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Project Eden

第8章 天上界から女性たちへのエール:日向

1.神の子たちは偉大なる芸術家

2.自分に正直になった時、簡単に神と同通する

3.女性がほんとうに幸せになれる時代

4.すべての仕事は、愛を表現するためにある

5.愛の灯は、出し惜しみせずに高く掲げる

6.能力を発揮することをためらわないで

7.自分のエネルギーを発散することで、周囲も変わる

8.女性性を認識したうえで、才能を開花させていくこと

1.神の子たちは偉大なる芸術家

宇宙には、宇宙の鼓動、大宇宙のリズムというものがあります。
太陽系の惑星も、他の星ぼしも、みんなそれに則っているんです。

惑星は色が全部違って、みんな美しくて、自分たちのリズム、周期を持っています。
でも、それがただ雑然としてあるのではなく、みんなが調和し、かつオリジナリティを出しながら、大シンフォニーを演奏するように全体のハーモニーをつくっている。
太陽系は太陽系としての曲を奏で、アンドロメダとか他の惑星は、彼らのリズムで彼らの歌を歌っている。
それが今度は宇宙全体にどんどん広がっていく。

「宇宙は真空だから音はないはずだ」と言う人がいるけれども、わたしから見ると、それぞれの惑星が、バイブレーションとして、素晴らしい神に対する賛歌、自分たちの愛を表現しているんです。
それが色であったり、ひとつのバイブレーションであったり、それが宇宙全体に広がっています。

「神は芸術なり」と言います。
神の子であるわたしたちには、自由意志のもとに、かけがえのない個性が与えられています。
惑星意識も、銀河意識もそうです。

すべての惑星が、すべての銀河が、神の子として、いっせいに素晴らしい歌を奏でている。
それを見たとき、「そうなんだ、ハーモニーなんだ、交響曲だったんだ」って、思いました。

そのために、神はかけがえのない個性を込めてわたしたちをおつくりになられました。
わたしたちは自由意志のもとで自分の個性を光らせよ、発散せよ、と言われていますが、それはこういうことなんだ、これを神はお望みなんだと。
誰が説明するわけでもないけど、宇宙のバイブレーションと、その圧倒されるような美しさに、わたしは神の意志を感じたのです。

わたしたちが何をしなければいけないのか、それは、個人個人が見つけるものなのです。
そして個人個人が表現していくものです。
でもそれは、「あなたが何を望むの?」という問いかけを、神がしていらっしゃるんだということです。

神は偉大な芸術家なり、神の子たちは偉大なる芸術家なのです。
わたしたち一人ひとりがそれをやっていかなくてはいけない。
それが次の新時代を迎えるということなのです。

その基本として、わたしたちはまず、自分に正直に、ありのままの自分に戻らなければ。
ありのままの自分に戻らなければ、自分自身のオリジナリティのある個性なんて出せないし、自由意志に基づく幸福観というものもあり得ないのです。
それは、自分自身を主張するから、他の人の幸せを壊すというものではけっしてありません。

女性たちがその意識で、社会を、そして男性たちとの関わり方を変えていかなくてはだめだと、先ほど日向様が強くおっしゃっていました。

日向(ひむか)

弥生時代後期における倭国の女王である。邪馬台国を治めた。
魏志倭人伝によれば、「卑弥呼(ひみこ)」と称され、鬼道を使い衆を惑わしたという(鬼道や惑わすの意味は不明)。239年と243年に中国の魏に使者を派遣している。
また、朝鮮半島の三国史記によれば、173年に新羅に使者を派遣している。
日向の死後、男王が立ったが治まらず、壹與(とよ)が女王になってようやく治まったと記録されている。
レムリア・ルネッサンスの霊言では、主に巫女の役割、霊界通信、女性の法などを説いている。

2.自分に正直になった時、簡単に神と同通する

宇宙の圧倒的な美しさは、言語を超えて伝わってきます。
そのバイブレーションは、みんなの心の中にある神の子としての波動です。
何よりも、その宇宙の一員であるということを、自分の魂がいちばんよく知っているのです。

目を閉じて、今満月が出ていて、すごくセレニティさまのエネルギーがあるけれども、そういうものを通して、自分の中に同通するエネルギーを取り戻していく。
とにかく「自分自身に戻れ」、このひとことに尽きると思うのです。
それが大宇宙の、宇宙を貫くひとつのエネルギーに自分が戻っていく道であり、神の子に戻っていく道であり、同じルーツなのです。
そこに行くのが、ほんとうの神の子として生きる、自分らしさの最後の究極的な悟りにもなる。

