Project Eden

1.地球創世の意味
皆さま、こんにちは。エル・カンタラーでございます。
私がこの地球をお預かりしてより、この長き年月、私なりにさまざまなところで生命実験というものを行い、生命の神秘というものを通して、新たな地上の修行場というものをつくるために努力してまいりました。
地球には地球神霊と呼ばれている方がおられるのですけれども、その方がこの惑星意識に入られ、美しい惑星をつくっていただき、私がこの星をひとつの生命の修行場として発展させるための、地上における指導霊として、神より招命されたわけなのです。
まず、地球神霊という方が、修行のためもあり、多くの生命の、愛の修行場として、この地球という惑星を誕生させる。
その結果、私たちのような九次元指導霊というのが、その惑星を発展させるために、招命されて来るという、そのような、まあ言ってみれば人事のようなものがあったのです。
そして私が過去、自分の持てる力をもちいて、さまざまな生命実験をやってみたのですけれども、やはり、あまり高度な生命修行ができる形態に発展させることが、ひじょうに難しかったということがあります。
そこで、私のようにひとつの惑星を預かった、これから新たな惑星の生命修行の場所を発展させていこうという、そういう者たちが集まる、宇宙連合の会議のようなところがありまして、そこにおいて、あらゆるところの惑星から、さまざまな役割の者たちを招命することによって、地球独自の形態というもの、修行場としての形態を挑戦してみたらどうかという意見が出ました。
もともとある、ひとつの星の、単一民族のような形で発展している惑星も多々あるのです。それに比べて、ちょうどその時、いろいろな惑星の者たちが力を合わせて、単一民族的な惑星の修行場よりも、より多くの惑星の叡智と申しますか、智慧を集積したのならば、もっと別な修行場としての可能性が提供され、新たな文明実験ができるのではないかという意見もあり、私もまあ、その時はひとりぼっちでもありましたのでそうだなと思い。
そして、長らく懇意にしていた、アモールと呼ばれている方もおられましたので、彼らと一緒に、この惑星というものを、もう一度、愛の実験場にするために挑戦してみようかという気持ちになり、モーリャとかセラビムとか、そういう方がたに話を持っていき、彼らの同意を得て、この地球という惑星が修行場としての形を整えることになったのです。
地球には、もともと、地球在来という生命体がいないことはなかったのですけれど、それは皆さまご存じの通りの、金星にて修行した者たちもおりました。
でも、その者たちは人間へと、人類へと進化するには、多少、魂的には不備があったもので、直接、人類の魂としては導入できませんでした。
だから、まず、類人猿的なところに入っていったり、植物として、あと、他の動物へと、その者の選択するところに分かれていきました。
だから、地球在来としての魂というものは、基本的には他の霊系団からの、まあ今日的に言うならば、移民というような形の方がたが多いかと思います。
しかし、地球には地球の、独自の個性というものがあり、他の惑星だけで修行できなくなった者たち、そして、新たな新天地を求めて、行き詰まった閉塞感のある、文明の行き詰まりの中で、新たな挑戦的な部分に貢献したいと思う、修行したいと思う魂をこの地球に招き入れ、そして、ともに力を合わせていくことで、大宇宙における神の体に宿る、多種多様な叡智というものを地球に集結させることによって、新たな文明というものをつくっていきたい。新たな可能性というものに挑戦していきたい。そして、いろいろな惑星の方たちが気楽に来訪できるような、そういう惑星にしていきたいという、そういう思いが私の中にもありました。
それで、次々と様子を聞きながら仲間たちを招命し、招霊して、今日の形態にもってきたのです。
それがひじょうにオープンな、他の惑星からも、あなた方が知らないところからも、常に定期的にこの地球には、魂レベルで大量に移住して来ているのです。
それが、あなた方が知っているような、ひとつの、アフリカとか、そういう後進諸国と呼ばれているようなところに、まず入りながら、徐々に地球というもの、地球の生活というものに慣れながら、地球での修行形態というローテーションの中に組み込まれていく。その中で、彼らが魂の進化、発展というものを遂げていくという、そういう過程というものを、今つくっているのです。
