Project Eden


エル・ランティ(高橋 信次)
地球霊界九次元の中でも破格のエネルギーを持ち、エホバの神やアラーの神として知られている存在。
今から約三億六千五 百万年前、ベーエルダ星から約六千万人を率いて地球に飛来した。
これが地球人類のはじまりとされている。
長い間、地上に肉体を持つことはなかったが、日本に高橋信次として転生し、正法神理を説いた。
現在は天上界にて「第三の計画」の最高責任者となっている。
1.霊性時代の幕開け
我はエル・ランティなり。
あなた方の使命が明かされてより幾数年がたち今このような状況において、あなた方が心を合わせ、次なるステップヘ向かい、精進してくれていることを心より感謝し、あなた方の労をねぎらいたいと思う。
この度の計画は複雑難解にして、一度にすべてを明かすにはあまりにも常人の理解の枠を超えていたので、段階を経て、あなた方に伝えてきたという事情がある。
まず第二の計画により、頓挫した体制を整えるということ。法の確立を、再編をするということ。光の天使たちを救済するということ。そして、次の時代にあなた方の法をバトンタッチしていくということ。そのことをあなた方の最初の使命とした。
しかしこのように通信塔がしっかりと回復したことをもち、あなた方への使命がまた拡大されたことに関し、あなた方の努力が、苦労が大きくなることを申し訳ないと思うが、我々天上界の意向だとくみおき、しっかりとそれを果たしていただきたいとお願いしたく思います。
今回わたくしが出てきたのは、あなた方もよくよく存知おいているであろうが、今回の計画の実行者はエル・カンタラーご自身であられ、そして天上界においての最高責任者はインマヌエル、イエス・キリストと呼ばれる方でありました。それが、事情があって代わることになり、わたくしがその天上界における指導の責任者となることにより、あなた方を直接指導していくということを考えております。
これから行われること。あなた方が今CDを出され、本の伝道を開始されるということ。すでにもう小冊子という形で法の種蒔きをはじめられているということ。どうかこれを継続し、世界中にインターネット発信ができるような形において、あなた方のいう、スピリチュアリズムという霊性の時代の幕開けとなるべく、法の種をしっかりと発信していただきたいと思うのです。
なぜならば、世界中にて多くの光の天使たちが、あなた方が発信されるそのときを待ちわびているということがあります。世界中の光の天使たちが、この日本より発信される霊文明の、霊天上界の計画の発動に連動するように、すでにインプットされているという事態があるのです。
多少遅くはなったけれども、この天上界の青写真、天上界の様々な宗派の根源神と言われている者たち、ローカル神における神と言われてきた者たちからの通信がいっせいに起きることをもって、それが発信されることをもって、海外の者たちもともに、霊文明の夜明けというものをつくっていくという、そういった計画が最初から天上界においてなされていたのです。
ですから、あなた方の書籍販売、CD販売、そしてインターネットヘの発信を経て、その数年後に世界中で連動し、動き出していくのだということを今あなた方に告げたいと思います。
今はまだ、興味関心を持つ者は少ないかもしれない。しかし、次の書籍で、あなた方の存在というものが広まっていったならば、必ずや日本においても世界においても、霊言のブームというものが必ずや広がっていくと、わたくしは確信しております。
なぜならば、そういう時代がもう目の前にきている、いや、もうはじまっている時代であるということ。霊性の時代、あなた方の言葉で言うならば、水瓶座の時代という名前を聞いたことがあるでしょう。アクエリアスの時代という霊性の時代、愛の時代の幕あけが、もう今世紀の初頭よりはじまっているのです。
それにより、霊性の開発というもの、人類の深層心理の中に、神の子意識の中において、そのような波動に敏感に反応するという、そういう時代が今きているというのが事実なのです。
あなた方が霊天上界の波動というものをストレートにぶつけていったとき、彼らがそれを待ちわびていたように反応してくる。そして、それが世界中に向かって発信されていく。そのような計画になっております。
今は、せっかく用意しても、なかなか販売が迫いつかぬと、売れぬと思うかもしれないが、あなた方によくよく言っておく。
けっして焦ることなかれ。けっして焦ることなかれ。
光の天使たちは大体において猪突猛進、思うと命がけであり、進むときにまわりや後先を考えず、熱意のあまりに死にもの狂いでがんばりすぎ、焦りにより墜ちてしまう。
かつての者たちもそうであった。けっして焦ってはならぬ。やっとここまで立て直した計画である。よくよく慎重に忍耐をもって、愛の法を説きなさい。
2.天使としての役割
神の愛とは、本来は限りない忍耐につぐ忍耐に彩られたものである。
我々の愛がそうであるように、たとえ地上の者たちにどれだけの愛と知恵ある導きをしたとて、地上の者たちがその意に沿わず、少しも学ぶことなく、傷つけ合ったとき我々は忍従をもって、愛をもって人類を見守ってきた。であるならば、神の子であるあなた方は、わたくしたちと同じ心境になりなさい。
愛の種が蒔かれるとき、神の愛が光として放たれるとき、必ず、忍従というもの、忍耐というものを持たねば、人びとの、神の子たちの心にも、生活にも落ちてゆかぬもの。
神の愛というのは限りない忍耐心というものであって、その愛というもので、人びとの心を指導していくのであると思いなさい。
