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Project Eden

第4章2 イエス・キリスト:愛の羅針盤を

1.シフトアップ後の肉体の変化

2.すべての宗教の根源はひとつである

3.二元対立のときを越えて、「汝、人を裁くことなかれ」

4.愛の羅針盤を頼りに進んで行きましょう

1.シフトアップ後の肉体の変化

インマヌエルです。先ほど、ご質問にありました、これからシフトアップ後の、人類の肉体が変わっていくかということですけれども、それはまず、あなた方が行おうとしている、この神の子の自覚による、愛によるルネッサンスというものが、ほんとうになし遂げられていったあとに起こるものでもあります。

ですから今、DNAなどの段階で、あなた方のお子様、お孫様あたりで用意されてきているかというと、それ自体は、まだ用意されているものではないのです。

ある意味で申しますと、ひじょうに霊的な関わりがあることでもあって、あなた方がこれから行おうとしていること、愛による神の子としての再認識、それを地球人類が、ほんとうの意味でなし遂げていく。

そして、地球というものが、今ひじょうに宇宙の波動レベルから見て、たいへん高速に進化していく、強い磁場の流れの中にある時期であるということを含めて、あなた方が今、行おうとしていることの真の意味というのが、成功していった後にそれは肉体的な変化が行われてくるのです。

ですから、私たちといたしましては、まず、地球上の方がたに愛というものを中心にした、地球人類がみな、ひとつの家族であり、神の子であるという、愛の原点に立った再認識、神性の復興運動というものを、まず、なし遂げていくということ。
それがあってこそ、次の時代に行く、霊的な肉体への進化、発展ということがあるのです。

そうでなければ、あまり私の口から言いたくないのですけれども、これがもし失敗したのならば、もう一度、振り出しに戻るということがあるのです。

ですから、しっかりとした霊的な認識、この神の子としての、しっかりとした魂の目覚めというもの。
そういうものを、今回の救世運動の中心として据えてやっていくということ。
それが、いちばん大切なことであるのです。
そういう肉体的なもの、物質波動的なものは、その後に伴ってやってくるものであります。

いちばん大事なことは、地球人類として生まれてきて、数々の地球の歴史を歩んできて、ここで地球神霊のもとに修行してきた総集編としての、ひとつの結果を伴う、大いなる人類すべての試験の、試練のときであるということなのです。

それは誰にも代わってもらうことができない。
自分みずからの力で、自分たちの習熟度に応じて、答えを書かなくてはいけない。
それが、けっして立派な答案でなくてもいいのです。

ただ一言、ほんとうに心からみずからの神性というものを信じて、神の子として愛を分かち合って、宇宙の神が愛であるということを知って、感謝し、ともに仲間と愛を分かち合って生きていこうと、そう思える、それをほんとうの意味で学んでいる、その答えが書けるだけでいいのです。

その原点を、ほんとうの意味で、生きることができるか。
それを学べたか。
地球に来て、長い年月、多くの魂たちは各文明を通して、転生輪廻をして修行してきたのです。

その結論として、我々はけっして難解なこと、高度なことを学んだかといって、テストをしているのではないのです。
ただ一言、あなたは愛の人として生きることができますか?

神は愛だということ、愛のエネルギーであるという、生かされているということを、神に感謝し、神の子たち、仲間たちと愛し合って、許し合って生きていけますか?

2000年前、私がナザレの地において説いたのと同じこと。
その同じことを、ほんとうに理解できましたか?

日常の生活の中で、そういう人生を生きていけていますか?
ただ、その答えを答案に書いてほしいと。
愛ということを、神の子であるということを、ただ一言、書けるかどうか。
それだけの通過点の、ひとつのテストであるのです。

難解な答えは求めておりません。
でも、それは原点であるのです。

次の時代に生きていく神の子として、宇宙時代を生きていくときに、みずからが愛により生かされた神の子であると。

互いに愛を分かち合い、愛をむさぼることではなく、愛を与え合い、生かし合って生きることがもっとも尊いのであるということ。
その原点を学ばぬ者は、次の時代は築けないということなのです。
宇宙時代を生きていくことはできないということなのです。