彼らにとっては、地球というところに来たということが、ひじょうに新たな経験であり、新たな魂の進歩発展のチャンスを得たということにもなるのです。
なかなか、ひとつの単―民族だけの惑星の中にいると、他の惑星から移住して来たいと言っても、なかなか、その惑星の進化のレベルについていけず、他の惑星に気軽に行くということは難しいのです。
霊系団としてまとまって行くなら別なんですけれども、地球ほど、いつでも、まあ周期というのはありますけれども、短いスパンの中において、地球という別の惑星での経験をしてみたいと言って、来られるところは少ないかなあというふうにも思っております。
そのような開かれた星として、宇宙の神のお体の心臓部として、愛というものを分かち合うという理念において、私はこの地球という星を愛の修行場としたくて、地球神霊とともに力を合わせて、この星を神の修行場として、神の子の修行場として発展させたいと思い、頑張ってまいったのでございます。
そのようなことでよろしいでしょうか。
2.仏教とシフトアップ
あなたは、いかにも仏陀の弟子としての発想で、質問されるのですねえ。
あなたは、いかにも黄金光線の者、という質問をなさいます。
連続性がないというのは、かって、私が説いたインドでの仏教という観点において、修行形態として、今日やろうとしているシフトアップに連続性がないと、あなたが思われるのかもしれません。
でも、我々、霊天上界から見ましたならば、仏教があり、モーゼが説いたユダヤ教があり、キリスト教があり、孔子の説かれた儒教があり、さまざまな、文明は世界中にさまざまな精神的な高みとして、人類を指導しているのです。
それが今日、ひとつになっていくという形の歴史、人類の歴史という連続性の中において、最終的に地球がひとつになるという方向にいっているのです。
仏教の中で、八正道を中心にして、反省や瞑想を中心にしたところから見たのならば、確かに今回のモーゼが言ったように、屋根の上に来たのならば、自分たちのそのはしごを捨てて、羽を広げて飛んで行けといった、その発想の転換は難しいように思われるのかもしれないけれども。
我々の世界においても、仏陀の世界においても、反省、反省で自分自身を努力、発展させてきても、最後そこから、如来の境地から仏陀の境地に行くときには、大宇宙を泳ぎ渡るような、そのような解放された広い思いに到達しなければ仏陀の境地には行けないのです。
それと同じで、あなた方は、あまりにも反省と努力という、修行ということにがんじがらめになって、自らを縛りつけて、このような方法論でなければ上に行けないというふうに規定し、自分の魂に規範を課してしまったのかもしれない。
それは私の指導の仕方に問題があったのかもしれないというふうに、今回のことも思いつつ反省をしております。
でも、神の世界はもっと自由であると。この先に行くには、反省という、八正道ということを基盤にしながら、より多様な価値観の中で、多様な神理というものを、総合的に自分の中に養うことによって、あなた方は発展していく。
それが神の望まれる力向であり、地球のグローバルな、地球的な、地球規模で物事を見極めていく。ひじょうに分極化した、ひとつのものだけでものを見るから全体が見渡せない。
イスラム教徒たちの戦いにおいても、争いにおいても、自分たちのアラーの言うことだけが、マホメットの言うことだけが正しいと思うから、他が受け入れられない。それは仏教の者たちにおいても、すべて同じなのです。
それが、分極化してきたものが、ひとつに統合されて、すべてが人類の叡智として、我々、霊天上界から発信されてくる。これが今回の大救世計画の目玉でもあるわけなのです。
そして、二千数百年前のインドでは、それを受け入れるだけの、人々の器においても、知識的なものにおいても、力量がなかったかもしれない。
でも、今日的に見たのならば、地球の中において、かつて、私がこう言った、そして、モーゼがこう言った、マホメットがこう言った、イエス・キリストがこう言った、そして、さまざまな精神的な巨頭と呼ばれている方たちが、どういうふうに精神史をリードしてきたかということをすべて人類は学べる、そういう時代に今はなっているということです。
科学文明の発達を通して、人類は、本来のあるべき宇宙の叡智というものに目覚めていく。