自分らしさというと、その時代の価値観の中で自分をつくって、それが自分らしさだとみんな信じているけども、ほんとうの自分らしさというのは、そういう究極的な宇宙の中の一員の、神の子としての原点から、自分のオリジナリティというのを割り出してこないと、ほんとうの意味での自分らしさなんてわからないのです。
そして、そこに同通するのに、べつに難しいことはいらないのです。
とにかく自分の心の中に入っていってごらんって。

正直に正直に、気負いなく、気どりもすべて捨てて、鎧を捨てて、心の鎖を外して。
そして、自分の愛のバイブレーションに正直になった時、大宇宙の神のバイブレーションと簡単に同通するのです。
簡単に、宇宙即我に行くのです。
その思いが、その無心な思いが、ドーンと突き抜けて上に行くわけです。

天国は、幼子のような者たちが行くような国であるといいます。
無邪気な、邪心のない。
わたしたちが本来神の子であるならば、それがわたしたちの魂の原点であるということ、そこを見つめてみる。
そこをどこまで純化し、自分の本来の姿に近づけたか、それが今回の人生の最大の学びだと思うのです。
難しいことはいらないのです。

確かにこれまで、いろいろ仏教経典とか、キリスト教とかイスラム教とかを通してわたしたちは学んできました。
けれども、屋根の上に登ったら、もう梯子はいらないのです。

それらを通してもうわたしたちは魂を養ってきて、ここにきたらもうその梯子を捨てる。
そうして、屋根の上に行ったらば、あ、自分が神の子だったんだって。
なんだ、イエス様だけが神の子じゃあないと。

そして、一生懸命、愛は外で学ぶものだと、難行苦行して学ぶものと思っていたけれど、神の子で、愛のエネルギーだということは、なんだ、わたしたちのこの中にあったんだって。
外で滝に打たれる必要なかったじゃない、なあんだって。
そういうことを認識するのが、屋根の上に出た状態なのです。

そうしたら、後はどうするの?
ほら、神の子でしょう。
ほら、そこに翼が生えていたじゃない、ということを教えてもらっているわけです。

いつまでも梯子を上りたいお坊さんが多いけれども、そんなものは捨てて、細い道とか梯子の上だけにしがみつくんじゃなくて、ほら、悠々自在に羽を広げて大空を飛びまわってごらんよって。
こんなにわたしたちは自由なんだよ、こんなに幸せなんだよ、こんなふうに神様はわたしたちをおつくりになったんだよ、わたしたちは神の子なんだよ、愛のエネルギーなんだよ。
そう言って、前にモーゼ様は、「多くのまだ下でうごめいている人たちに飛んで見せてあげなさい」と、おっしゃったのです。

「登ったら、梯子はいらないよ」と。

それが、この成熟した今回の文明の段階において、この先の悟りを提示するため、今回の救済の事業があったのです。
それをエル・カンタラーはお示しくださるはずでした。

この間、自由の神と、アレキサンダー大王がおっしゃっていましたが、それが結果的に、本来の神の子の自由性の中に、みんなの魂をもう一度解き放っていく究極的な教えなのです。

それは難しいことではなくて、メーテルリンクの『青い鳥』で、なんだ、幸せはここにあったんだという。
なんだ、わたしたちは神の子だったんだということを実感して、自分自身の個性、自分自身に正直に、幸せってどういうものかということを、もう一度自分自身を取り戻す。
それが今回の悟りの一番の目的なのです。

これはほんとうにシンプルなことで、理解したら子どもでもわかることなのです。
それを、ヨガとか、いろんなものを通して難しく、仏教の修行とか、アラハンとかなんだとか言いながら、一生懸命みんな、悟りを求めてきました。

けれども、悟りというのは、いかに魂を自由にして、宇宙と一体のエネルギーとして同化できるかということです。
自分の魂の自由を取り戻すということを究極的な悟りといったのだけれど、それそのものは、ほんとうは簡単なことなのです。
ただ、わかってしまえば簡単だけれど、わかるまではなかなか大変だということです。

