Project Eden
1.癒しとは神のお心そのもの
我が息子たちよ。
あなた方が今、この日本に生まれ、この神の計画のもとに集い来たっておられること、その姿を見てわたしは心よりうれしく、たまらなく、あなた方に声をかけたく、今日参りました。
あなた方は、我がホワイト霊団の愛すべき仲間たち。
わたくしと共に、数々の困難、苦難を乗り越えてこられた、わたくしのかわいい子どもたちでございます。
あなた方が今、このような思いでこの地上に生まれ、そして、弱き者たちの力にならんがために、その愛の思いを実践しようとされておられるということ。
そのことが、どれだけ神の御心の中において、神が喜ばれ、我々の気持ちをどれだけ喜ばせてくださっているか、それをお伝えしたいのです。
あなた方はこの地上に出られるときに、この救世の計画をすべて熟知し、一生懸命やってこられると、勇んで地上に降りて行かれた方がたです。
各霊系団からそれぞれの者たちが地上に降りて参りました。
今回の救世の計画において、ホワイト霊団の者たちが力を発揮する場所は少なく、なかなかわたしたちも指導するチャンスというのがなかったのです。
でも、これから、あなた方が多くの神の子たちを救っていく救世事業に入っていくときに、あなた方の本領を発揮されていく場が与えられているということ。
そのことをほんとうに、あなた方が来てくださったことを思って、わたしはありがたくて、うれしくて涙するのです。
先ほどから、「癒し」ということをおっしゃっておられるようですが、「癒し」というのにはさまざまな形があると思います。
「癒し」という以前に、それは神の愛のお心そのものであると思うのです。
愛を感じ、多くの方たちの気持ちに立ったとき、そして、それをどのようにしたら、多くの人びとに伝えていけるかと心を砕いたときに、その相手を一切裁くことなく、ありのままにて相手の全存在を受け容れ、そして、ともに励まし合い、慰め合っていく。
トータルに相手の素晴らしき神の子としての神性を受け止め、いとおしみ合う、その時に、わたしはいたわりとともに、癒しというのがあるのだと思います。
そして、最大の癒しというのは、神の、宇宙の中に遍在しておられる、大宇宙の神から発せられる愛の思い、愛とは自らを生かし、そして神の子、自分たち、仲間たちをともに生かし合おうとする。
その愛の思いの中で、自他共に一体となり、その喜びも悲しみも分かち合っていく。
その辛さもともに分かち合っていく。
その思いの中において、人びとが神の子として、ともに手を取り合ったときつながって、神の御意識の一部として、その神様のお気持ちの懐の中に飛び込んで行ったとき、その時にわたしたちは魂において、最大限に癒されるのではないかと、そのように思います。
地上におけるあなた方、一人ひとりの中における癒しというものを考えたときに、まず、あなた方の身の回りの方がたを、そして、あなた方のように、傷つき苦しまれる患者さんたちのような方がたが、おられる立場におられるのだったらば、心に傷を負い、肉体に傷を負っている方がたに、どうか、あなた方の最高の技術と、そして、愛と励ましでもって、その方がたを包んであげていただきたいのです。
愛の思いの中で、優しさの中で、あなた方がその神の子たちを、あなた方の手を頼ってやって来られる方がたを、どうか、力を貸していただける中に、あなた方は神の光を帯びた神の使者として、神の代弁者として、その周りの方がたの魂を最大限に癒される、癒し手となられることでしょう。
その思いの根本に、どうかあなた方は神の子であり、ともに病で傷つき、病で苦しむ方がたも、けっしてひと事ではなく、あなた方の一部そして、あなた方もすべてが神様の一部であるという思いの中で、愛によってすべての魂が結合し、連結されていく中において、神のご意思というものがこの地上に表現されていく。

聖母マリア
イエス・キリストの母。救世主の母であることから聖母と呼ばれている。聖書の中では夫ヨセフと結ばれる前に、処女でありながら聖霊によってイエスを身ごもり、ベツレヘムという町の馬小屋で出産したとされる。
彼女は信仰深く、常に神に対して従順な女性として聖書に描かれており、キリスト教においては、現代に至るまで女性たちの手本として尊敬されている。
