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Project Eden

日本武尊(やまとたけるのみこと)

日本武尊こと小碓命は、景行天皇の皇子とされる人物である。景行天皇(天駆之命)は大日之命の子であり、その大日之命の姉が日向である。そして、日本武尊の妻が、貞女として日本女性の鑑と頌される弟橘媛である。
時代的には3世紀の終わりから4世紀の初めにかけて実在した人物である。
古事記および日本書紀では英雄として登場し、常に戦いの中にその身をおき、神の意思をこの地上に打ち建て、具現化させるために活躍した。日本神道における国づくりの一柱であり、如来界の高級神霊であるが、裏神道であるとされる。
その使命は、日本を魔より護り、神の和する心の中におき、そして神の力を、この地上に具現せしめることであるとされる。
第三の計画においては、さらに、日本より世界に向けて神の意思を伝え、地球すべてを神の国にするという、大いなる使命を担っている。

第2章 日本武尊:大和の国を神の光のたいまつとせよ

1.神の光を伝えるのに妥協するな

2.感謝をもって使命を果たされよ

3.この国土を神の光のたいまつとせよ

4.最終ユートピアへ至る羅針盤

5.これから浄化の時がはじまる

1.神の光を伝えるのに妥協するな

~ アマーリエ: 栗山さん、柏手やるんだったら今、やってください。
(柏手)
アマーリエ: 何か、お聞きになりたいことがありましたら、おっしゃってください。もういらっしゃってます。

大島: 現在の、これからの日本、どう推移していきますでしょうか。また、わたくしたちは何をなすべきなのでしょうか。お願いをします。

アマーリエ: どんどん、次、言ってください。皆さん。
大島: 質問のある方は、どうぞ。
小林: 今の日本っていう国は、将来、進むべき道に関して、ひじょうに迷っている状況にあるかと思います。ずっと平和国家というものを目指してきたかと思うのですが、一方で、なかなかそれだけでは済まない、国際的な中での立場というのもあるかと思います。これから日本の進むべき方向を教えていただければ幸いです、よろしくお願いいたします。

アマーリエ: ほかに質問ありませんか。思いを持っている者はどうぞ言ってください。
栗山: これから到来すると言われている、動乱期の建て直しについて、お言葉をお願いします。
アマーリエ: よろしいでしょうか、皆さん。 ~

日本武尊: 大和武です。今日はこのような場所にわたくしが招霊されましたこと、心より感謝申し上げます。
我が使命は、我が愛するこの大和の国土をまとめ上げ、この神の国、この大和の国、日本より世界に向け、神の御意思を伝え、地球すべてを神の国にすること。そのことのために我が使命はあり、我が日本神道の使命もあると理解しております。

そなたたちはこの大和の地におき、生を受け、そして、このような神々の偉大なる使命の中におき、今日、集められた力ある方がたと見受けられる。この世の立て直しのときに、そなた方が力を込めてこの今の日本を救い、この世界を救っていく。そのそなた方の使命ありてこそ、我らが使命があるということ。そのことをつくづく心に落とされ、今の使命を果たされよ。

我が使命はこの国を魔より護り、神の御意思の法のもと、神の和する心の中におき、神の御力をこの地上に具現せしめること。
ときにより魔よりの妨害あり、魔による混乱あり。常にその中におき人間界は撹乱されてきた。しかし、我が使命はその魔との戦いの中におき、政治的にこの国土の安全を守ることにより、天照大神、天之御中主といわれる方がたが預かる法というものをこの国土に具現せしめ、実現させていくこと、表現していくこと、神の光をただひたすらにこの地上に現しめること。そのことをもって我が使命となしている。

法が説かれるとき、きれい事だけでは済まされぬ。常に魔よりのすくう手が差し伸べられ、我々の足をすくわんがためのさまざまな罠が仕掛けられる。しかしその時に、そなたたちは怯んではいけない。

