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Project Eden

第1章 マヌ:愛の修行の惑星

1.地球はまだ若い惑星

2.惑星単位でも輪廻転生している

3.どこまで行っても修行はあり、終わりはない

4.試行錯誤しながらの修行

5.多くの人びとのため、愛のために生き抜くことができた

6.地球にいる人類すべてが永遠の魂を持った神の子

7.悲しみの呪縛からの解放が、今回の指導のメインテーマ

1.地球はまだ若い惑星

平原: 銀河系というのは結局、アガシャー系がいちばん強いというか、やはり、銀河系全体が愛というものをメインテーマにしているというとらえ方でよろしいわけですね?
アマーリエ: はい、結構です。
平原: その中で、銀河系の中の地球っていうものの位置っていうのはどういう意味があるのかという、その辺はいかがですか?


マヌ: その意味づけを、その惑星に意識ーー。そして、そこにいる指導霊団がその地球での修行の個性、そして、地球ならではのものというものを見つけ発展させていく、それが我々の九次元の修行でもあるということ。

それによって個性と、付加価値というものですか、そういうものを生み出していくということ、それが我々九次元の指導霊団の修行でもあるということなのです。

ですから、あなたのように、最初から地球神霊と約束をしたから、こういう一方的な、これだけの目的のために、地球神霊が地球という修行の場を与えられたということではなくて、やはり、そこに集う者たちで、みんなで、そして地球神霊も含めて、この惑星の使命、この惑星ならではの個性、オリジナリティーというものを、愛の修行の惑星、愛の修行の霊団というところを超えて、そのオリジナリティーというのをつかんでいくっていう、そこが我々の修行でもあるのです。

ですから、ひじょうに変動していくものでもあるし、その時期、その時期によって役割というものも違うんです。

今までは、やはり初歩的なことをどこの惑星においても、戦争とかね、分裂、そういうもの、二元化の中で魂を磨いていく、初歩的な段階というものがどこの惑星でもあるわけですね。進化してきたところでもある。

それをやはり提供をしていく。まだまだ魂修行の初歩段階の者たちに、提供していく場というのも必要であるということをふまえて、あなたたちはどう思っているかしれないですけども、他の惑星に比べると地球はひじょうに、まだ若い惑星であるということですね。

まあ、子どもとは言いませんけども、若い青年のような星でもありますので、まず地球自体の、地球神霊自体の修行形態として、「初歩的な段階の修行場」というものを提供していく。そのような、まず段階があった。

でも地球自体も、地球神霊自体も、もうこれだけ歳をとってきたら、次の段階に、地球意識自体、地球神霊自体が別の段階に、中学校レベルの惑星を提供していけるような、そういう地球という惑星自体が進化しなくてはいけない時期がきているということ。

だから、地球神霊自体もこれから、小学校ぐらいから中学、それから高校、大学っていうレベルのものを提供していけるような、そういう磁場に地球神霊自体も、地球っていう惑星自体も波動を上げながら変わってくるということ。

そうすると、そこにまだ修行が終わっていない魂たちである場合は、そこの、もし中学レベル、高校レベルに地球がなっていったのならば、まだ学んでいない者たちを他の惑星に移動させていく。そして、そこでまた自分の修行をしていく。

そしてまた、この中学、高校レベルの修行をしたい者たちが、他の惑星からも大挙してやって来て、そこで魂の修行ができるような場というものを地球自体が提供していく。そこでの指導っていうのを我々がまた考えていく。そのようなことをいつも考えているわけです。

ですから、先程伺っていましたけど、ひじょうにいいことを言われた。どんどん進歩し変化していく。宇宙というのは常に進化と成長と、その変化の中にいつもあるわけです。

そのように、「流れる水は腐らない」と言われているけども、淀んでしまってはいけないということです。

地球自体も、地球神霊自体も変化し、そして進歩し、成長し、学ぶということを、九次元でなく十次元の方であったとしても、そこで学び、ご自分の修行をされているということです。

我々も九次元ぐらいのレベルでは、当然修行しているということです。ですから、あなた方も我々と一緒に修行していこうと、そのような場として、今この地球というものを神より預けられている、授けられているということが問題であるということ。

2.惑星単位でも輪廻転生している

今まあ、昨日彼女(アマーリエ)に言いましたけども、十三次元ということからの、アガシャー意識、銀河系霊団というのが、神よりのその心臓の部分、愛の部分としての、ひじょうに高い使命を帯びた銀河系、そして、その中にある太陽系である地球というものに、ひじょうに高い使命を与えられている、愛の磁場であるということも、まあ、明かしましたけども。