霊言の中では、聖母マリア自ら処女受胎を否定しているが、謙虚で愛に満ち、神の意思をやさしい言葉で地上に伝えようとするその姿勢は、聖書の記述の通りである。
20世紀末の天変地異や不安定な世界情勢を回避するため、聖母マリアはファティマやルルド、秋田など世界各地に現れ、終末の訪れと悔い改めを説いた。
冷戦が終結し、天変地異も起こらなかったことから、聖母マリアの出現は過去のこととされがちだが、むしろ彼女の警告は現在の人びとに向けられていることが明かされている。

3.相手を生かすことが自らも生かすこと
あなた方は愛というものがどういうものか、ただただ甘やかせばいい、赦し合えばいいというふうに思われるかもしれないけれども、あなた方の中にある、愛というものが自らの尊厳を高め、そして、相手の尊厳を生かすことであるのならば、時に愛というものが厳しい言葉を伴うときもあるのです。
真に相手を生かすことが、自らも生かすことでもあります。
そして、自らを生かすということは、あなた方の隣人、神の子たちを生かしていく過程の中に、あなた方の魂も最大限に素晴らしいところが発揮されて、あなた方の魂も素晴らしい光を輝かせていくのです。
隣人のためにという人生は、自らの人生を光り輝かすためになっていくことになると、言われるのもそういうことなのです。
ですから、どうか自分がとか、他者がということではなく、傷ついておられる方がたを見たのならば、それは我が痛みであると。
そして、悲しんで、苦しんで、まあ、精神的にも追い詰められている方がたがおられたのならば、その方がたの悩みや苦しさは我が痛みでもあると思い、そしてその方がたの気持ちになって、できるだけのことをしてあげてください。
そして、その過程の中で、真に知恵と勇気と判断力、そして、本来の厳しさというもの、そういうものをすべてを、あなた方の魂はトータルに学んでいかれることでしょう。
そうでなければ、そういうものは解決していけないのです。
甘やかし尽くすことだけが愛であると、もし、誤解をしておられるのであれば、それは間違っているのです。
真に相手を幸せにしようとするときには、それはたまには叱責することもあるでしょう。
強くなりなさいと、誇りを持ちなさいと、励ましのように強い言葉を言わなくてはいけないときもあるでしょう。
その過程の中で、あなた方は愛の寛大さも、愛の厳しさも、愛の豊かさも、愛すればこその悲しみも、すべてを学んでいかれるのです。
そのすべてを学んでいくことこそが魂の成長であり、それが自分自らの進歩発展にもなり、そしてあなた方の仲間たちの幸せに協力し、幸せを願う姿にもなっていくのです。
ですから、自分たちだけが幸せになるという、今の現代人のエゴイズムから、互いに生かし合い、互いに手を取り合い、互いにいたわり合い、癒し合い、励まし合うという、その姿こそがこれから神が望まれておられる、愛の発展段階の真の神の子の姿、そのものであるのだとわたしは思います。
これからは、一宗一派の宗教だけで唱えられる時代ではなくなって参ります。
今まで、在来の宗教と呼ばれていたもの、わたしもキリスト教の中において、人びとを導いて参りました。
でも、わたしだって、過去の別の文明においては、別の形でまた指導してきた者でもあるのです。
ですからこれから今、この今回の文明のクライマックスにおきまして、仏教が、イスラム教が、そして日本神道が、キリスト教がという形において、キリスト教におきましてもさまざまな宗派に分かれております。
それがひとつに統合されていく中において、ほんとうのエキスと呼ばれているものだけを、神の本来の根本的な法だけを残して、今までの発展段階的な宗教というものが消えていく、溶けて、人びとの中で融合されて、ひとつの新たな価値観として生まれ変わっていくという、そういうものをまた、ネオルネッサンスという、神々のお決めになったお考えの、計画の中にあるのです。
どうか、あなた方は新たな時代をつくっていかれる方です。
今までの古い既成概念にとらわれた、既成の宗教の足かせの中を超えて、そして、あなた方の新たな時代を、地球の新たな未来をつくるために、今、あなた方の命を輝かし、役立てていただきたいのです。
それを乗り越えられ、使命を果たされることが、あなた方個人におかれても素晴らしい魂の飛躍、進歩発展、成長となられることをわたしは信じて疑わないからです。
