top of page

Project Eden

1.日本は最終神理の発祥の地である

シュヴァンツェルと申します。
あなた方の国の名では、聖徳太子というふうに呼ばれているかもしれません。
しかし、今日はシュヴァンツェルとして、神の天上界における計画を、この日本の役割を果たすために、わたくしが長年果たして参りました使命について皆さま方にご説明いたしたく、参上いたしました。

天之御中主之神と呼ばれている大神が先日お出になられ、この日本と、天上界の計画における日本という立場を日本の使命というものを明かされておられたと思います。
わたくしは、この計画が天上界によって計画されてより、この日本担当として、この地に降りた者であります。

かつて仏陀が、このジャブドーバーのケントマティーという、この日本の地に再生なされるということを予言なされ、再臨なされるという計画がそのまま滞りなく行われることをもって、我々はそのことを踏んで、この日本という地を神の国として神の計画の最終的神理の発祥の地となさんがために、この大和の地というものを整え、神の磁場として努力してきた者なのです。

日本には当然、大和の地を預かるムー系の神々がおられ、そのローカルな意味での、この日本という、この大和の地に根づいた民族神と呼ばれている方がたがおられます。
それが日本神道と呼ばれている神々であられます。

その方がたと手をつなぎながら、わたくしは今日までの計画を、全般の流れを、この日本の中において、どのようなプロセスにおいて、この日本という地が最終的に今回の使命を果たすために、使命を果たせる土地として準備ができるかということ、最終的に仏陀意識の本体が降りられる地として用意できるかというために、わたくしは用意してきたのです。

民族神の方がたは、日本神道の方がたは、その使命を十分に自覚なされ、日本神道の神々は日本神道の神々として準備をなさられて参りました。
しかし、わたくしは中央のほうからの、あなた方がおっしやる中央のほうからの計画を、やはり降ろすためのパイプ役として、日本神道との間に入り、この日本の地を見守ってきたのです。
この大和の地において、日本神道だけの流れではなく、わたくしのときにも仏教を伝来させることにより、仏教の思想もここに根づかせたのです。

日本という場所は、和をもって旨とする。
本来が神道の中にも「和をもって旨とする」というのがございましたけれども、和をもって旨とし、人びとの人心というものをまとめ上げていきながら、かつ、人びとの心の中に高い神を求める求道心というものを人民の心の中に、人びとの心の中に根づかせるために、日本神道だけではなく、仏教、そして、キリスト教というようなものを導入していくのを段階的にわたくしは計画して参りました。

それが最終的に、仏陀と言われている方が、最後に世界中の宗教をローカル的なところから、最終的にひとつにまとめ上げていく世界宗教の発祥の地となるためには、やはりそのような数々の宗教というものがこの日本の地に根づいていなければ、その土壌としてほかの宗教というものを学ぶもの、要素がなければ、けっしてその悟っていくとき、そして、彼に従っていく者たちが、精神的な準備をする土壌としては用意できなくなるであろうと思い、数々の段階におき、日本神道のあとに仏教、仏教のあとにキリスト教というものを出しながら、この日本の地というのを、かつ、明治維新を通して、西洋文明の中に世界に向けて開放しつつ、技術的なもの、経済的なりーダーシップをとれる先進国として優秀な人材を多々送り込みながら、世界のリードができるような国につくり上げてきた、そのような計画のもとに動いてきた、そのような計画の最高責任者が、わたくしでございます。

そのために、わたくしとしては、まだまだ、力およばなかったかもしれませんが、この日本の地というものが、この日本の地から神の国の灯台として世界宗教の発祥の地とならんがための準備をするに、今の時期というのは十分な期をもって熟した時期であると思うのです。

まだまだ、優秀な方たちがおられます。
このような小さな島国の中に、これだけの経済的な力と、これだけの優秀な人材が集まり、このような小さな島国から、世界に対して意見を発信できるという国がほかにあったでしょうか。

かつてイギリスとかそういう国々が世界を股にかけて動いた時期がございます。
しかし、今の動向を考えますと、日本という国が次にどうなるかということを、日本が不用意な発言をすれば中国や韓国であのような暴動が起きることを思っても、日本という位置づけがどれだけ世界から見たときにその主義主張、その精神的なものがほかの国に対して強い影響を与えるかということを、そのような場所にいるのかということを、位置にいるのかということが、皆さま方おわかりいただけると思うのです。

そして、あなたたちのような優秀な人材が、今この日本には大量に生まれ変わっているのです。
高橋信次、エル・ランティと呼ばれておられる方、そして、OR、仏陀と呼ばれている方がたが降りられるのに続き、その一派の方がた、その方がたを慕う方がたが、光の天使たちが大量にこの日本の地に短期間の間に集中して生まれ変わってきたということがあるのです。

ですから、ほかの国では考えられないような水準の魂の方たちが局部的に集中して降りている。
そのような国であり、そのような今、時期にあるのがこの日本という国であるということ。
そのことをあなた方は、もっともっと深く認識していただきたい。

第3章 シュヴァンツェル:和をもって地球に愛を循環させよう

1.日本は最終神理の発祥の地である

2.日本が本来の使命を果たさねばすべてが無になる

3.天上界で誓った言葉を地上において果たされよ

4.これからはあらゆる執着を捨てていきなさい

5.日本に多宗教を導入したのは世界宗教統合のため

6.人びとは必ず本物を求めてやって来る

7.地球を国境のない星にするために

8.愛の星になるための最終的な大詰めのとき

9.「和」とは神の摂理そのもの

10.あなた方にお願いをするしかない

11.無私なる思いで難局を乗り越えよ

12.インターネットは最高の伝道の場である

13.本物さえ残せば法灯は継がれていく

14.成長し進化発展し続けることが神の法則

シュヴァンツェル(聖徳太子)