だから、性急になり、焦り、後先を考えず、今のことだけ、目の前のことしか見えなくなるのではなく、今はそういうときであったと、ゆったりとした気持ちで、愛の祈りの中において、神の子たちを、愛そのものである神のもとに指導して導いていける、そのような光の指導者として、天使としての役割を果たしていただきたいと思う。
我々から見たならば、あなた方がやってきたことなどは、早回しで見たほんの一瞬のこと。まだまだ一点にしか過ぎぬ。やっと立て直した最後の望み、これをつまらぬ焦りや闘争心や、つまらぬ、挫き倒されるような人びとの妨害によって、打ち倒されることは避けねばならない。
弱き心の中に人びとはおのれを見失い、この地上の欲にかまけ、神の子としての光を失い、闇へ墜ちていく。
そのようなことにならぬよう、よくよく一人ひとり、己自身の心を反省し、常に自己点検されることをお願いしたいと思います。
あなた方がこれから明かされていくこと。それは常にステップバイステップで、一歩一歩進んでいくのです。あなた方の体制ができればこそ、次の予定が明かされるのです。一生懸命、あなた方なりの地上の努力をもって仕事をなされたとき、またその上の計画が明かされていくのです。
大筋においては、最初に伝えたこととなんら変わりはない。ただ細かいことにおいて、多少盛り込まれたこともあるかもしれぬ。そしてこれから先、行われる順序において多少変更があったとしても、あなた方がやらなくてはいけない使命は変わっていないのです。
今はまだ、これが全世界に広がるとは、あなた方は少しも信じられないかもしれないけれども、しっかりと足元を固めて、今やるべき仕事をされてゆくことを望みます。
3.神とは愛の法則そのものである
この地球というものを考えていたときに、大いなるアクエリアスの時代という霊性進化の発展の時期、高度なバイブレーション、精妙なバイブレーションの中で、地球自体が進化発展してきた時期というのがあります。
今まではひじょうに野蛮な、ひじょうに幼い、そう、言うならば小学生低学年レベルの修行の場所であったのかもしれない。
愛の心をもって、もう少し文明、科学を発達させ、文明人の仲間入りをさせていきたいと、高度なことを教えてあげたいと思っても、その前に、宇宙を統べる愛の法則である神のご意志、その法則に則った動きをしないから、自浄作用により淘汰されてきたというのが今までの歴史なのです。
だからこそ、あなた方はまず人びとに伝えよ。
神とは愛の根源そのものであると。
愛の法則そのものであると。
すべてを生かしむその思いは、神の愛の法則そのものが生きとし生けるものに染み渡り、神の愛のエネルギー、神の光がすべての生ける神の子たちの体の中に流れ出でて、その姿形をつくり、それを神の体の表現体として、この大宇宙を統べておられるのだと。
法則。愛とは法則であり、愛は旋律であるということ。波動であるということ。この愛の法則に則らぬものは、この大宇宙において存在を許されぬものであるということ。
それが許されるような次元のレベルの地球であるということを考えると、いかに我々の地球というものが、まだまだ初歩的修行の段階にある星であるかということがわかるであろう。
今、ルシフェル、サタンなどの者たちがここから抹消されることなく、その修行の、反省の場として、彼らに許され、与えられているというのも、彼ら自体の修行の過程の中で、まだまだ地球はそれが許容される修行場であるということなのだ。
だから彼らにしても、もしこの地球自体の修行場としての役割がレベルアップしていったのなら、彼らはその姿を見て反省し、同じく上がってくるやもしれぬが、そうでなければ、別の形で別の星に行って修行するような形態をとらなくてはいけなくなるかもしれない。そのようなこともあるということをわたくしは告げておく。
だから、わたくしとしてみれば、この地球自体を修行場として、もう少し高い次元の波動の中にある、愛というものを圧倒的に体現できる、そのような磁場にしていきたいと、そのような星にしていきたいというのが、今回の大プロジェクトの目的なのです。
それには、今回のような飛躍的にステップアップする時期というのが、かつて数千年前、いや数万年前より、宇宙の中における地球の時期というものをよくよく考えて設定されているということ。数万年前からおかれていた、今日の大事な地球にとっての要の時期が、今回の計画であったということを思うならば、みだりに簡単に我々天上界の者たちが諦めてしまうには忍びないという気持ち、わかっていただけるのではないかと思います。
このようなチャンスをつくるために、他の霊人方もおっしゃられていたけれども、命を投げ出した数々の方がたの努力と歴史があって、今日がつくられてきたのです。
その大事な、まさにこのとき、今現在に、この磁場の、この光の中心にあなた方がおられ、そして奇跡であると思われるような霊界通信を受けている立場であるということ。そのことを思って最大限の努力をしていただきたいと思います。
4.神の愛は無限である
地球の使命は、この太陽系の中において、太陽系のプリンスと呼ばれているほどの立場であります。大宇宙からみると心臓部に近く、この大銀河系宇宙自体がひじょうに知的な場所でもあり、神のお体をもし大宇宙に例えるのなら、地球の位置は、ひじょうに要のところにあるとわたくしは認識しております。
銀河系には他にも、我々地球よりもっとすばらしい星はあるのですが、我々にしてもこの美しき地球を、大宇宙の心臓部の中においても恥ずかしくない水準のものに光輝かせていきたいと、地球を預かるものとして、わたくしはそのように思っております。