そのうちにホワイト霊団とか、キリスト教という言葉も、もう死語となっていくことでしょう。
でもこの文明において、ともに、ともに苦しみながら、この茨の道を歩み、道を切り開いてきた仲間でもあるのです。
そのあなた方を、わたしはけっして忘れません。
2.自他は一体である
神の現れのわたしたちは、一部、一部がみな手を取り合って、神様がこの地上に表現したいと思うものを、最大限に表現し合う仲間たちなのだという、そのような連帯感のような思いの中で、どうか、ともに生かし合い、助け合い、そして癒し合っていただきたいのです。
あなた方が考えておられることは、今はまだご自分の個人的なことかもしれません。
でも、個人個人の悩み、苦しみは、それは個人、個人の事を越えて、大いなる神の救世の計画の中において、最大限に生かされていくのです。
その意味がおわかりにならないかもしれませんが、あなた方が今、苦しみ、悩んでつまずき、そしてその中で学んでいる中において、それこそが多くの人を助けていく、最も大事なよすがとなっていくということを、わたしは申し上げているのです。
人の苦しみ、悲しみを、ほんとうの意味で自分が苦しみ悲しんだ者でなければ、やはり人の涙の意味などはわからないということなのです。
生まれて一度も病気をしたことがない、一度も悲しい思いをしたことがない、人に裏切られたこともないという方が、ほんとうの意味で、自らの隣人たちの苦しみや悲しみや、病気の辛さというものを分かち合うことはできないということなのです。
ですから、自らの修行をし、その悲しみや苦しみを今、一生懸命正面から受け止め、自らの修行として頑張られる中に、そのことが、その中で学び得たことが、あなた方の隣人たちを救っていく最大の愛の手だてとなっていくということ。
その表現手段となっていくということ。
傷ついた方がたの心を、真に理解していく道しるべになるということ。
だから、自他は一体なのです。
みんな一体なのです。
みんな、神により創造されたあなた方、愛の子どもたち、神の子どもたち。
神により愛され、創造された、神のご意思そのものの表現形であるのがわたしたち、みな神の子であるということなのです。
ですから、どうかお一人おひとりの存在に、お一人おひとりの個性にプライドを持ち、尊厳を持たれ、誇りを持たれて、自らかけがえのない命としてつくられた、神に期待されたあなた方の個性を生かされ、そして、それをもって自らの個性をもって、他の方がたの傷や、他の方がたの悩み苦しみ、そして、喜びも分かち合って、ともに手を取り合って、幸せに生きる道というものをこの地上に打ち立てていただきたいのです。
それこそが神が望まれる、地上ユートピアという言葉で表される、神の国の再来であるということなのです。
天上界には、神の国はできております。
この地上にも、この地上三次元に神のお心のある世界を映し出したいのです。
天上界のように人びとが互いに信頼し合い、そして、互いに生かし合い、そして、神の賛美と栄光を讃え合う。
その喜びに、祝福に満ちた、その天上界の世界を、この三次元にも、地上にも再現したいのです。
それであるには、善意というもの、愛というもの一辺倒の中において、少しも不安や、裏切りや、悲しみや、悪意というものの入り込まないような、それを許して溶かしてしまうような、そのような圧倒的な愛の世界というものを地上にも映し出すということ。
それが地上ユートピアの目的でもございます。
それにはまず、その神の王国というものは、人びとの心の中につくらなければ地上には出ないということ。
まず、先ほどの方もおっしゃられておりましたけれども、原因結果ということを思うのならば、人びとの心の中に、ハートの中に、魂の中に、愛の思いを、優しさを、ともに生かし合う、そのような互いに尊敬し合う思いを、神に対する感謝を、神の栄光を喜ぶ姿を、それをともにあなた方の心の中に思うのです。
自らも赦されて生きてきた魂なのです。
そういう人生であられたと思うのです。
であるのならば、あなた方が知らないところで、どれだけ多くの赦しの中にあなた方が生かされてきたということを思い、隣人たちの罪も、やってしまったことも赦してあげましょう。
相手の悪いところばかりを責めるのではなくて、相手のありのままを受け止め、そして、互いに生かし合い、受け止め合う。
そのような思いの中で、どうか、あなた方が生きていかれることを望みます。