霊天上界にある八次元如来界最上段階にいる大天使のひとり。七大天使のウリエルなどと共に、政治関係を指導している。
紀元前600年頃、ギリシャに賢人ソロンとして生まれ、アテネ民主政の創始者となった。その後、574年に日本に聖徳太子として転生した。日本における仏教の興隆に努め、官司制をと取り入れた冠位十二階を制定し、天皇の中央集権を強化、新羅遠征計画を通じた軍事力の整備、遣隋使の派遣による外交政策など、日本の国家としての基盤づくりに努めた。また、「和をもって貴しと為す」で始まる「十七条憲法」が有名。
さらに1809年、アメリカにエイブラハム・リンカーンとして転生し、奴隷解放宣言を行った。ゲティスバーグ演説の一節にある「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉が特に有名である。

3.天上界で誓った言葉を地上において果たされよ

出たかった者は多かった。
ほんとうに多かったのです。
ひじょうに倍率の高い中を、きている。
それなのに我々から見たら「いったい何をしているのか」と言いたいことはたくさんあります。

しかし、やはり人間である以上、神の子と言いつつも善悪両面を、良さも素晴らしさもすべてを兼ね備えているのが神の子であり、その誘惑の中で、そして、その切磋琢磨していく知識の高みによって、あなた方は、この地上界の修行というものをなされていかれるはずなのです。

今は、仏陀におかれましてもたいへんな学びをされ、今これを学ばれたということがいずれ大きな意昧での、あの方におかれましても指導能力に還元されるときがくると思うのです。

であるならば、地上に出て行くときに「そんなにたやすいことばかりではないよ」と、「さまざまな誘惑や、さまざまな危険があるよ」と、「明治維新の者たちを見てもわかるであろう。
まともに天寿を全うした者など、ほとんどいないのだよ」と、そのようなことを言いながらも、「いいや、我々はやって来る」と、わたしたちに誓いを立てて降りて行ったのが、あなた方でございます。

であるならば、どうかどうか今あなた方がわたくしたちに対して誓った言葉を、今この地上において果たされていかれることをわたくしは望みます。

それがあなた方にとっても、けっして悔いのある人生とはならないということ。
真に生きたということは、そういうことであるということ。

きれい事だけではない。
いいことだけではない。
地上にいれば肉体的な誘惑、金銭、地位、物欲的なことの誘惑に今まで多くの者たちが惑わされ、堕ちていったでしょう。
そのさまを見て、あなた方がここに残っているというだけでも、ほんとうに素晴らしいことであるとわたくしは思います。
評価します。

であるならば、この修行を大切にしていただきたい。

よろしいですか。
天上界で清まり、良き環境で善意の者たちに見守られ、法の、愛の神の法の愛の中だけに包まれているときには、このような修行はできないということ。

地上に降りたればこそ、人の悪意、物欲、肉体的な誘惑というものに惑わされ、でもそれを乗り越えて、この地上界に神の計画を降ろしてこそ、本来の修行があるということ。

酸いも甘いもかみ分け、そして、行動できたときにこそ、真に価値ある価値観が何であるか、神のご意思が何であるかということを、法を真に納得してあなた方が悟ったということ。

そうでなければ、天上界でいくら偉そうなことを言っていても、何もわかっていなかったのと同じことなのです。
そのために人は転生していくのです。

天上界では善意ある人ばかりです。
人を裏切ったりするような者はひとりもいません。
お金なんて本来はないし、肉欲とか異性に対する欲も性欲もないのです。
そのようなところにおいて「惑わされるな」と言ったって惑わすものがないのです。
そこにおいては、人はある程度の境地にいけば清まり善意の中で感謝し合って生きていられるのです。

しかし、地上に降りたらば、あらゆる誘惑の中において、人びとはその危険の中にさらされます。
そこにおいても、その肉体的な本能、物欲的なものにおかれても、なおかつ、「あなた方は神のご意思がわかっていたのか」「神の思いがわかっていたのか」、「神の使いとして、神の使者として、あなた方は何ほどのことがこの地上にできるのか」ということを、今、あなた方は実証しようとしているのです。

2.日本が本来の使命を果たさねばすべてが無になる

この日本の土壌というものを、神の計画の一環の流れの中で苦労し、整えてきたわたくしたちの気持ちを思うのであるのならば、どうか、この最後の瞬間、この日本の地より世界に向けてこの神理を発信していくという、このたいまつ、灯台としての国とならんために、どうか皆をお借りし、そして、本来のこの日本という国、大和という国に与えられた最高レベルの使命を果たしていけるような、そのようなあなた方として、我々にぜひとも援助を願いたいと、心よりあなた方にお願い申し上げます。

あなた方が頑張らねば、今まで明治維新をやった者たちがやったことも、すべてが無になるということを、再三聴かれているはずなのです。
それは、ほんとうのことなのです。

彼らがやってきたこと、それは文明開化の方向に向け、新たな理念の中で、新たな先進諸国の仲間入りをさせていくということ。
日本神道も、新たな光一元の教えを海外から導入することによって、日本神道の教えを世界に打ち出していきながら日本という精神性の高さというのを海外にもアピールしだした時期でもありました。

そのようなことを考えながら、経済的なこと、そして、経済的に精神的に高い所には、より優秀な人材が生まれたがるということ。
まして、あとにメシアが生まれるときには、あなた方のような方がたが、ほかにも生まれたいという競争率をはねのけて、今回生まれてこられたということも事実なのです。

であるならば、今の日本が、日本の本来の使命を果たさなければ、日本という国は使命を果たしたことにはなり得ません。
そして、そのような高倍率の中で、使命を背負って出てきたあなた方におかれましても、やはりその中で立派に使命を果たしてこそ、光の天使であったということ。

そのことをあなた方は気づかれ、そして、我々の世界に帰ってきたときにも胸を張り、確かにあの日本に出て行って、「今回、あなた方を天上界に残してでも、我々は地上に降りて行った」という「使命を十分に果たしてきました」と、仲間の者たちに報告できるはずなのです。