人びとの心の中に愛がなくなったとき、愛の法則により、その人類はこの地上に、いや宇宙に住むことが叶わなくなるということ。それは波長同通、因果律の法則の中にあり、愛の法則の中にあることなのです。
圧倒的な愛、圧倒的な光の前に闇など存在しえないのです。
しかし、ほんの一部の闇がこの地球に巣食っている、そのほんの一部の闇に光の軍勢が負けたという事実があることを思って、闇というものをばかにできないと、ミカエルたちのように精一杯、闇と闘っている者たちがあります。
しかし、本来、大宇宙というものを、宇宙全体を神のお姿と、お体としてみるのであるならば、地球の中におけるわずかなものなど、地獄界などは、ちょっと転んでけがをした、かさぶたくらいのようなものでしか存在しえない、ほんの一点にしか過ぎぬということ。そのことを考え、あなた方は闇に怖気づくことなく、けっしてそれに負けることなく、毅然と、光の使者としての道を歩んでいってほしいと思います。
神の愛というのは無限であり、神のエネルギーというのは無限であり、この大宇宙は愛の法則により、無限の光により、その法則により動かされているということ。
それを、今回の教えの一番大事なところとして、あなた方がしっかりと後世に残さなくてはいけない。
神というと、人間の形をした我々のような者たちが根源神であるかのように思われてきた。その時代を打ち破り、それこそ科学により目が開いたときのように人びとは-。我々は高級神霊であり、あなた方の指導者ではあったが、イエスもモーゼも仏陀もアラーも、みんなすべてが、あなた方より先輩である指導者たちであったのです。
神本来の姿は大宇宙の中にある愛のエネルギーです。
その愛のエネルギーをすべての者たちが分けに与えられ、神の子として存在している。
だから、自分たちの存在を最高に輝かし、個性を発露させていくのは、自らの中にある愛の思いを最大限に引き上げて、愛のボルテージというものを最高限度に引き上げていって、宇宙の神に感応していくということです。自分の親である神の愛に、もう一度自分自身を投げ込んで返していくという、戻っていくという姿。
それこそが自分本来の道であり、そのときにはじめて、一人ひとりが違う個性と才能を分け与えられつくられた神の子であるということを、今一度認識し、他の者と何が違うか、どんなすばらしい才能があるかということに真に気づくことができる道を築くのです。
自分の欲や、大きくなって名声を得たいとか、そんな思いで自分の将来の仕事や自分の天命、天職というものを考えるよりも、一度、神の愛という存在の中に自分自身の存在を投げ入れることです。原点に戻り、自分の中からもう一度神の本源に、大宇宙の本源に還って、結びつけて、自分自身の原点に戻っていくということ。
神の愛を通して自分自身に還りついていくということ。そのことを人類は知らなくてはいけない。そうでなければ、これからの地球に修行する者たちにとって、すばらしい人生の修行形態というのはありえなくなるということを、あなたたちの法の中にぜひ残していただきたいのです。
今のあなた方の人生にも役に立つことでしょう。でも、これから後に生まれくる者たちの、これからの者たちにとって、それが常識になっていかなくてはなりません。愛の波動に同調できる者だけが残っていく。それが神のご意思でもあるのです。
それに背いている、それにそぐわない者は、波長同通の原理の中で大宇宙に存在を許されなくなっていくということ。そのことをもっともっと学ばねばなりません。
5.宇宙時代の幕開け
我々がこのような話をできるような時代になったということ。そしてこの愛の原理に我々一人ひとりが気づいたときに、大宇宙より多くの友が、あらゆる技術をもって応援しようと地球のまわりにきてくれています。
彼らはもともとわたくしの友でもあり、この地球人たちのルーツでもあり、我々を援助してくれようとする、宇宙のすばらしき仲間たちであります。
しかし、彼らが援助しようと、様々な知識を与えようと思っても、もし宇宙人があらわれたなら、ロケット砲などで円盤を打ち落としてやろう、などというような野蛮な民族の星の者たちに、どうして彼らが近づいてくることができましょうか。
他の星の者たちから見るならば、地球に住まうものは、ひじょうに原始的な星の住人であるわけです。だからこそ、愛に同調した本源の愛の神の子としての自分自身をしっかりと見つめ直した、友好的な愛に溢れる姿を見せなくてはならない。そうすることで、今その存在をけっして見せない、見せてはいけないのではあるけれども、その姿を見せない彼らが次々と姿を見せて、あなたたち地球人に様々な技術を与えてあなた方を助けて、新たなアクエリアスの宇宙の、霊性文明の発達の時代に導いてくれる手助けをしてくださるということ、そういう時代がくるということを、あなた方は知っておきなさい。
それと同時に、地球神としてのわたくしたちの指導も、前以上に多く、あなた方に指導できるようになるでしょう。
自分自身が愛の塊であり、神の子であるという原点にあなた方が戻り、わたくしが高橋信次として説いたときの反省法に則り、己自身の霊性というものをしっかりと反省し、神の子本来の原点に戻ったのならば、あなた方に失われている、今、まあ、この者(アマーリエ)などは霊言というものをとって当たり前にやっていますが、他の方にも本来備わっている、霊道現象と呼ばれている霊能力が復活してくるのです。テレパシーなどは当たり前のことなのです。
