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Project Eden

1.エッセネ派の女性:人は光のもとに集まってくるのです

お久ぶりでございます。
わたしのことを思い出せないようにお見受けしますが、そのようなことはたいした事ではござうません。どうぞ、お気になさらないでください。
このたび、こちらの世界でお見受けしておりますと、あなた様方も、かってのわたしたちのような使命をお引き受けになられ、とてもご苦労なことだと思っております。

わたしたちの時代では、かつてモーゼ様の時代より、数々の預言者の方がたが、救世主がお生まれになることを予言なさり、そして我々エッセネ派の一派が救世主降臨を待ち望んでいた、そういう時代でございました。

この現代日本において仏陀が下生なされるということは我々にとって、イエス・キリストがお生まれになること以来の天上界、地上一丸となっての期待であり、我々の夢でございました。

しかし、とても現実は厳しく、その夢なかばにしてこのような事態になり、再度、新たなる計画のもとに数々の光の天使たちが降りて参り、その方がたのご養育係としての皆さま方のご使命があるのだと思います。

わたしたちの時代は、学校という学校もあまりなく、救世主をお預かりするということがたいへんな光栄でもあり、我々の生きがいともなって、主をお授かりしたものでございます。

皆さま方は孔子様と言われてもあまりなじみがなく、どのようにご養育してよいやら、そして、その準備をどのようになさってよいやら、途方に暮れておられるのだと思います。

それも無理からぬ事だと思います。わたしたちには心においても、方法手段においても、準備をするには十分なほどの年月と数々の預言者の方がたの智慧がございました。

それを短時間に急激にシステムとしてあなた方は残さねばならぬというご使命にためらい、とまどい、途方に暮れていらっしゃる皆さま方のお姿をお見受けして、心よりお気の毒であり、何か我々もできる事はないかと、先日より皆さま方が集まっていらっしゃる姿を見せていただきながら、話し合っていたものでございます。

かつてイエス・キリストは幼き頃より、その霊性の偉大さをあふれんばかりにたたえた少年でいらっしゃいました。
誰が見ても神の子であると、神のお遣わしになった子であると、我々は思ったものでございます。

マリア様より託され、わたしたちは幼きイエス・キリストに数々の旧約の出来事、聖書の講義、そして、皆さま方もご存じのようにエジプトに、インドに、ペルシャのほうにも参りました。
霊的な力もすぐれておられ、すでに聖霊と会話ができる方でしたゆえ、我々の指導もとてもスムースに進んだのでございます。

OO様のことですね。あなた方が心を砕かれ、先日より、ミカエル大天使もご尽力なさっていられたあのお母さまのことをーー。
わたしたちも、どうしたものかと皆で話し合っておりました。

わたしたちは、マリア様も、あまり機会がなかったとはいえヨセフという者も、我々エッセネ派の一員であったのです。ですから、イエス・キリストを教育するということに関して、彼らはわたしどもに委託してくださったのです。

ただ、今あの方も覚悟がつかないのだと思いますが、あれだけのお子です。そのうちに、幼きイエス・キリストのように誰が見ても光の子、神のお遣わしくださった神の子だという片鱗が見えてきたとき、お母様であるOO様はたぶん少しずつお悟りになられるのだと思います。
その時まで、どうぞ無理はあまりなさらず、システムをお整えいただけるようお願い申し上げます。

今回、第一の計画、第二の計画、そしてあなた方の第三の計画、数々の喜びも悲しみも挫折もありました。しかし、天上界の者たちは、そして神はけっしてあきらめてはおられないのです。希望があるのです。けっして神とは希望を捨てない方がたのことをいうのです。

あなた方が頑張っておられる限り、そして、それを信じて幼き子どもたちが、光の天使たちが次々と今、地上に降りていっております。
彼らをどうかよろしくお願い致したいのでございます。

わたしたちにできたことです。皆さま方にできないことはありません。
そして、わたしたちから見ましたら直接に、我々よりもっと上の指導霊の方がた直々でご指導いただいておられるではないですか。

わたしたちもこのように直接、天の声を聞ける者はおりませんでした。我々は、我々の時代なりに霊視や霊聴のできる者はおりましたが、このような高次元の方がたから、お言葉を頂けるような者たちはその中にはいなかったのです。

それだけ皆さまの霊格も高いということ。そのように、引かれなくてよいのですよ。事実を事実として認め、聖霊を降ろす方は聖霊と相通ずる霊格をお持ちの方だという事実をしっかりお認めください。