本来は、あまりそういうことを言わなくても、まず愛というものを学んでいく、そういう場所として、基本的に神の子として生きる、愛というものをしっかり認識しましょうという、この地球はまだそういう段階であるんですけれども。

でも、そこを言ったほうが、自分たちの使命と役割というものをしっかりと認識できるかなと思って、そこの部分も言いました。

だからといってエル・カンタラーのほうが、あれだよ、あのアモールや、アモールたちよりもエル・カンタラーよりも低いとか、そういうことじゃ全然なくてーー。我々の世界は、みんなで生かし合って、みんなで感謝し合って、少しでもお互い、いいものがあるなら持ち寄って、少しでもいいものを生み出していこうと、そして、人類を指導できるのに役だてるのならば、みんなの喜びとして分かち合おうという、そういうような世界ですから。まあ、誰も縄張り意識ということはあまり考えないでやっています。

そして私にしても、他の者にしても、一定の指導時期というもの、期間が終わっていけばまた他の惑星に行って指導していく。それもですね、我々の使命としても、僕なんかーー。あ、マヌです。わかりますね。まだ九次元の中でも若いほうであるという場合は、こういう星に来て、マイトレーヤーとか、エル・ランティとかという大先輩方に指導を受けながら、自分の修行をし、九次元の修行をしているわけです。

そして、ある程度この初歩的なっていうか、まあ小学校レベルの惑星をシフトアップするというとこで、ひとつ修行を終えていくと、次の段階では、また別の、もっと課題の高いところに行って修行していく。

我々においても、いつも一定のところで同じ修行をしているのではないわけです。そのために、ある意味で人事みたいなのもあって、「他の惑星に行ってちょっとやってこい」と、「一度母星に戻って来て、もう一度研修をしろ」とか、まあそういうのもあるわけで。

だから、ひとつの固定概念として、惑星とか、地球とかっていうものを、使命があると決めつけるのではなくて、いろいろな相互作用の中でね、自分たちの神より与えられた、その自分でしかない、神の子としてのエネルギー、才能、そういうものを、常に常に進化発展して、多くの人びとのために、神の子たちのために、愛を与えるために、どうやったらば自分という個性をきらめかしていくことができるのか、ということの試行錯誤、それがまあ、成長にも、進歩にもなるんだけれども。その変化の流れの中に、常に我々も身を置いているということです。

それは、どの惑星においても同じで、あなたたちから見たら、ひとつの惑星とか、太陽系っていうと、まるで永遠の時の流れの中で存在しているように、思われるかもしれないけれども、我々のように長い時を見つめていると、実に宇宙というのは、めまぐるしく星も生まれて、成長して、そして老いていって、爆発して、死を迎えて、そしてまた別のところで生まれてという、「誕生」と[成長]と「死」という、そういう輪廻転生を惑星単位でもみんなしているわけで。

それは、時の流れのスパンをどういうふうにとらえるか、長いものと、短いものとして見るかというだけで全然違う。だから永遠の進化の道を、我々がみんなたどっているのだということ。その意味で、それを通して、我々もみんな修行している身であるということ。そこにおいては、ひとつの固定化したものというのはないということですね。

3.どこまで行っても修行はあり、終わりはない

だからいろいろな、九次元に十人いて、仲間がいて、こういういい機会をもって私も修行させていただいています。そして、いろんなことが地球に来てからあって、そして、うまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともあって、でもそのすべてを通して、私もまた学ばせていただいたと思っているわけで。

そして、学ばせていただいた段階を終えて、この地球というもので修行を終えて、私も別の惑星に行って、また別の、別の分野で今度自分が、まあ、今はどっちかっていうとですね、九次元の中ではエル・ランティとか、アモールという方も素晴らしく、古い方ですし、あとエル・カンタラーもそうですね。皆さますごい。

まあ、魂的に私より古いというか、格上の方の中にいて、私とか、まあそうですね、指導を逆に受ける立場にいるわけですね、その九次元の中において、私は私で言いたい放題やっていますけども。でもまあ、どっちかっていうと、「偉い指導霊がたくさんいるなあ」みたいなところで受けている。でも、それがいつまでもこれをやっていたら、私の力も伸びていかない。

そうなっていったときに、ある程度の時期を終えたのならば、今度は自分が責任を持つ立場の惑星に行って修行していく。そして、そこでどうするか。そして、わからなければ周りから助けてもらう。そういう状況が、実はエル・ミオーレ、エル・カンタラーの初期の段階であったわけです。

だから自分ひとりではできない。やろうとしたけれどもやはりわからない。その時に、やっぱり、じゃあ仲間というか、指導してもらえるような、そういう格の者たちを呼んできて、一緒につくっていく。