4.これからはあらゆる執着を捨てていきなさい

それは誰の、神のためでもない。
全人類のためでもない。
究極に言うならば、あなた方自身のために今の修行があると思いなさい。
そうであるならば、あなた方は自分自身の人生を、魂を、今回与えられた場所において生き抜くことです。
生き切ることです。
そこにおいてあらゆる、これからは名誉心、金銭、そのようなあらゆる執着というものを放たなければなりません。
それほどに高い境地にくるということです。

よいですか。
行い即実行、行い即イコール、悟りであります。
行いをもってしか、あなた方が真に悟ったということを証明できないということ。
天上界におり、清まったところにおいて、どのような美辞麗句を語っていたとしても、そのようなものが、けっしてあなた方の悟りの高さを証明することにはならないのです。
なぜならば、悪意を持つ者など何もいないのだから。
そして、何も建設的なことをしたわけではないのだから。

この地上の、三次元を与えられた神のご慈悲は偉大です。
この天上界の、神のご意思というものをこの三次元に投影してこそ、神の国ユートピアの実現であり、神が本来、愛の表現体であるという、その表現の、その実行者としての、光の天使の役割というのが果たせるからです。

あなた方が地上において何ができたか。
今の時を刻みながら確実に死へ向かっている旅路の中で、あなた方ひとりが何をなすことができたか。
そのことだけを思い煩いなさい。
それ以外のことはすべて捨てていきなさい。

ここから先は何を持っても、執着し、つかんでも危険になります。
どうしてもそれがつかんで離せないというのならば、今去りなさい。
自らの意志で去りなさい。
そうでなければ危険なことになる。
そして、この道についていくのならば、心を無にし、あらゆるつかんだものを離しながら、神の計画のために、ただただ無心についていきなさい。
己のプライドや欲や、そのような異性に対する関心などがもしあるのならば、そのようなものを一度投げ捨てなさい。
それほどに、あなた方の今世の使命は大きいということです。

明治維新の志士たちがつけた道の上を、あなた方は今、歩んで生きているのです。
その彼らがつくった土に、あなた方が今、大いなる神の国を打ち立てることにより、そのあとに生まれてくる子どもたちへ、そのあとの人類が、あなた方のつけた道の上を歩いて、巨大な立派な神の国、神の愛の星を建国していくのです。

そのことを思ったのならば、今あなた方がやる力をもってなしにしては、愛の星にしていくこと、神の国、ユートピアにするということ、そのようなことはあり得ないのです。

それぐらい大事な、大事な位置に今、この日本、大和の国というのが位置しているということ。
その今の時期に、この第一次、第二次の計画が失敗し、第三の非常事態宣言が発令された中で、この計画の中で、このテーブルに座っているあなた方であるというのならば、ほかの世間の者が何を揶揄し、何をあなた方をなじり、何を悪いことを言おうと、放っておきなさい。
彼らが神の計画についてこられなかった、ただその悔しさの中で言っていることなど、言わせておきなさい。

あなた方が、自分が言われることではなくて、あなた方が何を神のために、全人類のために、そして、己自身のためにやっていけたかということをもって、次の時代をつくっていくのです。

それをもってこそ、神の子としての、神の使者としての使命を果たしていくのです。
そうでなければ、あなた方の命は無駄になる。
あなた方の転生も修行も無駄であったということ。
そのことがわからなくてはなりません。

今回、脱退していった者たちを見ていると、その肝心なことがわかっていないのです。
この計画に携わるということが、どれだけ危険を要し、どれだけたいへんな覚悟のもとに歩まねばならぬかということが、わかっていないのです。

それだけの使命を持っているあなた方であるということなのです。
そのことをもち、この日本という国の使命をあなた方と共に、わたくしもこれから指導霊としてともに歩んで、この日本という国をつくったことがけっして間違いではなかったと、今日の日本というこの場所をつくったということが、けっして誤りではなかったということを、わたしはその使命の総仕上げとして、あなた方に申し上げたいと思う。

5.日本に多宗教を導入したのは世界宗教統合のため

わたしの意気込みというものを伝えたいと思って、今日、出て参りました。

わたくしは聖徳太子という、過去、飛鳥の時代に出た、その生命体だけだというふうに思われるかもしれません。
しかし、わたくしは世界的な宗教界、世界的な神の国を、神の国のための計画を練るその一員にございます。
単に日本という国だけに留まっている聖徳太子と呼ばれているだけの、そのような者ではないのです。

ただ、世界の、神の視点から見たときに、世界中の宗教というものを統合する計画の指導霊団の一員として、この日本を見たときに、日本担当であるということは事実なのです。

この日本担当であるときに、日本の在来の、民族神と呼ばれている方がたと共に手を取り合いながら、今日まで指導してきた。
だから、日本神道だけではないものが導入されてきたというのは、わたくしの力でもあるし、わたくしの意見でもあったということなのです。

本来、日本神道が、もっと日本神道として、教えを残していきたいということもあったかもしれないけれども、日本神道だけが力強く、教えだけで一色に染まってしまうならば、イスラム教ならイスラム教一色であるならば、そこに仏陀がお出になられたとき、どのような地盤が出てしまうか。
そのためにも、日本神道の神々にはたいへん申し訳ないけれども、日本神道としての色を少し薄めていただけるようにお願いしてきたのが事実なのです。

ですから、教えが出ていないということだけではなくて、やはり仏教も入れなければいけない。
キリスト教も入れなければいけない。
あと、ほかの新興宗教、プラグマティズムというような、そういう光明思想も取り入れていかなければいけない。
そのような、いろいろな雑多なものが、この日本という土壌にある中において、最終的な統合されていく世界宗教としての集大成の磁場として、この日本という国がその使命を果たしていける、そのような磁場をつくるために、わたくしはこのような多宗教を導入してくるという立場を持ちました。

それゆえに、一貫した宗教的な価値観というものが生活の中に、国民の中に根づかなかったかもしれない。
一神教であるならば、しっかりとその生活の中に、その人びとの心の中に根づくものなのです。