3.女性がほんとうに幸せになれる時代

ですから、繰り返し繰り返し、自由に、自分自身に正直になりなさいということを、女神様たちがおっしゃっています。

女性たちが、これからほんとうの意味で自分に正直に生きて、自分自身のオリジナリティを取り戻さないと、次の宇宙時代は切り開けないよと。
それと同時に、女性であるからといって、諦めることはないのだと。

今までは、女性が自己実現というと、なにかこう、すごく諦めないと調和できない社会の段階がありました。
それを受け入れられない男性たち、受け入れられない社会のシステムがあった。

けれども、そういうものが終わりを告げていく時が来るから、女性たちが、女性の役割というものをちゃんとわかったうえで、自分たちの中にある可能性、自分の中のオリジナリティを発現していくことに臆病になってはならないと。

今までは、そういうことをやっていく女性たちにはやっぱり風当たりが強かった。
けれども、やはり、たとえばお医者さまでも、男性のお医者さまと女性のお医者さまでは使命が違うし、やり方が違う。
それはどんな職業でも同じです。

画家でも男性の画家と女性の画家、音楽家でも男性の音楽家と女性の音楽家では、表現する愛の豊かさというものはちゃんと違う。
だから、その自分のわきまえ、役割をわかったうえで、それを表現していく。

これまでは、女性的なものがあるというと、いくら才能があっても、音楽家であること、画家であることを、諦めなくてはいけないということかありました。

たとえば、家庭に入り愛をとるか、職業婦人になるかといって、家庭を優先にするならば、自分の才能を諦めて、職業を諦めて、家庭の中に入るという。
それも一つの選択ではありました。
けれども、そういうふうにしなければ受け入れられない社会システムや男性の認識度、女性の認識度もあったのです。

けれども、これからはそういうものではなくて、みんなが自由に、自分自身の可能性を、自分の個性を表現していく。
女性たちも、自分の自我とか欲とかのために自己実現するのではなくて、愛の表現媒体として、神がおつくりになった自分自身の才能を表現していくということ、そう表現していく勇気を持ってほしいということを、やはり、すごく日向様はおっしゃっています。

これまでは、女性が自分の才能を前面に出すと、結婚できないとか、孤独な人生を歩むとか、そういうことが多かった。
けれども、そのうちに社会が成熟し、男性の意識が変われば、女性がほんとうの意味で自分を正直に出していたら、そういうあなた方、女性たちを受け入れられる男性たちが育ってくる。
そういう時代が来るのです。

有能で才能が豊かな女性ほど孤独だったという今までの社会システムがありますが、それは、ひじょうに幼い段階でありました。

これからは、もっと積極的に、自分の才能を豊かに表現して、多くの人たちのために愛を奏でながら、なおかつ幸せになる道、幸せになっていける社会をめざす。
それが次の時代に来る社会であるのです。

ある意味で、いちばん女性たちが行き詰まっていて、すごく苦しんだ時代ではあったけれども、今、ほんとうの意味で女性たちを解放して、己が女性性ということをまず学ぶ。

そして女性性とはどういうものかを理解したのならば、その前提のうえで、やはり神がおつくりになった自らの有能な力、与えられた個性豊かな才能を開花させて、愛のために発信していく。
そのことに勇気を持ってためらいを持たずにやっていただきたいと。

それでこそほんとうに女性が生き生きと幸せに、神の子として自分の人生を感謝し享受できる、そういう時代が来るのだと。
そこまでいかなければ、女性たちはほんとうには幸せになれないということをおっしゃっています。
わたしもそう思います。

やはり、女性がちょっと優秀だとか、頭がいいとか、ちょっと何かができるというのを前面に出すと、男の人もすごく煙たがったりということがありました。
男の人って、妙なライバル心があるから、奥さんがすごく有能だったりすると、嫌だからいじめちゃおうというような人も多いのです。

けれども、女性に素晴らしい才能や能力があったら、男性もそういう相手の存在を受け入れて、逆にともに協力してパートナーシップを組んでいく、そういうふうに男性側も成熟していかなくてはいけない。

そして女性も自分の能力に振り回されることなく、自分が女性だということをしっかりと素直に受け入れて、そのうえで神様からいただいた才能を、愛を表現するために使っていく。

わたしたちは、神様の愛を表現する手段として、個性を与えられ、素晴らしい能力というものを与えられています。
ですから、その表現手段、方法さえ間違わなければ、けっしてそれは自己主張でも、エゴでも、でしゃばりでもなんでもなくて、その方たちの素晴らしい言葉や音楽や絵、優しさをもって社会的なさまざまな職業に携わることは、社会をより豊かに愛深くしていく原動力になるのです。