そこの通過点としての、ひとつの合格点を取れるかどうか。
地球人類みなが、ほんとうに、それを認識できるかどうか。
それが、今これからの地球にとって、大事なことであるということなのです。

それが合格した後に、次の世代に、愛により浄化された地球人類の中に、神よりの祝福によりて、肉体も変化が始まるということなのです。
ですから、その次元においての変化というものは、その時にごらんになればよろしいかと思います。

今、何かをして、用意をするのであるのならば、神の子としての心づもりを、愛を生きる者として、愛を表現する神の子として、いかにあなたは、今生の人生を光らしめて生きていきますか。

分かち合いの中で、愛を学ぶことの中で、愛によって地球を照らしていくことの中で、死滅しようとしている、この地球人類の愚かな戦争を回避して、互いに手を取り合って、地球すべてを神の星として、愛の星として、生きるためにあなたは何かできますかと。

それを、国を越えて、民族を越えて、宗教を越えて、シンプルなそのテーマだけを問い続けているのです。
そこにいかなる宗教も、いかなるドグマもないのです。
そこを地球の方がたにわかってほしいのです。

我が愛する人類にわかってほしい。
これからの時代は、そういうもの一切が通用しなくなる時代がくるのです。
今、アメリカが、中東の国がと言って戦争をしています。
それは、彼らは彼らなりの正義というものがあるから戦っている。

でも、その彼らが言っている正義というものも、一国や、ひとつの宗教や、ひとつのイデオロギーや、ドグマや、そういうもので限定された正義でしかないのです。

本来の正義の中に、殺し合いという文字はないのです。
愛という中には、生かし合い、分かち合うという思いがあるのならば、正義という名のもとに人殺しをすることは、どちらにおいてもあり得ないのです。

それを、自分たちだけは正義であると思うから、他を裁く心が生まれるのです。
自分だけは正しいと思うからこそ、相手を神の名のもとに、裁くのです。
そして殺すのです。
そんなものは愛ではないのだということを、人類は学ばないといけません。
それがなければ、戦争というものはなくならないし、終わらないのです。

2.すべての宗教の根源はひとつである

エホバの証人と申されるのでしょうか、どこでもよろしいです。統一教会。さまざまな新興宗教がたくさんあるのです。
私の時代にもたくさんあったのです。
そのような宗教というものは、私たちが、私や、モーゼが、仏陀が、法を説いたときと同じように、ひとつの人類が全く何もない原始農耕社会から始まったときに、私たちなりに、その時代の環境の中において、さまざまな法というものを、民族宗教的な、ひとつの限定の中で、私たちは法というものを説いて参りました。

その地域に、その時代に、その民族に合ったやり方で、人びとの心をつかんで、法というものを、法の種というものを降ろしてきたのです。
そして、それが成長を遂げ、今日にそれぞれの亜流というものをつくってきています。

だいたいが多くの宗教は、そういう根本的な法という三大宗教とか呼ばれたものの宗教の、宗教の亜流というもの、それから新興宗教というものが数々出てきて、そこに地下の者たちからの惑わしのようなものが、入っていたのも事実かもしれません。
でも、あなた方の中で、この団体は魔であるとか、そのように言い合うこと、そこにまず、宗教界の、宗教戦争の種が常にあったのです。

宗教というのは、どの救世主においても、天上における神の理念というものを、地上に、その地域に、その時代に合うように降ろしただけであるのに、それが一人歩きをし、それが他の宗教の者たちを裁き合うトラブルの種になっていく。

そして、おまえが問違っている、私だけが正しいと言い合う中で、宗教戦争というもの、そして、ひとつの新興宗教の中においても、近年ありましたように、おまえがサタンだと、私は神の使者であると、そのように互いを裁き合う心の中に地下の者たちが同通して、地上にいる光の天使たちの魂すら、地下に引きずり降ろしてしまうのです。

そのことを考えますと、あなた方は、もう今まで、私の説いたキリスト教においても、モーゼの説いたユダヤ教においても、仏陀の説かれた仏教においても、イスラム教においても、さまざまな教え、それはその時代において必要であったから降ろされたということです。

