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Project Eden

天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)

古事記によれば、天地開闢の際に、高天原(わが国の霊天上界)に最初に出現した神であるとされる。
しかし、実際には、今からほぼ2,800年ほど前の現在の九州、高千穂峰に出生し、日本の国づくりのために肉体を持った八次元最上段階の如来である。つまり、日本神道においては根源神あるいは宇宙そのものと考えられてきたが、事実は人格神としての高級神霊である。
その教えは、神の愛の法則、神の光そのものを圧倒的なる信念のもとに打ちだした光一元の教えである。また、秩序と礼節を通して、この光一元という神の愛を、社会に具体的なものとして落としていくことが、紫光線の使命であるとされる。
第三の計画において、この光一元の思想が日本神道という枠をも超え、地球救済の大計画のための「日本」を取った「神道」として、世界に向けて広がっていくことを、自ら強く期待されている。

第1章1 天之御中主之神:神の光こそすべて

1.大いなる希望をこの大和の国から

2.日本は世界のへその国

3.命がけでこの計画を守っていただきたい

4.女性の法を優先させるために身を控えていた

5.人事を尽くして天命を待つ

6.神の光以外のものはすべて夢、幻、影

7.光一元とは圧倒的なる神の愛の法則、神の光そのもの

8.神の法則を伝え、具体的なものに落としていくのが柴光線の使命

9.神理知識を学び、体の中に流れているからこその使命がある

10.本来の神の法を伝えることが人びとの幸せにつながっていく

1.大いなる希望をこの大和の国から

~ アマーリエ: 磁場を整えないとお出ましにならないそう。みなさん、手を合わせて。こういう感じで、こういう感じでみなさん、おられますね。そうそう。地上もそうなってる。うん。
誰かね、わたしのね、手の動き見てて。これ、今私がやろうとしてんじゃなくて、勝手に動いてるんで。あとで残すんだったらこれ残しといて。日本神道の、あれですね。
(榊を両手で持って左右に振るようなしぐさ) ~



天之御中主之神: 天之御中主なり。今日ここに、そなたたちの前に、我が言葉を聞かす時を持てたことを、心より喜び、天に感謝するものである。

この我が国土、大和の国日本において、この救世の大事業が行われることを、そしてその計画の難航を、今そなた方が救われんがために命を張り、頑張られておられることを、我は心より喜び、感謝いたす。

この神の国、日本において、我が国土は、和をもって旨とし、その神の神意をもってこの国を治めてきた。この国土は、神の光の表現として、表れの姿としてその使命をいただき、その使命を果たしてきた。しかし、この国をもって救世の大事業の拠点とされることを、上の神から申し渡された時、我が国土をここまで預かってきた者として喜び、心打ち震えた思いであった。

そなたたちは完全な日本神道というわけではなかろうが、この地球に生まれし、みな同じ神の子であるという思いの中で、その優秀な、その徳の高さにおいて、神仏より大いなる使命を与えられた者たちとお見受けいたした。

数々の試練、数々の失敗、挫折を乗り越え、心からの決意を胸に秘め、そなたたちがこのレムリアという、この我が国土における最終救世事業に立ち会われたることを、我は心より喜び、感謝いたそう。

数々の外国の神々とも、今回の救世の事業にあたり、様々な情報を伺い、そして事情を聞いていた中で、我とて紫光線一筋というわけでもなく、紫を超えた数々の光線の神々と手を取り合い、この日本から、この大和の国を通して、この地球全体にかかる救世の大いなる希望といたす、虹をかける、夢をかけるために、我は力を尽くさんと、お誓い申し上げたものでもある。

そなたたちの使命を思うと、さぞかしたいへんな荷を背負われたと、たいへん心より同情申し上げるが、この時にこそ光一元、すべてにおいて正しいものしかないという、すべて神のものしかないという、圧倒的な信を抱かれよ。

数々の挫折を、生活を乗り越えてこられ、否定的な思いを持たれん、あなた方の心の弱さはわかるけれども、最初、本来から神の光一筋の、この地上において、人びとの迷いの想念ゆえに、悪というものがいっときの影のように現れているだけである。それは本来影にして、光のもとにあるいっときの影にして、そなたたちは、その影を押し払うべくその光を発散させ、神の大救世計画を光り渡らすことにより、そなたたちは使命を全うされ、この地球を救われよ。そのために我が国土を使われよ。