4.すべての仕事は、愛を表現するためにある

すべての職業が愛を表現するために存在します。
農業でもそうです。
愛を伝えるために、この肉体舟のために、愛豊かなものとなれるようにと祈りを込めて、お百姓さんが一生懸命野菜をつくってくださる。

それを食べたわたしたちはとても幸せで健康になるし、子どもたちだって安心して育っていける。
まず、そこが基本です。

そうすると、素晴らしい野菜をつくったり、お魚を獲ったりすることに誇りを持ってお仕事をしていただけるでしょう。
その基本が間違っていたから、生業で、お金を稼ぐためだけとか、お金をいっぱい貯めて社会でトップの地位についてお金持ちと言われたいとか、そういうことのために仕事をしようとするから、ベクトルが間違ってしまって、人をおとしめてでも、お金さえ儲かればいいからと言って、農薬漬けの野菜とか、毒入りの魚とかをつくってしまったりするし、そういうことに良心の痛みも感じなくなってしまうのです。

すべての仕事というのは、愛を表現するために、愛をなすためにあるのだという、きちんとした根本認識を社会が持てれば、社会のシステムはおのずと変わっていきます。
やはりそこまでいかなければ、そこに住まう人間たちは幸せにはなれません。

そして、愛のもとに社会が変わっていけば、今ある職業で不要なものというのは消えていきます。
今、要らない職業がたくさんあります。
愛のもとにない職業は、ただただ社会を複雑化しているだけです。

ですから、極端な話で言えば、お医者さまとか、薬をつくるところとか、過度期の中では大事な仕事ではあるけれども、本来の健全な社会になった時には、要らなくなる職業でもあります。

また、歓楽街のようなものも、人びとにストレスがあり、妻が夫を、夫が妻を受け止めて、優しさや安らぎを与えられていないから、だからそういう風俗みたいなところで逃避的な愛を求める人たちも多い、けれども、もしほんとうに男女の愛が健全なものとなってきたら、そんな仕事はいずれなくなっていく。
潰すのではなくて、必要がなくなって消えていくのです。

そうやって社会というのは、愛のもとに整備された時に、ひじょうにシンプルで、ひじょうに単純であるけれども、愛に満ちたものになってきます。
それが本来の姿なのです。

ただただ複雑化している今の社会というのは、優秀で時代が進んでいるのではなくて、ひじょうに病んだ諸相がいたずらに複雑化させているだけであって、それは魂においては後退している社会であるということ。

そして、そういう病んだ社会だから、子どもたちがその波動に触れたときに、さまざまなストレスにさらされ、すごく傷ついたりして、犯罪や迷いが多くなってしまうのです。

そういう社会を根本的に変えていくには、もう一度愛のもとに整備し直してくことです。
だから、すごく言い尽くされたことで、今さら新しくもないと言われるかもしれないけども、人の幸せも、女性の幸せも、生きる目的も、社会の究極的なあり方にしても、もう一度愛の原点に戻っていくということ。

わたしたちが神の子であるということ、神のエネルギー、愛のエネルギーに忠実になって戻っていく。
そのことがほんとうにわかったら、この世の中は変わってきます。
使命も変わってきます。
そして社会組織も、それこそ憲法も、すべてが変わってきます。
平和論とか、そんな学問的な頭でっかちでなくても、愛のもとに自然に整備されてくる社会が来るのです。

他の惑星を見ていても、ある程度成熟して、愛のもとに整備された社会というのは、すごく緑が豊かですよ。
自然が豊かで、一見、「えっ、ここが」って思うのだけれど、すごくシンプルに整備されていて。
自然というのは神の心ですから、それと一体になっていて、社会組織そのものも、すごくシンプルに、みんなで信頼し合っています。

すぐ隣にいる人に殺されるかもしれないと思ったら、警察やセキュリティや、やたらと複雑なものが出てくるでしょう。
でもほんとうに信じ合うことを知っていたのなら、シンプルにシンプルに、原点に帰ってくるのです。