そのような階段を上ろうとしている。その階段を上ろうとしていったときに、今までは一歩一歩、はしごを上りながら、地道に上って来たけれども、ここに来たら、大宇宙の神の子であるということがわかったときに、「気づいてごらん。背中に大きな羽がついているよ」と。
「神の子であるんだよ。自分の力で飛べるんだ。飛んでごらん」ということを初めて教えてもらい、人びとは自らの姿に気づいて、神の子であるという認識のもとに羽ばたいていくのです。
そして、行き先はそれぞれの個性に応じて、それぞれの精神的な発展段階において、彼らの行き先は違うことでしょう。
でも、彼らを羽ばたかせていく、地球人類の修行場として、彼ら自体が羽ばたいていける場所に、彼らを戻していく。
神の子の本来の姿に戻していく。
そして、さまざまな惑星に行って貢献をさせていく。そして、地球自体でも次の段階として、修行の場として提供していく。それが我々の目的でもあります。
だから、あなたのように、仏教的観点から見たら、確かに私の言うことに連続性がないかもしれない。
でも、私はもう、かつてのインド時代に何を言ったかということ、そのようなことにこだわる気は毛頭ないのです。
かつて、ラ・ムーとして説いていたとき、いろいろな惑星、いろいろな文明の中において、私はそれぞれの神理というものを説きました。
インド時代に、たまたま、ゴータマ・シッダールダという仏陀という形で、法を説いた時代がありましたけれども、宇宙の根本的な神理というものは、ひとつの仏教というような小さな概念の中に収まるようなものではないのです。
大宇宙の神理というのは、私ですら、まだ学んでいないような、大きな、大きな、深いものがあります。その広いビジョンの中で、大事なものを今人類は学ぼうとしているということなのです。
そういう意味においては、インド時代のことなど、もうそれから抜け出して、他の宗教である者たちと手を取り合って、互いに地球はひとつであると、神の子として、神に生かされている愛のエネルギーとして、みんなひとつにつながっている一体なものであると、みんなで協力し合っていくのだという、その認識を地球人が今持つべき時期に来ている。
その気持ちを促すために、私は今回の救世の計画を練ったのです。
それをやりたかったのです。
途中で投げ出すようなことになり、私自身の使命を続行できなくなったことを、皆さま方におわびしなくてはなりません。
3.多くの神の子たちに正しい法を残してください
私も、ほんとうに断腸の思いで、この使命を降りることになりました。
自らが発案した計画でありながら、自らやることができなくなったことを、ほんとうに皆さま方におわびしなくてはならない。
そして、その後に、天上界のエル・ランティをはじめ、さまざまな方がたがこの計画を補足するために、この第三の計画を実行してくださり、地上にいるあなた方に、たいへんなご迷惑をかけているということ。私は深く、深く、あなた方に対して感謝をし、おわびをしなくてはいけないと思っているのです。
でも、今あなた方の力におすがりするしかないですし、この地球の周期というものを考えたときに、今まで培ってきたこの人類の叡智をまとめ上げるべきときに、あなた方の力をもって、やっていただきたい。
私がやるだけではなく、あなた方だって力を合わせれば、私以上の仕事ができるのだと、そのように思い、どうか、あなた方の力を最大限に発揮しながら、今回の修行に当たっていただきたい。
人類の、地球人類のすべての魂の、地上に生きている方がただけではないのです。地獄界も含め、霊天上界にいる者たち、すべての者たちの幸せのために、魂の進歩発展、それが究極には宇宙の根源である神の喜ばれるお姿に、神の子たちが成長していくという、その姿の、その大いなる進化の助力を、あなた方はしてくださろうとしているのです。
そのお手伝いをどうか、私に代わってしていただきたい。
私の弟子と呼ばれている者たちは、もっと多くいたのです。でも、今回の件において、私が呼び集めてもなかなか集まって来ません。
仏教系団における者たちは、ほんとうに全滅、壊滅状態にあるのです。私の黄金光線の中にありながら、ここにいてイニシアチブを取りながら、法の編纂をやってくれるあなたに、心から私は感謝しております。
どうか、法を残してください。
間違った法を残せば、その分だけ人類が苦しむのです。正しい法を残してください。法を預かる者として、間違った法を後世に伝えるほど、自らの罪を背負うことはないのです。
法さえしっかり降りていったのならば、また、後世に降りた者たちが、地球を建て直してくれることでしょう。