別に、霊言をとるこの者だけではなく、本来であるならば、犬であっても、猫であっても、虫であっても、自然界の花であっても、そのような精霊たちはみんなテレパシーで交信をしているのです。それを今、あなた方地球人は失ってしまっている状態なのです。その状態を、能力を回復していったとき、宇宙の友たちと自然にコンタクトできるようになるでしょう。
このような口から出る言語。この者の通信をみていてもわかるでしょう。この者は言語に一生懸命、翻訳しているのです。よろしいですか。翻訳の前にテレパシーで言いたいことは伝わっているのです。伝わっているから本人はわかるけれども、あなた方に伝えるために言語化をしているのです。それは宇宙の者たちも同じです。
テレパシーで来れば、言語がたとえ違おうと何であろうと、言いたいことは伝わるのです。しかし、言語でしか地球人が理解できないから、だから彼らは、宇宙語というのはそれぞれの母国でしゃべる言葉ですけれども、彼らはひじょうに苦労しながら地球語を学び、しかも変換機のようなものを使いながらでなければ話ができないのです。
本来、あなたたちが亡くなり、こちらの天上界の世界に戻ってきたときには、肉体を脱ぎ捨ててきます。そうすると、あなた方の肉体は霊体という形になるのですが、そうなったときには、当然のようにテレパシーが使えるのです。これは、肉体に支配されたときに、ひじょうに限定された、硬い硬い肉体という物質的な限定の中に閉じ込められているから、あなた方は本来神が与えられたテレパシー能力を失っているのです。
地上にいても、先ほど申しましたが動植物などでは、鉱物においてもそうですが、テレパシーでの交感ができます。だから、この間話しておられたように、花の精霊と話ができるというようなことは当たり前のことなのです。あなた方全員が、話せて当たり前なのです。彼らは一生懸命伝えようとしています。しかし、受け手がそのような澄んだ心を持たぬから、あなた方は彼らの言葉がわからぬ。精霊界や妖精の言葉がわからぬということだけなのです。
それと同じであって、心が澄んでいったならば、反省により、本来の神の子であるきれいな丸い心になっていったならば、当然のように宇宙の者たちとテレパシーでコンタクトできるようになるのです。
それは一部の霊能者だけではなく地球人みんながそのようになっていけるということ。そのような時代が必ずや、飛躍的な今回の計画が成功したのなら、遅かれ早かれそういう時代が来るのです。
そうしたら、言語というものを使わなくても、他の惑星の者たちと交流できて彼らの言いたいことがわかっていくようになるでしょう。そういう時代が来るということです。
それを霊性の文明の開始と申しますか、水瓶座の時代のはじまりということをもって、我々は宇宙時代の幕開けというふうに呼んでいるのです。その時代が来るための、大自然の最後の地上浄化の学びのときが今であるということ。
今までと明らかに波動が変わるのです。明らかに今までの、戦国時代とかいって人びとが戦い合ったり、自分たちの欲や地上の権力などに振りまわされて、お金などに振りまわされて、ひじょうに原始的なレベルの話でいがみ合っていく、そういう時代から、自分たちが神の子意識であり、愛の奔流であり、宇宙は愛そのものであり、愛のボルテージそのものが神の、地球として期待された次元になっていくために、わたくしたち一人ひとりがあるのだと--。他の言葉で言うならば、神の花園に咲く花になっていこうと--。そのような言動になっていったのだと思います。
愛のボルテージが高くなっていくこと。
そして、愛そのものになっていくということ。
それが宇宙における神の法則であり神のご希望になる姿そのものであります。
あなた方はそういう時代をつくるための、そのための最後の先ぶれというか、ステップアップのときの大事な大事な使命を担う、使者としての仕事があるのです。それを常に思い、今の仕事を考えていただきたいと思います。
6.天上界の計画
あなた方のもとに、これから九次元の者たちが毎週降りてくることでしょう。そしてそれぞれの宇宙の法を、九次元の法というものを伝えていくことでしょう。これから本格的に法が降りてくるようになります。
目新しい情報だけではなく、愛の根源である教えを、繰り返し、いろいろな方がおっしゃられることでしょう。
でもそれが、今降ろせるときにー、九次元の法をストレートに降ろせるときなどは、ほんのわずかなときなのです。この通信塔たるものの命がもつうちに、我々はなるべく多くの機会を持って、教えを地上に降ろしたいと思います。
ただ、あなた方の認識力をはるかに超えたことを語っても、あなた方は理解していけないから、今のあなた方の仕事に応じて、そして仕事をしてきたことによる認識度をみて、その状態に合わせて、話をしていこうと思います。
だから今までの菩薩、如来クラスの者たちがー、まあ霊天上界はいろいろな個性があるということを証明するために、今とられておられる霊言があると思います。そのこともまた大事なことであり、彼らの知恵、叡知というものをもって、地上の者たちにわかりやすく伝えるということが大事であるかと思うので、それはそちらでやっていただきたいと思うけれども、我々は我々の中で、九次元が順番に当番のようにあたりながら、それぞれの法というものを伝えていき、それをあなた方が編纂され、題をつけてくださればよいかと思います。
我々も我々の天上界のほうで決めた計画があります。大まかなところでは、例えばこの者(アマーリエ)が嫌だといっても、この者を招命し、やってもらえないかと言って迫るという、そこは変えられないのですが、でもそれ以外のことにおいては、地上の者たちの自由意志、実行力、知恵、判断力、やる気、そういうものを鑑みて、様々な計画というのを地上に降ろすのです。