4.大いなる清算の時に光のたいまつを
わたしも二十世紀の末から、ずーっと各所に出て大いなる予言をし、大いなる語りかけを人びとにして参りました。
世界中の方がたに対して、もう一度、神の御心のもとに戻るようにという呼びかけをしてきたのです。
「神のもとに、神のもとに戻りましょう」と、血の涙を流しながら、多くの者たちに、我が子たちに語りかけてきたのです。
そして今、この二十一世紀初頭になりまして、時代は少し移りましたけれども、やはりこれからくる時代の、この文明のクライマックスを迎えるにあたり、大いなる清算の時期がくるのです。
地震とか天変地異も含めまして、さまざまな病気、疫病というものがはやって参ります。
それはね、表面で見たのならば、また難病と呼ばれている新たなはやり病と思うかもしれません。
でもこれは、地上に人類がつくってしまった悪想念と呼ばれている、そのひとつの悪いエネルギーと申しますか、その業、カルマの流れをひとつの形で人類が、自らがつくったものは、自らによって清算していくということにより、その業想念を晴らそうという、そのためのひとつの手段でもあるのです。
天変地異というものも起きます。
そして、病というものも起きます。
でも、その病を受け取る者たちには、けっして、それは全くの偶然ではないということです。
やはり何かしらの必然があり、清算行為が行われているということ。
清算が行われているということを思って、どうかこの時代を正面から受け止めていただきたいのです。
その中においては、すべてその病を放置しておけばいいかといったら、それはけっしてそうではないので、できる限りのことでは皆さま方で、医療チームでやっていただきたいと思います。
ただ、この新たな時代が生まれてくるためには、新たな美しい、きれいなエネルギーの時代が到来するためには、人類自らがつくってしまった過ち多き悪想念というものを、一度、美しくなるために清算しなくてはいけないということ。
そうしなければ、どこにも持って行けないということ。
そのために数々の現象が起きているのです。
そのために病というもの、天変地異というもの、すべてがあるということなのです。
ですから、どうか原因があって今、結果が実を結んでしまっているのです。
これが現われて消えていけば、起こっていったのならば、因果が実を結んだのならば、次に新たな悪い原因をつくらなければ、また、そういうことは起きないのです。
ですから、どうか今まで人類がつくってしまったことであるということを、人類に伝えていただきたい。
神の子たちに伝えていただきたい。
そして、「我々はこの清算をしたのだから、もう悪い借金は負わないようにしようね」と、そういう言葉を投げかけていただきたいのです。
過去の人類がつくってしまったことは、もうつくってしまったことなのです。
致し方ないのです。
汚い空気が出たのならば、一度その空気を外に、窓の外に出して、自らもその清算をして、そして美しいきれいな空気に入れ替えましょうということなのです。
そのためには空中にあったものは、一度は雨か雪か、何かの形で地上に落として、天上をきれいな雲ひとつない美しい青空に変えないと、いけないかもしれないのです。
その時の雨雲であり、雹であり、雷雨であるとお思いください。
そして、魂が永遠であるということを考えたのならば、今のこの時代の中で、その時代の、ひとつのバイブレーションの中で自らの修行も果たされ、やれることを通して、あなた方の修行の一環の中に受け止めていただけたならば、この時代というものを生きた意味というものを、あなた方は感じられることもあるかと思います。
人はその時代背景の中で、その時代とその国家的な、やはり背景の中において生きていくものでもあります。
その時代背景抜きにして人間というのは、人間が生きるということは成り立たないということです。
ですから、あなた方はこのような地球規模的な大転換点の、こういう大事なときにたいへんな時代ではございましょう。
でも、その時に生を持たれ、地上に肉体を持たれておられるのです。
その時にあなた方は、「では、この時代をわざわざ選んでこられたのなら、何をなさいますか?」
ということをもう一度自らの魂の中に問うていただきたいのです。
できることを、たくさん積み重ねてこられたことがおありでしょう?