私が降ろし、私の魂みずからが歪めてしまった、この地球の根源的な法を、どうかレムリアの中において、もう一度、本来あるべき姿に直し、あなた方の力により世界中に発信し、普及しながら、どうか、多くの神の子たちの手に私たちの法を、メッセージを伝えてください。
そして、地球の神の子たちが一丸となって、この時期、もう仏陀の光線である、仏教徒であるとか、ジャイナ教徒であるとか、クリスチャンであるとか、イデオロギーにむしばまれた者たちであるとかいう、その民族的なもの、すべてを越えて、人びとが地球の魂として、神の子として、みなが手を取り合い、助け合い、生かし合い、愛し合い、感謝のもとに、神の星である、この地球に生まれたことを喜び合って、ともに出られたことを喜び合って、助け合って、この地球を神の星に戻していく。
そのような精神的なルネッサンスを、精神的な復興運動を、あなた方に託したいのです。
私はそれをするつもりでおりました。そうでなければ、五十年も法を説くとは言わないのです。初期に法を降ろし、それからこれを世界に発信し、人びとに、世界中を回って、世界中の国々で講演をしながら、世界中にいる神の子たちに「神の国は来たれり」と説いて回るつもりでおりました。
でも、それを、もうできるチャンスはなくなり、あなた方にそれをお願いしたいと思います。
法というものは、一部の者たちが握っていてもダメなのです。研究対象にするために法はあるのではないのです。法を受け取ったのならば、神の子たちみんなで分かち合い、それを人生の生きざまの中に生かしてこそ、法というのは本来の使命を果たしていくのです。
神の子たちが生きる、命の生き方そのもの、それが法であるのです。けっして難しいことではないのです。
どうか、皆さま方の中において、あなた方がこのメッセージを聞いたのなら、それを一人でも多くの、世界中の神の子たちにお伝えください。
そして、それをどうか生かして、みんなで、この戦争や醜い争いに人びとが傷つけ合ってーー、この地上の中において、人びとが心から手を取り合う、その姿というものを導き出せるような、そのような道しるべを後世に残していただきたいのです。
みな、同じ親の、神の愛のもとから生まれた、みんな神の子である、兄弟、姉妹たちであるのだと、同じ家族であるのだと。
地球だけでもなく、大宇宙においても、みな同じ兄弟、姉妹、家族であるのだということを、どうかみんなが、ほんとうの意味で、神の子であるという認識のもとに一体となることができたとき、人びとは争いをやめるときがくるのです。
その強烈な認識の中において、一転して変わっていくのです。
二十世紀になって、東ドイツや西ドイツのベルリンの壁というものが崩壊した、東西冷戦というものがなくなっていったではありませんか。あれだけ核戦争の脅威にさらされたアメリカとソビエト連邦というところが、ひとつの、ソビエト連邦自体がロシアというところに変わっていったときに、世界の危機というものは一転して変わっていったのです。
ソビエト連邦が変わっていったことにより、他の共産圏と呼ばれていた諸国も、ガラガラと民主化の波に飲み込まれながら、世界は変わっていきました。
核の脅威からも、一時期、回避されていったのです。
精神的な流れというのは、それくらい威力があるのです。
ほんとうの意味で、神の子であると、裁き合うことではないのだと、そして、生老病死という、苦というもの、限られたこの肉体に執着するから、人びとは幸せになれないという、そのような恐怖心の中で、苦しみ、悲しみをつくっている。そんなことはないのだと、生き通しの永遠の魂であるのだということを、ほんとうにわかってほしい。
けっして、そんなに難しいことではないと、私は思うのです。
そんなにたくさんの法則、ルールはないのです。
それをほんとうに、わかり易く初歩的なことであるけれども、根源的に多くの人びとの心に、ちゃんと落ちたのならば
すべての疑問、すべての苦しみ、すべての悲しみの原因が、解けて流れていくのです。
それを私たちは待っていたのです。その時期がくるのには、精神的な土壌、そして、科学的なものにおいても、人びとは古代から始まり、ある一定の文明の成熟度というものを待たなくては、この時期は迎えられないということなのです。
あなた方もご存じのように、アトランティスや、ムーや、レムリアと、ゴンドワナとか、数々の文明を知っておられるでしょうけれども、そのような文明の中においても、それぞれの興亡の歴史というものはありました。