すべてにおいて依存してはいけません。いつも言いますが、地上の者たちは地上の者たちの努力をもって、自発的な仕事に対する情熱をもって、この任に当たっていただきたいと思います。それに応じて、計画というのは、どれだけでも次から次へと広く、幅広く、深くなっていくのです。
いくら我々が熱心に言っても、地上にいる者たちに熱意がないのなら、やる気がないのならば、それ以上の計画を降ろせないではありませんか。
ですから、あなた方がやる仕事の質と量と熱意を見て、我々はこのように急濾、計画のスケールアップを計っているのです。
あなた方がひじょうに一生懸命にがんばってくださり、このように通信が楽に受けられるようになりましたし、いいメンバーも揃って、磁場的にも安定してまいりました。
はっきり申します。去年の八月、今ここにおられる、一心になって編纂をしておられる五人のお坊様と呼ばれている方たちがきました。あなた方五人がきたことをもって、法の編纂の開始となったのです。そのことはもう告げているはずなのです。
あなた方が法の編纂の中心になっていく。それをやれる、我々が待っていた方がたがあなた方であったということです。そのために、その前に旗振り役などをする者たち、その旗揚げのための使命の者たちというのは、それぞれにございました。
でも、法の編纂については、あなた方を待っていたというのが実情なのです。やはりこのようなことは専門家がこなくてはとてもできるものではありません。そして専門家のあなた方がきてくれたおかけで、このようなすばらしい状態になりました。
よいですか。神の子の使命というものは、常に様々な苦しい戦いの歴史でもありました。ですから、少々のことにくじけてはなりません。
心をただ光に向けなさい。神の愛に向けていきなさい。
あなた方にはわたくしたちがついているのだということ、神の愛があなた方を常に守護しているのだということ、あなた方は光の使者なのだということ。
そして、さっきから申し上げているように、宇宙は神の愛そのものの塊であるということ、愛の法則がすべてを支配しているということ、その中における一筋の愛の奔流のエネルギーが、あなた方一人ひとりであるということを思えば、何を恐れることがあるのかとわたくしは申し上げたい。
少々のこと、少々の難儀なことに屈服するのではなく、あなたたち自体の心の中にある弱さに打ち克つようにしなさい。そして少しくらいのことで何を言われたとしても、心を乱してはいけません。乱して、力に対して力で、言葉に対して言葉で戦い合ってしまったら、それはともに墜ちていくことです。その連鎖の中に堕ちてはいけません。
たとえどのような攻撃を受けようとも、自分たちは神の使者として、絶対的なる神の支援のもとにこの仕事を命がけでやろうとしていると、捨て身でやろうとしているという思いがあるならば、その我々の守り、守護があるのです。何も怖がることはありません。
先ほど聞いておりましたが、中山みきという女性霊、あのすばらしい女性におかれましても、命を張ってあのようにすばらしい仕事をなさってこられたのです。それなら、優秀なあなた方が今ここに呼び集められたなら、彼女が捧げたと同じほどの、いや彼女が捧げた意識の半分でも、命がけになって全生涯を神のもとに捧げようと思えば、あなた方はどれだけすばらしい力を持っているのか。そう考えれば、今この時代において彼女の何十倍という仕事ができてもおかしくないはずなのです。
それだけ優秀な方々ではありませんか。ですから、あなた方のその能力を最大限に発揮し、情熱とそして自分の人生すべてをかけて、大いなる宇宙計画、地球計画のために、命を張ってがんばろうと思う、そのことがあるならば、現代のこの科学文明において、最高度に爛熟したこの日本において、この光の中心である日本において、あなた方には無限の可能性があるということです。神に貢献できる、無限の可能性の中に使命を与えられ命を持ち、肉体を持ち、今ここに存在しているということを神に感謝するべきではないでしょうか。
あなた方の使命をもって、次世代の者たちががんばっていきます。地球において、この使命が明かされる時期は、地球がはじまってからそう何度もないのです。
逆に言うと、宇宙のステップアップの時代というのは、地球の周期も地球の年齢も考えて、逆算されてでてくるものなのです。ですからあなたたちは、この地球の中における、地球という惑星の中における、大いなる周期の大事な大事なときにきているのだということ。その中で、このような重大な使命を与えられているということ。そのことを伝えておきたいと思います。
7.愛の化身
神の愛というものは、常に人類を育み、動植物を、この地球という環境を通して、神の体としてその表現媒体として、神のご意思を広げるため、表現するために数々の惑星が命を持っております。
その中において、地球というものは心臓部、心の中において、愛を強く問われる、ある意味で言うと愛というものー、アガシャー系というふうにあなた方は知っておられると思いますが、アガシヤー系団においての心臓部、心の、愛という血液を流す、そのことをもって、修行のメインテーマとしている星なのであります。
ですから、神の体には愛という血液が流れているのです。それを全身に流していく、愛を流していくポンプが心臓です。
この地球自体、銀河系自体が神のお体の中において、心臓部分であるということ。心臓部分であるということは当然、愛が何であるかということを学ばねばなりません。それをもって愛というものを、愛という血液を神のお体の全身に流していく、押し出していくという、その使命を銀河系自体が授かっているのです。