だから、逆に私のように、今言い方は悪いけれども、ペーペーでいるのならば、九次元の大指導霊の中にいて、九次元の修行をしていればいいけれども、これがもう少ししてくるとある程度の星を任されて、「おまえやってみろ」というふうに言われるわけです。そうすると、やってみたは良いけれども、やはりできない、わからないということがやっぱり僕たちの世界でもよくあるわけで。

その時に、やっぱり古い霊とか、助っ人が出てきて、そしてみんなで、今度は新たな形態をつくっていこうかっていう、そういう段階になる。ということは、エル・カンタラーがどのぐらいの成長段階の霊かっていうこともわかるでしょう。

だからエル・ランティとか、うちの指導霊である、マイトレーヤーとかいう方のほうが、やはり魂的には古いですし、九次元の中においてもいくつもの格というものを持っておられますから、そういう指導霊の傘下で、やはり自分も修行していく。そういう過程というのがあるんですよ。

ですから、まあ、あなたたちの中で、六次元で、七次元で、菩薩界だ、如来界だ、いろいろ言っているけどもーー。もうそれは、この中で菩薩界に上がったらうれしいとか、如来界に上がったらうれしいってあるけど、九次元に上がったって九次元の修行は永遠にあるわけだし、九次元が終わったら、十次元になった。その地球っていう惑星をまとって天地創造をやっていく。惑星意識だって、やはり思うことも、うまくいかないこともある。

そして、それが終わったらば、その惑星意識からね、今度、恒星意識という、自分自らが愛と光を積極的に振りまいて、まわりを、生きとし生けるものを育んでいく恒星意識という、ひじょうに高い境地の修行段階がある。
そういうものはねえ、いやー君、どこまで行っても修行はあるということで、終わりはないんですよ。

ですから、「これで自分は終わりだ」とか、「ここまで行ったんだから」なんて、もしプライドのかけらでも出たら、そこで進歩というのはね、成長というのは止まってしまうもんなんだよ。どこまで行っても自分は何もわかっていない、こんなとこもまだまだだと、逆に上に行けば行くほど思い知らされる。

4.試行錯誤しながらの修行

そして今、僕なんかがいる九次元の世界で見ていて、エル・ランティとかね、アモールとかね、その、あれですよ、マイトレーヤーとかね、あのあたり見ていると、いや、ほんとうに偉い人がいるもんだと、すごい方はいるもんだと、私なんかはね、思うわけですよ。カイトロンと二人でごそごそと、やっぱり、「まだだな、俺たち若造だな」って言い合っているわけですよ。

あなたたちから見たら、「九次元ですごいな」って言うかもしれないけど、いやあ、九次元のしたっぱとしてみたら、「八次元に降りて、偉そうにしてたほうが楽しいかな」とかもあるけど、まあそう言うと怒られちゃうから言わないけど、でも、まあ九次元は九次元の中でやっぱり、こう、指導を受けていく。

こう言うと、「またお前はダメだぞ」とか言って、すぐまたマイトレーヤーあたりに怒られる。そして、まあ私は結構言いたい放題言いますんでね。あの、まわりから見ると時々ひんしゅく的なこともあるかもしれないけど、でもまあ、その中で、好き勝手やらしてもらっていく。

でもそのうち、「マヌよ、お前も他の惑星を任されたら、そう好き勝手なこと言ってられないんだぞ」と、「もっと全体のことを考えて動くんだぞ」と、「やってみろ」という修行段階がくるという。

今のほうが、ある意味で楽しいかもしれないけど、まあ、次の段階に行ったらば、「今度は少し気を引き締めて、もっとやらなきゃいけないかな」とか、そういうこともあるわけですよ。

だから、そういう意味でね、助けてくれる仲間っていうのは多いほうがうれしいし、やっぱり、ひとりではなかなか自分の限界を感じる。たとえば人類をつくろうとして、エル・ミオーレもたいへんだったみたいだけども。

あれこれあれこれやってみたけどやっぱりダメたった。それで科学の星から来た大先輩に、やっぱり教えてもらう。指導してもらう。そこですごく成長するわけです。

で、やっぱり「一千億年の孤独」じゃないけども、長いこと長いこと、一人で試行錯誤して苦しんで、やっぱりダメだという時期があったからこそ、それをクリアしている方がたの、指導霊のすごさというもの、学ぶことの意義というものは、すごく骨身にしみるわけですよ。