わたくしもかつてそのようなことがあった。そのときにこそ国土を護り、この国土を、この大和の地を神の法、光一元にしていくために、光のもとに照らしめるために我はその使命を果たした。

きれい事ばかりではない。魔との戦いの中におき、時には魔と刃を刺し違え、人びとを時には打ち倒しながら進まねばならぬときもある。常に平和の中に、常に人びとを害することなく、と我も願うけれども、時には人びとを殺め、人びとを倒しながら進まねばならぬこともある。

そのような悲しさを胸に秘め、我はこの国土をまとめ上げていった。その我の悲しさ、我がその神の使命の中におき、果たさねばならぬ役割というものの中におき、そなたたちレムリアが今闘っている姿を見るにつけ、熱い思いでそなたたちを見ている。

きれい事ばかりでは済まされぬ。時に我らが裏神道、我らの守護警備をする者たちの力を借りてでも、法を守らねばならぬときがある。そして、神の光をこの世に具現せしめるがために、人びとに魔との戦いをもってこの道を切り開かねばならぬときもある。そのようなことを思い、そなたたちは戦うことをためらうな。時には剣を抜くことをためらうなということを、我が言葉として伝えたい。

あまりにも人びとを傷つけることを恐れるがあまり、魔のなすがままになって、神の光を伝えることを恐れてはいけない。妥協してはならぬ。神の法というものは、神の正義というものは、けっして妥協の産物ではない。妥協してはならぬ。ただただ神の光を信じ、その光を現しむることに命をかけて進んでいただきたい。

そなたたちがこの大和の地に生を受け、この地におき、日本人としてその生を受けたのであるならば、この大和の意気込みというもの、神の光こそすべてであり、信仰こそすべてであり、魔などというものは光のもとには影のようなものであり、光こそすべてであり、神の法こそすべてであるという、強い、強い信条を持ち、そなたたちがこの地上におき、それを具現させるために命をかけねばならぬ。

たとえ光とてこの地上におき、そなたたちの活動ありてこそ、我々の言葉も本になり、形をもつ。光というものは、ただ光だけで存在するものではなく、光が地上に照射され、映し出され、その映し出されたその形をもって、この地上に神の御姿として人びとに示される。そのことをもって、そなたたち、光の使徒たちの仕事があるのだと思いなさい。

地上において何をなせたか。神のために何をなせたか。この日本の地におき、この世界に向けて何をなせたかということ。そのことだけをもって、そなたたちがこの天上界に帰って来られるのだということ。そのことを心に肝に銘じ、そなたたちは仕事をしなさい。それ以外の仕事はただ地上の糧であったり、個人個人の修行の希望であったり、欲であったり、欲とは申さぬがその職業を通して、そなたたちの個性を発現するものであるが、今、神々の興された計画の中における、この神理の光を地上に映し出すという仕事以上の仕事が、この今の日本において、この今の時においてあり得るであろうか。

そのことをよくよく考えなさい。個人個人の修行も大切である。おろそかにしてはならない。
しかし、この地上の修行以上に今、神の使徒として、神の手足として、神の道具としてそなたたちが今、やれることがあるのである。

そして、それがやれるような立場にあり、そのような者たちであるから、この椅子に座ることが許されているということ。我らが霊言を聴くことをそなたたちが許されているという、その幸せの中にそなたたちがあるということを、どうかどうか、深く心にとめていただきたい。

2.感謝をもって使命を果たされよ

我が言葉は、我がこの地上におき、我が言霊として、そなたたちに直接伝えていかれる、そのようなことは今まで、かつてなかったことである。

我はこの地上に出て、常に戦いながら、神の御意思というものを地上に打ち建てるために、具現化させるために、その使命を、命をかけて生きてきたものである。今そう思うのであるのならば、そなたたちは我と同じこと。命がけをもって魔との戦いの中におき、そなたたちの仕事を、命をかけて果たされよ。