よろしいですか。ですから我々がアガシヤー系、イエス・キリストを招霊して、愛というものを徹底的に地球人に教えていこうとしているのもそこなのです。
愛が何であるかがほんとうにわからねば、我々の地球としての、惑星としての使命もまっとうできぬということ。そしてそれは何も、心臓の部分、心としての部分での地球の修行だけではなく、銀河系の修行だけではなく、生きとし生けるすべてのものが、神の中における愛というエネルギーにより生かされ、育まれているものであるということ。神のお姿そのものが愛そのものの化身であるということ。そのことをあなた方は、まだまだ感覚的にはわからぬでしょうが、わかる時代が必ずやくるでしょう。
今そのように、硬い、重い肉体にあなた方は、我々からみると閉じ込められているように思います。本来あなた方は出してみたなら、すばらしいパーニャパラミタを、すばらしい智慧を持った偉大な存在なのです。
だけども地上に生まれて、牢獄のような肉体の中におかれ、そして五感以外の、先ほどから言っているテレパシーとか様々な感性というもの、霊能力というものが封印されています。
でもこの時代を超えていったとき、必ずや、そのむくろのような肉体を脱ぎ捨て、もう一段軽やかな波動の肉体というものをあなた方が手に入れるような時代がくるのです。
愛という浄化におき、物質の質量の意味においても軽やかになり、執着の部分が抜けていったとき、肉体自体にも変化が起こり、波動的にももっと軽やかな肉体というものになるのです。
自分自身が神の子であり、愛そのものであり、それ以外のものは持っても掴んでも意味のないものであるということを、ほんとうに魂が理解し尽くしたとき、肉体は余分なものをまとわなくなるのです。
8.愛と感謝による分かち合い
、あなた方の肉体は粗い波動で、粗雑な、ひじょうに我々から見ると粒子の重い、重い重い肉体を持つようになっているのは、あなた方の心の中に、地位とか権力とか様々な名声とか支配欲とか、様々な欲が心の大半を占めているからです。金銭や異性に対する執着とか、そういう欲が心を占めている。
そのように抱え込むものが多いから、我々から見ると物質的な低レベルなものに対する執着心が強いから、肉体においても波動においても粗雑な、質量の重いものを肉体としてまとってしまっているということなのです。
すべての執着を解き放ち、すべてのものを足るだけのものにし、食べ物にしても何においても、余分に貯め込まない、抱え込まない。自分が生活していければいいだけ、そしてそうでなければ多くの者たちに分け与えるということを思ったならば、人びとは、食べるためにあくせくしたり、他の者から守るために、険しい表情で他人を敵視することなどなくなるでありましょう。
宇宙の星で、ある程度進化したところに行けば、大きなセンターのようなところがあり、食べ物、飲み物などはどこにいても、お金など使わなくても出てくるのです。人はそんなにたくさん食べられるものではないでしょう。食料にしても、たくさん買い込んでも、食べられる量は決まっていて、余ったものは腐らせてしまうはずです。
ですから、そのときに、その時代その地域において必要な者たちが分かち合うということ。分け与えるということ。ほんとうに愛の思いの中で学んだときに、地域の中において人を蹴落としてでも余分にお金が欲しいとか、余分なものを貯めこもうとか、他の者と比べて自分が惨めだとか、優越感だとか、劣等感だとか、そのような思いもすべてがきれいになくなっていくのです。
この肉体を維持するために必要な分だけを神様から与えられる。そのためにみんなで働き、地域共同体のように食べ物を用意する。愛と感謝によって、互いが分け合っていく。農産物も分け合っていく。そうしたなら、この世の中から、今の地上界が抱えている多くの悩みとか、貧困とか、そういったものが消えていくことでしょう。
今の地球を見ていても、食べ物の絶対量が足りないわけではないのです。水にしても富にしても足りないわけではないのです。一部の者たちが独占してしまうから、飢えて死んでいく者たちがいるのです。
教科書がなくて勉強もできぬ者たちがいます。でもかたやこちらでは、贅沢三昧に育って、甘やかされて、物質のあり余ったところで、ぜい弱になっている子どもたちがたくさんいるのです。彼らにかけている、溢れるようなお金、彼らにかけている物質的なものを、アフリカやハイチなどで飢えている子どもたちに分け与えていく気持ちが、地球人というトータルな目においてあったのならば、子どもたちは学問を受けることができないとか、教科書もないとか、鉛筆もないとか、ついには食べていくものがなくて死んでいくようなことは・・地球で起こるわけがないのです。
分かち合うということ。他者の痛みを我が痛みとしていくということ。そういう、自分だけが良くなればいいという思いの対極にあるものそれが愛です。それを、地球人がほんとうの意味で地球意識として持てたとき、地球人意識として持てたとき、愛と分かち合いができたときに、この地上から様々な不幸が姿を消していくのです。そういう時代が必ずやくるでしょう。そのときには肉体も先ほど申しましたように変化を遂げ、物質的に軽やかなものになります。それは何度も申しました。
そのためには欲を捨てなくてはなりません。
地上的な、自分さえ、我が身さえ良ければいい、我が身かわいさという、その欲を捨てていく。みんなが、神がおつくりになられた神の子であるという、そのような原点に戻り、愛というものをほんとうに学んだときに、人びとの目は、霊的な目も、霊的な耳も、霊的な様々な第六感、第七感と呼ばれているものすべてが開いていき、この者がやっているように、いろいろな者たちと、精霊たちと話ができ、宇宙人ともコンタクトができるような、そういう時代が来るでしょう。そのときこそ、霊文明の開化という時代が、宇宙の中における地球にもやって来るということなのです。
