top of page

Project Eden

第5章1 マヌ:仕事は楽しんでするもの

1.芸術を通して神の愛や光を伝える

2.元気の出る神への道があっていい

3.レムリア時代のことを思い出してほしい

4.私は今、うれしくて楽しくてしょうがない

5.知性の時代の最後に芸術的な色づけを

マヌ

古代インドの法典「マヌ法典」の伝説上の編纂者である。
「マヌ法典」は、ヒンズー教の基礎となる天地創造から、日常の生活、道徳、儀式や作法などに関する細かい規定が、記載されている。
洪水、神話においてノアと同様な役割を果たし、「人類の始祖」と称されることもある。
英語における「man」(=人間)は、「manu」(マヌ)に由来するという説もある。
レムリア時代には、マルガリットという名の指導者として活躍し、芸術を中心とする文明を築き上げた。
天上界では、緑色光線(自然・調和)を担当し、芸術および民族問題などを担当している。

1.芸術を通して神の愛や光を伝える

マヌ: レザンチーヌよ、私はマヌです。

私は、この時をたいへん待ちわびていました。
そなたが今回の文明で、今一度、生まれて行くということを知って、私は心からあなたの活躍を楽しみにしていたのです。

私たちは、遠くレムリアのとき、ともにレムリアの人びとを指導するために、大使マルガリッタとして活躍していたとき、あなたとともに芸術を通して人びとを教化したものです。あの時は、ギリシャの時のように、芸術が人びとの価値基準を決めるものさしとなっていたので、ゼウス神とともに、芸術を通して感性の文明ということで、人びとの悟りを、芸術を中心に発展させたのです。あなたはその時、私のそばにいて、よく助けてくれたものです。

今一度、このような重大な時の中で、あなたに高級神霊が降りたということを知って、私も応援に駆けつけて来たのです。先日、マイトレーヤー大如来が、聖クザーヌスがあなたのもとへ来て、やはりあなたに優しく声をかけ、激励しておられました。私も心から応援したく、昨日、今日と駆けつけて来ております。
頑張るんですよ。

確かに状況は難しいかも知れないけれど、あなたはそれが絶対できるのですから。あの時の思いを思い出せばよいのです。あの時、レムリアの人びとに神の愛を、芸術を通して表現することを呼びかけていたあの時代を。自由に、人びとがのびのびと明るく、それぞれの個性に応じ神の光を放射していた、芸術作品をそれぞれが自分たちの専門においてつくり、そして、表現することでーー。
(間)

マヌ: お気になさらなくていいんですよ。私は何度でも参ります。昨日からずっと待っているんですからね。レザンチーヌ、私はあなたとレムリアのとき、ともに芸術を通して人びとを教化すること、それを使命とした者です。

先日、聖クザーヌス、マイトレーヤー大如来が来て、あなたのことをたいへん激励しておられたので、私もぜひ、あなたを励ましに行こうと思って昨日から参上しているのです。

あなたらしくないですね、今回のその態度は。どうしたのですか? いつも強気で、いつも誰よりも行動力のあるあなたではないですか。少々のことで、あなたは引くような人ではないはずです。

私のことを若々しく不思議に思うのですか?私は気持ちが若いので、こちらでも若者の姿でいつも歩いているのです。ほかの九次元の方たちとちょっと違うかも知れません。

私はとても自由を愛しています。芸術を通して、人びとに感性で悟りを説く、そのようなことを使命としているので、私はいつも自由で柔軟な発想でいたいと思っているのですから。

あなたはレムリアの時の記憶が、ほとんどないように思うのですけれども、先日は、アトランティスの時のことを思い出してきたようですね。レムリアの時も、いや、レムリアの時のほうが、ギリシャの時のあなたの過去世に最も近かったのかも知れません。

ゼウスとしてお生まれになったエレマリアとともに、私もマルガリッタとして、芸術を通して、人びとに悟りの段階を説いた者なのです。レムリアの時代は、人びとがとても自由な、とても精神的な、感性の文明というものを築き上げる、そういう個性をもった文明でした。ある意味で、とても明るく、人びとは、それぞれの得意分野とするところに所属して、精一杯、社会に発言していく、光らせていく、そのようなものだったと思います。私はその気風をとても愛していたのですけれども、一方において、そこはそこでまた、反作用があったのですね。