しかし、いくつもの宗教が入ってきたがために、「わたしは仏教」、「わたしはキリスト教」、「わたしは神道」「わたしは無宗教」という感じで、いろいろな宗教が入ってきたから、国民の中に、信仰のもとに一括して統率されるというものがないかもしれない。

でもそれが逆に言うと、宗教に対する寛容性というのを生み、ほかの宗教を統合していくときに柔軟なものの考え方ができるのではないかというふうにも理解したのです。

であるならば、今の地に、最終的にエル・カンタラーと呼ばれている仏陀意識の本体が出られ、世界宗教をまとめられ、この日本の地から世界に向けて統一された世界宗教を発信していくということ。
そのことを日本の使命とするのであるならば、土壌的には十分、用意された場所であったとわたしは自負しております。

ただ、宗教の信仰生活というものの中に、神というものが根づき切れなかったというきらいはあるのですけれども、やはりそれはその個人の環境におけるものもあったのでないかというふうにも思います。

であるならば、あなた方におかれましても、けっしてバリバリの信者の家とかに生まれたわけではなかったとしても、あなた方が十分な信仰心と、一途な気持ちを持ち、今この場に集まられているということ。
一点の曇りもない純粋な気持ちの中で使命を果たしていかれたいということを思われているならば、それは日本という磁場においても十分あなた方のような存在は育ったということ。
そのことを思って、環境だけのせいにしてはいただきたくないというふうに思うのであります。

どのような環境におかれましても、最終的にそれを生かすも殺すも個人の心がけ次第でございます。
あなた方はこのような環境におき、今発信しようと思ったのならば、名もない国に生まれたのではない、この日本という国においてやるからこそ、インターネットにおかれましても、これから発信するのにおきましても、たぶん日本という土壌というものを上手に利用していくならば武器になっていき、十分それを発信できる場所にいられるのではないかと、わたくしは思うのです。

6.人びとは必ず本物を求めてやって来る

今、このような体制の中で調和し、人びとが、あなた方が持てる限りの力を出しながら、この霊言というものをとりながら編集し、これを人類の財産として、書籍として、小冊子として、CDとして、この言葉を残していただきたい。

必ずや本物である以上、人びとは必ず求めてやって来ます。
海外からもやって来ます。
本物であるということが、その前提条件なのです。

偽物は、いくら立派な入れ物に入れて、きれいな飾りを施してみたところで、誰も欲しがりはしないのです。
一時の話題はあるかもしれない。
でも、本物であるならば、遠くより求めてやって来る者がいるのです。

かつて予言され、イエス・キリストが生まれたときにおいてもそうでした。
遠くの地から、イエス・キリストがお生まれになったことを求めて、東洋の博士たちがやって来たではありませんか。

必ずや、いろいろなところにおき、霊的なことにおいて感知する者たちが世界中にもうすでに埋められているのです。

ですから、彼らは日本に生まれてきたくても、日本ではなく、それぞれの国にその神の言葉を、本来は仏陀の言葉を自国に持って、そこの国にまた神のたいまつを灯すがために、海外に生まれて行った光の天使たちも待っているのです。

彼らが彼らの使命を果たすのに、もうすでに年がたってきております。
彼らが生きているうちに、彼らがその言葉の意味がわかるうちに、あなた方がこの霊言を発していただきたい。

それができれば焦ることはない。
焦ることはないけれども、そのような神の計画の名のもとに、計画の流れの中の一環として、あなた方の今の使命の場所があるということを、その位置関係というものを、しっかりあなた方がとらえるということ。
それがとても大事なことであるかなと思われます。・・・

本物であるのならば、必ずや、人びとはその価値を見いだし、また戻って来ることでしょう。
なぜならば、彼らがそのあなた方の霊言集を読むことにより、永遠の命を授かるということ。
その本来の価値をいちばんわかるのが、神の子である多くの人びとの神性が、それを呼び求めているからです。

どんなものであるにせよ、その言葉がわかる限り、その価値が光り続ける限り、日本国内におよばず、海外からもその言葉を求めて、命の水を飲みにやって来る者たちがあとを断たぬことでしょう。
それを神は望んでおられます。

その、まず命の水を飲み、天上界の方針を、価値観を、しっかりと行き先を見極めたのならば、人類はそのあとに、「さあ、あなた方は何をするか」ということを、神々により問われるときがくるのです。
でも、今何が起きたのか、何が神のご計画であるのか、今地球がどういう位置にあるのか、ということをしっかりと、神理の神の価値観とともに理解しなくては、そのあとに地球中の者たちに向かって、「さあ、あなた方は何をなしていくのか」という問いかけが神の側としてもできないのです。
そのためにも、しっかりとあなた方の霊言を残していただきたい。

7.地球を国境のない星にするために

かつて、ドイツにもベルリンの壁というのがありました。
東ドイツ、西ドイツというのが分かれていながら、人びとは行き来することもなく、そこを渡ると銃殺されていたという歴史があるのです。

でも時期がきて、そのベルリンの壁というものが壊されていったときに、人びとは、今は当たり前のように行き来をして、東ドイツ、西ドイツの人が、本来のように、民族が統一されて平和に暮らしているではないですか。

一昔前なら考えられないことでした。
今は当たり前のことなのです。
それと同じことができるのです。

今は国境というものによって、高い、高い塀のようなもので人びとが住み分けられ、違うものであると敵対し、憎み合い、利害関係だけで争っております。

本来、神の子というものは、地球に生きている地球人類としては、ひとつの民族なのです。
「地球人」なのです。
本来国境をつくることが間違っているのです。

そのような高い垣根を取り払いなさい。
そのような高い塀を取ってしまいなさい。

そのようなことを今、神々はみんな言葉を変え、いろいろな個性を変えながら、あなた方に伝えているのです。

その垣根を払ったとき、地球上から、今は信じられないかもしれないけれども、あのベルリンの壁がなくなって、今統一した民族として、ドイツの方がたが仲良く暮らしている姿を思うのならば、あのかつての悲劇というのは考えられないことでしょう。

