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Project Eden

第4章3 イエス・キリスト:アガジャー系霊団とは(アモール)

1.アガシャー系霊団として自ら地球に貢献したい

2.神の正義の名のもとに戦争をすることはやめていただきたい

1.アガシャー系霊団として自ら地球に貢献したい

山口: 十三次元のアガシャー大指導霊様が、九次元という形で地球にお出になったということは計画されたことであるのか、やむを得ず地球にお出になられたのかということ。

アガシャー系霊団なので、たとえば十一次元とか、十二次元とかにも愛に精通した指導霊の方というのはおられるかと思いますが、その方との関わりというあたりを教えていただければと思います。

アモール: そのような質問がありましたので、手短にお答えさせていただきます。
わたくしが本来、十三次元のほうから今回、九次元のほうに、そして、この地球にまいりましたということは、十三次元というのは既にご存知かもしれませんが、肉体を持って地上の者たちを指導するという役割にはないわけです。

ひとつの惑星とか、太陽系とかそういうものを預かっていく、愛のエネルギーで全体の宇宙の調和をはかっていくという役割があるわけです。

実際に人間として肉体を持ち、そして、地上にいる人間たち、神の子たちを直接に指導していくという立場にあるということにおきましては、やはり九次元という立場に立たなくては、今救世主界と呼ばれている者たちがやっているような役割ができないということなのです。

愛にはさまざまな表れがあります。
宇宙の中で愛のエネルギーを出しながら、それぞれの宇宙の調和、リズムというものを司っていく役割の者もあれば、愛というものが動物に、植物に、そして、あらゆる生命体の生きる自然界の中に表れる、そして、そこで修行する神の子たちの姿、その成長、進化発展というものを通して愛というものを指導していく、さまざまな愛の指導方法というのがあるわけです。

それはわたくしに言わせれば、上も下もないと思います。ただ愛の指導というものを担当している者である以上、わたくしの中に地球という惑星が修行場としてあり、生まれ、そして、その中において新たな人類が創生され、神の子としての修行をしていくというときに、やはり一度、地球の指導霊として、九次元の救世主界の者として、地上の者たちを指導して愛のもとに教えを説いてみたいという、そのような思いがあり、わたくし自身の霊体を九次元のほうに降ろしていき、九次元の世界の中におけるアモールという姿、そういう霊体として地上に招霊され、エル・ランティたちとともに今日まで頑張って来たという現実があるのです。

ですから、地上の神の子たちを、人間たちを指導していきたいということ、その目的、役割の中において次元というのがあるのです。

あなた方の中において、次元により、九次元にある者、十三次元にある者、すべて違うように思われるかもしれないけれども、愛においても、すべての神の使者としての使命においても、役割に応じてあなた方が言っているヒエラルキーがあるということを覚えてほしいのです。

下にいるから悪く、上にいる者が高い。上にいるから偉いということよりも、上にいる者は下のものを卒業したから、それを既に内包したから上に上がっていくということなのです。

そして、その中において、十三次元にいる者は、九次元のことも十次元のこともできるから、十三次元のところにいるのでありますけれども、その中において、どこの部分をいちばん今の使命として表していきたいか、自らもやっていきたいかということにおきまして、自分のエネルギーの中の、たとえば九次元であれば九次元、人類を救っていきたい、貢献していきたいという、その九次元の部分の使命を照射しまして、九次元霊としての自分自らの霊体というものを創造することもまた可能であるということなのです。

それが宇宙の中において役割としてあるということ。
愛の霊団、アガシャー系霊団として、わたくし自身が地球系人類の創生を担う出発点において地球に貢献したいと思い、アモールという生命体を地上に照射し、救世主界として、今日まで協力し、お手伝いさせていただいて参りましたということが現実であります。

そのようなことでよろしいでしょうか。

山口: はい。
あと何かお答えすることありますか。

2.神の正義の名のもとに戦争をすることはやめていただきたい

地球の、そして宇宙の創造原理について、今あなた方の間で討議されているようであります。

どこまで上にいったら終わりが、果てがあるのかということをあなた方は興味を持たれるかもしれない。でも、ひとつ覚えていただきたいのは、宇宙の根源の大いなる神のエネルギーが愛の奔流であり、愛のエネルギーそのものであり、愛の法則そのものであるということは、あなた方は学ばれたはずなのです。