その使命を果たされよ。それを神々から任されたということを、無上の幸せとして、そなたたちの魂に刻まれよ。

そのような使命を果たされる者たちは、この何十億といる、この地球の民たちの中でそなたたちにのみ許されていること。我が言葉を、我が言葉として今、肉を持ちながらこの地上におき聴けるという、その幸せをそなたたちはもっと、もっと深く感じなくてはならぬ。そのようなことが腑に落ちなければ、かつて去っていった者たちのような目に遭う。

最初、彼らでも、我らが神々の世界から来る者たちの言葉を聴いて、涙を流し感動していたのである。そのうち、聴くうちにその心が麻痺し、当たり前になり、ああだ、こうだと注文をつけるようになり、神に向かって注文をつけるようになっていたのである。自分の力に自惚れが生じたのである。

自分たちがどのように偉大な場に、偉大な場所に、そして、神より与えられた素晴らしいこのようなチャンスに今、居合わせ、生きてこの席に座ることを許されているかという、神に対する感謝が足りぬからそのようなことになるのである。

いくら座りたかったと、戻りたかったと言っても、一度神の法に触れ、弾かれた者たちにおいては、二度と座ることは許されぬ。それは我々の世界から見たら当たり前なのである。しかし、当然の権利であるかのように、彼らは愚かにも騒ぎ立てている。

かつてわたくしも、一度はあまりに、先ほどから話していたように、ある者を通して、一度、喧嘩の仲裁のように自動書記を通して伝えたことがある。それは本人たちがあまりにも見苦しい喧嘩をしたらばこそ、このレムリアのために力を貸させたいと思ったがゆえに、わずかの言葉を伝えたことがある。

しかし、このように力がこもり、このような波動の中で伝えたものではないであろう。それをもって自惚れ、それをもって自分が我と通じたと思うような、そのような愚かな、愚かなところの中で、まるで自分が天地をつなぐパイプのように思って、人びとに対して悪しき言葉を垂れ流している。そのような者たちがどのようなことになるか、あの者たちはその恐ろしさを知らぬから、あのようなことがしていられる。

そして、そのように神に向かって歯向かう者たちが、どのような立場にある者に指導を受けているかということを、本人たちは知らねばならぬ。我らが怒りというものは、我らが天より下る怒りというものが、どのようなものであるかを知っている者は、けっして神に対してあのような言葉は吐かぬ。

本人たちは自分たちの言葉こそすべてと思ってやっているであろうが、我らから見たらば、憐れむべきこと。
もう、どうであろうか、我が言葉を伝えられるか。我が言葉をもう一度、受信できるか。そして、その受信したその原因が何であったか、おのれたちが醜く争う結果の仲裁であったということが、わからぬのであるのならば、自分の心をよくよく反省し、心の垢を拭い去ること以外に彼らが救われる道はない。

霊道を開くということ、神の言霊を預かるという使命にある者が、そうそう簡単に、あちらこちらにもあるわけではない。そんなことぐらいわからずして、どうしてレムリアにいられたのか、わたくしには理解できぬ。

そなたたちも、よくよく心に覚えておきなさい。
今、この場に座ることができ、わたくしがこのような言葉を伝えていられるということ。そのような奇蹟的なこのチャンスの中で、そなたたちが言葉を聴くことができるということ。その感謝というもの、そして、その使命を今受けられる立場にいられるということ。そなたたちにおいても、さまざまな仕事を通し、たいへんな時間の中で、たいへんな苦労の中で今、仕事をしてくれる、無償の行為の中でしてくださっていることを我は知っている。

しかし、そのようなことの中で、いつの間にか、してやっているというような気持ちを持たぬように。させていただいていると、神の仕事を授かっているということ。使命の一端を担っていることが、自らの人生、自らの転生、永遠の命の中において、いかに幸せであるかということ。その感覚と、その感謝というもの、そのことをくれぐれも忘れないように。我はそなたたちに言い置いておく。