我らは天照たちとともに、この国土をそのような場に整えるがために、今までこの神の国を、神の国土を預かってきた者たちである。
そなたたちは少しもひるむことなく、我らがそなたたちの味方であるということを信じ、この日本からの救世事業を、けっして失敗させてはならぬ。
魔のようなものに心を弱くさせられ、転覆させられるような、そのようなひ弱な計画であってはならぬ。

我が神道は、この地上には、この宇宙には神の思いのみがすべてであるという、絶対的な信がある。神の光こそがすべてである。それ以外のものは迷いであり、影であるというその思いがある。

今は確かに、数々の迷える者たちがいて、そなたたちの足を引っ張り、数々のトリックがあったかもしれないけれども、第一、第二の計画の失敗をもって失敗であるとは言えないと思う。

神はそなたたちを用意された。そしてその救世の大計画により、最終的な救済事業を打ってこられたということを、我は心から感謝し、喜び、そしてこの大和の国が、またひとたび神のお役に立てるということを、心から感謝しているものである。

そなたたちの警護には、我らが日本神道でも、「裏神道」と呼ばれている者たちが立っている。
そなたたちはとても不思議に思うかもしれぬが、今まで日本神道という、この大和の国は、大和の国という中において、自己完結した、ひとつの世界を続け、その伝統を継承し、我らは一筋に、この日本という国を守るために頑張ってきた。

しかし、この事業により、数々の外国の神々との接触の中で、特にこの計画の中におき、他国の神々との接触が、情報が与えられることにより、この大和の国を本来のあるべき姿に戻そうと、やっと我々がこの神国として預かってきた場所が、ほんとうの意味でここが光の灯台として、神の言葉を世界中に知らしめるその灯台の国として、その使命を仰せつかった。そのまさに使命を果たさんが時に至ったということを、自覚しているのである。

2.日本は世界のへその国

先ほどから、明治維新の志士と言われている者たちが、今まで出てきたであろう。彼らが努力をして、今日の近代国家というものをつくってくれた。
我から思うのなら、数々の不服があるにも関わらず、やはり今日、日本というものが、世界の有数の文化レベルにおける指導国のひとつになってきたということは、彼らの助力を抜きにしては語れないものだと思っている。

しかし、我が日本神道の思いの中には、単に近代国家にするだけにはあたわず、この日本という国を通して、本来の神の御心というものをこの地上に発信していく、そのような霊的な磁場にするために、この国を預かったのであるという自負心がある。

そのことを思うのであるならば、そなたたちは、これを霊的な磁場とし、今霊的な巫女が降りられることにより、ここの国を通して、霊的な天上界の扉が聞かれた窓口として、この磁場を使われよ。今この磁場はたいへんな結界の中において守られ、霊言を降ろすにも容易な場となっているはずである。

今は日本神道だけではなく、表も裏神道の者たちが警備にあたり、、そして外国の警備にあたる者たち、そして外国の神々と呼ばれている今回の救世の事業の責任者と呼ばれている方がた、そのような方がたとも日夜、我は話し合いをし、次の計画を考えている。

この国をもって霊言を降ろすという磁場に与えられ、そして数々の、今までにないような神々の霊言が降りているという事実。
それを書籍とし、この日本からインターネットというものを通して世界中に発信するであろうという、そのような天上界の計画があるということをもって、そなたたちは今の任にあたらねばならぬ。
まさにへそのような国、この神国日本を、無事にその使命を全うさせていただきたい。

今、天照が下生するのでもなく、卑弥呼が、日向が下生するわけでもなく、今この方が神より与えられて、今この日本に降りられ、このような任にあたっている。

次に、我らが日本神道、最も敬愛する、孔子と呼ばれる、セラビムと言われる方がおいでになっておられる。そのセラビムを、この日本の地にお預かりしているという光栄に浴するということ。そのことをもって、我はたいへんな幸せを感じている。何よりも、セラビムをもって九次元指導霊とし、この日本の地におき、最終ユートピアを建設せんがための、この大計画が実行されるということ。執り行われるということ。そのことをもって我が日本神道は、最大の名誉といたすものである。

そなたたちにはわかるであろうか。我らがこの国土を守ってきたこの教えの中において、この孔子と呼ばれる方がこの日本という地を使われ、この地球をまとめていかれるということ。その場所に、そして今までなかった、かつてよりの霊言というものが降りる場として、この小さな島国日本というものが神より与えられ、お遣わしいただくということ。このことをもって我が幸せと、心より思うのである。