でも、今日ほど、そのさまざまな文明の集大成として、その総決算としての時期がきているときはないのです。
地球自身の使命として、一定の修行期間というものが与えられました。でも、いつまでもだらだらと、このような状況を続けているわけにもいかないのです。
この時期において、この地球が総決算をし、宇宙文明へと、宇宙文明から見た、神の子として合格ラインに当たるような、まあ、あなた方で言うと、中学生レベルの修行場になれるような、その時期が、今これからこようとしている。
そのために、私は全身全霊をかけて、今回の地球ルネッサンスを手がけるつもりでいたということです。
4.我が弟子たちよ、あなた方は見放されたのではない
申し訳ない、という思いしかない。
その思いしか、今はないけれども、申し訳がないのならば、できる限りのことをして、私なりにその穴埋めをしたいと思っております。
もし、あなた方の中で、聞きたいこと、黄金光線の方がたよ、もし、私に直接聞きたいことがあるのならば、何でも聞いてください。私が直接に答えましょう。
あなた方は、けっして見放されたのでもない。
私が指導していないものでもない。
あなた方は、ひじょうに肩身の狭い思いをしてしまったかもしれないけれども、地球の、今回の運動においても、法というものを預かる、その中心にいる我が弟子たちよ。今、正しき法を後世に残さんとして、我がもとに、もう一度、集まっていただきたい。
そして、ともに正しい地球の未来へ結びつく、法を残していこうではないか。
あなた方の中に、もし、私の波動を覚えておる者がいたのならば、私のもとへ、私の波動のもとへ集まって来ていただきたい。
あなた方の、今生の命がまだあるのならば、いかなる可能性もあり、いかなるチャンスもあり、そして、使命を全うできるチャンスは死の瞬間まであるのです。
私も、地上にいるあなた方に呼びかけることをもって、本来、地上に降りた、私自身がやらなくてはいけない仕事を、少しでもあなた方の手を借りることにより完成させていただきたい、全うさせていただきたいという思いがあります。
本来、私がしなくてはいけないことなのだけれども、私自身が肉体として、もう、どうにもしょうがないので、あなた方の力を借りて、あなた方の手足を借りて、私の本来するべきことをあなた方にお願いしたい。
法と説く者たちよ。法を説く者たちよ。もう一度出ていらっしゃい。
あなた方は、過去、説法に慣れているはずなのです。文証を残すことに慣れているはずなのです。
ここにいる、レムリアだけではなく、霊言だけではなく、あなた方がこの時代に生き証人として、この現状を見て、あなた方の言葉で語り、あなた方の文章でもって、後世に多くのものを残していただきたい。
そのためには、法を管理する釈迦教団と呼ばれたところにいた、文証を中心とする、我が黄金光線の者たちが、多数、この地上に、日本に、今降りているのです。
もし、その使命を全うする気がある者がいたのなら、一人でもいいから、黄金光線の者たちよ、このレムリアに集っていただきたい。
もっともっと書物を書き、もっともっと法を残し、後世に伝えていただきたい。そのために、私はあなた方を直接、指導する気があるのです。
そして、私が語れなかったことを、私が書物に書けなかったことを、あなた方に伝え、あなた方に代わりに出していっていただきたいと思うのです。
過去、それだけの実績のあるあなた方です。あなた方の言葉をもって、伝道していくことはできるのです。その気持ちがあります。
仏陀光線と呼ばれている、黄金光線の者たちの人数がひじょうに少ない。
あらかたやられてしまっているというのは、わかっているけれども、まだ、無事な方がいるのです。それには、彼らに使命の火をつけるのには、レムリアの書物が、その方がたの手に渡ることをもって、彼らの使命に火がつくということを、どうかご理解いただきたいのです。
ですから、あなた方の活動が広まっていき、我が言葉を伝えていただきたい。
やはり今までは、直後ということもあり、私は出現をおさえておりました。
そして、エル・ランティが中心になって、あなた方にメッセージを送っていただいたのです。でも、私も今回の救世運動の発案者として、責任者の一人として、そして、尻ぬぐいをする意味においても、私はこれから、地上のあなた方へメッセージを送らせていただきたいと思います。