でも、あなた方は十分それをその悲劇を目の当たりにしているはずなのです。

それを思ったのならば、「そんなこと、できっこない」と、「国境をなくすなんて、ありえっこない」、「地球統一政府のもとで、地球の統一宗教のもとに地球がひとつになり、地球ユートピアになり、愛の星として生まれ変わっていく中で、あなた方が地球人類としてひとつとなるということなどあり得るわけがない」と、今の者たちは声高に言うことでしょう。

でも、あり得るのです。
あり得る進化を、発展していった者たちだけが、宇宙文明の仲間入りをしていくことができる。

そのような発展と進化の過程を経て、今は高い文明を誇っている星々があるのです。

そのような過程の中で、宇宙改革の歴史の中において、この地球をそのような統一された神の星に変えていくがために、いかんがために、我々は長いときをかけながら、この日本から、この最終的ユートピアの達成のために、この使命を果たさんがために、わたくしはこの日本という国を預かって参ったのでございます。

その思いをあなた方に伝えたかった。

8.愛の星になるための最終的な大詰めのとき

けっして、わたしたちが何がなんでも、日本の国から世界をリードする国になって自己実現をしたいとか、神の国として何がなんでも、ひとつに押し着せのようにまとめ上げたいということではなくて、それが本来の人類の、惑星単位での、進化のオーソドックスな流れの一環なのです。

その中において、地球というものがそろそろ、そういう成熟した時期にきてもいいと、神こそ愛の法則である、愛の摂理そのものであるということ。
その摂理の一環として、愛の中で我々は一人ひとり生かされております。

人間だけではありません。
人間だけが神の子なのではありません。
自然界における動植物すべていっさい
鉱物にいたるまですべてが神の子なのです。

その中に、神の愛の法則というのが脈々と生き続けているのです。

それをお互いにいとおしみ、お互いに尊重し合い、愛し合い、感謝し合い、一緒にともに自然界と共存していく。
そうすれば、自分たちの自我我欲だけで川を汚し、空を汚し、地球をさまざまなものの中で汚染していくような方向に、産業などは発展しないのです。

環境は維持されていくのです。
ゴミを不用意に出すこともなくなるのです。
他者とも手をつなげるのです。
ほかの国と戦争することなど、当然なくなっていくのです。

互いに赦し合い、生かし合い、手を取り合い、大調和の中で、愛の大調和の法則の中で、人びとがこの地球単位という星の惑星の中で、ひとつに手をつないで大きな輪をつくっていったとき、そのとき、この地球というものは大いなる星という中で、神の国、愛の星になることが実現されていくのです。

その最終的な大詰めのときであるということ。
その大詰めであるからこそ難しいのです。

あなた方もさっきから言われている、四合目、五合目、六合目となり、辞退者が出てくる。
ねえ、脱退者が出てくる。
五合目、六合目、これから七合目に上がっていきますよ。
新たな計画が発動されていけば。

そのときに最終的に外部からの嫌がらせではない、どんなに外部からさまざまな無理難題がきたとしても、トラブルがあっても、あなた方の心が一致して、和をもって心と心の手がつながれていたのなら、いかなる問題に対しても対応していけるのです。
それだけの力のあるあなた方でもあるし、それだけ柔軟性を持っていく人たちでなければ、これから上にも行けないということなのです。

ですから、そんなことを気にすることはない。
常に魔の誘い、常に挫折の種というのは、己心の魔にあります。
それをもう十分学んでおられるでしょう。

高橋信次が、エル・ランティ、高橋信次が、命をかけ、生涯をもって説かれた基本的なこと。
それは八正道の教え、反省行とともに、己心の魔に対する警告でもありました。
己心の魔がいかに危険なものであり、今の地上に神の計画を実行してゆく者として、いかにあなた方が学んでいなければいけないかという、いちばん最重要なことを、高橋信次、エル・ランティは、あなた方に法として教え残されていかれたのです。

単に悪霊とか、魔に対する好奇心や、稚拙なものだけだったと思われるかもしれないけれども、「さあ、光の天使たちよ、この地上に実行するならば魔の手が来る。そのときにいちばん大事なことは己心の魔であるのだよ」と、「外部から来る者ではない。己心の魔にこそ勝たなければ、地上ユートピアは建設できないのであるぞ」と、その大事な、大事な教えと戒めというものを、高橋信次、エル・ランティは残されたのです。

9.「和」とは神の摂理そのもの

魔というのは外から来るのではない。
波長同通という理論の中で、自らの中に欲を引き込んだときにこそ同通し、自らが魔にやられて堕ちていくのであるということ。
最初から清まって、100%純粋な者など誰もいないのです。
そのときに魔の誘いに、欲に負けるかどうか、それだけが分かれ道なのです。
だからこそ、仲間がいるのです。

何度も何度もこの者が繰り返し言っているように、だからこそ仲間というのが必要なのだということです。
どんな無理難題がきたとしても、トラブルがきたとしても、いかなるときにも自分たちが謙虚なる気持ちにおいて、己心の魔に気をつけて、みんなで心をオープンにして、「みんなで乗り越えていこうね」という前向きな姿勢があるのならば、どんな問題でもクリアしていく。
どんな問題でも乗り越えていける。
それが神の使徒であるあなたたちの実力であるのです。

ですから、つまらぬことに怯えず、つまらぬことに猜疑心を持たず、自信を失わず、自信を持ちつつ、そして最後、人を責めるのではなく、この巫女に魔が入ったとか何だとか「外部に魔が、魔が」と言うのではなくて、「魔が」と言いたいときには、まず自分の心を反省し、己心の魔が入っていないかということを常に点検していったのならば、必ずや大団円、大調和の道というのがあり得るということ。
それをもって、日本の地というのが和をもって旨とするという「和合」というものがあるのです。

和というのは、本来が安易な意味で人びとと妥協し、調和するというような、そんな安易なものではないのです。
和という、本来は神の摂理そのものを言います。
愛の中においてすべてが和合し、大団円の中において愛のもとにまとまっていく。
それがあってこそ、神の摂理というものが宇宙に広がり宇宙というものを構成しているのです。