そなたたちは、我らが主、エル・ランティ、高橋信次により、そしてエル・カンタラーにより、数々の知識を積みあげてこられた方がたである。
数々の知恵を、知識を胸に秘め、パーニャパラミタを開き、そして今の時代の使命における、そなたたちの使命を実行されよ。
そなたたちの足を引っ張る、反乱分子と呼ばれている者たちが現れることは、光の使者としてはいつでもあること。

【セラビム】地球霊界九次元霊の一人。現代日本の他に中国では孔子として、肉体を持たれたことがある。
天上界では紫色光線(礼節と秩序)を担当している。

3.命がけでこの計画を守っていただきたい

我らが時代においても、この日本の国を、大和の国をまとめるためには、数々の戦により戦い、この国土をまとめあげていったのである。その時に敗れていった者たちの無念さもあろうが、しかし、そのようにして国をまとめていかねばならぬ時もある。まさにそなたたちは、その時を迎えているのである。

我が肉体を最初に持ったときもそうであった。かつて神話として語り継がれ、伝えられているであろうーー。

アマーリエ: 神武天皇?
平原: はい。そうそう。

天之御中主之神: 神武天皇と呼ばれている者の中に、我が生き様が残っている。それはのちに神話化されてはいるけれど、私にしても、日本武にしても、須佐之男たちにしても、国を、この大和の国をまとめていく過程の中において、数々の戦につぐ戦の中で、国を平定しながら、ひとつの国、体制というものをつくっていくための、迷いながらの闘いの日々があったのである。

そなたたちも、今までの旧体制から、新たな体制を打ちたてるために、また時代は違えども、新たな戦いを挑まれようとしている。
価値観としては、今の価値観からは大いなる転換を要求される。宗教と科学というものが、同率に価値評価され、そして科学を否定しない上における、新たな神への信仰の世界としての、新たな価値基準というものを打ちたてねばならぬ。

我が出ていた時の時代には、科学はなかったけれども、科学文明という生活の利便性はなかったけれども、自然の中における神への畏怖心というもの、信仰の原初形体というものを、しっかりと人びとの中に根づいていたものである。

しかし、そなたたちの今おかれている伝道の現場というのは、まず神というものが目に見えぬというだけで、非科学的であるというだけのことで否定されてしまった。そのような価値観を共有した磁場の中に、今の現代日本というものがおかれている。これは日本だけではなく、世界各地に見られる現象ではあるけれど、この日本におき、その信仰の絶対的価値観というものを取り戻すということは、たいへんな苦難の道であると、我は思っている。

されば、我が日本神道の責任もあれば、やはり、この時代というものの流れの中における、近代科学文明というものに依存した姿の結果であるかもしれぬ。

人びとの想念の集積として、結果的に目に見えぬ、我らが神に対する信仰心よりも目に見える科学文明、生活の中による現実的な利便性というものを最優先したがゆえの、心なき人びとの生きる姿勢であり、価値観であるのかもしれぬ。

しかし、そのようなことの中で、今ひとたび天上の神は、我ら神の子たちに対して、「今一度、神の子の姿に戻られよ」と、「今一度、神の懐の中に戻ってこい」と、そのような素晴らしい第三の計画という救世計画をお立てになられた。
そのために天変地異も止められ、そしてその中において、人びとを救わんがための慈悲ある第三の計画というものを発動なさられた。そなたたちはその最終的な計画の一要員であるということを神に感謝し、使命を果たしていただきたい。

今これから小冊子や、ネットで販売されるということを伺い、まさに我が志の中にあった、地球を中心、日本を中心に、日本という場所をへそとし、世界全体にネット網を張り巡らすという、そして神々の天上界の言葉を発信していくということ。そのことはリスクが、危険が伴うかもしれないけれども、でもぜひに、そなたたちに頑張っていただきたいことである。

その際に、様々な理屈を並べたて、揚げ足を取る者たちがいるであろう。今でも現にいるのであろうが、そのような者たちはかかずりあうことなく、放っておきなさい。

神の仕事を、神のメッセンジャー、まして神の声を受け、神の言葉を伝える者たちこそがいつの時代においても、最も価値ある仕事をしている者であるという自負心をもち、そなたたちの天命を果たしなさい。

その中において、そなたたちは己自身の個性というものを開花し、神とともに生きた時代というものが、神とともに生きた、その使命の中に生き抜いた、そのような今世というものが、そなたたちの人生の永遠の記録の中におき、勲章のように残るであろうということを、我は保証しよう。
命がけになり、この計画を守っていただきたい。