3.この国土を神の光のたいまつとせよ

それと、もうひとつ気づいていただきたい。我が国土、この大和の地におき、法を発信するということ。光を世界に向けて発信していくという、灯台なりし、たいまつのような国土となってくるということ。その御約束が上位の神々より約束され、そのために我らはこの地を預かり、長いこと和をもって、この国を神の国にするために長年、努力してきた。

しかし、その使命を今や果たすべき時がきた。この地をもって、神の言霊を、神の法のすべてをこの国よりたいまつのごとく発信していく。そのような使命がこの大和の国、日本にはあるのだということ。そのため、そのことの中において、これから日本が世界をリードしていく国土になるために、すべて神の計画があったということ。

そのことを思うのであるならば、先ほど質問された方よ、よく自分で考えなさい。あなた方がこれからどのような立場になるのか。日本がこれから世界をリードしていくためには、それは単なる政治機構とか、もう経済ということでは終わったはずであろう。「経済がーー」、と言うのであるのならば、もう十分、先進諸国の仲間入りをしたのである。経済だけで人の幸せが買えると思うな。
金だけで人びとの幸せが買えると思うな。そのようなものだけで人びとの幸せはない。

ただただ幸せとは、神の子であるということ。神の国土の一員として、神の子として、いかに愛深き人生を送ることができるか。そのために、いかに神のために、神の子としての使命を果たして、この国土を光の場として光の磁場となさんがために、自らを光り輝かせ、人生を終えていくことができるか。それをもって幸せという。それをもって「我が人生幸せであり、成功した」と言えるのである。

その神の子としての自覚、それはけっして経済や政治体制だけではない。政治体制や経済が貧困であれば、人びとの幸せはないかも知れない。抑圧されるかも知れない。しかし、どんなに経済的に満たされない国に生きている者たちでも、明るく天真爛漫、幸せに生きている国の者たちがいるではないであろうか。

それに比べて今日の日本はどうであろうか。先進諸国の仲間入りをし、世界をリードする国の仲間入りをし、経済的にも物質的にも恵まれ、高等教育を受けたにも関わらず、人びとの間には殺人や多くの不幸な出来事が、多々発生しているのではないであろうか。そのことを思った時に、人びとよ、幸せは何であるかということの原点を考えねばならぬ。

人間というものは神の子であるということ。永遠の転生の中に命を持っているということ。そして、神の子である、神に近き、愛深き者こそ、真に素晴らしい人生を全うできる、真の価値観を持った者であるということに、もう気づかねばならぬ。

神の子というのは自然の中、この地球を彩るすべて自然界、動物界、植物界、すべて一切のものをいう。その者たちと相和し、人びとの、それぞれが尊重し合い、自らの人生を神につくられたという感謝の念を持ち、自らの命を光らしめたときに、人びとの幸せをもって祈ったときに、自らの人生は、自らの光は最大限に光を発し、人びとを幸せにしながら、お互いに喜び合いながら、この地球を光の根源とし、渦とし、この地球を愛の星として光の中に包みたもう。

そのことをもって、我らが光一元という神の愛の星として、我らが神の子としてあるのならば、すべて一切のものが神の子であるのであるのならば、光しかないであろうと。

闇などは、悪などは、先に対抗するものではないのである。ただ足を引っかけ、道を行こうとする時に邪魔をする輩にすぎぬということ。その者たちをもっておいてすら、神の子であるということ。

そのことを思うのならば、人びとが本来神の子であるということに立ち返っていくことをもって、この地球を、この大和の地を光の磁場とし、光の星としていくことがかなってくるのである。

どうか、あなたたちにも伝えておく。
どうか、この今天上界から降りている神々の言葉を、光の言葉を多くの人びとに伝えてあげてほしい。いかに経済的な機構、憲法や多くのシステムを変えてみたところで、他の霊人方もおっしゃられているであろうが、自らが神の子であるということ、愛の化身であるということを理解しなくては、いかなる体制を持っても、いかなる富を持ってきても、いかなる権力を持ってきても、人は幸せにはなれぬ。