先日から、いろいろな者たちが出て、あなた方に言っていると思います。けっして恐れることでもなく、けっして増上慢なものでもなく、イエス・キリストが「我は神の子である」「我こそ、神が遣わした救世主である」と、高らかに宣言なさったように、皆さま方も「我々は神がお遣わしになった神の使者である」と、「光の天使たちである」ということを、もっと自信を持って高らかに宣言なさればよろしいのです。

それが、けっして放漫なことでもなく、けっして他の者を誹誘中傷したり、軽蔑することにはならないのです。
己れ自身を悟るということ、そこがなければ力は湧いてこないのです。これを再三、いろいろな方がおっしゃっていると思います。それだけ言われるということはわかりますか? あなた方にまだ力が出ていないということなのです。ためらいがあるということなのです。

もっとこの者も確信を持てば直接に、人びとの霊示が受け取れるようになるのです。まだまだ依存しているのです。逃げているのです。逃げないでください。もう、逃げることもなりません。逃げてもどこにも行けないのです。

あなた方は、あなた方の今回降った使命を謹んで、力の限りに受け止めて、できるだけのことをしなくてはなりません。
わたしたちから見たら、まだまだ人数が足りないのです。もっと力のある方がたが出ているのに、あなた方を助ける協力者がたくさんいるはずなのに、あなた方が全部この人数でやろうとするからご負担が多いのです。

この者は本来神降ろしをする者です。神降ろしをし、我々の霊言を伝える役をする者です。それがあらゆる雑事をやっております。
自覚を持たねば、正しい神の器として機能いたしません。自分のなじみの者しか入らないようでは、神の器としてはまだまだなのです。現に受け入れられるはずなのです。機能として、まだまだ開花しておりません。

わたしが誰であるかほんとうに悟ったなら、その時は自然にわかるはずなのです。
そして、みんな一人ひとりが十二分に力を出し、それぞれの担当を一生懸命やっていただきたいのです。誰かの指示がなければできないようでは困ります。今、自分たちが何をやらねばならぬのか、そして今、何ならできるのか。

もう少しご自分たちの力で、頭で考えてください。やっているうちに仲間は集まり、やっているうちに力は身につき、やっているうちに次の大きな使命が降ってくるようになります。

今の状態では大きな使命はこれ以上降ろせないのです。動き出していけば次なる歯車が回転し出すのです。
皆さま方一人ひとりが素晴らしい魂であるから、現に神より派遣された光の天使たちであるということをもっと自覚なさってください。

お一人おひとりが自分の力を最大限に出されたとき、もっと多くの仲間が集まることでしょう。
あなた方の魂からあふれ出んばかりの神の光が現れたとき、その光めがけて仲間たちが集まってくるのです。

人は光のもとに集まるのです。
何も言わなくても光輝くところに人びとは集い、感じて集中し、群集となりて集って来るのです。
もう一人別の方が、今お話に来られています。
どなただか、わかりますか?


(途中でイエス・キリストに代わられました)

第6章 エッセネ派の女性:人は光のもとに集まってくるのです

1.エッセネ派の女性:人は光のもとに集まってくるのです

2.イエス・キリスト:ノストラダムスはうそをついたわけではない

エッセネ派

エッセネ派はイエス時代のユダヤ教三大宗派のひとつ。 原意は「敬虔(けいけん)な者たち」で,前1世紀頃パレスチナの荒野に共同生活を営む集団として現れた。禁欲的な祭司群を中心に,誓約して入会を許された者,志願者らからなり,旧約聖書の律法を学び,沐浴(もくよく)し共同食事を行っていた。一時は4000人ほどになり,洗礼者ヨハネはこの群から出たらしい。1945年に死海北西岸のクムランで多数のパピルス文書が発見されたが,エッセネ派に属すると考えられている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」

2.イエス・キリスト:ノストラダムスはうそをついたわけではない

天にまします我らが主よ、今この時、この者たちと共に地上に降り立ち、今再び集い交わせることを心より感謝いたします。
かってイスラエルの地に出たとき、幼きわたしを導いてくださった方がたが、わたしの育ての親ともいえる方がたが今、通信をしていたようです。

この度は急遽、孔子が法の指導を受け継いでくれたので、彼に託して地上に降ろしました。我々は天上界から指導いたします。
皆さまにこれだけは伝えたいのです。

わたしが神の子と言われ、かってイスラエルの地において法を説いたとき、そしてそれが二千年の今日に至っても、世界中で多くの人びとを救っていること。それだけの活動内容をわたしに与えてくれたのは、わたしの魂の力だけではございません。
あのエッセネ派の方がたの力と教育があったからこそ、愛があったからこそ、わたしがあれだけの仕事ができたのです。

天の父の指導、導きとともに地上の父親であり母親である、そして教師たちであったエッセネ派の方がたのご尽力なくして、わたしのかっての仕事はあり得なかったのです。
それほどに地上における教育というものは大切であり、深いものがあるのです。