そして、我が日本神道も、心よりこの計画に参画し、もう今まではそなたたちの警護を、援護をしてきたのであるがこれからもますます、そなたたちの援護をしていきたいと思う。

4.女性の法を優先させるために身を控えていた

かつて、ORを通し、我が言葉を伝えたことがある。
その中における言葉というものは、けっして目新しいものでもなく、かつてはOR、かつて高橋信次、エル・ランティが語られたことでもあるかと思う。それをまた語るのもよしとするが、また新たな局面に行き、新たな指導体制というものが今は組まれているがゆえに、過去からの永遠の転生輪廻、神仏のこと、次元構造、そのようなものはできる限り、そなたたちの手で世に出していくようにしなさい。

そして、新たな情報というものを、私はそなたたちにこれからも宣言として伝えていきたいと思う。
なぜ我が言葉が後回しになったか。先ほど質問が出ていたようであるが、これは、我ら日本神道がすべての責任を持って立てている計画ではなく、九次元と呼ばれている高級神霊の方がたに、中央省庁における大計画の一助としてなるがゆえに、そして日本神道からは、その方たちに肩を並べるかのように、天照が、日向が出て行ったことにより、最初、天照が名を連ねたことにより、我は多少身を控えていた。

しかし、もうそろそろ日本神道としての立場を打ち出してもよいのではないかと、そのように思い、今回出ることを切に願い、出させていただきました。
これから数々の男神たちが出てくると思う。しかれども、それも限りあり。

すべてこれは、数々の系団の者たちが、この方を通してメッセージを伝えたがっておるので、とりあえず最初はみな、ごあいさつ、「どのような思いがあって今回出てきているかということを中心にして語るように」、ということが日蓮聖人より、みなに伝わっている。

だから、細かい論議、細かい理念というものは、もし次の機会があるのであるのならば、それぞれが次の時点において、チャンスにおいて語りたいと思っている。
まず多くの者たちが自分の役割、担当というものを話し、この計画における自らの決意というものを伝えるのが、今回のみんなの使命になって、この時を与えられているので、我もそれに従おうと思う。

どうかレムリアの方がたよ。少しも遠慮することなく、この神国を、神の国日本をお使いになり、この最終ユートピア計画のために命をかけて頑張られんことを、我は切に願い、今日ここにあいさつを終え、帰ろうと思う。

天照が、日向が、長年によりこの方の家によくお邪魔をし、計画を立て、伝えていると思う。彼女たちには彼女たちの、女性の法をどうしても降ろしたいという悲願があるので、かつてこちらの世界より降りていった、日向の姉妹がおり、その方が女性の法を担当していたがゆえに、今この方に第三の計画以外にも、女性の法の部分をお願いしようと、我が日本神道からも娘を出している。

そのような計画と、そのような女性の法の確立というものが、この現代の日本におき、多くの人びとを、女性たちだけではなく、女性たちが変わることにより、男性たちも救われるということをもって、今彼女たちが、天照たちが必死であるということを、我は思い、彼女らに先を譲ったのである。

そのことを思い、我が今回、遅まきながらあいさつに出てくること、そして、たいへん順序としては遅くなったということを、ここにお詫びとして、あいさつとして今回伝えたいと思う。

5.人事を尽くして天命を待つ

これからも、そなたたちが知らぬ神々もおろう。かつてもう神話の世界になってしまった方がたもおられよう。しかし、我らが日本神道の男神たちも、たいへん男気が強く、立派な者たちが多いということを、我は証明してほしいと思う。

そのことをもって、ともに手を携え、外国の神々とも手を携え、この日本から、この神国大和の国、日本から世界を救うべく、救世の大事業が立ち上げられるという最後の希望に、我は心より激励をし、我もともに頑張らんと、固く決意を秘めているものである。

数々の神々が伝えられることを、メッセージをまとめられ、どうか外国にも発信していただきたい。最初は反応が鈍いかもしれない、こういう時代だから。

でも結構。気になされなくてよいと思う。西郷という方も言われていたけども、いつも我々は結果を気にしてはやってはおらぬ。結果を気にすることなく、その時代を、その時を、精一杯自らの力量を、器に応じてやれることの、最善のことをやられればよかろうと我は思う。

その上で、あとはその時代に、神に委任されよ。「人事を尽くして天命を待つ」とはそのことである。その中におき、そなたたちがやれるべきことをやったのなら、そなたたちのやれることを、他の者たちが次の時代にやるであろう。

