Project Eden


オーム(宇宙神霊)
私たちが存在しているこの大宇宙の創造神。この宇宙に満ちる愛のエネルギーであり、宇宙を統べる愛の法則そのものでもある。この宇宙のすべては、物質的なものも霊的なものも含めてオーム神霊の一部であり、私たちの魂も根源にさかのぼれば、オーム神霊から愛のエネルギーを分け与えられることによって創造された。
古代インドにおいて「梵我一如」(宇宙の創造神と自己との合一)と言われ、現代の精神世界で「ワンネス」(すべては一つであるという思い)として知られている感覚は、私たちがオーム神霊の一部であることを実感した状態を指している。
オーム神霊は陰(女性性)と陽(男性性)が合一した存在であるため、霊言では人 間的な表現をとっていても、特定の性別に区分されることはない。つまり、オーム神霊は私たち人間も含めてあらゆる存在の父であり母である。また、この宇宙のあらゆる魂と根源的につながっているため、巨大な集合意識としての側面も有している。
1.神の子
私たちはみな神の子です。
ここで「神」と呼ぶのは、オーム神霊のことです。
人間だけでなく、動植物、鉱物にいたるまで、大宇宙のあらゆるものが神によってつくられた「神の子」です。一つひとつの神の子は、偶然の産物ではありません。それぞれになんらかの役割を期待されてつくられたのです。
大宇宙全体を、オーム神霊のお身体と見ることができます。銀河系宇宙がいくつか集まって臓器や器官ができています。各臓器や器官にはそれぞれの機能があります。それぞれ果たすべき役割が期待されて、銀河がつくられたということです。
私たちの銀河は心臓の中の、血液を押し出す心室の役割を担っています。銀河の中の恒星や惑星は、細胞と考えられます。細胞にもそれぞれの役割があるように、銀河を構成する星ぼしにも、役割があります。したがって、太陽系の惑星にも、それぞれのテーマと役割があるのです。
「神は自らに似せて人間をおつくりになった」という言葉があります。これは言い換えれば、「人間は神と同じ属性を持つ存在として、神からつくられた」ということです。「属性」という言葉はちょっと難しいかもしれませんが、性格や特徴ということです。神と同じ性質や特徴とは、どのようなものでしょう。それは、個性、自由意志、創造力を持つ永遠の魂だということです。
2.個性
神は私たちの魂をおつくりになったとき、一人ひとりに個性を込めてつくられました。
みんな個性が違っていて、同じ魂はひとつもないということです。
そして、つくらなくてよかった魂もひとつもないのです。
どんな個性を込められて、何を期待されてつくられたかということは、最初から教えてもらえるわけではありません。さまざまな経験を積む中で、自分で探すのです。魂の長い道のりは、自分自身と出会う旅でもあります。
実は、一人ひとりが固有の個性を持っているという点が、神と同じなのです。
オーム神霊も、個性を持っています。
「神が個性を持つなんて、想像できません。だいたい神って全智全能でしょう?」と言われそうです。私たちはオーム神霊によってつくられ、オーム宇宙しか知りません。他の神や宇宙を知らないので、私たちは神の個性が分からないのです。
思い出してください。大宇宙はオーム神霊のお身体です。
そして、私たちの身体は、オーム宇宙に似せてつくられたのです。
巨大な人間の姿をしたオーム宇宙が存在するならば、その隣にまた巨大な人間の姿をした宇宙が存在するはずです。
オーム宇宙のような宇宙は、他にもたくさんあるのです。
それらの宇宙の一つひとつが個性を持っているのです。
オーム宇宙は、特に愛を表現する宇宙です。
愛はどの宇宙でも重要ですが、隣の宇宙は科学を特徴とする宇宙かもしれません。
星の形もオーム宇宙とは違っていたりするのです。
あまりに遠大な話で想像できないかもしれませんが、大宇宙とはそのように存在しているのです。
3.自由意志
私たち一人ひとりには、自由意志が保証されています。この点も神と同じです。
何を思うのも、何を言うのも、何をするのも自由です。
私たちは本来、あらゆるものから自由なのです。
ただし、自由には責任が伴います。自分が思ったこと、言ったこと、行ったことが原因で起こった結果に対しては、きちんと責任を取らなければなりません。
「自分の心の中で思ったことで、なんらかの結果が現れるというのはおかしい」と思うかもしれません。しかし、心の中に思うことによって、宇宙全体になんらかの作用を及ぼしているのです。「それはちょっと大げさでしょう」と言われるかもしれません。でも、それが事実です。一人ひとりの思いの力は小さいかもしれませんが、たくさんの人が同じ方向に思いを向けたら、とても大きな力になるのです。
マルデックのことを思い出してください。火星と木星の間にあったマルデックという惑星が砕け散ってしまったのは、何が原因だったのでしょう?