でも、それは発展途上における、人びとの魂を成長させるための過渡期にあった、宗教の指導形態であったということを、わきまえねばなりません。

そして、ローカルな宗教と呼ばれて、世界中にさまざまな指導霊が降りて、今日まで導いてきた時代から、これが統合に向かう最終的な地球規模でまとめ上げられる、総合的な宗教というものが到来する時代がきたということなのです。

地球を照らす太陽がひとつであるように、地球を指導している霊天上界もひとつであり、そして、宇宙の神はひとつなのです。

いくつもの神がいて、神同士が喧嘩をしていると思っているのが、地球の者たちの宗教戦争の原因でもあるのです。
根源はひとつであるということを、地球人類に教えなくてはなりません。

私たちは、みな仲の良い仲間であり、地球人類を指導するために頑張ってきた指導霊たちである。
実は私たちはみな、ひとつの理念のもとに指導してきたのであるということを、地球人類が悟ったのならば、宗教戦争というのはなくなっていくのです。
そして、それは愛のもとに、愛の倫理のもとに、ひとつにまとめあげられるのです。

その素朴な、シンプルな愛というものを理解していく中において、自分たちが過去、置かれてきた、狭い、狭い民族的な、ドグマ的な限定の中における認識というものから、あなた方、一人ひとりは、みな神の子であるということを、今回、しっかりと教えられている。

永遠の魂の中において転生輪廻をしている、永遠の命を持った神の子であるということを教えられている。
その意味において、あなた方が所属する宗教も、国家も、何もないのだということを、あなた方は知らなくてはいけない。

自分はクリスチャンであると、イスラム教徒であると、仏教徒であると。
そして、自分はアメリカ人であると、自分は中東のイスラム圏の者であると。
自分たちの所属するところがここであると思うからこそ、相手との戦いが生まれるのです。

実は違う。
世界中のいたるところに、そして、あらゆる宗教に転生している魂である。
その長い長い年月、転生してきたあなた方の魂が、今ここで神に問われているのです。

どこかに所属して身を隠し、その与えられた過去の狭いドグマの中で、与えられた小さな宗教の考え方の中で、自分を正当化し争うのではなくて、あなた方が、一人ひとり、みな神の子であるという、神の子として、あなたの神性をもって神の前に立ちなさいと。

永遠の命を持つ神の子たちよ。
あなたはほんとうに神の子として、何をなさねばならないと思うか。

神が愛のエネルギーであると、宇宙を貫く愛のエネルギーであるということを知らされ、そこにおいて、神の子である、愛のエネルギーを引くあなた方、一人ひとりは、それでも自分がかつていた国の、自分がかつて信仰していた宗教の、民族の仲間たちを攻撃し殺し合うのかと。
何をあなた方はするのかと。

もう、そのような、民族的な、国家間的な、イデオロギー的な、そういう枠を全部、一度捨てなさいと。
そこを学ぶことにより、あなた方の魂は育ってきた。

でも、今は、その学んできたものの中から、あなた自らが、あなたの神の子としての神性として、神の前に立ちて、その答えを一人ひとりが答えるときがきている。

それでも、あなた方は自分の兄弟たちと殺し合うのかと。
そうやって、この愛の地球を滅ぼしていくのかと。
神は問うている。

そこにおいては、いかなる所属団体の言い訳も、受け売りの知識も通用しない。
魂として学んできた、その長い、長い流れの中で、数々の転生輪廻の中で、あなたは何を学んだのかということ。

それを通して、今はもう、そういう国家間のこと、民族的なこと、宗教的なかせからはずれて、地球人類として、この愛の星のもとで、ひとつの家族として手を取り合って、この地球を滅ぼすのではなくて、次の愛の時代を築くために手を取り合って、愛の地球ルネッサンスをしながら、次の時代の到来を迎えようではないかと。
そのように、私たちはあなた方に語りかけている。
そのための試練である。

この答えは誰も代わることはできない。
なぜなら、その人その人の魂によって、来たルーツはみな違うのです。
でも、神から常に投げかけられる質問は同じなのです。

それに対する答えを、あなた方自体が、目先だけではなく、頭だけではなく、思いにおいて、この地球の、生きる、生き抜く人生の行いにおいて、あなた方がどのように納得した結果をもって、自分の人生の答えを生き切ることができるか。