だから精一杯、今やれることをやっていただきたい。そうすれば、口火を切っていったのならば、我らが言葉が真実の光を持っていると人びとが思ったのであるならば、必ずや時代の要請の中で、そなたたちの活動というものは、待たれるようになるであろう。

外国では、エドガー・ケーシーとか、シルバー・バーチでも、最初やった時はたいへんな非難、攻撃の中にあったのである。
スピリチュアリズムという精神世界の目に見えぬことを、近代においては打ち出した最初の方たちは、たいへん勇気があったのである。彼らは気違い扱いにされ、魔女扱いにされていった。その彼らが頑張ってくれたことをもって、今日の日本が、今日の救世事業が、世界中で行われようとしている。

その今においても偏見もあるであろう。しかし、人びとはその、もうあと百年もたたないうちに、今あざ笑っていたことがほんとうの神理であったということを気づく時代がくるであろう。少なくとも、命を得、地上の肉体を得、地上を去り、こちらの世界に戻ってきたのであるならば、少なくとも、「自分たちがあざ笑っていたものこそが唯一の神理であった」ということに気づくであろう。

そのことを地上に普及させるのがそなたたちの使命である。神の国、天上界、あの世と呼ばれているところだけで共通していたものを、この地上に降ろすということ。その価値観において、この地上の価値基準を根底から覆し、社会機構を変更させ、この地球というものは価値観の、精神的なレベルアップというものを、次の時代に向けてしようとする大革命であるということを、そなたたちは今やろうとしている仕事の本質をとらえ、謹んで、真剣にこの使命を果たされんことを、我はここに祈ろう。

6.神の光以外のものはすべて夢、幻、影

そなたたちの迷いは、我に預けよ。そして、もし不安なことがあったなら、天照や日向だけではなく、我にも、いつでも声をかけなさい。天之御中主、と一言いえば、我が言葉が降ろう。もう遠慮することはない。

我は、我が日本神道だけのものにあらず。もう今や地球一丸としての大救世事業において、この天之御中主と呼ばれている者も、そなたたちの助力をすることを、ここに誓おう。

すべては神の光。
すべては神の存在のみがこの宇宙を照らす。
それ以外のものはすべて、夢、幻、影。
人びとの心の迷いにより生じたものである。

ならば、その迷いを振りきり、そなたたちの使命と、そなたたちの道の正しさをひたすらに信じ、命をかけてこの使命を全うされよ。

そのことをもち、この神の国日本は、その光を輝き渡らし、そしてこの国本来の使命を全うし、この地球を救っていくという、霊的な磁場の使命を果たせるのである。

そのために、明治維新だけではない、この大和の国がつくられたとき、この大和の国が、さまざまな天変地異、地殻変動のあとに、この日本神道にこの島国が与えられた時から、この国を通してこの地上を、救済大事業が行われる、この尊い磁場としての、それを守るために、我々日本神道が預かり、今日まできたということをもって、そなたたちは、この日本というものを預かった我らの気持ちも汲んで、どうか使命を果たしていかれたいと思うのです。

明治維新という、国づくりというものを通し、そしてかつて神武天皇、日本武、私たちのような者たちが、この国を統一し、ひとつの立憲国家としてつくっていった過程、聖徳太子たちが出られて、ひとつの日本という国体制にしていった、そのような時代の流れの中におき、いつかは神代の国と呼ばれる国にするという、神々との約束ありしその思いの中で、我は天照たちとともにこの国を頂かってきた。その使命を今果たさんが時。この使命果たさんとして、いかにして我がこの国土を預かった、その責任を果たせようか。

それをそなたたちに心から願い、その今回の救世の事業を、今回こそ成功されんがために、我らが日本神道からもあらん限りの力をもって、そなたたちの助力を申し出る次第である。

裏神道の龍神たちは、もうすでにそなたたちの身の周りに行き、数々の魔を撃退し、そなたたちを守るために頑張っている。今は気づかれないだけである。精一杯彼らも戦っているのだから。そなたたちもどうか力を蓄えられてきた力を発揮なされ、この計画のために頑張っていただききたいと、心より切に思うのである。

では今日はこれにて失礼したいと思う。

7.光一元とは圧倒的なる神の愛の法則、神の光そのもの

何か質問があられたら、質問を最後にしていただきたい。

小林: それではひとつお聞きしたいのですけれども、レムリア・ルネッサンスでは、アモール様とかから新しい時代の信仰の元となる理念といたしまして、神とは宇宙の根本的な愛の法則そのものであるという理念をいただいています。