確かにマルデックの人々は核兵器を使って戦争をしてしまいました。でも、それだけではあのような結果にはならなかったのです。
マルデックの人々が出すマイナスの想念エネルギーが集まって、隕石を引き寄せてしまったことが原因だったはずです。想念エネルギーが集まると、隕石の軌道さえ変えてしまうということです。
マルデックの人々は住む惑星を失い、今も宇宙をさまよっています。それは、自分たちが出した想念エネルギーの結果起こってしまったことに対し、責任を取っている姿でもあるのです。
そのように、マイナス方向の力としても現れますが、プラスの方向に集中させても大きな力になるのです。地球神霊たちが期待しているのは、地球人の想念エネルギーを、プラスの方向に向けることです。
プラスの方向というのは、神が望まれる愛の方向です。
「みんな神の子、兄弟なのだから、互いに助け合って手をつなごう」と、地球神霊たちは、私たち地球人に呼びかけているのです
4.創造力
神は思いにより大宇宙をつくられました。
スケールは小さいかもしれませんが、私たちも神と同じ創造力を持っています。
今の文明では、地上で創造力を駆使することは封印されているので、それを自覚できないだけなのです。しかし、霊界では思うことが行うことであり、思いによってあらゆるものを創造しているのです。
初期の地球で、ブッダがさまざまな生物をつくりました。ブッダはどのように生物をつくったのでしょうか。最初に思念の中で生物をイメージします。それを霊界で魂として創造したのち、地上の生物に宿らせます。そのようにしながら徐々に目的の生物をつくり上げたのでした。これは神の創造原理と同じ力を用いて いるのです。
今の時代は、地上で物質化現象を行うのは難しい時代です。そのような力が封印されているということもありますが、何よりも、「そんなことができるなんて信じられない」という心のしばりがあることも確かなのです。
イエス・キリストが見せた物質化現象は、人間にも神と同じ創造力があることを地上で証明したものなのです。
5.永遠の生命を持つ魂
オーム宇宙のお身体である三次元宇宙は、今はまだ成長期で膨張を続けていますが、どこかの時点で成長は止まります。
私たちの肉体生命に終わりがあるように、この三次元宇宙にも終わりがおとずれます。
三次元の肉体に終わりがあっても、私たちの魂には終わりがありませ ん。同じように、三次元宇宙が爆発して最後を迎えることがあっても、オーム神霊自体の生命は永遠です。
永遠の生命を持つエネルギー体であるという点でも、私たちの魂は神と同じなのです。
オーム神霊は愛のエネルギーそのものですから、神の子である私たち一人ひとりの魂も、愛のエネルギーからつくられました。愛は助け合いであり、分かち合いであり、赦し合いです。私たち一人ひとりに個性が与えられているということは、それぞれの個性を通して愛を表現することを期待されているということです。どのように愛を表現するのも自由ですが、それぞれの個性が最も輝くような方法があるはずです。
「それぞれの自由意志の中で、最大限個性が発揮できる方法を探しなさい」というのが神の思いです。そのようにして、永遠に進化発展することを期待されているのが私たちの魂です。そして、オーム神霊ご自身も、愛を表現しながら無限に進化発展しているのです。
6.神の光の分光
神の愛のエネルギーは光としてオーム宇宙全体に送られます。
私たちの地球には、どのようの経路で神の光が届けられるでしょう。
巨大な神の光の奔流が、まず銀河神霊に送られます。銀河神霊がそれを分けて、各恒星に送るのです。太陽系では、聖アントニウスがその光を受けます。それをまた、聖アントニウスが分けて、各惑星に送っているのです。地球では、地球神霊がその光を受け止めています。
神の光は愛のエネルギーに満ちていますが、そのままの形で地球全体に流されるわけではありません。何度も分けられて細くなった神の光でも、そのままの形ではエネルギーが大きすぎて、私たちが受け取ることができないのです。実際は、九次元霊界で七色に分けて送られています。光をプリズムで分けるのと同じ原理ですが、神の光は虹の七色とは少し違います。
ペガサスからの大移住後、地球九次元霊は全部で十人になっていました。七色に分けた光を、九次元霊たちが各色の担当を決めて送っています。それぞれの光線の色には決まった役割があります。各光線の役割に合わせて、九次元霊たちがそれぞれ担当を決めました。
そして、九次元霊が担当する各光線には、それぞれ所属する霊団があります。九次元霊たちは、自分の担当する色の霊団にエネルギーを送っているのです。私たちの魂は普通、どこかの霊団に属し ています。所属は固定化したものではなく、自由意志で換えることもできます。
7.九次元霊と担当光線