今回、あなた方が芸術を通して、今回の神の言葉を伝えていく、芸術をオブラートに使うというその発想を、私は上で見守らせていただきました。そして、いくつかのインスピレーションというものを、あなたに与えたものなのです。神の言葉を芸術というものにのせて、多くの大衆布教に使うということは
何も今回のギリシャの光の芸術ということだけが、初めてということではないのですよ。

ある意味で、知性の文明であったアトランティスよりは、感性の文明であったレムリアのほうが、とてもそれに近いのだと思います。私は芸術を通して神の言葉を、神の愛を光にのせて伝えるということは
とても理にかなっているし、今はオブラートに包むという意味では、適しているのではないかなと思うのです。

だから、もし、あなたがこれから、今ふたたび、レムリアの時のような布教の仕方をするのであるならば、私は喜んで力を貸そうと思って、早速、飛んで来たのです。

確かに、私が抱えているのは、民族問題とか、そのような人種間のいろいろな物事の調停役みたいなものも多いです。しかし、本来は芸術を通して神々の言葉を伝えていく、そのような個性も持っているのですよ。

お父上のゼウス様とも昔から、それこそゼウス神である前から、私たちは、ともにチームを組んでやってきた者なのです。その時、あなたもご一緒だったのだということ、覚えておいてください、というより思い出してください。

2.元気の出る神への道があっていい

とても懐かしいですね。
私はあまり今回の文明では、大きな任は受けませんでしたので、ほかの方がたがやられるのを補助しながら、脇で見守ってきたのです。けれども、確かにいろいろな困難なことがあるのですけれど、今は陰ながら助力している立場の者として、何かお役に立てたらと思います。と言うより、あなたはもっとレムリアの時代のことを思い出すべきです。

あの時、どうやって芸術の中に、人びとに、神の愛や光を、理屈ではなく、感じさせることができたか。そのことをあなたは、その大衆に対するコンタクトの仕方を思い出せば、この芸術を通して、人びとをもう一度、集めていくということ、そのことがとても簡単にできるようになると思います。

すみません。あなたの言葉が私の持っている言葉とちょっと違うので、思いと違うので、言葉につまずきが出ているように思いますが、私もすぐ慣れます。日本語を使って、こういうふうに出るのは初めてですが、何とか、思いは伝わっていますね。うん。
体の調子はいかがなのでしょうか? 先程見ていましたけれど、なかなか、(霊言を)とるのはたいへんですね。この子は〇〇ちゃんですか。

アマーリエ: そうです。

マヌ: 小さな子どもはすぐ泣いてきます。お母さんが何より大切です。あなたはあの子どもたちの世話を見ながら、家の切り盛りをしながら、このようなたいへんな任を負わなくてはならないのですから、ほんとうにご苦労な、たいへんなことだと思っております。

今、そういうことをやってくれる爺やたちもいないのでしょう。もともと、あんまり得意ではなかったですからね。

そうですか、ハハハ。人には、それぞれ得意、不得意というものがあるんですよ。いいじゃないですか。今世、大いに勉強してきてください。なかなか、料理ひとつにしたって、やったことないでしょう。
掃除も洗濯も、初めての修行でしょう。霊言をとるのも忘れずに。でも、一生懸命、学んでパーニャパラミタに入れてください。

私はね、明るい人びとが幸せに満ちた、そういう爽やかな世の中をつくっていくのがとても好きなんです。神の愛というものは、神の悟りというものは、そんなジメジメしたものではないし、もっと生気をはらんで、ともにみんなで幸せを分かち合っていく、そういう元気の出るエネルギー、そういうものが神の悟りとしてあってもいいのではないかと、常々、ゼウス神とも言っているのですよ。

元気の出る悟り、元気の出る神への道、元気の段階論、そういうものがあってもよいのではないですかね。みんな辛気臭く、学問臭く、頭でっかちになると、思わぬ罠があるものですよ。