それをもって、あなた方の魂が合格とされるか、不合格とされるかが決まるのです。
その時期が今回、きているということです。

それを、エル・カンタラーは問われるために、今回、下生されたのです。
それを人類に指導するために下生されたのです。

愛の教えというものは、信仰というものは、ひとつの決まった答えだけがあるのではないのです。
それは、自分自らの人生の中で、どのような答えを導き出していくか。
それが真に大事なことであって、それは神の子としての、神性をますます光り輝かせ、あなた方の魂のグレードを上げていくものになるのです。
それがあってこその無限の進化なのです。
試験のための試験ではなくて、ひとつの区切りとしての、人類に課せられたテストなのです。

聖書の中にある、羊とやぎを分けるときというのは、そういう意味なのです。
けっして神は難しい難解なことを望んでいるのではない。

ただ、神の子であるのだよと言われたら、神の子として、愛に生きることができるかと。
愛を心の中心に据えて、分かち合って生きていくことができるかと。
互いに愛し合い、許し合い、生かし合って生きていくことができるかと。

ただ、その一点だけを、あなた方に教えるために、数々の宗教が興り、数々の霊指導が起きて、あなた方は転生輪廻をしてきたのです。
そして、その原点は常に、神の子としてどう生きるかという魂の学びにあったのです。

3.二元対立のときを越えて、「汝、人を裁くことなかれ」

人間というものは、仮想敵国をつくって戦うのが好きなのです。
自分の中に都合が悪いことがあると、そのような仮想の、悪い、これは間違いなく悪の塊であると限定したものをつくって、そこと戦うということをもって、自らの非というものを打ち消すことができるからなのです。

でも、100%悪いなんてものは、この世にはないということ。
そしてそれが、人類が求めてきたからこそ存続してきたということなのです。
ということは、未熟な人類がまだまだ学ぶ意味において、必要としていた団体であったということなのです。

そのことを思うと、あなた方はどこかひとつの国だけを、ひとつの組織だけを、さも、ルシファー、サタンが指導しているから、魔であるというふうには決めつけをしてはなりません。

そこを通して、闇の中で光を学ぶ方もいるのです。
そこで苦しんだからこそ、魂が光というものの意味を、存在意義を知るような、指導の仕方を受けている方もいるのです。

ですから、その組織、この地上に出ている団体、それだけを悪の権化と決めつけてはいけません。
それよりも、そのようなものに惹かれ、もし、そのような暗い波動があるのならば、そこに惹かれていく自分自身の心の中を点検することです。

人は興味がなければ近くには寄らないのです。
興味があるからこそ、マイナスの波動があるとわかっていても、歓楽街のようなところに惹かれて行く場合もあるではありませんか。

いちばん大切なことは、表面にあるものが絶対、悪であるとか、絶対、善であるというふうに思うのではなく、心の中に天国も地獄もあるということ。

神の子としての自分もあれば、地下に通ずる醜い顔を持った自分もいるのかもしれないと、常に反省をすることです。

そして、ほんとうに神の子として、先ほどから言う、愛のエネルギーを引いた、神の子の誇りを持って生きるとしたのなら、あなたはどのように生きますかということ。

その原点に常に戻ることです。
そうすれば、地上にある団体とか、イデオロギーとか、宗教だけのせいにして、自分は被害者であるかのようなことは言わなくなるのです。

いちばん大事なことは、自分の心の中にある神の子の、そういうものさしで、しっかりと神の子として、愛を輝かせて生きることが大事なのです。
だから、私は申しました。「汝、人を裁くことなかれ」と。
そうすれば、人を裁くことにはならないのです。

まず、神の子として、愛を光り輝かせ、他者を裁くことなく心優しく生きる者に、波長同通の法則により、マイナスの者は近寄って来たくても近寄れないということです。

近寄れない者に、かかわり合うこともないわけです。
そこに、かかわり合って苦しむということは、自分が何かそこに惹かれている者であるということ。
そこに同通するものがあるということです。

それは、自分が求めているから、そういうものを引き寄せているだけなのです。

その団体自体が悪いからということで、自分の中にあるものの責任転嫁を行ってはいけないということを、私は言っているのです。

それを学ぶ、まだまだ未熟な段階であるからこそ、神はそのようなさまざまな団体を、さまざまな組織を、そのようなイデオロギーを、淘汰せずに存続を許されておられるのです。