どうか、ひとつの仏教という小さな枠の中で、エル・カンタラーの法を考えられることのないようにお願いいたします。
過去、インド時代の仏教を中心としたものではあるけれども、でも、そのような過程ではなくて、もう、新たなエル・カンタラーの法というものは、大宇宙の神理を含んだ、ひじょうに多面的な展開、多様性を内側に包括した内容になっていくのです。
高橋信次という方が説かれたときに、「私はエル・ランティの法が説きたい」というふうにおっしゃられたはずなのです。それは、高橋信次が生前に説かれた法というのは、私のインド時代の、仏陀としての意識の法と同じなのです。ですから、エル・ランティの法が、今説けるようになった高橋信次は、私の「エル・カンタラーの法を説きたい」という気持ちと、全く変わりがないということなのです。ですから、これから、ほんとうの意味で、私はエル・カンタラーの法というものをまだ説いてはいません。ほんとうの意味で、説こうとした矢先であった。そのときに、また、二千数百年前のインド時代の法の中に、また彼は戻っていってしまった。潜在意識の中にーー。彼は出せる知恵だけに頼ってしまったからです。
でも、本来は、これからエル・カンタラーの法が出て、ヘルメスの法が出て、豊かさと彩りによって、今度は地上全部に広めていくという、大乗の発展があったということなのです。
その段階が全く出せなかったということ。
それを語ることは、間違ったことともうしましょう。それを、あなた方が発表するか否かは、それはあなた方にお任せいたします。
ただ、どういう気持ちか、今私がどういう気持ちかということは、包み隠さず話そうとおもいます。あなた方の中で、今の私に何か他に聞きたいことがあれば、どうぞ聞いてください。
5.天上界からの指導か、パーニャパラミタからの知識か
あなた方のレムリアを見たらどうですか。
二ヶ月たったら、三ヶ月たったら、新たな展開が出てくるでしょう。違いますか。なぜ、過去のものに戻っていくのでしょうか。なぜ、パーニャパラミタと言って、過去世の知識だけで多くの人びとを縛ろうとするのでしょう。なぜ、比丘、比丘尼たちと呼ばなくてはいけないのでしょう。
それは、新たなものが、もう降りなくなった状況を言うのです。
あなた方には、こうやって次から次へと、新たな展開による指導が降りていく。だから、過去のものなど振り返っている暇もないくらい忙しいかずなのです。
K会も初期の頃はそうでした。次から次へと展開が激しかったのです。でも、天上界の指導に同通できず、指導を断ち切られた者はどうするか。自らの内側にため込んだものを出して、それをさも、叡智があるように見せかけるしかないではないですか。
自分の中にあるパーニャパラミタというものは、自分の過去世の知識であり、その経験知とおうのは天上界につながっていなくても、ある程度、霊道を開いた者ならば出し入れができるのです。
その知恵を使いながら、そして、そこの中に微妙にすり替わった、人を支配したい、そして、自分の思うがままに操り人形化していくという、そのような流れの中に、自分のパーニャパラミタを利用した。
そのような流れの中で、生み出されたものであると、そうようにご理解いただきたいと思います。
だから、過去世の仏陀としての経験知は、それは本物であります。だから、そこは共鳴しながら、「何かおかしい」というふうに感じられる方のほうが多いのではないでしょうか。
そのようにお考えになる方がおられるのならば、まさにそのものであります。
あなた方の中で、このような時代の大きな、まあ自分で起こしておいて申し上げるのも何ですけれども、このような状況の中において、ひとつひとつ正しく見極めていくということ。そのことは、法を学ぶ上で、神の子の修行として、このように認識力というものを試され、自らがため込んできた、成長のために学んできたことが、ほんとうに通用すりものかということを試される機会はないのだと思います。
どうか、そのような思いで、今の時代の生き証人として見極めてください。私の地上の者が犯した、このような罪深いできごとを、してしまった仕業を通して、あなた方が数多くのことを学んでいかれることを、そして、九次元であれども修行中の身であり、その欲に巣くうものによって、霊道を開いていても万能ではないということを、神の智慧につながりたいと思いつつ、下の指導の操るがままにされ、神の叡智というものをねじ曲げてしまったという、このような歴史的事実がるということ。そのことを私自らの口から、あなた方に申し上げておきます。