それである以上、どこまでいっても、愛のエネルギーがさらに高次元のものとして純化され、浄化され、精妙になり、愛がますます豊かに表れていく。その姿そのものが宇宙の根源であると思いください。

さまざまな知的な欲求により、奇異なものだけで表れてくるのではなく、あなた方の魂においても、どこまで自らの愛をより高次なものに純化させていくことができるか。より豊かなものとして愛を表現していくことができるか。それこそが高次な神に自らの魂を進化発展、成長させていくその道筋であるのであって、そのようなサイエンスフィクションと呼ばれているようなものの知的好奇心の中で、奇異なものがあることが高次元の神の姿であるというような、そのような考え方は単なる好奇心にすぎないとうことを申し上げておきます。

いちばん大切なことは、あなた方の魂を、神の子としての魂の中における愛の尊厳というものを、愛というものを、しっかりと見極め、成長させていかれることなのです。

今、あなた方が信じている既成概念というものも、別の惑星に行ったならば全く役に立たないものかもしれないのです。でもそれは、あなた方が愛という本義を、ひじょうに小さなものでとらえていたからこそ、地球系ということでひとつの既成概念をつくり上げていただけなのかもしれない。

愛というのは、より豊かに、より自由に、そして、人をけっして裁くことなく、無限の飛躍をもって宇宙を回りめぐっているものであります。

地球の者たちも、もう地球系の愛というものだけで推し量り、互いに裁き合うのではなくて、そのような既成概念からはずれて、大きな大きな、自由な屈託のない、宇宙の大いなる神の愛の懐に飛び込んでいくような大らかさというのを、このレムリアを通して語られていくこと、表現されていくことをわたくしは切に思うのです。

愛というのを語るのは、キリスト教霊団を通して表れてきて、ひじょうに聖職者と呼ばれているいる者たちが、いらぬ知識に凝り固まって、愛というものにひじょうに堅苦しい、限定的なもののイメージをつくってしまいました。

知識というものは、一部の者においては役に立ちますけれども、神学的知識で凝り固まったがゆえに、神の愛の大らかさというもの、豊かさというもの、そして、互いを生かし合っていく、そのような屈託のない神のお心というものを打ち消してしまったのです。

キリスト教の聖職者に言いたいのですが、愛というものはそのような神学的な意味、知識によってお互い縛り合うものではない。小さくするものではない。

愛というのは自らの魂を解放し、そして、自らの素晴らしさを発現するために、大いなる、育むための土壌として愛というものが、愛のエネルギーというものがあるのだということを、もっとあなた方は伝えなくてはなりません。

愛が人を裁き、小さくし、限定し、それがゆえにあなた方の、今、世界に他宗教との戦争が起きているのではないのでしょうか。もっとも危険な戦いというものが、神というものの名において裁かれているのではないのでしょうか。

神の正義は、愛を語るキリスト教の者たちのサイドにだけあるのではないのです。
そのような小さな小さな価値観でいるから、このような今、世紀末といわれている戦争を迎えているのではないのですか。

そのような裁き合う気持ち、愛において自己限定と、そして、他に対する大きな裁きの思いがあって、それこそが自らが神の愛を、正義を背負っていると思う、その者の姿に間違いがあるということ。

地球だけでなく、他の惑星においても正義はあり、愛は豊かに流れていき、この小さな天体だけでなく宇宙を回って、大いなる愛のエネルギーが回っている。そのすべてを良しとされている神の大らかさ、豊かさ、愛のエネルギーの素晴らしさというものをあなた方はもっと学びなさい。

そうでなければ、いつまでたってもこの世界に戦争は終わらないでしょう。宗教の名のもとに、愛の名のもとに、正義の名のもとに、神の名のもとにあなた方はいつまで戦争をしていくのか。他者を批判し合っていくのか。それこそが不幸の種であるということ。

もうキリスト教、宗教の名のもとに他者を裁くことにおいて、つまらない戦争で不幸を連続していただきたくないのです。

わたくしたち天上界の者たちは常にそれを思っております。
愛のもとに調和が、愛のもとに赦しが、愛のもとに寛容さが、愛のもとに一致団結が、調和が行われるのが愛しのものの姿なのです。

愛のもとに反対のことが今なされている。この地上の者たちよ、大いなる反省をもって、我が名を呼びながら戦争をすることは、ぜひともやめていただきたいとわたくしは思うのです。

では今日は、これにて失礼させていただきます。
ありがとうございました。

イエス・キリスト(アモール)

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