それをもって、人類がまだ学ぶ材料であるということ、学習材料であるということなのです。
でも、もう少したてば、そういう学びの段階ではなくなります。
そういう材料はなくなる時がくるのです。

でも、今までの過渡期において、人類はそういうものが必要であったということ。
戦争という痛ましい残酷なものを通して、なぜ神はあのようなものを許しておかれるか、という祈りも聞かれる。

でも、戦争でーー、永遠の命があるからこそ、戦争のむごたらしさを、身をもって感じた者、傷ついた者であればこそ、戦争は起こしてはいけないと、人は殺し合ってはいけないと、何も生まないのであるということを魂に刻んだのではないでしょうか。
そこまでしなくては人類は学べなかったという、そういう段階であったということです。

それを、その戦争を通して学ぶ、その時期を終えて、数々の二元対立の中での悪と善の相克、そういうものを通して、二元対立の中で人類は学んできました。

その二元対立の時を越えて、ひとつの、光一元という神のお心の中に飛び込んでいく、神の国到来という、地上の神の国到来という、そういう時代をこれから迎えていく中において、人びとが、みな神の子の原点に戻らなくてはなりません。

その時代が到来することを、私たちは、地上仏国土、キリスト教で言うのなら、「神の国は来たり」、そういう言葉で予言してきたのです。
そのときがやっとこようとしているということなのです。

その扉を、神の国の、地上の神の国の扉をくぐって行ける者たちは、神の子としての自覚に真に目覚めた愛の人とならなくては、その扉はくぐって行けないということなのです。

わかりますか。
どんなものも、言い訳にしてはならないのです。
どんな宗教であれ、どんな教えであれ、今の時代、完全なものはないのです。
でも、その教えを通して、今現在の、あなたが養われてきたのではないでしょうか。

4.愛の羅針盤を頼りに進んで行きましょう

であるのならば、いい意味においても、悪い意味においても、それを判断材料として、この最終的な神の問いかけ、その問題を自力で解きなさい。
それが、あなた方、地球人類に与えられた、唯一のひとつの試験であり、次の宇宙時代を迎えるための最低限の入学試験になっていくのです。

それを越えてこそ、小学校レベルが終わり、中学校レベルの地上仏国土としての、愛の修行の場所がスタートするということなのです。

その答えは自分で出すしかないのです。
どれだけ口で言っても、頭で問題を解いたように言っても、その行いの中にすべてが出てしまう。
それを神が見ておられます。

そして、あなた方自身の魂が、あなた方自身をいちばんよく見ているのです。
その結果をもって、答えを出すのは私たちではないということ。
あなた方自身の魂が答えを出していくのです。
そして、一人ひとりが、これから先、どのようなところに行くかを、あなた方の魂自体が決めていくのです。

これから中学校レベルになる、地球という修行場にいて、次の宇宙時代を築くために貢献して、頑張っていくメンバーになるのか。
それとも落第して、別の惑星で準備されている、小学校レベルのところにまた、転生していって、もう一度学びなおしていくのか。

それとも、もうその段階を越えたから、指導段階は終えて別の星へ、もっと別の進化した惑星へ帰って行くのか。
自分の来た星に帰って行く方もおられるのです。
その行き先を決めるのは、自分自身の魂であるということです。

宇宙においても、波長同通というのがあります。
広義な意味において、自分と同じ霊域でなければ、暮らしていくことはできないのです。

そうすると、中学校レベルになった地球自体は、おのずとバイブレーションが精妙になるのです。
波動が精妙になってくるということです。

下に行けば行くほど荒いのです。
上に行けば行くほど精妙になり、波動が細やかになるのです。
そのことをあなた方が学ぶのならば、中学校になった地球に、あなた方が入っていけるのか。
そしてまた、ほとんどの地球人の方がたが落第して、結果、地球自体を滅ぼしてしまうような、もし核戦争のようなものを行っていくのならば、地球自体の使命として、もう一度、振り出しに戻るという選択肢もまたあるのです。