和というものがなくては、神の愛というものは巡っていきません。
循環していかないのです。
神の愛というものが循環し、血液のように流れていったとき、そこには大調和という、和というものが実現されていく。
そのような地球というものが、その見本として、まずこの大和の地、日本の地というものが、和をもって旨とし、神の愛の血液というものが教えの中に巡ることによって人びとの心に根づくことによって神の愛の表現者としてこの地球というものの、まず、先駆者として、この和合していく姿を人びとに見せたいという、その意志のもとに、この日本というものを計画し、その使命として果たそうとしてきたのです。

ですから、和というものを、ひじょうに安易に考えておられる方が多いかもしれない。
自分の中に不満たらたらで、相手に対する悪意があろうとも、「和をもって旨としなきゃね」という、安易な妥協の産物であるというふうに、もし理解なさられているならば、それは大いに間違いであるということを、わたくしは今回、申し上げておきます。

自分の中に正直に、自己に正直に生きるということ。
不平、不満があるのならば、正直にぶつけ合うということ。
その中で、お互いに歩み寄り、理解し合っていくことが大切であるということを。
けっして欺瞞の中には和はないのです。
お互いに正直にぶつけ合っていった中で、ほんとうに自ら神の子であるという、本来の使命に戻っていったのならば、理解できたのなら、最後に出てくるのは「和」しかないのです。

神の愛のもとに、一途にお役に立ちたいということで、お互いに尊敬し合い、尊重し合い、ともに手を取り合って、この計画のために少しでもできることをやっていきたい。
そのように思うときに、大調和以外の何ものも、この地上には表されないということ。
それは、組織単位においても同じことだと、わたくしは思います。

10.あなた方にお願いをするしかない

この日本という使命が、もし、日本という使命が果たされねば、この世界のユートピア計画というものは挫折したことになるというのはそこなのです。・・・

あなた方にとっては、胸ふさがり、荷が重いと思われるかもしれない。
そのような場所にあなた方を追い詰めたのであるなら、わたくしはたいへん申し訳ないことだと思う。

本来ならば、仏陀や、エル・ランティや、仏陀の名のもとに、多くの者たちで責任分担をしながら、一大精神文化の革命というものを起こすために計画されたものでもあるのです。
こんなに少数の者たちに、すべてを背負わせながらやらせるということを考えると、ほんとうに返すがえす申し訳ないと、わたくしたち天上界の者たちも思っているのです。
でも、今あなた方に頑張っていただかなければ、そのあと引き継ぐために多々出ていった者たちの使命も果たされないということ。
そのことを思って、あなた方にお願いをするしかないということ。
そして、それができるような方がたが、今ここにおられるということをもって、わたくしはお願いに来たのです。

これからのあなた方の計画。
この地球上において、あらゆる組織、文化、教育、経済、そして、天変地異も含めて、この地球の大浄化の、大変革のときがきます。
ひじょうに多くの者たちが亡くなることもあるでしょう。

そして、地獄界を通して、この地球にたくさん溜めてしまった悪想念というものが、邪気というものが振り払われて、その浄化の過程の中で多くの不幸が起きてくるということもあるでしょう。

でも、それはひとつの事象の流れとして、起きるべきものが起きるのであるというふうに、あなた方のすべての責任ではないということは、すでに数年前に霊言で申し上げているはずなのです。

そのときは何を言われるか、全然わからなかったと思うけれども、これから世界的な大いなる変革のときの中で、でも、その変革をするのはあなた方ではない。
変革をするのは命がけになり、坂本竜馬たちや、勝海舟や、西郷さんたちのような、ああいう人たちが、ミカエルのような者たちが、命を張りながら、若い命を散らしながら頑張っていくのです。

そういう時期がきます。
でも、彼らはその使命のもとに命がけで降りていっているのです。
そういう意味で言うと、ある意味で、あなた方のほうが守られた時代に生きているのかもしれない。
そう思って、彼らの背負わなくてはいけない運命の過酷さを思うのならば、どうか、あなた方のできることをもって、最善をもって、この使命を果たされんことを心よりお願いいたしたいと思うのであります。

このような状況にもってきたことの責任は、我々とて、ひじょうに深く思っております。
もう少したったならば、すべてを反省の中で、何か間違っていたのかということを、大きな学びとするための反省をしたいと、ともに思っております。

しかし、今はこの難局を乗り越えて、最終的な、最後に残されたチャンスの中で、この地球計画というものを達成していくために、何としてでも、できる限りのことをしたいというのが、今天上界の指導霊たちみんなの悲願でございます。

11.無私なる思いで難局を乗り越えよ

今までは、日蓮聖人がお出ましになっておられましたけれども、やはりこの大きな計画における最終的な責任者として、エル・ランティとか、ミカエルとか、日蓮聖人という方がおられました。

ただ、この日本の地限定ということに関しまして、受け皿を用意するため頑張って参りましたのがわたくしでございますので、わたくしなりに、皆さま方にアドバイスできることというのがあると思います。

明治維新の者たちが、その志の高さというものを、その情熱の無私になるということをあなた方に教えていかれたと思います。
まさに、そのような気持ちがなければ、この難局を乗り越えられないでしょう。

ですから、けっして無駄に、偶然にあなた方の興味本位で明治維新の企画が持たれたのではないということも申し上げておきましょう。
彼らから今、学ぶことをもって次の計画に進まれるのです。

無私なる思い、「己の命などいつでもくれてやる」という、その気概の中で、彼らは未来の日本を夢見て、その命を散らしたのです。
その意気込みというものがあなた方になければ、この難局における魔との戦いというのは、けっして勝てないでしょう。
それぐらい魔の力が強くなっているということも事実なのです。

ですから、戦闘系の巫女という者をここに連れて来ているというのも、そうなのです。
このような者が立ってくるということは、それだけ魔が強い、そのようなことも十分、磁場的に考え得るということで、このような第三の計画というのが密かに封印されていたということも事実なのです。