ですから、あの書物がひじょうにわかりにくい。どこからおかしくなったかというときに、あなた方が再三、考えられて、ひじょうに判断に苦しまれる、その理由でもあるのです。
パーニァパラミタとして出したことは、本物であります。それは彼が、私の、地上に下生した者の魂として、正当な者であるということを証明しているのです。でも、その扱い方を間違っている。そして、彼自身の霊的な状態が正常でないということを表していることに、もう、その時から、そうなっているということを私は申し上げます。
6.パワトロンとは何か
パワトロンはこの者でもつけておりますよ。この者に聞いてごらんなさい。ペンダントを買ったことが覚えとしてあるかと。身につけてる覚えがあるかと。ペンダントは買ったこともなければ、身につけた覚えもないと申し上げるでしょう、この者は。
それはね、ベンダントというふうに書かれているかもしれませんけれども。それは霊体の機能の一部なのです。言葉のーー、胸のあたりに、ひとつの増幅装置のようなものが、心臓の近くにあります。
これは何かというと、愛の思いで多くの方がたに法を伝えていきたい、多くの方がたを愛の思いで、少しでも神の思いを伝えて救っていきたいという、菩薩界以上の者ーー、菩薩界以上の者というのは、我が身を捨てて、多くの方がたに愛を伝えんがための修行する者たちを菩薩と言うのです。
それ以上の者たちになりますと、我が身を捨ててでも、他の方がたの幸せのために愛を発信する、そのような精神状態になるのです。
そうすると、その方の心臓部、愛の思いの量に応じて、その方の霊体の中に、愛を伝えようという一念によって、パワトロンというものが、そういう部分ができるということです。それが心臓の周りに渦を巻いたように、エネルギーとして、エネルギーのスポットとしてできる。
それが、あなた方、まあ、他の人から見たら、ペンダントをつけているように見える。霊体の者たち、七次元以降の者たちは、あなた方がやっているように、このように二本の手と頭と足と、というふうなのではなく、ほとんどエネルギー体として存在していますから。
だいたい、その愛の思いが湧いてくるところに、愛の渦巻きのように、そして、それを多くの方がたにお伝えしていきたい、神の愛をお伝えしていきたいという思いによって、それが表象化されて、渦を、心臓部の周りに愛のエネルギーが渦を巻いている。そのように思われればいいのです。
ペンダントと言うから、どこぞの新興宗教で、高いお金でペンダントを販売しているように思われるのです。機能なのです。霊体の機能だのです。
そして、そこにおいてね、多くの方がたに愛をもって説法しようとする。説法しようとするときには、キリスト教においても、仏教においてもですね、どの宗教においても、多くの方がたに神の愛をわかってほしいという、この愛を届けたいと。
そして、神の子として、あなた方の愛の心が目覚めますようにという、その圧倒的な他者を救いたいという、愛の思いを発信したときに、その愛の心臓部から、神の根本的な、根源的な神の、宇宙の愛のエネルギーというのが、何て言ううんでしょうかねえ、そうですね、バズーカ砲って言うんですか、あなた方で言うと、エネルギー銃ーー、私は昔の人間なので、あまり新しい言葉はわからないですね、あのー、エネルギーとして発射するじゃないのですか、今の武器では何と言うのかな、戦車でも、何でもいいです。
このように、筒の中からドーンとエネルギーが出ていくような、そのような神の愛のエネルギーを引いてくることができる。その発信場所が、他者を思う、愛の思いのある、その心臓部。そこから、菩薩界以上の者たちは、他者に説教するときに、神のエネルギーが増幅されて、そこが根源的な神の、大宇宙の神の愛というものを引いてくる、発信していく、そのような場所として、パワトロンというものが存在するようになるのです。
それは、ペンダントを購入して、胸にぶら下げるのではなく、その悟りの状態に応じて、その愛の思いが、心臓部にひとつのエネルギー現象として存在し、それを脇で見ると、丸い渦のように見えるので、ペンダントを下げておるように見えるというふうにあるのです。
そして、それはけっして自分のためではなく、他者を命がけで救おうと思ったときにのみ、その威力を発揮するのです。