九次元霊ともなると、自分がどのような個性を込めてつくられた魂かということはわかっています。ですから、自分がどの色の光線の役割を担うべきかということはわかっているのです。実際は、九次元霊はひとつの光線だけでなく、複数の光線を担当する能力を持っていることが多いのも事実です。出身母星が互いに異なる十人の九次元霊たちが話し合って、地球九次元としての担当光線を決めたのです。
最も古くから地球にいるブッダは、黄色光線を担当することになりました。黄色は黄金に近い色で、法の色です。「法」は地上の人間がつくった法律とは違います。この場合の法は、「神の理」とも言うべきものです。オーム宇宙の普遍の神理を表すのが法です。
アモールは白色光線で、愛を担当します。アモールというのは、もともと銀河神霊であるアガシャーという方のエネルギーの一部です。アガシャーという方の持つ巨大なエネルギーを、九次元レベルまで落としたのがアモールという方の魂です。銀河神霊はオーム宇宙の心臓部分ですから、当然アモールは愛を表す白色光線担当ということになりました。
モーゼは正義を表す赤色担当です。セラビムは紫色担当です。紫色は秩序や礼節を表します。以上、四人の担当はほとんど自動的に決まりました。
ベーエルダから来たエル・ランティは、他の九次元霊よりもエネルギー量が大きく、ひとつの光線だけを担当するということはしません。エル・ランティは、地球神霊から降ろされた神の光を分光する役割をしています。
オリオンからの三人の九次元霊はどうだったでしょう。リーダー格のマイトレーヤーは、「オリオンのブッダ」と呼ばれています。オリオンでは法を担当しています。しかし、地球ではすでにブッダがいたので、マイトレーヤーは、そちらはブッダにゆずり、エル・ランティの補佐をすることにしました。マイトレーヤーという方のエネルギーもとても大きいのです。
オリオンの他のふたりに関しては、マヌが芸術の緑色担当、カイトロンが科学の銀色担当です。芸術と科学はまったく違った分野のように思われるかもしれませんが、彼らに言わせると、とても近い存在なのです。実際彼らふたりは地球に来ても、とても仲がいいのです。
ペガサスから飛来した九次元霊はふたりで、ゼウスとゾロアスターです。ゼウスの得意分野は芸術ですが、マヌがいるということと、青色を担当する者がいないというので、緑と青の両方を担当することになりました。青は知性を表す色です。ゾロアスターは、特に担当する色を持ちませんが、どちらかというと赤色に属します。
8.原因結果の法則
オーム宇宙で、法則と呼ぶべきものはそんなに多くはありません。
代表的な法則が「原因結果の法則」です。
簡単に言うと、「すべてのことには原因があって結果がある」ということで、当たり前だと思われるかもしれません。「あらゆることには、その結果をもたらした原因がその前に存在する」という表現のほうがいいかもしれません。
「この世界に偶然は何もない」「偶然と思われることにも必ず原因がある」と言われると、なるほどと思われるでしょうか。
地上の時間は一定の速さで流れていて、とてもきっちりしているように思われます。しかし、大昔は地球の自転時間や公転周期も今とは違っています。ですから、「それは今から何年前ですか?」と聞かれても、はっきり時間を特定するのは難しいのです。「それは今の時間の尺度で計って、ということでしょうか?」と確認しなければならないのです。
また、宇宙の中で、時間は一定の速さで流れているわけでもありません。霊界も宇宙の中に含まれますが、霊界時間では、先に進んだり、あとに戻ることもできます。
ただ、どんな場合でも、ある出来事をもたらす原因は、その出来事の前にあります。原因は結果の前にあるということです。「そんなの当たり前でしょう」と思われるかもしれません。しかし、宇宙の時間を決める尺度として、確定しているのはこれだけなのです。
あることが原因となって出た結果は、次の原因となります。その原因がまた結果を生み出します。このように、どこまでも続くのです。「原因と結果がくり返されているのが大宇宙である」と言えます。
最初にオーム神霊の思いがありました。「大宇宙をつくりたい」というオーム神霊の思いが最初の原因となり、結果としてのビッグバンが起こったと考えられます。その後、原因と結果がくり返されたのが私たちの宇宙なのです。そして、これからもずっとそれがくり返されていくのです。
9.自由意志と自己責任
すべての魂には自由意志が保証されています。どんなことを思うのも自由です。しかし、それによってもたらされる結果に対しては、責任を取らなければなりません。それは、マルデックの例で見てきた通りです。「まいた種は刈り取る」ということでもあります。