であるならば、最悪な状態の磁場の中において、いかに取り戻し、本来の計画に戻していくことができるか。
次の時代の者たちにつないでいくことができるか。・・・

他の外野の者たちなど、時間の流れがたてば、彼らの思ったことなどというのは本人の修行以外の何ものにも残らないということ。

そういうふうに思われたのならば、今多くの人類のために、神々の計画のために、やれるあなた方の人生であるということを喜んでいただきたい。
そして、その使命の中で、最大燃焼をされていくということが、あなた方の今世の最高の生きがいであり、生きた価値、証しであったというふうに胸を張って天上界に帰って来られるということ。
そのことを思って、どうかあなた方は、この使命を果たされんことを祈ります。

12.インターネットは最高の伝道の場である

(ホームページ上に霊言を残していくことについてアドバイスを求められて)
今、あなた方のホームページはまだ立ち上げたばかり。でも、そのコンテンツと呼ばれている内容は、ひじょうに水準の高いものであるとわたくしは思っております。ただ、もっと整理されていくべきものがあるでしょう。

でも、そんなに焦らなくてよいのです。今の時期にできることを無理せず、一歩一歩を重ねていきなさい。そうすれば、そのうちに整理する時期もくることでしょう。

今これから、CDとか、ネット販売とかいうことを考えておられますね。それは素晴らしいことです。一軒一軒行って、かつての伝道のように、押し売りのようにすることよりも、これからは小学生でもイッターネットを使う時代になるのです。

そのときに、ホームページを見ながら、お金を使わなくても神の言葉に知り合えるという、そのような状態になっているのは、たいへん素晴らしいことだと思っております。

ですから、全部しなくても、あそこにリストアップされている、「天上界の声」を、短編ずつでもいいですから、少しずつアップされていかれることを望みます。

お金が出せずに、インターネット販売などで神様の声を聴けない。でも、小学校、中学校、高校という多感な者たちが、暇があればインターネットを覗いている者たちが多いのです。今の中学生でも、その者たちが少しでも信仰心というものに興味を持って、あそこで「天上界の声」というものを読んで、それが命の糧となっていくことができるのであるのならば、あなた方の神理の伝道というのは、素晴らしいものになると思うのです。

でも、もう少し「神理の言葉」と、初期からの難しい難解な言葉を理解しなくてもわかる者たちの言葉というのを、もう少し整理されたらよいかと思います。

そして、当然あなた方の世代のことですから、宗教遍歴があり、ひじょうに知的にも高い、しっかりと学んでこられた方たちを対象とするところに、もっとはっきりと明確に分けられて、難しいものは難しいものとしてお出しになられ、やさしい一般、子どもたち向けとか、初心者向けコーナーとも、もっとはっきりと銘を打ってしまえばよろしいのではないかと思うのです。

ただ、もう少し易しい言葉でわかりやすく、はっきり言うならば、中学生か、小学生高学年ぐらいが神様の言葉に興味を持ったときに、開いて、読んでひとつのきっかけとなる、そのような内容にしていってもいいのではないかと思います。

今、だから多くの書籍伝道とか、かつての無理な伝道という体制がありましたけれども、そのような押しつけがましい伝道形態というよりは、あなた方にとっても楽だと思うのです。ホームページにアップしておけば、勝手に伝道してくれるわけですから、今の時代は。

だから、そのようなほうが、押しつけがましくもないし、人びとの中に反感も感じないでしょう。嫌ならば、読まなければいいのですから。

ですから、そのようなもとで、そのうちに女性向け、子ども向け、それからあと、神理の初心者向け、そして、今でも戦わせておられるような、かつての宗教遍歴の中における、ひじょうに知的水準の高い玄人的な人たち、そういう人たち向けというふうに、ちゃんと明確に分けられて、そのコンテンツももう少し整理なされてアップされていったならば、もっともっと生きた伝道の形態となると思うのです。

そのような伝道をして、今日も、わたくしもこの者と見ておりましたけど、E会と言うんですか。それが、婦人たちがグループを持って、各家をピンポーン、ピンポーンやりながら、歩いているのを見ておりましたけれども、あのような形態が一時は確かに有力であると、言われた時代もあったと思いますけれども、今の人たちはもうそれで懲り懲りとしているのですね。今の人たちは。

K会系統で来た人たちもそうであったと思います。もう二度とーー。またK会と同じことをするのかと思われたら引いてしまうと思うのです。

ですから今、迷っている方たちにおかれましても、同じようなことではなく、「読みたければ、どうぞ読んでください、無料で」というような気持ちのアプローチがあると、ひじょうに新鮮で、彼らの傷口を逆なでしないと思うのです。

ですから、そのような形で、インターネットで出していくという、今コンピュータが一人一台になってきつつある時代であるならば、今の幼くして出ている者たちが成長する頃には、すべての者たちがインターネットを開いて読む時代がくることでしょう。

であるならば、どうかそのようなことを生かして、インターネットのホームページの充実というものも、徐々に徐々にみんなの手を借りながらやっていかれるということ。そこが最高の伝道の場であるということ。そして、世界中に向けて、伝道の場であるということ。

だから、英訳をされるというのは素晴らしいことだと思います。今、世界中の国々と、英語でさえ訳してあるならば、それを自国語に訳しながら読まれる方はたくさんおられるのです。

ですから、そのうちに霊言もある程度の数になってきて、もう一度、編集されて、ジャンル別に分けられていくようになっていったのならば、その流れの中で英訳にされていって、アップされていく。そして、英訳本をつくることで海外に発信していくという、そのような資料の編纂の仕方もあっても良いかなと思われます。

よろしいでしょうか。

13.本物さえ残せば法灯は継がれていく

あなた方も成長していくのです。今、書いてられる内容は、今のあなた方の悟りの中でまとめられたものです。これから経験を積まれ、多くのわたしたちの言葉を聴いていく中で、また、さらに認識力というもの、思考能力というもの、経験知というものをもって、書かれていくコンテンツの中身も成長していかれることでしょう。