そのことを通して、いかにして神の子として神の愛を表現できますか?
この時代の中で、この傷つく者たちが多い時代の中で、何をもって神の愛をあなた方は表して生きることができますか?
それを神は、常にあなた方に問われておられるのです。
それぞれの個性において、力量において、特技において、個性において、立場において、いろいろなものができることは違われるでしょう。
でも違うからこそ尊いのであるということ。
違うものがあなた方に与えられているからこそ、この神の国は、神の園は成り立っていくのであるということを思って、自らの使命を発揮されていただきたいのです。
神のたいまつは、けっして机の下に置かれるものではないと、インマヌエル、イエス・キリストは申されました。
あなた方の神の子としての光のたいまつは、もう今や高々と頭上に掲げられなくてはいけません。
高く上に掲げられなくてはいけません。
そのたいまつの光を通して、多くの方がたが集まって来られるのです。
その光をもう放っていただきたいのです。
そして多くの人びとにこの神の法、神理というものを伝えていただき、分かち合っていただき、人びとの心に少しでも平安に満ちた、安らぎと愛の思いに満ちた、神に帰って行ける道というものを、指し示していただきたいのです。
神の子として生きる道を指し示していく、お手伝いをしていただきたいのです。
あなた方が光り輝いていったのならば、多くの神の子たちが集まって来ることでしょう。
そして、その者たちに点火されたたいまつは、また別の者たちに点火されていくことでしょう。
それは地域を越え、国を越え、そして時代を越え、時を越えて、次から次へと神の愛の光というのは、点火されていくことでしょう。
それこそが、神がお望みになられておられること。
それこそが、天上界の者たちがみな心の中に願っていることです。
5.これからは愛の時代がやってくる
そして、そのためにこの救世の世紀末の計画というものが立てられました。
エル・ランティ自らがお出ましになられ、エル・カンタラーお出ましになられ、天上界から総力を結集して、地上に霊言を送っております。
そして、何度か失敗しても、今、わたしたちの言葉がこのように地上に降りております。
この最後の、このチャンスを通して、あなた方にメッセージが伝えられるということ。
そのことを、わたしは神に感謝申し上げます。
そして、このチャンスをつくってくださった皆さま方に、心から感謝を申します。
このようなことを天上界がしたいと思っても、このような形で、地上で受け入れてくださらなければ、わたしたちはメッセージを降ろすことはできなかったのです。
それを受け入れて、信じて集まってくださるあなた方がおられたからこそ、天上界は今、この最終計画のために総力を挙げて頑張ろうという、その状態になっているのです。
どうか皆さま方、生ある限り、命ある限り、この神の大計画のために協力していただき、この神様のご意思の中で自らの荘厳なる尊厳ある、素晴らしい自らの個性というものを光輝かせていただけますことを、心からお願い申し上げます。
あなた方のルーツを見ますと、今、愛の系団の方がたが圧倒的に多くなっているように思います。
それはなぜかと申しますと、どの神の子たちにも根本は愛なのです。
でもその中において今、神が宇宙の中における愛の摂理、愛の法則、愛のエネルギーそのものであるということを明かされる時代になりました。
これからは宇宙の時代と呼ばれている、新たな地球の未来、愛の時代がやってくるのです。
愛というものが、ほんとうの意味で魂に銘記されている、わかっている者たちが、その者たちだけがこの時代を救っていくことができるのです。
どうか皆さま、一人ひとりの中に、過去、数々の修行の中で蓄えられてこられたパーニャパラミタを、そのままお出しになって頑張っていただきたいのです。