他人を傷つける言葉を言ってしまった場合、その相手からお返しが来ることがあります。相手の言葉で、今度はあなたが傷つくかもしれません。言葉だけでなく行為になると、もっとはっきりします。あなたが人を殴ったら、相手は殴り返すでしょう。このような場合はとてもわかりやすいのです。すぐに結果に表れなくても、時間が経ってから自分に返ることもあります。本人さえ忘れてしまうほど時間が経ってから、しっぺ返しが来ることがあります。そのような場合、「どうしてこんな結果になったのだろう」と、しばらく考えて思い出すこともあれば、思い出せないこともあります。
しかし、あなたが誰かを傷つけたとしたら、いつか必ず結果が返ってきます。その相手からではない場合もあります。また、今回の人生ではない場合もあるのです。それを受け止める責任があるということです。
非難や中傷という、相手を傷つける場合だけでなく、相手をほめたり、感謝する場合も同じです。ただ、心にもないようなほめ言葉を言っている場合は、それに応じた結果が返ってくることになります。自分の心の中に、相手を生かそうとする思い、育てようとする思いがあるかどうかが重要です。
愛の思いです。愛の思いがあって叱る場合と、ただいじめようと思って叱る場合では、表面的には同じように見えてもまったく違うのです。たとえ、そのとき、その相手には理解してもらえなかったとしても、結果としては違ったものになります。愛の思いから出た言葉や行動は、怒りや恨みや嫉妬から出たものとは違うのです。
愛の思いから発せられた言葉や行為には、愛が返ってきます。その相手には理解されないかもしれません。その場合は相手からは返らないかもしれませんが、どこか他のところからあなたに愛が返ります。それは、今回の人生では返ってこないこともあります。でも、どこかの時点で返るものなのです。それば法則というものなのです。
10.波長同通の法則
「波長の同じもの同士は引きつけ合い、違う波長のものはしりぞける」ということです。これも大宇宙で成り立つ法則です。地上でも「あの人とは波長が合う」という場合があります。「なんとなく気が合う」という場合に使っているのではないでしょうか。
「類は友を呼ぶ」というのもこの法則を表した言葉です。実際、思いにはエネルギーがあり、方向性があります。「思いのベクトル」と呼ぶこともあります。同じ方向の思いは互いに引き寄せ合い、より大きなエネルギーとなります。
「方向」は、神の方向か、それとも神と反対の方向か、ということです。
神は根源的愛のエネルギーです。
愛は生かし合いであり、分かち合いであり、赦し合いです。
神の方向は、愛にかなう方向です。
その方向に思いを向けると、同じ思いの人を引き寄せるとともに、神の愛のエネルギーも引き寄せることになります。そのような人の周りには、同じような愛の思いの人びとが集まるのです。神の愛のエネルギーにより増幅され、もっと大きなエネルギーとなります。神の愛の波長と同通しているからです。
逆に、人をだましたり、恨んだり、嫉む思いは、神の愛のエネルギーと逆行する思いです。そのような暗い思いを抱いていると、神の愛のエネルギーを引き寄せることはできません。波長がまったく違うので、同通できないということです。そのような場合、同じマイナス想念の人びとを引き寄せてしまう結果になります。
11.霊界の構造
地上三次元世界では、それほど波長同通の法則を身近に感じることはありません。それぞれの波長の違いがあまり表に出てこないからです。でも、霊界では個々の魂の波長の違いは、はっきりしています。波動や波長そのものが個々の魂を表しているからです。霊界は、複雑な多重構造をしています。霊界の全容を把握するのは、不可能に近いものがあります。しかし、霊界の構造を決めているのは、波長同通の法則なのです。三次元に生きる人間が霊界を理解するのは難しいのですが、多重構造の霊界をヨコ方向とタテ方向に分けてみましょう。
ヨコ方向の分類としては、色で大きく分かれます。芸術志向の魂は緑色光線の霊団、知性重視の魂たちは青色光線の霊団に所属することになります。芸術の中でも絵画や音楽という表現方法の違いで、それぞれの集団に分かれることもあります。青色光線に所属する学者たちでも、哲学者の村、社会学者の村、歴史学者の村などに分かれて研究しています。小説家であっても、自分は芸術家であると思えば緑色の中に入りますが、学者村のほうが合っていると思えば青色光線の中に入るでしょう。また、緑と青の中間あたりに存在する人たちの村もあります。みんな波長同通で集まっているのです。
霊界のタテ方向は、波長の精妙さで分かれます。上に行くほど精妙です。九次元というのは、人格霊としては最も精妙な波長の魂たちです。地球霊界では便宜上九次元と呼んでいますが、他の惑星ではまた違った呼び方があります。地球では物質世界であるこの世を三次元と呼びます。その延長で、あの世としての霊界を四次元から九次元まで分けています。実際は、波長の精妙さにより、もっと多くの霊域に分かれています。地球霊界は、上下の幅が大きいのです。それだけ多種多様な魂が存在するということです。惑星によっては、地球の九次元から七次元に相当する魂だけしかいない惑星もあります。