その時代、そのときが来るのを、我々は長い間、気が遠くなる程の長い間、人類を指導しながら、楽しみに、楽しみに待ってきたのです。我々が待ち望んでいたとき、大飛躍のときでもあるということを伝えておきます。
9.神とともに生きる
今は、宇宙時代の幕開けのーー、宇宙時代にステップアップできるか、それとも、また自己本位な我欲の流れの中で、光の軍勢が闇の軍勢に負けていき、もう一度原点から立て直しになるのか、その分かれ目にいる時代にあります。
あなた方が、一生懸命蒔いてくださったこの霊言が、次の時代の者たちの、捨て身の活動により、働きにより霊文明の具体的な時代の到来というふうになっていけるか。それは我々もやってみなくてはわかりません。
だからこそ、我々の計画という青写真を地上に降ろしていきます。青写真を降ろしますが、これが絶対ではないということ。それをよくよく思ってください。我々の希望的な観測の中において、このような方向にしていきたい、ということを、あなた方が理解できる範囲内でお伝えをしていこうと思います。
この青写真を伝えるというのは、わたくしエル・ランティの使命、この計画の責任者により、あなた方に直接降ろしたいと思って今回きているのです。
これはみだりに他の者が降ろせるものではありません。
よろしいですか。次の時代、霊的な文明の大飛躍のときがくる、そのときに物質構造すべてが変わっていき、そしてあなた方が宇宙人と呼んでいる者たちとの交流が、軽やかにできるようになり、その者たちの知恵を借りて新たな時代をつくっていく。
最初にわたくしのいた、ベーエルダという星におきましても、この者がいたオリオンにしても、すでに高い段階にある星々なのです。だから、欲というものがなくーー、まあ、神の子たちであっても人間でありますから、様々なあつれきはそれなりにはありますけれど、ベーエルダとオリオンのような星の段階においては、神は愛であるということをすでに学び尽くし、無駄な闘争、戦争とか、国境とか、そのようなあつれきと戦い、人生におけるロスといった、失われるものが少ないので、様々な文明、文化、発展がひじょうに高度に、科学においても文明においても芸術においても、あらゆるものが高度に発達した、そういう社会なのです。
中でもオリオンは上の段階で、もっと浄化されておりますので、この星の方がたは、物質的にみてひじょうに軽やかな肉体を持たれているということがある。地球がオリオンのようになるには、まだとてもとても先のことでありますが、まずその第一歩として伝えます。
そのために、みんなが愛と調和に導かれ、統一し、心を開いて、神の子同士であると手をつなぎ合い、理解し合っていけるのであるならば、他の者たち、すなわち天上界の者たち、宇宙の友たちも、いかようにでも、地球人に協力できる立場にあるのです。
でも、みんながそこのところを理解できぬから、まず心から、神の子であるという、愛というものを理解し、欲を捨て去っていくという姿勢がなくては――。よろしいですか。いかなるイデオロギーも、いかなる政府組織、政治機構をもってしても、人びとの心をまとめに上げて、地上の天国というものをつくることは叶わないのです。
それを学ばせるために、かつての歴史はあったのです。中世の、力による、専制君主による英雄と呼ばれている者たちが戦国時代をつくり、一部の支配者たちが、力でねじ伏せるようにして治めていた時代というのがあります。そこで人びとが真に幸せになれたでしょうか。なれなかったはずなのです。
力による専制君主の後に出てきたのが、イデオロギーの対立でした。共産主義とか資本主義とか、様々な、今でも多少残っておりますが、そのようなイデオロギー闘争の中において、人びとが新たな体制をつくっていきましたけれど、ではその政治機構だけでほんとうに人びとは幸せになれたでしょうか。
イデオロギー、二元対立、三元対立をいろいろ見てきましたけれども、人類は政治機構の中だけでは、幸せを感じられなかったはずなのです。それを学び尽くすために人類の歴史はありました。その事実を魂に刻んできてもらったということなのです。
そして、その過程を終わり、高度な科学が発達し、人びとの中に、科学の利便性というものに対する憧れ、科学こそ、物質こそ万能であるという考え方がこの二十世紀を占めていき、人びとの心の中が科学万能崇拝のようになっていったときに、我々が最後、科学や、溢れ返るほどの物質の中で心を見失った人びとに、幸せというものは外側にはない、物質にもない、外側の体制にもないと、イデオロギーの考え方にもないのだとーー。
人びとの幸せというものは神とともに生きることであると、神の子という原点に自らが気づき、還り着くことであるとーー。
そして人びとが許し合い、愛を分かち合って、ともに手を取り合って、神の子の原点にたどり着いたときに、人びとの心の中からは、戦争も、貧困も、いがみ合いも、イデオロギー闘争も、人を支配したいという欲もすべてが立ち消えて、溶けて流れていって、そして愛の心で人びとが手と手を取り合うことによって、人びとは許し合い、神の子として、みんなで地上の愛の星をつくろうという高度な認識と、高い科学の技術を持ち、今まで人類が学んできた歴史をすべて踏まえた上で、最高度に熟した次の段階、まあ今までが小学枚レベルであるとしたならば、中学校レベルの発想の中において修行ができる、愛の星になっていけるということ。