幸せになるところにおいてこそ、人びとは真の価値観を見いだし、そして、互いに自らを認め合い、自らの神性を悟り、そして、互いに愛し合う原点に立ち返るのである。その時にこそ、ほんとうの相和するという、和というものが生まれ、人びとが平和に仲良く暮らしていける。そういう国が誕生するのである。

我らはそれを願い、光の国になるために、この国を神の国とするために、長いこと指導してきた。そのことをもって、天照大神も天之御中主之大神も、みんな日本神道の者たちはそのもとに一致団結し、今日をつくり上げてきた。

最初、この大和の地を平定する時にも、たいへんな苦労があった。ときには悲しいこともあった。しかし、それを乗り越えながら、我はその使命を果たした。そして、数千年たち、そなたたちのまた使命がきた。

この我が国土を、神の光の奔流として、神の光のたいまつの国家として、世界中に神の光を発信するべきその使命をもって、この国土を光らしめるがために、そなたたちはこの地上に生を受けたのである。
その使命を受けたのであるということを考え、どうかそなたたちはこの使命を果たしていただきたい。

そなたたちがこのレムリアで果たされる使命、今回の使命をもって、今回の計画が成功したかどうかの結果が出る。そなたたちが失敗すれば、この計画は、この地上での計画は失敗となる。次の世代の者たちが出ていても、その者たちにたいまつが届かねば、そして、我らが言葉を法の神髄として、地上に現せしめることができないのであるならば、この計画は失敗となる。
それほどの、そなたたちには大きな使命があるということ。

そのことを思ったのであるならば、甘えたことは言っていられないはずである。そのために我らの力、そして、我らが裏神道の者たち、各国の警備の者たちが魔からそなたたちを護るために来ている。

気づかぬであろう。そなたたちがいかに護られているかということを、気づかぬであろう。しかし、我らはそなたたちを日々、守護している。守護しておっても、そなたたちの心が下に向いてしまったのならば、どれだけ警告を発しても耳を貸さないのであるのならば、そなたたちを守護することはかなわぬ。それは我々の力とかいうことではなく、それが宇宙を貫いた法、そのものの一貫であるから。

波長同通である。違うものに心を寄せている者に、我らが言葉は通じぬ。神に向けて、ただひたすらに思いを通じている者だけが、我らが言葉を、我らが守護を、我らが愛を受け取ることができるということを、そなたたちも肝に銘ぜよ。

4.最終ユートピアへ至る羅針盤

これから先、さまざまな苦難があるであろう。混乱があるであろう。足をすくわれることがあるであろう。
でも、謙虚に、ひたすら謙虚に神の前に額ずくことをもって、そなた方の使命となされよ。いかなる苦難があろうとも、心を開き、互いに知恵を出し合い、一人でできなくてもみんながともに知恵を出し合えば、そなたたちの知恵は倍増して素晴らしい叡智となろう。その指導をもって我々は大いなるアドバイスを、天上界からそなたたちに降ろすことができるのである。

何も努力しない者に神の知恵は授からぬ。何も努力をせず、自ら道を切り開こうと思わぬ者に、神の救いの手は差し伸べられぬ。そのことを思い浮かべられよ。そなたたちの心の中に、少しでも迷いがあってはならぬ。そなたたちの思いの中で、人びとが互いに救い合う道を見いだすことはできぬ。

だからそなたたちよ。どうか自らの使命に微動たりとも、少したりとも疑いを持つことなく、この使命の中にまい進されよ。我が言葉をこの大和の国土に伝えよ。我がこの指導が降りているということを、高天原より数々の日本神道の神々が今、この地上に降りて来ているということを声を大にして伝えよ。

そして、我が国土をもう一度、光の国土とし、神の国としての使命を果たす、そのような役割を今日の中におき、果たす手助けをしていただきたい。そのために我らは長いこと、この国土を整えてきた。