九次元は、地上に生まれると救世主の役割をすることが多いので、別名「救世主界」とも呼ばれます。人格霊の中では最も神に近い存在と言えます。九次元霊は、神の力を引いてくることができる人たちです。地上に降りたときも、必要に応じてその力を行使します。イエス・キリストのように、他の人からは奇跡に見えるような現象を起こすことができるのも、そのような理由なのです。
重要なことは、九次元霊たちは、神の愛の方向にのみその力を使っているということです。それゆえに、そのように巨大な力を引きことが許されているのです。
八次元は「如来界」とも呼ばれます。八次元最上界から九次元までは、他の天体とも帯状につながっていて、「宇宙界」と言います。彼らは他の惑星の人びととも、自由に連絡を取り合うことができます。ベーエルダから地球にやってきて、特に功績が大きかった「七大天使」と呼ばれる魂たちがいるのがこの霊域です。
七次元は「菩薩界」に相当します。六次元は狭義の「神界」です。六次元から上の霊界を特に「天上界」と呼びます。六次元の上段界に「諸天善神」と呼ばれる神々がいます。不動明王とか毘沙門天などがこの霊域に存在します。本来はもっと上の霊域の魂でありながら、役割上この霊域で仕事をする者もいます。六次元上段界から上の魂たちが地上に降りて、神の使者としての仕事をするとき、彼らを「光の天使」と呼びます。
全身全霊を込めて他者のために尽くすのが七次元霊の姿です。六次元は専門集団で、七次元に比べると愛が足りないところがあります。彼らは自分の専門についてはとても詳しいのです。霊界でも学者村を作って、それぞれの専門につて研究していることが多いのです。
五次元は狭義の「霊界」で「善人界」とも呼ばれます。最低限、神の存在を知っている魂たちです。四次元は「幽界」です。この世を去ったとき、多くの人びとはこの幽界にしばらくとどまることが多いようです。
12.神の光をさえぎる場所
神の光としての愛のエネルギーは、地球霊界全体に送られています。しかし、愛の思いに逆行するような思いを持ち続けていると、波長同通の法則により、神の光が避けて通るようになります。ベーエルダからの移住から一億年くらい経つと、それらの暗い想念の者たちが出てきて、霊界の中に神の光の射さない霊域が出現しました。
自由意志が保証されているので、どんな思いを抱いても自由です。しかし、地上で愛に逆行する思いを持って生きた人が地上を去ったとき、そのままもといた霊域には戻れません。心の波長が、その霊域の波長と違ってしまっているからです。その場合、しばらくは暗い霊域にとどまることになります。そのような人びとが増えるにつれて、暗い霊域が拡大するようになりました。地獄界の始まりです。
地上で自由意志を濫用する者が増えた結果、同じ波長の者たちが、神の光をさえぎる霊域をつくり出したのです。地獄界は、原因結果の法則と波長同通の法則により出現した霊域です。もともと地球九次元神霊や神が望んでつくった霊域ではありません。
ペガサスからの移住以降、地球環境が整い、三次元地球世界がとても住みやすい場所になってきました。霊界が本来の世界で、地上はいっときとどまる場所に過ぎません。しかし、そのことを忘れ、地上の物質に執着を持つ者が増えてきたのです。衣食住が事足りているにもかかわらず、他人より豊富に持ちたいという思いが出てしまうのです。
さらに、より愛されたいという気持ちも出てきます。多くを持てば、より愛されると勘違いする者も出てきます。結果として、神の愛の方向とかけ離れてしまうのです。
地獄界は四次元幽界の一部にできました。地上での自らの思いや行いの間違いを認め、心からわびることにより、神の光が射すようになります。その結果、地獄から抜け出すことができるのです。地獄界は最初、そのように反省するための、病院のような場所だったのです。
13.霊界への帰還
この世を去って霊界に戻る場合、大きく分けると三つのパターンに分けられます。もといた霊界に直行する場合と、地獄界に直行する場合と、その他の場合です。三パターンの中では、三番目のその他の場合が最も多いです。
光の天使が、地上での自らの使命を果たして人生を終えた場合、もとの世界に直行することが多いようです。もちろん救世主であっても、地上の人生は完璧ということはありません。反省することはあります。その場合でも、もとの世界に還って反省することになります。
地獄霊と同通する人生で、反省することができない状況になっている場合、そのまま同通する地獄界に直行することになります。その後、地獄界から抜け出すのに相当時間がかかることになります。