そして、そんなむだなところにエネルギーをかけずに、ほんとうの意味での科学的進歩、時代をリードしていく進化発展に力を注げるようになります。

そうするとそちらの方向にものすごく伸びて、あっという問に、円盤とかワープ航法とか、そういうものが盛んになってくるのです。

今は核を使って、お互いに殺すか殺されないかと、そのような恐怖心のもとにあるので、経済的にも、努力するにも、エネルギーをみんなそっちの方向にかけてしまっています。

それを、恐怖心からではなく、ほんとうに平和のために利用できるような調和した愛の思いを持ったなら、愛のもとに社会を進化発展させていく方向に行ったなら、あっという間に宇宙のシークレットな部分も扉が開かれるのです。

逆に今、ワープや他の惑星に行く道を簡単に教えてしまって、それこそ爆弾を持って他の惑星に乗り込まれたら困るでしょう。
だからそこがコントロールされている。

科学にしても、学者さんがいくらがんばっても、お金かけて研究しても、そのわりには進歩しないのは、それ以上は発見できないようになっているからです。

だから、とにかく裸になっていく。
この間から何度も言われていることですが、自分を守らないでいようとすることが、最も早く強くなっていく、進化していく道だということです。

恐怖心を持って、いろんなものから自分を守ろうとか、欲の中で自分だけが、という思いで自分を飾ろうとすると、進化発展が遅れてしまうのです。

5.愛の灯は、出し惜しみせずに高く掲げる

だから、ほんとうに愛一色にーー。それが神の子であるということなのです。
みんなそれぞれ神の子としての愛の思い、愛のエネルギーを満々とたたえています。
絶対に一人として同じ方はいない。
それぐらい尊く気高いものです。

この思いに正直に生きて、この思いを表現するために生きていく。
そうしたならば、社会はおのずと変わってきます。
そこから変えていくのが、ほんとうの意味での魂の再生なのです。
その方向性をしっかりと歌い上げていく。

それが一体となった時に、女性の生き方、そして男性がどう改革を行っていくべきか、宇宙の友が来たとき地球がどういう方向で変わっていくのか、すべて自然に答えが出てくるものなのです。
地球人の認識力によって、自然に変わってくるのです。
不要なものはいずれ淘汰されます。
それが摂理でもあるからです。

だから高橋信次先生が、「わたしたちは神の子なんだよ。愛をいっぱいにたたえた神の子なんだよ。
魂は永遠なんだよ」と、今思うとすごくシンプルなことを教えてくださった。
こんなことだけを言うためにエル・ランティが出たのかと思うけれど、これがすべてのキーワードの基本だったのです。
信次先生が伝えてくださったこと、これに尽きるのです。
この思いにどう気づいて、表現する勇気をどう持って、そのエネルギーでどう社会を変えていけるか。

今、政治学とか何学とか、いっぱいあるでしょう。
科学、文学、そして社会の構造的なもの、子どもが荒れているし、自殺したり、子殺しがあったりという社会問題そういうものの答えというのは、全部そのもとに自然に出てくるのです。
そのキーワードは「わたしたちは神の子である、愛のエネルギーである、愛の子である」ということ。
これまでは、それを宝の持ち腐れにしてきたのです。

気づけなかったし、信次先生が教えてくださっても、それをほんとうの意味で気づいて表現する人がいなかったから、信次先生が亡くなってから三十年経っているのに、世の中少しも良くならない。
宝の持ち腐れはダメよ、ということです。

イエス様も聖書の中でおっしゃっています。
「ろうそくの灯は赤々と、テーブルの上に載せなければいけない」と。
ろうそくに灯つけてね、テーブルの下に隠していちゃいけないよ、あなた方の中にある神の愛の光というのは、高々と掲げて、世の闇を照らすべきためにあるんだよと。
だから、机の上にちゃんと置きなさい。
高い所に灯を掲げなさいということを、イエス様は聖書でおっしゃっている。

それは、わたしたちの神の子としての愛の灯に点火させたらば、それを出し惜しみしないで表現をしなさい。
表現をして、発信していくことに勇気を持ちなさいということです。

それはけっして無理なことではなくて、わたしたち自体が持っているほんとうの底力でもあるし、神様が期待されているものでもあります。

素晴らしい才能を持っていたら、それを抑えておくことのほうが辛いでしょう?
みんなそうなんですよ。
自分らしくありたい、自分が感じた愛を少しでも表現していきたい。
それをできるのが、ほんとうの意味で正直に生きることであるし、幸せなことなのです。