3.レムリア時代のことを思い出してほしい

確かに、享楽的なものに流れるのはよくないかも知れません。レムリアの時も、人びとは芸術に没頭するがあまり、その市民生活においての生産行為を植民地の人びとに押しつけ、自分たちだけがその道に勤しみました。そのような歪み、そのような反動がレムリア大陸を一瞬にして水没させた、そういう反作用を生んだのも事実なのです。でも、心がけにおいて、レムリアの人たちが今日ほど自己本位であったかというと、そんなに心が曇っていたわけではないし、邪悪なものも出ていなかったのです。

人びとは美しいものを愛しました。至高なるものを音楽に、芸術に、さまざまなものに乗せて、素晴らしい技術を誇りながら神への道を目指したのです。そこには唯物的な思想もなく、けっして悪魔的な思想というのもなかったのです。

ただ、その生活を追求しすぎるがために、具体的な生活行為、生活の精進というものを度外視してしまった。それがほかの方がたの犠牲を生んでしまった。その方がたの恨みや苦しさを招いてしまった罪があったのです。けっしてそんな唯物思想でもなかったですよ。

美とか、真実とか、音楽とかによる芸術的な至高のものというのは、ある意味で、目に見えぬ幸福感というものを追求しますので、そして、芸術の究極には神があるということ、天上の美があるということ
それを人びとはよく知っていたのです。まあ、おおらかと言えばおおらか、享楽的に見えると言えば、そうだったのかも知れません。

しかし、その部分をぜひ、今回の文明にも、一部でも残したいと思って、ゼウス神は地上に出られたとき、その明るくおおらかなギリシャという場所に、レムリアの一部を映し出したのです。そう、ギリシャの時のあの明るさを、人間自体が、神がおつくりになった賜物であるのだから、その我々、神の子である人間を賛美し、受け入れ、そして、より素晴らしい形で神を崇めていこう。

自分たちも芸術を通して神のもとへと近づけるような、そういう素晴らしい人間として、人間神の子になろう。そのような思想を、今回の文明の中でも残しておく必要性を、ゼウス神はとても考えておられたのです。それで早い時期に、その核となるギリシャ文明というのをおつくりになったのです。その時に、レムリアを代表して、あなたがそばに出て行ったではないですか。

レムリアの時代のことを思い出してください。思い出せば、必ずや今回のあなたのお仕事にも役に立つことでしょう。

あのAさんという人も、ともにつくったものです。その時の仲間が随分と出ているのですよね。今回は、しかし、彼らの多くは、今あなたの近くにはいないのですね。あの林田という画家もそうです。彼はギリシャの時に出る前に、レムリアの時に、たいへん力のある方でした。絵画だけでなく、彫刻、建築、そのようなものに対しても、ひじょうに美意識が強かった。そこに神の光を強烈に宿すことのできる、ひじょうに優れた芸術家であったのです。

その時の転生は、レムリアからギリシャに出、そして、また久し振りに日本に出たときに、芸術家としての横顔を持って、法を説く者として現れたのですね。私は彼のことを、とっても懐かしく思って見ています。どうか、芸術を光にのせて、今回の最後の、この仕上げをしていくということは、私はとても賛成です。

ちょっと、仏陀の法は重すぎますからね。仏陀の法はとても頭のいい人たちの法です。まあ、今回、九次元が出て、大事なこの三部作をつくっていくということは大事業です。たいへんな大事業でした。もう、そこに関しては成功しているのです。エル・カンタラーでなければ、あの智慧は、あのような素晴らしい神理知識ということは降ろすことはできないのです。あなたのような者では、とてもエル・カンタラーのような、あのような素晴らしい神理知識ということは降ろせないのですから。

アマーリエ: その通りです。

マヌ: まあ、でも、あなたには、あなたにしか出せないものがあるんですよ。
逆に我々は、感性を大切にした、そういう法を説くことができるのです。よいではないですか。理屈や知識が、ものすごく込み入った悟りとかは、それ専門の方がいるのですから。おおらかに、最後、できる限りのことをしてらっしゃいよ。私も及ばずながら、脇から応援させていただきます。

これから芸術家として、まだまだ仕込みが足りないように思いますね。この間のAさんの絵も、私は見ていましたが、ずいぶん良くなってきました。でも、まだまだ光が足りない。もっともっと、多くの光を盛り込まなくてはいけない。ほかの人に対して光を与えていきたいという愛が足りないんだ。