一般的には、もといた世界や地獄界に直行ではなく、しばらく四次元霊界にとどまってから、自らの行くべき霊域に向かいます。この世に生きていたときに、霊界の実在を知っている場合と知らされていない場合では、大きく違ってきます。知らされていても、本人が信じていない場合もあります。
死んだら何もなくなると信じている場合、自分がなくなってしまうのは怖いので、魂はなかなか肉体から抜けでれません。死後の世界があることはうすうす知っていても、この世のお金や土地など手放せないものがある場合、魂が肉体からスムーズに出られないものです。
肉体生命が終わったあと、葬儀という儀式をするのは、死者に自らの死を自覚させる意味もあります。実際、参列者の間に霊体として存在し、自分の葬式を見ていることが多いです。この世のものに対する執着はなかったとしても、長年一緒に暮らした家族と別れるのはつらいものです。もちろん肉体はありませんが、多くの場合、しばらく地上にとどまります。仏教で四十九日というのがありますが、だいたいそれくらいの日数が、地上にとどまれる限度です。そのあと霊界に旅立つことになります。
その人の育った環境により、霊界への旅立ち風景はいろいろです。日本の仏教的風土の中で育つと、三途の川を渡って霊界に行くことが多いようです。親兄弟で先に死んでいる者たちが、川の向こう岸に迎えに来ている場合がほとんどです。しばらくそこで昔話に花を咲かせます。彼らが霊界のことを教えてくれたりもします。
そこで、今回の自分の人生を大きなスクリーンで見せられます。一生が短いドラマのように展開するのです。誰にも見られていないと思って、人をだましている場合などもスクリーンに映し出されます。そのように自分に都合の悪いところもすべてあらわにされるので、「これは自分ではない、自分に似ているが他の人だ」と言って騒ぎ出す人もいます。もちろん他人に親切にしたり、助けたシーンがあればそれも映し出されます。そのような場面では、周囲から拍手が起こります。
スクリーンで一生を見たあと、「あなたの人生はどうでしたか?」と尋ねられます。自分の人生を振り返って、どれだけ人のためになっただろうかと、自ら判断することになります。プラスよりマイナスが多い人生の場合、しばらく地獄で反省することになります。自ら納得して行く場合と、納得できないけれども行かざるを得ない場合とがあります。自ら納得して行く場合のほうが、地獄から早く抜け出せるようです。
なお、自殺した場合は原則として地獄で反省することになっています。肉体生命の寿命が尽きるまで、地上で経験を積んで霊界に戻るという約束のもとに地上に生まれたはずです。自殺は、自らの意志で人生経験を途中で放棄することになります。どんな場合でも自殺した者は、ある程度の反省期間が必要になります。
ただ、芸術家の場合などで、地上で自ら設定した目標を達成したと考えられるときは、反省したのちに地獄に行かないこともあります。
14.カルマの法則
ひとつの人生を振り返ってみると、同じような間違いをしてしまうことが多いものです。間違いというのは、人間がつくった法律に照らして、罪かどうかということではありません。神の目から見てどうかということです。たとえこの世の法律では罪でなくても、神の方向に反していれば間違いなのです。
どうしてそのような間違いをしてしまったのかを考えると、その人固有のくせがあることに気づきます。そのくせが原因で同じような間違いをしているのであれば、そのくせを直すことがその魂の課題となります。ある程度のレベルの魂であれば、そこまでは考えます。しかし、その先は、その魂の性格によっていろいろです。
ストイックな魂であれば、徹底的にそこに向き合うでしょう。本来は赤色光線所属でない魂であっても、赤色光線の霊域に行き、しばらくトレーニングをする場合もあります。苦手克服のために、あえて自分とは違う霊団で学ぼうということです。愛が足りないという自覚があれば、白色光線の霊団で学ぶこともあるでしょう。一方、あまり深刻に考えない魂の場合、課題がわかってもそのままにしてしまうこともあります。
どんな性格の魂であっても、次の人生では、課題がクリアできているかどうかが試されることになります。いくら霊界でトレーニングしてクリアできたと思っていても、実際に同じような状況になったときに同じ間違いをしてしまったら、クリアできたとは言えないです。
この課題のことを「カルマ」と呼びます。カルマは、前世から持ち越された宿題です。この世に生まれる前に、ある程度人生の計画を立てます。そのときに、カルマが解消できるような設定をすることが多いのです。三次元でつくってしまったカルマは、三次元でクリアしなければなりません。それが「カルマの法則」です。原因結果の法則のひとつと見なすこともできます。