ですから、これだけがすべてだと思われるのではなく、あなた方の成長をもって常に更新していく、新たなものを打ち出していかれるという、そのようなアプローチがあるホームページとして、成長していくことをわたしたちは楽しみにしております。伝道形態としては、素晴らしいものであると思います。

あまりに組織だとか、ビルだとか、宗教法人だとか、そのようなものばかりで思い煩い、かつてのK会は迷っていって、物欲の中で、泡の中で消えていってしまったのです。
そのようなものに惑わされるこの地上界ではあるけれども、そのようなものに振り回されることなく、なるべく、そのようなインターネットみたいなものを使いながら、効率よく経費をかけず、そして、あなた方も自らの人生を大切にしながら、無理のない形で焦らすね、焦ってはいけませんよ、焦らずにおやりください。

そうすれば、必ずや神の指導が入り、やるべきことを精一杯おやりになったのならば、結果を気になさることはないのです。
精一杯やっていただけたならば、そこであなた方が終わったとしても、そのあとを必ずや継ぐ、引き継ぐ者が出てくることでしょう。

真が、本来の真理が、本来の本物だけが残っていったならば、その本物の光を必ずやめがけて、あとを継ごうと来る者たちがいるのです。
でも、一生懸命頑張っても、焦って、まるで神理も魔も、ぐちゃぐちゃにしてしまったのならば、その中にある素晴らしさに惹かれてあとを継ぐ者も来ないことでしょう。

有限な命の中で、我々の世界から見たら線香花火のような命の中で、肉体を持って我々の世界から地上に出て行っているあなた方なのです。
いつまでもいられる人生ではないのです。
使命を果たすのは一時のこと。
それを精一杯果たしたのなら、心おきなく帰っていらっしゃい。
また次の者たちがその法灯を継ぐことでしょう。

ですから、全部すべて自分たちでやろうと思い焦ることなく、意気込みすぎるのではなく、精一杯、精一杯、今のときを大切にしながら、その使命の中で工夫をしながらおやりになるということが大切だと思います。
本物さえ残していただければ、本物の光を求めて、また本物の光の神の子たちがその法を継承するためにやって参ります。
そうやって法灯というのは継がれていくものなのです。

高橋信次、エル・ランティが本物を残してくださったから、OR、エル・カンタラーが本物の初期の法を残してくださったから、あなた方が集まって来てくれたのではないのでしょうか。
本物がそこに存在しなかったら、あなた方が集まることもなかったのではないでしょうか。

だから、エル・カンタラー、ORに対しても、高橋信次、エル・ランティに対しても、心から感謝いたしましょう。

14.成長し進化発展し続けることが神の法則

これだけの偉大な法を、今この地球に、この地上の日本という場所に立て続けに降ろしてくだされた、その神理の高みをもってこそあなた方がこの学びをし、今のような水準にまで上がれたということが事実なのです。

ほかの国の方がたは、このような救世主と呼ばれている根源の本体の方のお言葉を聴くなどというチャンスには恵まれておりません。
どんなに素晴らしい資質があったとしても、あのような言葉を学び、あのようなことを心の糧としなければ、あなた方のような認識レベルには今世、到達していられないのです。

でも、今あなた方は、その生きてきたという人生の証しをもって、今このような認識の中で、このような我々の言葉をほんとうに理解ができて、使命を悟ることができる。
その素晴らしさは、あなた方という魂を培ってこられた高橋信次、エル・ランティの言葉であり、OR、エル・カンタラーの言葉であったというふうに思っても間違いはないのであると思います。

そうでなければ、一般のそこらへんに歩いている人たちをつかまえて、わたしの言葉を、今伝えてごらんなさい。
おかしなことを言う霊であると思われるかもしれない。

でも、あなた方はそうやって涙を流しながら理解してくださる。
それが認識力というものなのです。
それだけ魂が、今世そこまで水準が上がってきているということなのです。

であるならば、その水準の高さをもって、水準の高い使命を果たしていきなさい。
けっして、けっして神は分不相応なものを要求はしていないのです。・・・

ですから、あなた方は自分の人生に、自分の魂に、自信を持って、精一杯、やられることをわたしは望みます。

日々成長していきましょう。
成長し、進化発展していき続けることが、神の法則でもあります。
常に常に、神ですら、大いなる進化発展を遂げておられるのです。
であるならば、我々も大いに自らの人生の中で、新たなる学びと、新たなる教えの中におき、新たな実行というものを行動というものを通して、我々の魂というものを磨き、成長させていきましょう。

かく言うわたくしでありましても、最初思っていましたことと、次々と違う事態が起きてくる中におき、精一杯、今まで頑張って参りましたけれども、今回のこの日本に起きた顛末を見まして、大いなる、大いなる学びをさせていただきました。
そしてまだまだ、自分の認識がまだまだであったなという反省を、深い反省をもって今あなた方に言葉を語っているのです。

もっと、わたくしがわかっていたらどうだったのであるかと思うけれども、やはり実際に、地上に映してみなければ、行動の中でやってみなくてはわからないことというのが多いのです。
実行部隊というのはそういうものなのです。
きれい事は通用しないのです。

であるならば、神のまことをもって命を張った明治維新の志士たちのように、あなた方も神のまことをもって命をかけ、この最後の地球の難局に臨んでいただきたいと心よりお願い申し上げるのです。

では、今日はこれにて失礼させていただきます。

また、わたくしなどの力がいりましたら、日蓮聖人だけではなく、わたくしもお呼びいただければ、具体的な方針をなんなりともご相談に乗らせていただきたいと思いますので。
今日、これでチャンネルがわかられたと思いますので、どうかお呼びください。

「シュヴァンツェル」というふうにて一言呼んでいただければ、わたくしは参ります。
「聖徳太子」というふうに言って呼んでも、どうもこの方のチャンネルにはないようなので、「シュヴァンツェル」と一言、言っていただければ、この方には一瞬にして通じるチャンネルがございますので、そのようにお呼びください。

bottom of page