人間みな、完全な者などいないのです。
わたしも同じでございます。
わからぬことほんとうに至らぬこと、たくさんあるのです。
でも、だからこそ仲間がいるのです。
愛においても、みんな全部、トータルにわかっている者など誰もいないのです。
自分の目の中から、針穴から覗いた部分しかわからぬことでしょう。
でも、自分が見た部分だけでも、ともに分かち合い、伝え合い、ほかの者が見た愛の部分を学び合うことによって、あなた方の愛の理解というもの、視野というものは広く、広く、広がっていくことでしょう。
だから、人間というのはひとりで生きるものではないのです。
仲間がいて、神の子たちみんなで手を取り合い、一体になって神の子としての道を歩んで行くのです。
それを神は望まれておられるということなのです。
ですから、自分自らが至らないと思い過ぎず、失敗してもかまわぬから、どうかあなた方の持てる限りの力を、精一杯、表現なさって、そして自分の知らないこと、知ってることを他の友人たちから与えられたのならば、それを喜んで受け入れて自らの知恵とし、そしてともに力を合わせて、この救世の大事業を、最後の大事業を果たして行かれることをわたしは心から望みます。
ホワイト霊団の者たちは常につきっきりで、皆さまを見守っております。
6.愛の思いを表現するために生まれ
今、新たにこの医学界というものを変えていく。
そのことはとても大切なことだと思います。
精神的な風土、精神的なものに、神の子の価値観に裏づけられた医療というもの、医療現場の確立ということ。
それを新たな時代に向けて、その時代の方向性、今の医学界の方向性から見て、明らかに修正されねばならぬ道なのです。
それをやるのはたいへん苦しい。
そして、知的なエリートの方がたがおられる医学界の中で、この目に見えぬ世界のことを言うことは、気違い扱いされて、ほんとうにお苦しいかもしれないけれども、でもほんとうの意味で人を幸せにする、神の子としての本来の道筋を示すということにおいては、それは避けては通れない、もう道なのです。
それをやるために、どうか渾身の勇気を奮い立たせていただきたいのです。
それをやるために皆さま方は出てこられているということ。
ただ普通の、一介のお医者様になるために、今世わざわざあなた方がこの地上に出てきて、お医者様になっておられるということではないということなのです。
ほんとうの意味で、ほんとうの意味で人間を、神の子としての人間を幸せにするためには、どういうふうに肉体という舟に対して、どのように関わっていったらいいのか。
生命の尊厳に対してどう関わっていったらいいのか。
それを、お医者様の立場として、あなた方は伝えていただきたい。
関わっていただきたい。
そして、新たな声を上げていただきたい。
それは教育現場におられる方がたにおいても同じなのです。
それはすべての芸術の方面に、またあとで話が出ると思いますけれども、そのようなものにおいても、すべて神の愛の、創造物である神の子たちは、その愛の思いを表現するために、彩るために、この地上に生まれております。
そのようなスタンスに、そのような立場において、視点において、すべてのことをすることです。
芸術においてもそうなのです。
医学においても同じなのです。
政治においても同じなのです。
子どもを生み育てる母親たちにとっても同じなのです。
自分の持ち物であり、自分の所有物であると思わず、永遠の魂の中においては、自分とは違う魂であるという尊厳の中において、子どもは別の魂であるという敬意を持って、子どもたちを見守ることができたのならば、自分の持ち物として子どもたちの個性をつぶすこともないことでしょう。
神から与えられた自らの命と同時に、それぐらい大事な子どもたちの命、それをいっときお預かりし、ほんの数十年の、もう人によっては二十年足らずの時しか一緒にいられない方もおられるのです。