そのうえで、女性としてどう生きるか、女性としてどう愛を感じるか、そういうものがやはり伴うのであって。
まず、原点は自分らしくあるということです。

もし、素敵な人に見初められたいと、自分らしさを一生懸命隠して、たとえばわたしはお料理がすごく上手ですとか、子育てもすごくうまいんですとか、やりくり上手なのよとか、一生懸命見栄を張って言ったとしても、そんなものは長続きしません。
自分を偽って、男性の愛を手に入れたとしても、そんなものはいずれ苦しくなっちゃうよ、ということなのです。

自分自身であって、自分自身にしかないものを神様が与えられた。
それを一生懸命表現して、愛豊かに生きていく。
そして、そういうあなたを愛してくださる人を探して、女性たちよ、幸せであれ、ということを天上界はおっしゃっているのです。

愛されるからと言って、自分を偽って、自分の素晴らしい感性とか才能を表現することを封印するのは苦しいことです。
やはり自分自身に素直に正直に生きるということは、幸福の原点であると、わたしは思うのです。

6.能力を発揮することをためらわないで

そして日向様も、まず女性性や愛というものをちゃんと学んだのならば、愛の表現媒体としてあなた方に授かった能力、才能を出していくことをためらわないでねと、おっしゃっています。

愛の表現者としての能力を発揮するということは、多くの人びとを幸せにするし、何よりもあなた方自分自身がいちばん幸せになれる道なんですよと。
そういう勇気を持ってくださいと。

今まではそれをやると、すごく社会から迫害され、生意気な女だとか、いろいろ言われることがありました。
けれども、ほんとうに愛豊かに、愛深く、自分の女性性を理解したうえで、素晴らしい才能を発揮する女性というのは、真に魅力的な女性であるし、社会もそれをきちんと受け入れるべき社会に成長しなくてはいけないし、男性たちもそういう女性たちを受け入れていくように変化するべきであると。

そこのところがわかっている女性であるなら、どれだけ優秀で素晴らしい才能を持っていても、男性というのは、ほんとうに敬意を表して、ちゃんとその女性を愛するものだと思います。

そこを認識せず、「いいから、あなたお皿洗ってなさい」とか、「わたしは忙しいんだから」とか、自我のぶつけ合いをしてしまうから、男性たちは引いてしまうだけであって。
男性は、女性が愛深く、愛を表現する手段として、自分のそばで燦然と才能豊かに光っていたら、敬意を表するものだと思うのです。

男性にしてみれば、自分と同じではだめなんですよ。
今までは、女性が職業に就くと、家庭の中に男性が二人いるようになってしまったのです。
だから、男性は奥さんに対してライバル心を持ったのです。

でも女性が、自然体でさりげなく女性性を表現して、愛を表現するためにわたしはこういう才能で奉仕するのよ、神様のために、多くの方のために、愛の奉仕をするのよといって存在していたら、相手の方は、逆に自分の妻に誇りを持ち、敬意を表して、それを助けるパートナーとして存在しようと自然に変わるものなのです。
けっしてそこにはやきもちはないのです。

けれども今まで、女性たちは解放された分、男性化し、男性と同じベクトルの中で、自分の能力をアピールすることばかりをやってきたから、男性たちは自然に身構えてしまったということがあったかもしれない。
でもそれは、やはりともに成長していかなくてはいけないかなと思うのです。
そこのところに気づいてくださいということを日向様はおっしゃっているのです。

愛の原点というのは、わたしたちは神の子であり、愛のエネルギーそのものであるということ。
オリジナルの自分を表現することをためらわないで、自分自身を愛の表現者として、勇気を持っていきましょうと。
それがほんとうの意味での幸せで、ほんとうの意味でわたしたちの魂を自由に解放させていく道なのです。

やはり、なにか愛のためにお役に立てる、神様のためにーー、多くの仲間、神の子たちのために、地球のために、宇宙のためにというのが、神様のためにでもあるのだけれどーー、自分という存在が無意味ではないと、何かお役に立てる力があると思うことは、ほんとうに幸せなことだと思うのです。

ささやかなことでもいいから、お役に立ちたい、みんなそういうふうに思っていると思います。
そしてそれを、いちばん言ってあげなければいけないのは子どもたちなのです。

7.自分のエネルギーを発散することで、周囲も変わる

今、学校教育を見ていても、みんな金太郎飴に育てたがっています。
子どもがいたら、子どもの数分だけ素敵な可能性があるのに、同じ方向で、同じベクトルの中で、偏差値というものの中だけで測ってしまう。
個性の多様性、才能の多様性、神の望んでおられる社会の彩りの豊かさ、それを担う天使たちだという観点はどこにもないのです。