日本神道においては、また別の表現があるのではないかと思うのですけれども、日本神道において神とは何なのか、教えていただければ幸いです。
よろしくお願い致します。

天之御中主之神: 同じである。神は愛の法則であり、光そのものである。我ら日本神道は、光一元の思いを持ち、教えを唱えてきた。
光一元とは、圧倒的なる神の愛の法則、神の光そのものである。先ほどから繰り返し、この神の光そのものが、唯一のものであり、あとは神の影であり、人びとの迷いであり、幻であるということを、再三、私は伝えている。
その愛の法則とは、愛の法則そのものが、神の光、表現としての光であるということである。

この宇宙には、圧倒的なる愛の法則というものが、隅々まで支配している。その表現形として、神は光というものを発しておられる。
闇があるから光があるのではなく、神の愛は光一筋にして、この宇宙を照らして、万物を育んでおられる。我々はそのようなことを伝えていきたかったが、最初、原初の頃、そのようなことを伝えても、人びとの心はわからぬ。

光と闇。その二元化の中におき、闇と光が対等であるという発想を避けるために、すべては圧倒的なる、神の愛一途の中に宇宙は支配されているのであるということを伝えるのが、我ら紫の光線、日本神道における光一元という発想なのである。教えなのである。

光一元の中におき、神の愛こそが圧倒的なすべてである。その、それ以外の同等なる対極として悪があり、ルシファーたちがあるのではなく、圧倒的なる宇宙の根本には神の愛があり、神の光そのものが発せられている。

その中におき、神の子たちが修行している中におき、数々の戸惑いや、迷いや、遠回りをしている。その中におき、そなたたちが今体験しているような、苦しみや惑いや、足の引っ張り合いなどというものがあるのである。

そなたたち地上にいる者たちから見たら、まるで、神の愛と、今悩んでいる、足を引っ張るルシフェルたちの学びが対等であるかのように思うかもしれぬ。
しかしそんなことはない。彼らがやれることは、いっときの夢幻である。

宇宙の法を貫き、この地上を照らすものは、圧倒的なる神の愛そのものであるということ。愛の表現形は、圧倒的な光であるということ。

光が強ければ、迷いがあったときに、そこに影ができる。闇ができる。それがルシファーたちの姿であり、今この地上を混乱せしめているエネルギー体であるということなのである。
でもそこに、迷いや、戸惑いや、苦悩がなくなれば、光は光として隅々まで照らし渡らすものなのである。

闇があり、光があるのではない。光が、圧倒的に神の、宇宙の根本神から発せられる愛の奔流としての、その表現形としての光があるからこそ、我らは今、今日生きているのである。その光を分光し、それぞれの個性としてその身に収め、この表現形として我らが命を与えられている。それが我ら、神の子という意味である。

だから、そなたたちは、闇というもの、惑いというもの、迷いというものを、あまりに過大評価することなく、宇宙の根本的な愛の法則、そこから出てくる表現形としての、光一元そのものをもって、我らが神の子としての信条としてなされんことを、少なくとも我らが紫、日本神道はそのような教えの中で生きているということ申し上げたい。

8.神の法則を伝え、具体的なものに落としていくのが柴光線の使命

アモールがおっしゃられたこと、そして、我らが申し上げることは、セラビムと呼ばれる、孔子と呼ばれている意識体が申し上げることと同じである。

礼節を持ちながら、その節度と礼節というものを通して、神の圧倒的な愛をこの地上に映し出す、その秩序の美しさというものを担当しているのが紫光線の者たちである。礼節を旨とし、愛というものを通し、仁というものを通し、孔子は伝えられてきた。

そのような社会に、具体的に落としていく、神の法則というものを伝えているのがまた紫光線の使命でもある。
だから、根本は同じである。神の圧倒的な法則、神の愛の法則そのものが宇宙を統べているのであるということ。それを語ることは今までは許されなかったのである。それがやっと許される。

そして七色光線すべてが、表現としてはそれぞれの個性を使っているけれども、言葉を使っているけれども、イエス・キリストが、モーゼが、正義や愛というものを唱えられていて違うように思うかもしれないけれども、モーゼが唱えられている正義の根底、奥突き詰めれば、神の愛がある。インマヌエルと呼ばれているイエス・キリストが唱えられる愛を突き詰めていけば、やはりそこに神の愛がある。