もっともっと、多くの方がたに、この絵からでる光によって、人びとを変えていくのだという、その強い、見る方がたに対する強い愛があれば、あの絵はもっと変わっていくのです。奥行が出ていくのです。内在する光も増えていくのです。これからもっと別な指導霊も送りましょう。絵を描きたくて、光の絵を描きたくて、力を持っている者が、うずうず、たくさんいるのですから。いや、楽しみなことになってきました。

4.私は今、うれしくて楽しくてしょうがない

今回の文明で最後、こんなふうになってくるとは、ちょっと正直、思っていなかったですよ。
光の系術、前回の「〇〇〇〇の〇」、素敵なそのような風を、あなた方が巻き起こすということを信じていたのですけれども、もうあの段階で、既にK会のORの動きは、もう救い難いものになっているということを、我々は知っていました。でも、これから先、また、あなた方がやることとして、ここでひとつ、のろしをあげておかなくてはいけないという意味もありましたので、〇〇美術館までの動きを指導してきたのです。

本体がああなってしまった以上、あなた方の動きが一時中断されるのは、無理からぬことなのです。でも、やったことは無駄ではなかったでしょう。あの時の経験があるから、今あなたはそれをやれる。その動きを、芸術の光にもせて、また神の知識を、神理を、光を広げていこうというふうに考えることができるのですからね。

アマーリエ: なんか、とても九次元の方とは思えないような、出で立ちとご発言ですけど、爽やかな方なのですね、マヌ様は。

マヌ: そうですか。私は今、うれしくて、楽しくてしょうがないのですよ。このような場面がまわってくるとは、私も思ってなかったし。でも最後、これでひと花、咲かせようではないかね、レザンチーヌ。あの時代の我々のやった仕事の一端でも、少しでも神のお役に立てて、人びとに芸術を通しての愛の光を振りまくことができたのなら、それは最高に素敵なことだと思うよ。

いつも、いつも我々指導霊が、そんなに辛気くさい顔をして、難しい顔をしているって、誰が決めたのかな。君だって、いつもそんなに難しい顔ばかりした指導霊から、通信受けてばっかりいるのは楽しいですか? 楽しくないでしょう。いいじゃないか、愉快に楽しくやろう。同じ仕事をするなら、心から喜びを持って、楽しくやろうよ。

私が現代の、今の日本の状態、世界の芸術の流れを見ていて、それなりに水準が高くはなっているけれども、神の愛を含んだ神理というものを、それを表現するという意味においては、今回の文明はまだまだ劣っているなと、つくづく思います。

知的な意味においては、確かに優れているかも知れないけれど、科学とか、そういうものが、確かにレムリアの時よりは、部分的に突出しているところがあるんだけれど、レムリアの時のあの感性豊かな、芸術性の豊かな、そして、とてもソフィスティケイト、洗練された動きというのが、文明というのがないよね。

だから、今回の文明、最後にひと味、ちょっとレムリアのような味付けをして、最後迎えてみませんか。そのような光を、愛の光をつけていくならば、今回の文明も、このような失敗もあったけれども、このような思わぬ結果が出たという、そういうふうにもっていくというのは、あなたの得意とするところでしょう。

5.知性の時代の最後に芸術的な色づけを

まさか、自分が中心に立つとは、今回、そのような可能性はあるとは思いつつ、言われつつ、まさか自分の出番が来るとは、あなた自身も思っていなかったということですよね。でも、その「まさか」が起きてしまった。それもまた、ひとつの神理なのです。真実なのです。

だからその、今回のチャンスをそんな悲痛な顔しないで。こんな、できないとか、やれないとか、あなた、いつまでも自分をいじめているんですか。もう少し自分を信じて、皆さんもおっしゃっているとは思うんだけれども、もっともっと、自分に自信を持って、このチャンスを楽しんで仕事をしましょう。

そんな悲痛な思いを持たなくていいのです。仕事は本来、楽しく、愉快にやるものですよ。失敗したら、また、ほかの人がやってくれますから。あなたがそうやってズッコケれば、落ちてしまうことがあったとしても、また天上界が性懲りもなく、別な人を立てますから、ご心配なくやればいいのです。