先日、明治維新の者たちも出ていたと思う。すべてが、すべてがこの日本という、この大和の土地を通して、世界中に向けて、この地球というものを最終的ユートピアに、最終仏国土と呼ばれている、この神の国に戻すがための大いなる神の計画の一貫の中の、最終的なクライマックスにある今の時であるということ。その担い手であるのはそなたたちであるということを、どうか心に留め置き、最大限の力を発揮していただきたい。

辛いことも多いかも知れない。傷つくことも多いかも知れない。経済的にたいへんであったり、時間的にも体力的にもたいへんなことがあるのは、この人数ではたいへんなこともわかる。しかれども、そなたたちの心根を見ていて、やはりそなたたちに来てもらって良かったと、我は今思う。そなたたちの心根を見ていて「ああ、やはり神が選ばれた方がたであった」と、やはり我は思う。

であるならば、ためらわず、疑わず、この神の白き道を歩まれよ。この光の道を歩まれよ。この女神とともに。そなたたちの行き先を示す方である。そのような方が出ているときに、指し示すところを、道を、方向を疑うな。

普通の凡人にはわからぬことがある。神の指し示される道の、先の意味がわからぬときもある。

でも信じよ。信じて、みんなで力を合わせ、ともに手を携え合え。そして、この大いなる計画を無事に果たして、我らが世界に帰って来られよ。偉大なる、偉大なるそなたたちの栄誉として、そなたたちの魂の中に刻まれることであろう。

そなたたちは素晴らしい人生を授かったのであると、今生、素晴らしい生き方をしたのであると、のちのち、他の人生など消し飛んでしまうほどに、今、素晴らしい瞬間に遭っているということ。そのことを感謝し、この使命を果たしていただきたい。

我らが言葉、我らが感謝、我らの愛のありったけを、そなたたちに伝えたいと思う。我が国土を光の磁場にするために、たいまつの国家としての使命を果たすために、そなたたちが今、霊言起こしと呼ばれている、テープ起こしと呼ばれているものをすることは、ひじょうに貴重な仕事である。

今、この巫女がこの言葉を、我らが言葉を地上に伝えられる間に、少しでも多くとり、それをそなたたちが手分けをし、書籍にし、残されていかれよ。その出された、神から出された御馳走を食う、食わぬは、国民一人ひとりの自由意志である。それが受け入れられぬからといって、そなたたちが悩むことも、がっかりすることもないのである。

神からの御馳走は常に国民たちに与えられている。でも、これほどの大御馳走がふるまわれることは、今世紀をもっても、今までの世紀をもってもないのである。この大御馳走を、最高の御馳走の酒宴の席に今、あずかっている、この日本の国民いや、地球に生きている全人類の中において、そなたたちは神の御馳走を料理し、用意し、差し出さねばならぬ。それを食べようと、食べなかろうと、そんなことに一切、煩ってはならぬ。ましていくら儲かるとか思ってはならぬ。

そのような御馳走を出す、そのような調理人たちであるということ。そのようなことの中で、ひたすらに料理をされよ。それでよいのである。神の国の御馳走さえ、あとに残れば、今わからなかったとしても、しばらくたってから多くの人びとは大御馳走であったということをわかって、人類の財産として、人びとは受け入れていくであろう。

その時に、そなたたちが関わったということ。そのことが大いなる魂の中における、賞賛となって刻印されるであろう。それで十分であろう。それ以外のものを求めてはならぬ。

神の仕事とはそうしてなすもの。けっして見返りや褒美を求めてはならぬ。それが足をすくわれる第一歩であるということをもって、そなたたちは無心に、無心にこの神の仕事をなされよ。使命を果たされよ。そのことを我はそなたたちに願い出で、頭を下げ、そなたたちに敬意を表して今日は帰ろう。

我が言葉は、これからはここにしか降りない。これから日本神道の神々の言葉が出るのは、我はよく知っている。
そして、我もこれから先、この国土を変えていくために、次の時代をつくらんために使命を持っている。しかし、その使命に届くためには、そなた方の仕事をもってしか、次の時代の者たちの仕事がないということ。