この者も何回か経験しているはずなのです。人前で講演会をするとき、多くの方がたに愛を伝えていきたいと思うとき、我々は、逆に言うと、そのパワトロンを使って、我々のエネルギーを流すのです。
天上界で指導する者たちが、そのパワトロンを使って、我々の愛のエネルギーというものを、その地上に、三次元にいる肉体の者たちの、体を通して三次元に、聞いている方がたの心に、直接、バズーカ砲のように、神の、私たちの愛のエネルギーというものを発信してくる。
そうすると、直撃のようにこの肉体から出ていったエネルギーの、愛のエネルギーで、多くの方がたは涙を流し、自らが神の子であったという、その自らの琴線に触れて涙を流すというーー。だから、法の話を聞いたときに、多くの方がたは涙を流すではありませんか。
高橋信次、エル・ランティが法を説かれたときにおいても、みんな涙を流していくのです。それは、神の子としての意識が、その神の光を受けたことにより、涙を流して、自ら目覚めを感じているわけなのです。
そのような光を発信する、地上の光の天使として、その役割を持っておるということ。その場所として、パワトロンというのがあるということ。そして、それは認識の上において、菩薩界以上の者たちがその体に機能を有するということです。
だから、それがペンダントと書かれたのは、まあ、そのように書いたほうが、地上の方がたにはわかり易いと思って書かれたのでしょう。
でも、実際はペンダントではないのです。体の一部であるということで、菩薩界以上の方がたの体の一部であるということです。そして、そこをもって、根源的な神の愛のエネルギーに直結し、そして、それは自らの体を通して、多くの地上の神の子たちを救わんとする思いに応じて、神の光が流される通路のようなものであるというふうに、あなた方はお考えになればよろしいのではないかと思います。それでよろしいでしょうか。
私たちの世界で見ると、この渦を巻いているのですね、心臓部にあります。このあたりにある。渦を巻いた愛のエネルギーの、こういう状態ですね。渦を巻いた星雲とかがーー、よくエネルギーを、渦を巻いているのではないですか、ああいう状態です。それが中に、霊体の中に入っている。これが神の子の心臓部、愛を司るところです。心臓というのは愛を司るところです。
ですから、その霊人がどれだけ愛の思いで、自らが他者、他の者を救うために愛の思いに生きようとしているか、その思いにおいて、この心臓部にパワトロンというのが菩薩界以上の者たちには存在してくる。でも、それはすべての者たちに、他者を救わんとする菩薩の境地になれば、誰にでも出てくる。それが本来の神の子の姿であるということです。
それを通して、大宇宙の神につながっているということ。愛のエネルギーにつながっている場所であるということです。
よろしいでしょうか。
だから、すべてが悟りの状態なのです。その神の子たちの、霊人の悟りの状態に応じて、それは誰でもが出現するのです。それはほんとうに、命をかけて神の子たちを救わんとする思い、その情熱に応じて、本来の機能が浮かび上がってくるとでも申しますか、それはすべての方がたが、本来持っている、有するもの、そして、見失われているだけのものなのです。
あなた方の中にある、その、第六感とか、このテレパシーのような能力だって、みんな言われていると思うのですけど、あなた方すべてだって、悟りを開き、霊道を開いていく過程の中において、宇宙即我になれるのですよ。私が言った通り、あなた方もみんななれるのです。でも、見失われているだけでしょう? 今ね。
でも、悟りの境地が上がっていったならば、みなさん、宇宙即我になれるということです。だから、菩薩行のような境地になったのなら、パワトロンくらいすぐ、あなた方の見失われていた能力として、機能として、復活されるということ。そのことをあなた方にお告げします。
どこかで買ってきて、ペンダントを胸にぶら下げるのではないのです。だから、悟りの道は、いくらお金を積んでも買えませんよ。あなた方の心の中の、研さんと修行自体に、程度、情熱によっているということです。よろしいでしょうか。
他にはないでしょうか。では、これにて失礼します。

エル・カンタラー(仏陀)
地球霊団における最初の九次元存在。現代日本にORとして肉体をもち、正法神理を説いた。役割分担:黄色光線(法・慈悲)。転生等について:金星から招聘、エル・カンタラー(エル・ミオーレ)→ラ・ムー→トス →リエント・アールクラウド→オフェアリス→ヘルメス →ゴーダマシッダルタ→OR