秩序、礼節を通して、我らが光一元の教えを言っても、そこは突き詰めればやはり、神の愛があるのである。
最後、尽きることは神の愛。神の愛による法則。その思いによりこの宇宙は創造されてきたのだから。
その法則と呼ばれている愛の理念の中におき、この隅々まで、神の子たちは生まれ、育まれ、生きているのである。そのことを思ったのなら、けっして不思議なことではない。やっとそのことが語られる時代になってきた。

そなたのように高い認識のある者であるならば、このような説明をできるであろう。でも我がこの国を最初に平定し、国民たちを治め、国づくりをした時に、このような話はできなかったのである。

それゆえ、儀式、礼拝をもって神の言葉を、旨を、礼節をもって人びとに神の存在を表していく。そのことをもって私は、この国づくりをしてきたのである。この国の根源神としての役割をしてきたということを申し伝えよう。
それでよろしいだろうか。

小林: ありがとうございました。

9.神理知識を学び、体の中に流れているからこその使命がある

栗山: では質問させていただきます。
天之御中主之神: はい。

栗山: 今、中国や韓国で、日本に対する憎しみをぶつけている人たちが出てきているんですけども、そういう古い時代の領土的な発想でいると思うんですけれども、元を正せば、みんな輪廻転生している神の子だと思うんですけども。そういって方がたに対して、アジアの民に何か一言、お言葉をいただければと思うんですけれども。
よろしくい願い致します。

天之御中主之神: そなたはどのように思われるか。
栗山: 私は、まあ、日本に生まれようとも、中国に生まれようとも、そういった枠組みではなくて、神の子同士がこれからの時代に手を携えて、領土とか、国境を越えて行かなければ、心をつなげて行かなければいけないと思っております。

天之御中主之神: そう。それが答えである。ということは、そなたが簡単にそのような答えを出せるということは、どういうことかわかるか。
神理を学び、神理知識がすでにそなたの思考の中に、体の中に流れているからならばこそ、そのような簡単に答えが出せるのである。この日本でいうのなら、小学生でもわかるようなこと。そのようなことが未開の地においては、分数とか小数とか、割り算とか、そのようなことができぬであろう。

でも今の小学生たちなら、軽々と解くであろう、この日本の国では。
なぜか。
それはしっかりそのような知識と教育というものを受けているからである。
それがそなたたちと、今暴動を起こしている韓国、中国の者たちとの違いであると思いなさい。

なればこそ、そなたたちの使命があると思わぬか。なぜ神が、天上界が、この計画を必死で進めようとする気持ちがわかるか。
ただ無知迷妄の中におき、自分たちの自我我欲の中で領土争いをし、自己の権利だけを主張している姿とは映らぬか。我らが神の目にはそのようにしか映らぬ。今いっとき暴動が起きているだけであろう。彼らは正しい判断をするだけの知識を持たぬのである。

高橋信次、エル・ランティの語られた真実、ORが前半で語られた真実、知識、経験、過去の歴史、そのようなものが、もしほんとうに彼らの中に根づいていたのなら、このような愚かなことは繰り返すまい。

みんな同じ過去、過去世、様々な国々に生まれ変わった、永遠の転生を持つ、永遠の命を持つ、みな同じ神の子であるという、高橋信次が説かれたそのことを、ひとつだけでも彼らの心に落ちていったのであるならば、このようなつまらぬ領土争いをするであろうか。

この地球という国に、入れ墨のように境界線をつくり、国土争いをし、海里問題、海の領土権なぞで今も争っているようであるが、そのような自我我欲に明け暮れたことをするであろうか。

あまりに無知なのである。
でもそれを知らせなかった我々のほうも、今までは知らせていないという、彼らに認識させていないという気持ちもある。
だから天上界は、数々の計画を興し、九次元が責任者となって法というものを地上にたびたび降ろすのである。

今回は最終的に、人びとの転生は永遠であって、いろんな様々な国を、様々な宗教を遍歴しながら、自分の個性を磨き、パーニャパラミタを発現させながら、人びとに役に立てる神の子としての、本来の使命として、この地球を素晴らしいユートピアにしていこうという、神の偉大なる、究極的な目的に向かって、この地球の最終ユートピア、総仕上げにかかろうとしているのである。そのことをもって、人びとがわかる、理解していくにはもう少し時間がかかるであろう。

でもあなた方は、この霊的な発信源、霊的な言葉が降りる、そしてそれがまず、まだ日本語でしか出されていなかったということ。彼らがいかにして、中国や韓国で理解できたであろうか。理解できなかったのである。そのことをもって、この日本を責めることを、彼らを許してやっていただきたい。そなたたちはそれだけの情報を知っている者たちなのである。