わかりますか。そうやって我々は、いつも文明を見守ってきたことでしょう。どれだけいろんな個性ある文明をつくってきたことでしょう。

九次元の中でもいろいろな人がチームを組むことにより、その時、その時の文明の色彩、個性が変わるのです。今回の文明と前回のアトランティスは知性の時代です。科学の時代です。ですから、ひじょうに知的な、理性的なもの、科学的なものが優位を占めて、そこに神の光が悟りを降ろしていた時代なのです。

しかし、最後に芸術的な色づけをすることで、ぐっと、この文明自体の個性も変わることでしょう。その後に孔子という、実に重々しい方が控えているのです。

女神たちが頑張る時代なのですから、明るく楽しく、ギリシャ的なるものを表現し、そして、つなぎとすればよろしいじゃないのでしょうかね。

あなた、自分の時代、レムリアの時代のことを思い出せないって不安になっていますよね。もし、思い出したいのであれば、レムリア、レムリアと、ずっと思っていてください。必ずやその時代に扉が開きます。
(間)

たいへんですね。子どもたちが五人もいると、次から次へといろんな子どもたちが出てきて、確かにこれでは霊言とるのはたいへんだわ。昔のように、神殿に額ずいて神を降ろすなんて、そんな余裕はないですね、確かに。

アマーリエ: すいません、こんなかっこうで。

マヌ: いいですよ。あなたは楽な形で、楽なポーズでいてください。私はそういうことにやかましい者ではありません。

今、中東のほうもとても忙しくって、ますます物騒な時代になってきていますので、私も少し頑張らねばいけないと思っているのです。民族紛争というところも、私の持ち場ですのでね。

今、中東のほうもとても忙しくって、ますます物騒な時代になってきていますので、私も少し頑張らねばいけないと思っているのです。民族紛争というところも、私の持ち場ですのでね。

しかし、とにかく私も応援しているんだということ。聖クザーヌスだけではなくて、マイトレーヤーだけではなくて、私もあなたを応援しているんだということを伝えたくて来たのです。

そして、歴史の影に隠れた、九次元という者たちが、どのような個性を持っているか。どうやら私とか、何人かは『太陽の法』とか、『黄金の法』の中で、あんまり紹介されていませんよね。まあ、今回は、出番ではなかったので、歴史の裏側というか、裏の神の様子も、裏と言ってもけっして裏ではないのですけどね。今回、主流ではない神々の姿も、あなた方に通信しようかなと思っています。

現状の人数では足りないですね。もう少し、お手伝いしてくださる人たちが集まってくれることを願います。ただ、一度にどっと入って来ると、あなた自体の中に光が多くないと、彼らを説得するだけのものは出ないと思います。

アトランティスが理解できたら、レムリアの時代のことも、どういうものなのか、波動として、あなたの体の中で思い出してみてください。レムリアは、とても遠いけれど、でも、私にとっては、とても懐かしい、懐かしい思い出なのです。あなたとともに戦い、あなたとともに神の愛を伝えた、人びとを導いた、そういう過去世があるのですから。

アマーリエ: 家族でした?

マヌ: 家族です。家族ですよ、思い出せます。もうすぐ出ますよ。レムリアの時の記憶がもうすぐあなたの中から出てきます。その時、あなたが私の何だったのか、はっきり出てきます。

アマーリエ: レザンチーヌ、レザンチーヌ?

マヌ: かつてのレムリアの時のことを思い出してごらん。あの時、あなたが何をしていたのか、思い出してごらん。

人びとがどんな熱気を持って、神を目指し精進し、神へ、神のもとへたどり着くために競い合っていたか。あの熱気を思い出してごらん。
明るく、底抜けに楽しかった、あの時代。あなたは何と人びとに言われていた?
その時、あなたはやはり、神からの言葉を預かっていた、神の言葉を降ろしていたでしょう?
(間)

アマーリエ: すいません、今回、とても感度が悪くて。

マヌ: 心配しないで大丈夫です。今の段階でもずいぶん、数年前よりも進歩してきているんですから。というよりは、本来の感度に戻していくだけなんですよ。
かっての記憶の扉を開いてごらん。我々とどんなに楽しい時を過ごしていたか。
(間)

アマーリエ: あなたは、あなたと、私の?
(間)
思い出せない。もう少しで出そうなのに。思い出せない。

bottom of page