九次元霊の場合、一般には、カルマ解消の目的だけでこの世に生まれることはありません。光の天使が、地上で十分使命を果たして天上界に還ったとしても、それによって個人のカルマが帳消しになることはありません。神の使徒としての仕事の課題は別物だということです。
15.新たな魂誕生と輪廻転生
ペガサスからの移住からしばらくすると、「他惑星からの寄せ集めではなく、地球オリジナルの魂もつくろう」というエル・ランティの発案で、地球霊界にパイトロンという巨大装置がつくられました。パイトロンは神の光を増幅する装置です。すでに地球にいる魂に、パイトロンで増幅した神の光を照射し、新たに五人の魂をつくったのでした。もとの魂を「本体」、新たにできた五人は「分身」です。六人のグループを「魂の兄弟」と呼びます。
地上での魂経験を重ねるうちに、霊界における魂のエネルギー量が次第に大きくなる場合があります。神が望まれる方向に努力するうちに、波長同通で神のエネルギーを引き寄せ、結果的に魂自体のエネルギー量が大きくなると考えられます。その場合、魂の分家現象が起こることがあります。本体から分かれた分家の魂を「分霊」と呼びます。分霊は、分身とは異なり、独立した魂です。分霊が魂グループを本体とは別個に形成することがあるのです。
魂の兄弟のひとりが地上に生まれると、他の者は地上に生まれることはできません。そのかわり、ひとりの地上での経験は、魂の兄弟たちの間で共有することができます。そのようにして、順番に地上に生まれて霊界に戻るという「輪廻転生」のサイクルができました。すべての魂がこの方式で地上に転生するわけではありませんが、効率的に経験を積む、地球オリジナルな方法として採用されました。
ただし、もしひとりが地獄にとどまってしまうと、もちろん本人は地獄から地上に転生できませんが、魂の兄弟たちも地上に転生できません。そのひとりが地獄から上がってくるのを待たなければならないのです。しばらく待っても出てこない場合、その魂だけを切り離して、グループの再編成をおこなうこともあります。そうしないと、他の魂たちの地上での経験ができなくなってしまうからです。
パイトロンでできた魂たちは波長の精妙さという点で、本体より劣っていました。それで、地獄にとどまる魂は分身が多かったには事実でした。結果として、パイトロンによる魂の増加が、地獄界拡大の一因となりました。
16.地獄界の拡大
地獄にとどまっても、なかなか反省できない者が出てきました。自分の過ちを認めず、正当化しようとするのです。そのような者には神の光が射しませんので、いつまでも暗い世界にとどまることになります。
霊界にいる魂たちは、本来神の光から活動エネルギーを得ています。自らの思いにより神の光を拒否する者は、どこから活動エネルギーを得るのでしょう?
実は地上に生きる人間たちから得ることになります。地上で同じように暗い思いを抱く者に波長同通で近づき、その者の生体エネルギーを吸い取るのです。「憑依」と呼ばれる現象です。
「一念三千」という言葉があります。「三千」はとても多いことを表し、「三千世界」はあらゆる世界のことです。「一念三千」は、人の心の針があらゆる方向に向かうことを意味します。地上に生きる人間の思いは、時々刻々変化します。常に神の思いと同調して生きられるわけではありません。日常のさまざまな出来事に対し、喜怒哀楽をくり返して生きるのが普通の人生です。
ただ、心の針がひとつの方向に向かいやすくなることがあります。その方向が明るい愛の方向であればいいのですが、暗い方向の場合は問題です。他人を嫉んだり、恨んだり、敵意を抱き続けるような場合、その思いと同通する地獄霊が憑依しやすくなるのです。さっぱりした性格の人は憑依されることはありません。さっぱりした地獄霊はいませんから。じめじめと同じことを思う陰湿な性格の人は危ないです。地獄霊はみんな陰湿だからです。
憑依されている人間は気づきませんが、憑依されることにより、その方向に思いが固定されることになります。心の針は自由自在にいろいろな方向に向かうはずなのに、次第にひとつの方向に固定化されてしまうのです。どこかの時点で反省して軌道修正しないと、もとに戻すことができません。他人にはどうすることもできません。自らが気づいて反省しない限り、軌道修正はできないのです。
もともとは自分の思いが原因で憑依霊を呼び込んでしまうのですが、波長同通がどんどん進み、結果的にたくさんの憑依霊を引き込んでしまうことがあります。一体か二体の憑依霊であれば、本人が心から反省すれば外せますが、それ以上になると反省自体ができなくなります。このような人が地上を去ると、反省することなく、そのまま波長同通する地獄界に直行することになります。