その時を一緒に過ごすことによって、ともに素晴らしい魂の学びと出会いを経験でき、ほんとうの意味の、愛の本質が何であるかということを学ばせていただく。
貴重な経験をいただく。
それが親子関係の基本でございます。
そのことを、与えられたということを、やはり学ぶ。
そして、我々が愛のもとに、自由意志という尊厳というものを神より与えられております。
その自由意志というもの、自己責任による自由意志というものによって、わたしたちが守られているのならば、あなた方親御さんもどうか、お子様方に対して、そのような思いで、自由意志というもの、自己責任というものを通して、彼らを縛ることなく、愛の思いで、そして依存しきったり、余分に過剰な庇護をするのではなくて、彼らが真に自立していくための、大いなる厳しい言葉をもって彼らを指導していくということ。
そして時が経ったのならば、ひな鳥が巣立ったように天高く舞い立たせて、彼らの個性をもって地上を彩る使命に戻してあげるということ。
そのような思いで、どうか子育てというものもしていただきたいと思います。
7.臆病にならずどんどん愛を与えること
そういう意味におきまして、社会の職業すべてが、政治においても、すべて神の子として、どのように社会を営んでいったらよいかという問いかけ、それが連鎖反応的にこれから出てくる時代であるということ。
そのことを思って、さまざまな社会改革がこれから行われていくのです。
ドミノ式のように、どんどん、これから社会が変わっていくのです。
それは神の子である、神の子、人間であるという原点に戻ったときに、人びとは自らが何をどう生きなくてはいけないかを真に学ぶのです。
その根本的なところがわからなくては、そして自らが神の子であり、愛を分けられた誇り高い、神の愛の意識であるということに自信を持てなければ、そのような次の時代は開いていけないということなのです。
あなた方はどれだけの愛を人びとに与えても、分かち合っても、それは尽きることはない。
枯れることはないのです。
無限に、無限に与えられる。
あなた方を愛してくださる神から、愛というのは無尽蔵に与えられているものなのです。
ですから、人びとに愛を与えることに臆病になってはいけません。
どんどん愛を与えてください。
賢い、真の知恵ある愛を与えてください。
そして、自らを解放してください。
自分が傷つくかもしれない、自分がひょっとしたら不利な立場になるかもしれないという、そのような恐怖心や、そのようなものの警戒心の中で自分を開かなければ、あなた方の本質的な成長もないし、ほんとうの意味で隣人たちと、魂と魂の愛の触れ合いということはできないのです。
愛というのはそういうものです。
自他共に一体となっていくためにも、自ら自身を開き、自らが開いていくことが相手の心を開いていくことにもつながるのです。
互いに開き合って、互いに尊重し合って、互いに学び合って、互いに高め合って、愛というものをともに循環し合って、この地上を素晴らしい愛の花園にするために、どうか皆さま方、お力を貸していただきたいと思います。
これからは七大天使の者も、多少出るかもしれません。
わたしのもとにおります七大天使も、それぞれ役割を持っております。
通信伝達とか、それぞれの、みな立場を持っておりますので、その者たちが、逆に今の時代、時になったからこそ、それぞれの役割、使命に応じて皆さま方の前に出てくる。
そのような時がまいったのだと思います。
わたしも時々は、母性というものを中心にして、お話しさせていただこうと思いますけれども、どうか、これからもホワイト霊団の七大天使の者たち、そしてほかの霊団の者たちの思いというのも、どうかお聴き留めいただき、あなた方のお役に立てていただけたらうれしいかなというふうに思っております。