今また再び、九次元指導霊の出直しとなっております。そして、あなた方のもとに託した数多くの光の天使の予備軍たちが今、地上に肉体を持っております。いつか彼らも悟る日がくることでしょう。
どうか彼らを大切に育て、導いてあげてほしいのです。かってのエッセネ派の方がたが命を張り、わたしを守り、教育し、導いてくれたように、あなた方にも彼らの魂を託したいのです。

ひじょうに今世は複雑です。かってのように簡単にはいかないのです。
光の天使たちが生まれてきても、何ゆえに自分たちが生まれてきたのか、何を悟り、何をしなければいけないのか、そう簡単にはわかる時代ではないと思います。

そのための資料をつくり、かって何が起きたのか、何を人類は失敗してしまったのか、それを彼らに伝えてやってほしいのです。
その上で彼らは順番に悟っていくことでしょう。彼ら光の天使の中でも、悟れる者あり。悟れない者あり。使命果たす者あり、使命果たせぬ者あり。これは世の常、いつでもあることなのです。
どうぞ。気おくれすることなく彼らを励まし、教育していただきたいのです。そのための準備をしていただきたいのです。

あなた方のやることは確かに多い。どこから手をつけていいのか、わからないとおっしゃるのも無理からぬことだと思います。
しかし、できる今ひとつずつ準備をしていく中で、次の使命というのは出てくるのだと思います。

わたしは、心から、エッセネ派の方がたに対し敬意を表し、感謝しております。あれだけの仕事ができたということ。彼らの尽力なしに何もできなかったであろうということ。よくわたしを見つけ出し、わたしを指導していただけたものであると、心より感謝しております。
どうか、皆さま方の立場をよくご理解なさり、次なる光の天使たちのためにもお役立ていただきたいのです。

この人類の、この二十世紀最後の時代に何が起きたのか、そしてこれから起こる天変地異のためにも、あなた方はこの資料を残さねばなりません。
けっして天変地異が起きないのではないのです。これからなのです。
けっしてノストラダムスは嘘をついたわけではありません。
今、神の手が振り下ろされるのを止められているだけなのです。
計画変更のために、今ひとたび振り下ろされる手を止められているために計画が延長されているだけなのです。本来の計画通りではないからです。

そのあとにくること、そのあとにしなくてはいけないこと、多くの悲しい悲しい魂たちを救っていくということ。
そのためにも、もっともっと光を多くしてください。
いつも申しているはずではないですか。
もっと自信をお持ちください。
もっと一人ひとり炸裂するような光を、神の光を宿してください。
そうすれば大きな光となって、また、新たな光に天使たちが集まってきて、あなた方を助けてくれるでしょう。

ミカエル大天使をはじめ、数々の天使軍団があなた方を取り巻き、守護し、そしてサタンからの攻撃を守ろうと必死でいることを、あなた方はもうすでにご存じだと思います。
彼らの努力、我らの必死な願いを無駄にすることなく、そしてこんなにも、このように最後にいたっても、天の父が、神が、この地球を愛してやまないのだという、愛の姿を、人類をいとおしく思っておられるのだということを、人びとにわかっていただきたいのです。

地球は神の愛から生まれました。
愛の中に生まれ、愛により育まれ、愛のために天上界よりご指導いただいております。
人びとよ、愛を忘れたのですか。
あなた方はどこから生まれ、誰に生かされ、何のために生きてきたのか。
神は愛です。
愛の中にすべてがあるのだということを、そのことをもっと多くの方がたに伝えてください。
愛とは何か。

自分たちの正義のために他を傷つけ合うことではないはずです。
その根本的な間違いが、これから世界大戦へと向かわせる大きな原因となっているのです。
自分たちの正義に酔った姿は、けっしてほんとうの愛ではないだということ。
それを、時代を通して、人びとは理解しなくてはいけないのです。
神の愛がどこにあるのか知らなすぎます。

どうかあなた方が、その愛の一端なりを人びとに伝えていただきたいのです。
わたしの愛の言葉を人びとに伝えていただきたいのです。
そして、少しでもこの地上に愛が満ち、光が満ちることを、わたしは願ってやみません。
家庭の中に愛が宿りますように、そして、新たな光の天使たちを愛のもとに育み、世界中が愛に満ちた時代となり、また復活することができましように、我々の計画に力を貸してください。

これ以上通信いたしますと、この者に負担が大きいので、今日はこれにて失礼させていただきます。
どうか、皆さま方のご使命を自覚なさり、これからも励まれることを望んでおります。
神の祝福がこの地上に降り注ぐことを願って。

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