大気圏の外に出て、他の惑星、宇宙の友たちと交流するには、地球がせめて中学校レベルに至っていなければいけない。そうでなければ、他の者たちとの交流は許されないというのが宇宙の法則なのです。
だから、せめてわたしたちは地球を中学校レベルに至るような惑星にしていきたいと、そう考えて、人びとが学べるように指導してきたのです。
科学が発展すれば、心を見失います。しかし、科学を学んでいかなければ、宇宙の一員としての成熟した星にはなれない。科学文明や利便性が発達することが、神の子の修行の反対側にあるということではけっしてない。知性と、教養と、愛と、正義と、勇気と、そして最高度の科学をもって、人びとは神の子への道を歩んでいくのです。
これから中学になるとすると、中学の上には高校があります。高校の上は大学があり、大学院がある。宇宙には、さらにすばらしく、もっともっと高く、愛の化身である神の、愛の表現媒体として最高の惑星があります。それをあなた方の感覚で言うならば、恒星意識といいます。惑星意識の上に恒星意識があるのです。惑星というのは、太陽の愛というもの、光というものを受けて、そこを豊かにしながら修行している場所であります。
恒星意識というのは、自らが愛の奔流として、高い愛の熱量をもって、愛をまわりに一心に注ぎ、他の生きとし生ける惑星たちに愛のエネルギーを供給することにより、他の惑星の者たちを生かしめようという、愛の体現者であり、また、愛を体現する星です。そのような恒星が、大宇宙を見まわすと数々あるのです。その恒星意識を目指すのです。そこまでいくには遠い、遠い道のりがあります。
宇宙の中で進化発展していくレベルには、無限の段階があるということ。地球以下の星も当然あります。地球も今までの段階から、小学校レベルの段階を越え、中学校レベルになって、そして宇宙の友だちとコンタクトし、コミュニケートして、霊性時代の文明というのをつくっていける、そのような惑星になっていける、そういう地球であってほしい。わたくしたちは、地球神と呼ばれている、地球を育み、指導してきた者として、そのような願いをもって今回の計画を立てているのです。
10.自らの使命に誇りを持て
本来ならば、これは、地球を見守り永い、永い時より育んでこられたエル・カンタラーがおっしゃられる言葉でした。本来ならエル・カンタラーが、あなた方人類に告げなくてはいけない内容なのです。
エル・カンタラーは、わたくしより古くからこの地球という星を預かり、ご指導なさった方です。しかし、今は立場上語ることを控えるとおっしゃるので、わたくしが代わりに今日参りました。今の地球の使命、地球の過去の流れ、そして未来における計画の位置づけということをお話しするためです。
そのことを踏まえて、くじけず、忍耐をもって、自らの使命に毅然とした誇りをもって、そして、わたくしたちがあなたたちの後ろについているのだということを、いつでも忘れないでください。
あなた方を非難する者は、哀れな者たちなのです。我々の心がわからぬ。我々の気持ちから見たのならば、彼らが自分たちの因果律の中により、自分のやったことはすべて、我々のもとに取りにこなくてはなりません。
わたしたちの前において、自分たちのやった良きこともなにもかも、因果律の中で本人に戻るのです。でも自分のやったことのマイナスはわたしたちの目の前において、自ら受け取らねばなりません。
そうならぬように、あなた方も自らの人生を正して、一瞬一瞬を精一杯、がんばっていただきたいと思います。
わたくしたちがあなた方の非を責めるのではない。他の者たちの非を責めるのではない。裁くのではない。
あなた方の中にある、神の子としての愛の本性が、自らのやったことが愛の行いであったか否かということをもって、自ら、自分自身のやってきたことの、人生の総決算をしていくということ。まあ、ご存知でしょうが、あらためてそのことを申し上げておきましょう。
あなた方の人生の中において、そのような一瞬一瞬がこれからもくるでしょう。今やっていることが、天上界の我々から見て、適うことであるのかどうか。そのことを一瞬も忘れずに、これから修行していただきたいと思います。
というのは、これからあなた方の言葉で言うなら七合目を過ぎていくからなのです。七合目、八合目にさしかかれば、神の使徒としての揺るぎが一瞬でもあっては、上にあがれなくなっていくのです。
常に、考えるとき、あなた方は肉体をもってこのアール・エル・ランティの言葉を聴いた者たちとして、よろしいですか、いつでも迷ったときは思いなさい。わたくしエル・ランティの前において、今やっていることが恥ずかしくないことであるのか、堂々と報告できる内容であるか、そのように人生を生きたかどうかということをもってのみ判断なされば、簡単なことであると思います。
今、目の前であなた方は、我が言葉を聴いております。それをわたくしもしっかりと覚えております。この名誉を、名誉とあなた方にいうのは失礼かもしれませんが、このようなチャンスを受けた者たちは、地上の者で今まで一人たりともいなかったのです。
でもわたくしたちは、次々と降りてきて、あなた方にこの言葉を語っております。であるなら、どのように生きていかねばならぬか。それはわたくし天上界の者たちが言う言葉ではないのです。
このような状況で、あなた方一人ひとりは、どのように生きるべきかを自分自身の心に問いなさい。そして、その中において、最大限の努力をなさってください。その人生をもって、あなた方は自分の結果を、行動を決めて、精一杯の使命を果たしていただきたいと思います。