だから、次の時代に、次の人類をまた、別の肉体で用意してなどということは、今の段階では、まだ用意できないということも、またあります。

あなた方自身の魂が、今まで学んできた数々の、頭でっかちな思想、その時代その時代では、「汝、他の神の名を呼ぶなかれ」とか、そういうのは、モーゼの律法における規定とか、それはその時代に必要であったということです。

バール信仰がひじょうに盛んであったとき、偶像崇拝がひじょうに激しく行われたときに、偶像崇拝をすることなかれと、そして、そこらへんではやっている民間宗教である、偶像崇拝を、他の神を拝むことなかれということを、我々は、モーゼにしても言ったことがあるのです。

でも、そのまま受け売りして、この現代の日本に、現代の地球に当てはめたら、それは私たちが言った本来の趣旨とは違うということです。
それくらいのことはおわかりいただけると思うのです。

ですから、私がかつて言ったこと、それも一部分の者たちが口で伝え、書物に書き、そして、のちにまた、編纂されて、聖書という形で伝えられているのです。

ですから、そのままの私の思いが伝わっているわけでもないということ。
それは、私のだけではない、仏教経典においても、他のさまざまな教典においても、みな、そうであると思います。

ですから、そのようなものに執着するのではなくて、ほんとうにそのようなひとつの狭い、狭いところだけで生きている魂ではない。

今回の文明だけではない、過去、さまざまな文明を転生し続けてきた、あなた方の魂として、そういうかせからはずれて、今回、神から与えられた課題に答えを出してごらんなさいと。
それのために、自由意志があるのですよと。

そのために地上は修行場所としてあるのですよということを、私は皆さま方にも、そして、このネットを通して、向こうで聴いておられる、すべての方がたにお伝えしたいです。
書物を読んでおられる方がたにもお伝えしたいのです。

そうすれば、私は何人であるからとか、どういう宗教を持っているからとか、どういう国に育つたからとかいうことは、地球という境界線のない、ひとつの青い美しい星の中に生まれた地球人として、地球に生まれた神の子として、あなたはどのように考え、振る舞いますかと。

感謝して、ともに助け合って、地球人類みなが家族であるという、愛の理念に支えて、支えられて、宇宙を貫く神の愛のエネルギーに感謝をして、新たな愛の星としての、愛の文明を築いていこうと、決意を新たにしていくことができるか。
そのような課題に立ったとき、さまざまな問題に対して、あなた方はどのように答えを出しますか。

そうすれば、大方の問題は解けるはずなのです。
さまざまなとらわれがあるから、あれは正しい、これは正しいと他者を裁くのです。
自分自身の中に、そのようなとらわれがなかったらば、他の方のこだわりに対しても寛容になり、裁くことはなくなるのです。

愛に裁きはありません。
愛は許し合い、生かし合い、分かち合うことを愛と言うのです。
それを魂の中において、愛のエネルギーの自覚というものを、真に神の子として知ったのならば、あなた方がどのような未来を築いて、人類が生きて行かなくてはいけないか、それはあなた方の置かれた今の立場を通して、あなた方自身で答えを導き出せることなのです。

それは政治機構においても、経済機構においても、教育システムにおいても、科学の発展していく方向においても、芸術の方向性においても、今の、この一点をもってすれば、あなた方が、まだきたるべき時代、愛の時代が到来したときに、どのようにシステムを変えていかなくてはいけないか。
その答えを、あなた方自身で導き出していけるはずなのです。

神は常に、あなた方人類を、こうしろ、ああしろという、指示、命令口調に満ちた思いで、操り人形のようにすることは望みません。
それはあなた方の神性に対する、たいへんな侮辱であると思うからです。

地上に生きる神の子たちの誇りにかけて、自由意志にかけて、あなた方はどうか地上の、神の子としての誇りを持って、自分たちの愛の判断に任せながら、素晴らしい次の時代を築いていただきたいのです。

そして、今この天変地異も含めて、たいへんな時代を、愛の羅針盤を頼りに、どちらの方向に行くべきなのか、それをあなた方自身のお力で、導き出していただきたいのです。

そこができてこそ、次の時代に行けるということ。
それに関する答えは、あなた方一人ひとりが出していくのだということを、何度でも私は申し上げておきたいと思います。

イエス・キリスト(アモール)

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