地獄の世界が苦しく、エネルギーを得るため地上に出て、憑依する霊ばかりではありません。積極的に地上の人間たちを混乱させようとする地獄霊も現れてきました。地獄霊のことを「悪霊」と呼ぶことがありますが、このような悪霊を特に「魔」とか「悪魔」と呼びます。そのような者たちがつくる地獄界を「魔界」と呼びます。魔界は、もうすでに病院としての地獄界ではなくなっています。
今から一億二千万年前頃になると魔界が拡大し、地上の人間に対する影響が甚大になってきました。天上界としても対策を考えなくてはいけない状況になったのです。
17.アモールの三提案
九次元霊界で対応策が話し合われました。すでに、ミカエル大天使やその配下の者たちが地獄に赴き、説得をくり返していました。神の子としての本来の姿に立ち戻れるように、地獄霊たちに必死の呼びかけをしていたのです。正義を旗印にかかげる赤色霊団としては、正攻法で説得する以外に方法がなかったのです。それでもなかなか聞き入れられず、逆に攻撃されてしまうこともたびたびでした。結局、地獄拡大の勢いをくい止めることがげきなかったのです。赤色光線担当のモーゼが、他の九次元霊たちに、地獄拡大の状況を報告しました。その報告を聞きながら、他の九次元霊たちは、何かいい方法はないものかと考えました。
しばらくして、アモールから対応策が出されました。それは三つの提案からなっています。まず第一の提案は、地上に生きる人間たちの霊道を開くことを原則禁じるということです。「霊道を開く」とは、霊能力を発揮することです。それまでは地上に肉体を持っていても、ある程度霊界の者たちと交信ができ、各人の得意とする霊能力を発揮することができました。それを禁じようということです。光の天使たちが地上で霊能力を駆使して特別な使命を果たす場合は、例外的に認めることにしました。
霊道を開いた状態で、心のコントロールができないと危険なのです。怒りや恨みの思いが出ると、それらの思いに応じた悪霊が近寄ってきます。そして、巧妙にその人の心に入り、正常な判断ができないようにしてしまうのです。霊道が開いていると、完全に憑依されることになります。心が完全に乗っ取られる状態です。霊道が開いていなければ、憑依されても完全に乗っ取られる状態にはなかなかなりにくいのです。
アモールの第二の提案は、地上に生まれた人間に、必ずひとりの守護霊をつけるということです。守護霊は地上の人間を悪霊から守る役目をします。霊道を開けないと、天上界との自由な交信ができなくなります。そこで、地上の人間に守護霊がインスピレーションを送り、間違った方向に行かないようにするのです。
一般に、魂の兄弟のひとりが守護霊役をします。次に生まれる予定の魂が担当することが多いようです。地上の人間の使命が大きい場合は、さらに指導霊がついて指導することもあります。生まれる前にいた霊域に応じて、その魂の霊格と言うものがありますが、指導霊はその人の霊格よりも上の霊人が担当するのが一般的です。地上の使命を果たすのに適した指導霊がつくことは言うまでもありません。
アモールの第三の提案は、大指導霊が定期的に地上に生まれて、地上の人びとを指導するということです。霊道を閉じてしまった地上の人間たちが、天上界のことを忘れないようにするためです。大指導霊というのは九次元霊とは限りませんが、九次元霊が生まれた場合、救世主として宗教的指導をすることが多くなります。
アモールの三提案は、他の九次元霊たちの賛同を得られ、実行されることになりました。実は、一億年以上経った今も守られています。
18.三提案の弊害
アモールの三提案は、最悪の事態を防ぐための対策としては成功を収めたと言えるでしょう。しかし、いくつかの弊害も明らかになってきました。第一の提案により霊道を開くことを禁じると、人間たちの物質に対する執着が大きくなってきました。霊界は「実在界」とも呼ばれ、本来の世界であるにもかかわらず、霊界の存在自体が信じられなくなってしまったのです。この世がすべてであり、この世で楽をすればいいと考える人間たちが増えてきてしまいました。
そのような弊害に対しての、第三の提案でもありました。ところが、大指導霊たちが地上に生まれても、天上界にいるのと同じ認識力で法を説けるわけではありません。 地上に降りると限界があるのです。どうしても自分の得意分野の色彩が濃い法を説くことになります。
すると、地上の人間たちの中に混乱が起こるのです。本来、天上界はひとつです。どの指導者も同じ天上界から地上に生まれてくるにもかかわらず、地上で説く法が微妙に違っています。その違いが、地上の人間にはまったく違った法としてとらえられてしまうのです。結果的に、前に説かれた法の信奉者たちと、新たな法を信じようとする者たちとの間で争いが起こるのです。地上での宗教間の対立が、そのことを表しています。宗教間の争いに乗じて、地獄霊が闘争心に拍車をかけていることも事実なのです。もちろん、このようなことを指導霊たちは望んではいません。