そして今、我が言葉をここにいて聴けるそなたたちは、わずか数名であるが、そなたたちはたいへんな幸福者であると思ったほうがよい。この磁場に入るには、入るに値する資格がなければ、弾き飛ばされてしまうという、不文律がある。
それは、そなたたちはもうそろそろ気づかねばならぬ。このような中に、誰でも彼でも入れるものではない。そのようなもので満たされたのならば、我が言葉を聞くにはあたわず、その資格はないのである。

でもこのような神国日本の、この大和の国の、本来の使命を果たすこの霊的な高級磁場において、そなたたちが今この霊言をとる立場に居合わすということ、我が言葉をじかに聴けるという幸せをもって、そなたたちは使命に励まねばならぬ。まず知識がわからなければ、そなたが今質問したように、韓国、中国と呼ばれている者たちの無知迷妄な、愚かな振る舞いというものは、彼らをけっして責められぬものである。

しかし、これが世界中に広がっていったのならば、もしこれが、掛け算や割り算が当たり前の時代になってきたのならば、掛け算、割り算ができぬ者たちはとがめられることであろう。しかし、かけ算やわり算が知らない者たちにとって、掛け算、’割り算ができないからといって、それをとがめられることがあろうか。

今、まだこの地球の段階において、彼らがわからぬからこそ、自分たちの国が過去侮辱されたとか、自分たちの領土が侵されたといって、扇動された者たちにより、意図的な狂乱的な暴動が起きるということを、我が高天原よりも深い悲しみを思いながら、でもやはり、この日本なればこそ、それだけの霊的な磁場があり、それだけの認識が降りている国土であるということを、逆に神に高級霊に感謝しつつ、根源神に感謝しつつ、我はこの日本を通しての救世の大事業に励もうと思う。

10.本来の神の法を伝えることが人びとの幸せにつながっていく

そなたたちが今霊言を降ろし、それを、テープを起こし、翻訳し、海外に、国内に発信してくれようとしているこの神理が、この知識が、神理知識が、常識としてこの国土に、この人びとの心に入ってくる時がきたのならば、いずれはこのようなものは、どんどん連鎖反応的に、不幸なものはなくなっていくであろう。そのことをもって、様々な表面的な現象というものは、根本的な心の教えの中において、ドミノ倒し的に対応され、いつかは消えていくものなのである。

そして、いつかはこの高級霊界、高天原、いえ、もっともっと上の、地球の根源神により降ろされた、本来の神の法というものが、この地上に統一的な神政一致の世の中において、憲法の条文として謳われるような時代が来たのであるのならば、人びとの中に、憎しみや争いや、領土問題などというもの、様々な不幸な問題は解決されていくであろう。

なぜなら、人びとの不幸の原因がすべて心の内にある。
心の内の中にあるもの、それは単なる認識不足であったり、知識の不足であったり自ら神の子としての存在理由をわからず、神の子としていかに幸せになるかという道を失っているがゆえの、不幸の連鎖反応の現象なのである。

それを解くにはどうしたらよいのか。自らが神の子であり、永遠の転生を持つ命であり、そして大いなる神の愛に包まれた神の子であるということを、ほんとうに認識したならば、他者に対してどのような振る舞いをしなくてはいけないのか。そのことは節度をもって理解されてくるのである。

どれだけ組織や、憲法や、形でうたったとしても、心の奥底からほんとうの意味で神仏につながり、自らの存在理由というものが根本からわからずして、人びとがどれだけ形やイデオロギーの中で、憲法の中で、人びとの幸せをうたってみたところで、人びとはけっして幸せにはなれないのである。

そこのところがわかったのならば、そなたたちの仕事がいかに尊いものであるか。神がまず形ではなく、心の教えから、遠回りであっても心の教えから切々と語られる、そのようなことを降ろされるということの意義というもの、本来良いというものを深く心に刻み、今の使命を果たされることを心から祈ろう。

数々の時代的なものとして、泡沫のように数々のことが、事件が起きてくるであろう。これからも起きてくるであろう。でもそのような表層的なことに惑わされることなく、我らが言葉を地上に降ろし、発信していくことが何より、何より尊いことであり、社会を根本から変えていき、人の根源的な幸せにつながるのであるということを、そなたたちはもっともっと心に刻み、そなたたちの使命を全うされんことを心より祈り、今日のあいさつと致そう。
では、これにて今日は失礼致します。

一同: ありがとうございました。

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