そういう意味で、子どもたちを育てる時に、神様が与えてくださったあなたでしか表現できないことを、あなたが表していくということを、パパもママも信じているよと、背中を押してあげる。
そういうふうな受け入れ方をしてあげてほしいなと思うのです。
そうしないと多様性というのは育たないのです。

今は、多様性や個性の彩りの鮮やかさというのではなく、ちょっとでも他の人と違うと、叩き潰そうとします。
先生たち自らが叩き潰そうとします。

やはり子どもたちは無垢でピュアであるけれども、社会経験がないから、自信がないんです。
その時に「いいんだよ、あなたがあなたであって、それでいいのよ。だからあなたらしく精一杯努力してごらん」って背中を押し、励ましてあげる。

勇気づけて、「あなたでしかできないことを探してごらん」って。
そういう言葉をかけてあげたなら、男の子であれ、女の子であれ、小さいうちから自分らしく自分を表現するようになれると思うのです。

今、わたしたち大人は、みんなそれができないでしょう。
それはわたしたちが、そういうふうに育てられたということもあると思うのです。

特にわたしなんて、小さい時、イエス、ノーをはっきり言う子だったので、母に「なんてもう、はしたないの」と言われて。
「あまりはっきりものを言うんじゃない」とか。
「女の子はなるべく、控え目にしてろ」とか。
背が高かったら、「男性に対して威圧感があるから、ハイヒール履くな」とか。
頭にきて八センチヒールとか履いていたんですけど(笑)。

そういうふうに、他の人と違うとか、突出することを嫌がる文化が、この日本には特にあるように思います。
そして今子どもたちは多様性というものを封印されて、いつの間にか自分にそういう能力があることすらも忘れてしまっている。
そして、自分らしく生きられなくなるとどうなるかというと、無気力感というものが襲ってくるのです。

何をやったってだめなんだと、社会から否定されるんだと。
親とか学校から「いい子でいろ」と言われる。
でもそこには、全然自分のうずきがない。
だから、頑張ろうっていう気力も湧かない。
だから働かなくてもいいや、ゲームだけしていればいいやって。
それで、そういう子どもにまたご飯を持っていく親も親で、ご飯が出てくるからいいや、っていう。

この間テレビで、興味深いものがありました。
ニートが、「これで働いたら、負けだと思っている」と言うんです。
三十何歳、いい年した男が、母親の年金を食い潰しているのですが、リュックサック背負って秋葉原行って、一万円札で自分の好きなキャラクターを買っているのです。
それで、「仕事はしないのか」って聞かれたら、「ここで働いたら、負けだと思っている」って。

でも、彼だって、「負けだと思っている」つて言うからには、やはり何か自分の自己主張、自分で何かやりたいって、そこのところが死んでないのです。

でも、何のために自分の負けまいとする思いをぶつけていいかわからない。
魂とか、自分の人生をどう燃焼させればいいかという、価値観を見出せないまま、育ってしまった。

ただただいい子ちゃんでいればいい、他と変わらない、困らせない子どもでいればいいということだけを、親も教師たちも望んできた。
そのあげく、こういう人たちを生んでしまったのです。

彼らを見ていて、次の時代に何をしないといけ力いかというと、子どもは財産でもありますから、次の時代を生きる未来の人たちに対して、ほんとうの自分のうずき、自分自身のオリジナリティを表現することを、もっと社会が多様な価値観の中で送り出してエールを送ってあげる、そういう社会をつくっていくということです。

それには、わたしたちみずからが自分自身に正直に、一人ひとりが自分のエネルギー、個性を、愛のもとに表現する喜びに満ちていなければ、仲間や子どもやよその人の背中を押してあげることはできないのです。

まず、自分が幸せになる。
わたしたちは気づけたのだから、気づいたら表現し、行動していく、自分自身のエネルギーを発散していく。

それがほんとうにできるようになったら、その姿を見て多くの人たちも変わってきます。
そして、そういう人たちとともに、子どもたちを豊かに見守っていってあげられれば、未来の地球も変わってくる。そう思うのです。