ただ単に、猛き者たちが出て来たといっても、神の国の言葉が、神の指針がこの地上に降りていなければ、多分、我らは羅針盤を失った、大海に臨んだ船のようになるであろう。その時に神の国の、神の言霊の、神の御計画の、何が今なされようとしているのかということを、我らに伝えてくれるために、そなたたちの使命はある。
その修正のために、そなたたちの使命がある。

レムリアこそが地球を救ったのであると、人類を救ったのであると言わしめる、ターニングポイントと呼ばれる分岐点に今、来ている。その大事な、大事な時の中に、今の今生の生を受け、今生の使命を与えられたそなた方は最高の幸せ者であるということを思って、そなたたちは自分の心に刻まれ、この地上での最後の残された日々を燃焼し、生き抜いていっていただきたい。

先日も天照大神の言葉とか、天之御中主之大神の言葉を聴かれていたであろう。普通、我々の世界に来たら、そんな簡単にあの方がたの言葉を聴けないのである。今、地上にいて、肉を持ちて、高天原よりのその言葉を聴けるそなた方は幸せ者である。

今、この地上に生を持ちし、そして、このようなうずきの中でレムリアに集いて、無償においてこの椅子に座ることを許されたそなたたちであればこそ、天照大神の言葉を聴けるのである。我が言葉も聴けるのである。

そのことを思ったのであるなら、残された人生、もう二度と分裂することなく互いに助け合い、互いに知恵を出し合い、多くの難所に足をすくわれることなく、力を合わせて乗り越えていっていただきたいと思う。

5.これから浄化の時がはじまる

何か質問はありますか。
なければ、次の方が待っておられるので私は帰りましょう。

これから多くの戦争とか、天変地異とか、多くの時代の入れ替えのための、清めの儀式のための天変地異が起きていくけれども、清めはあくまで清めにして、清らかな波動を生み出すための清めの浄化の時として、そなたたちは、ただ表面的なものだけで悲しみを胸にためるのでなく、その時を乗り越えられよ。

そのようなことをもってこそ、次の清らかなユートピアが、次の仏国上が、神の国がこの地上に映し出されるのだという、そのような嵐を越えてこそ、汚いゴミやチリが拭われるのであるということ。悪い気というものが浄化されていくのであるのだと思い、心静かにその事象が移り行くのを眺められよ。

そして、その黒い、厚い雲がモクモクと出て、ザーザー雨が降っても、それにより汚いスモッグと呼ばれているような、チリやゴミが拭われたときに、その向こうには燦々とした神の光の射し込む、素晴らしい、その神の御姿というものを映し出す、そういう国土がこの大和の地にも、地球すべてに神の愛がどこまでも隅々までも、もう二度と、そのような汚い雲にけがされることのない神の愛が、隅々まで届くようなそのような地球が現されてくるのである。そのことを思って、次の時代の幕開けをしたいと、そのように神々は思われているのである。

だから、一時のにわか雨のような、大いなる雲、大いなる嵐のようなものに惑わされず、でも、嵐がくるのであるから、そなたたちの使命をもって、その嵐の中を乗り越える指針となされよ。そしてそれが晴れたときに、その国土を、すべてを立て直していく。

それをこれから地球すべてに、その神の言葉をもって建て替えをしていく、建て替えの時がやってくるということ。そのことの夢を、希望を信じて、その仏国上が、ユートピアと呼ばれているものが、神の国の具現というものが行われる、その光の時がくるのだということを信じて、そなたたちは今の使命を果たしていただきたい。

そなたたちの使命をもってこそ、光の国が、光の国が、光の瞬間がやってくるのだということをどうか信じて、この道を歩まれることを、心よりお願い申し上げ 、今日はこれにて引き揚げようと思う。
失礼いたしました。

一同: ありがとうございました。

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