったとしても、イエス・キリストですら、「わたしはモーゼである」とか、「エル・ランティである」とか、そういうことを言って、イエス・キリストが通信を受けていたわけではないのです。
モーゼのときもそうでした。でも今は、ストレートに名前を明かして、九次元から言葉が出ているのです。そのくらい我々も力を入れ、自分たちの身分を明かして出てきているのです。そういう時代はそんな長くはないのです。何千年、何万年生きてきた中で、ほんの一瞬の今回のチャンスなのです。
日本に生まれていなければ、この日本語でこの言葉を聴くチャンスもなかったでしょう。正法に触れていなければ、我々が語る言葉の意味もわからないでしょう。その数々の難関をクリアし、数々のサタンたちの惑わしを乗り越えて、あなた方はここに集いました。そのことに誇りを持って、命がけになって、満天の星々の美しさを、観衆に向けて、語ってほしいのだと。
屋根の上に登ったのに、はしごをいつまでも抱きしめて、もう屋根の上からはしごを降ろしなさい。捨てなさい。あなたの心の中に、ねえBさん、もう捨てるのです。いらないのです。あなた自身はいらないのです。でも、はしごを登ってきた。登ってきたからこそ、屋根の上にいるでしょう。その経験は、あなたの中に大いなる智慧として、パーニャパラミタとして、ちゃんと蓄えられていくのです。それを多くの者の指導のときに使いなさい。
我々もそうやってはしごを登ってきたのです。平等だったのですよ。ちゃんとはしごを一つひとつ登ってから、屋根の上で、屋根の上から、今度は空に向かって飛ぶことを覚えたのです。そういう段階があるのです。
つまらないものに、もう乗り越えてしまったものに縛られず、己自身の人生に誇りを持って、その残りの人生を、命をかけて生き抜いてください。あともう十年、二十年、二十年くらい生きてきたらもう人生、それほど大活躍できる年齢ではないではないですか。いちばんいい時ではないですか。身体も動きますし、知識も名声も財力もお持ちのようですから、そのすべてをフル稼働して、この時期に己自身の命があり、そしてこの時期に使命を与えられたということに感謝をして、この使命を引き受けていただきたいと思います。
ちょっと長くなりましたけれども、今日はモーゼから皆さま方にごあいさつをしたくて話をしました。
また、これからたぶん、赤色光線の者たちの力が必要になってくると思いますが、そのときは、いつでも呼んでください。
あなたのお兄様も今、向こうで戦って頑張っていますよ。彼は本来赤色光線に属している者ですから、戦闘はひじょうに彼の得意とするところで、わたしがしっかり見てます。マヌだけに任せているわけではないのです。大丈夫ですよ。あなたがそのご意志を継いでくださるからこそ、彼もまた頑張れるということなのです。
あなた方一族、そしてこのレムリアの計画のために、彼は命を張って戦ってくることでしょう。その地上の部分で彼の意志を代行する者として、どうかあなたの存在が期待されていますよ。よろしくお願いいたします。
この者にしてもまだまだ、腹はくくってきているとはいえ、まだ心弱いところがありますので、みなさん方のお力と助力によって、この者を助けていただきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
失礼いたします。
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モーリャ(モーゼ)
今から約四億年前、蟹座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
モーゼとして古代イスラエルに転生し、宗教的指導者となった。
ユダヤ教の創始者として知られる。
エジプトで奴隷のように苦役を強いられたイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、紅海を割って渡るという奇跡を起こし、追手の軍団を振り切ってシナイ半島に入り、その地でエホバの神と契約を結び、十戒を授けられたと伝えられている。
天上界では、赤色光線(正義)を担当し、地獄解消の役割を担っている。