自分自身の原点であれ、自分に正直であれ、と言われていますが、それは一見当たり前のようであって、実はものすごく今回の運動の原点になることだったのです。

8.女性性を認識したうえで、才能を開花させていくこと

今指導してくださっているのは、日向(卑弥呼)様ですね。
すごく毅然とした方です。日向様は、職業婦人的な発想ありますからね。

邪馬台国、大和国といいましたけれど、そこには女性官僚がたくさんいました。
当時、才能のひとつの価値基準として、どれだけ神と深く結びついていくことができるかが、今でいうと東大に入るとかいう偏差値ではないけれど、その人の能力として評価され、そういう才能を買われた時代でした。

ですから、巫女さんたちが女性の官僚や地方を治める代表になり、その才能のもとに貢ぎものとかいっぱいあって、経済的にもすごく豊かだったりもしました。

だから、そういう時代はそういう時代で、女性が女性として、自分の才能を開花させられた時代です。
でもその後は、なかなか女性中心の社会がなかったので、いつの間にか女性たちは、ただただ自分の才能を押し殺す中でしか、自分の存在意義を見出せなかった。

けれども今、母性の開花、女性性の気づきと同時に、愛を表現するために、自分の中のオリジナリティの才能、能力を使うこと、磨くことにためらいを持たず、勇気を持ってほしいと。
そういう時代がそのうちに来ますよと。
それが今回、女性たちへのエールといいますか、天上界からのご指導であります。

これを持ってこないで、たんに母性と女性性だけでは、女性たちも、そうかやっぱりそこに来ちゃうのか、となってしまう。
たとえば女性が、ピアノを弾くのが好きとか、歌手になりたいとか、詩を書いていきたいとか、いろんな道でたくさん自己実現したいなあと思っても、やっぱり諦めるしかないのねって。
そこに落ち着いてしまうのは、やはり女性の法の本来のあり方ではないということをおっしゃっています。

そういう社会の展望がわかったら、ほんとうの意味で女性は幸せになれます。
目的さえ間違わなければ、表現の方向さえ間違えなければ、自分が自分らしく努力をして才能を開花させることは、誰にとってもそんな悪いことではないのです。

ただ、どんな表現であったとしても、女性が女性であるならば、女性性というものに忠実に、たとえば、やはり自分は女性の画家であると、女性である音楽家であると。
自分の立つべき位置、存在意義、原点をきちんとおさえ、そのうえで神の子として愛の表現をしていくんだと。

きちんとその立脚点みたいなものさえ認識していれば、けっしておかしなことはないし、間違うことはないのです。
そのうえで、おおいに豊かに羽ばたいていただければ、それが神が喜ばれる道でもあるのです。

女性であるからといって、自分の才能を諦めることを神はけっして望んではおられないということ。
それを最後、女性たちに対するメッセージになければ、やる気をなくしてしまう女性たちがすごく多いと思うのです。

本来は、りんごの一個を二つに割った片割れが女性であり男性であります。
本来的な意味においては、優劣はどこにもありません。
女性性としての役割、男性性としての役割、二つで一体になっていくものですから、当然男性たちが優秀なものを表現できるのであるならば、女性たちの中においても、そういう才能豊かな方がいても全然おかしいことではない。

ただ、女性性としての役割、りんごの片割れであることをちゃんと認識したうえで、愛豊かな表現者としての役割を果たしていただきたいという。
その認識のうえで、どんどん宇宙を彩り豊かにしていただくのが、神の望まれる道でありますよということです。

宇宙を見ると、ほんとうに神は偉大な芸術家です。
そのことを考えたならば、わたしたちが自分自身のエネルギーを表現していくことを、怠ってはいけないんだなあと。
神の子であるということは、逆に、表現者たれということを要求されているんだって思うことです。

ですから、この間から盛んに、そこを認識しないと、次の時代は生きていけないですよと言われています。
今まで女性たちは、考えなくても生きてこられました。
でも次の時代には、女性たちは夫の陰に隠れて、経済的にも安泰だということで、自分をごまかして生きていく道はもう許されなくなりますよと。

まず女性性というもの、母性というものの働きを学んだから、だから次にこうして、あなた方自身を探しなさいということを言われている。
きちんと順番があって、今それが出てきたということです。

最初にこれを出してしまうと、またワァーと、間違った自己実現に女性たちがいってしまうので、順を追って出してこられるみたいですね。
やはり女性性というものをちゃんと学んだから、わかってくることかなと思います。

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