自分がつくった、「光合成ができるから、食べなくてもいいだろう」って、ユリ星人をつくったけどダメたった。人間はそんな簡単にはいかないんだと。食べるものだけじゃなくて、永遠の進歩というものを通して、行脚の中において、ひとつのローテーションというものをつくって、転生輪廻という枠をつくって、それで食べるものに苦労するぐらいのほうが、地上に生きる人生の一瞬一瞬を大切に、真剣に生きることができるということを学べる。そういうこととかを、やはり実際に試行錯誤しながらーー。

そして、あなたたちが思っているように、今こうやって、彼女の体も治していただいてみたいですけど、ひじょうに人間の体というのはどうですか、精巧にできていると思いませんか。

こんなもんを、ロボットでつくろうと思ったらたいへんだという、それを、ほんとうに神というのは最初、神の姿に似せて、人類の、神の子の体という肉体というものをおつくりになった。それはもう、ありとあらゆる叡智が込められた、この人体の構造であるということ。

それは、他の惑星の者においても、基本的には同じなんです。つくりの基本は同じなんです。だから、それを考えたときに、叡智がぎっしりと詰まったこの肉体というものがあるわけです。

その中を通して、つくろうと思ったけど、やはり難しかったと。いかにその、最初につくられた神の智慧の深さ、そして神の力の素晴らしさというものを、やはり九次元からの指導霊になったら、天地創造とかそういうものを任された者たちは、まずそこで修行するんですよ。

そうすると、「そう簡単につくれるもんじゃない」ということがわかって、ヒューマノイドというか、人間型にするか、何型にするかということをわかった上で、その基本的なるものというものを呼んできたり、そして、そこから変化して、まあ、地球人類の体を今日までつくってきたわけですけど。

古代のエジプトでも、尻尾があったりとか、半身が動物であったりとか、さまざまな動物的、人体的な人類の体も、奇形的な部分がたくさんあった体を持っていて、そこの中で今日の人類の形にしてくるまでの間にも、やはりすごく多くの苦労をしてきて、今日のあなた方の修行の形態、肉体というものをつくってきているわけです。

5.多くの人びとのため、愛のために生き抜くことができた

そういうことをあなた方がね、もっと学んでいく。そして、それが逆に言うと、九次元になっていった者の、最初の惑星を預かったときの修行になるということです。

そこを、たまたま『太陽の法』の中で、エル・ミオーレが地球を預かって、そこでできなかったということの、一面的な部分だけを書かれているから、地球自体の修行場として、エル・ミオーレが任されたんだろうと、失敗したんだろうと、そして、他の惑星から来て、他の霊人が来て、なんか不満足だったんじゃないかみたいなことを、あなたは思っていたみたいだけども。

そんなことは全然なくて、我々九次元の最初の段階で、自分に限界があるということを学ぶというのも修行のひとつ。「まずやってみろ」と、「できないだろう」っていうことを、「これだけすごいんだぞ、人類を創造するということは」、ということをやっぱり学ぶ、ひとつのステップとしてね。

まず一人でやってみる。その上でやはり友がいて、仲間がいて、指導してくれる方たちがいて
そして、どういう方をお呼びするかということ。それを決めるのは、イニシアチブは、確かにその星を最初に任されたエル・ミオーレであったけども。でも、そういうものを通して、この地球というものの修行場の個性というものを形づくっていく、そういうことが、やはりまあ修行としてあったということです。

我々のように、まあ、一種のワンダラーのように、いろんな惑星から惑星を渡りながら修行して、自分の修行とともに周りの指導もしていくという、そういう形態を持つ者もいますけれども。まあ、エル・ミオーレの場合はどっちかって言うと、地球としばらく共に運命をしていくという形になると思うんですけれども。

やっぱり地球在来の方っていうのと、他から来て、一時いて指導して、また他の惑星に行くという方たちとか、そして他の惑星でも、やはり大指導霊クラスで、エル・ランティとか、マイトレーヤーのように、大指導霊クラスで行って、統括をするために行く方っていうのも、やはりあの、宇宙連合のほうで割り振って、指導しているという、まあ、先生役ですね、あの方がたは。そういう方たちがいるということです。

ですからまあ、我々もずいぶん長い間九次元十人やってきましたけど、地球出身の八次元も、そう、九次元も出てくれるとうれしいなというふうに思っていますけど。まあ九次元でなくても、八次元ぐらいは出てもおかしくないかなと思うので、君たちも、とにかく菩薩行の上に法をしっかりとやれば、八次元ぐらいは上がってこられるから、頑張って今回、この修行の場でね、一生懸命やったら、他の転生の何転生分もの進歩発展があるということ。

やっぱり自分で、捨て身でね、多くの人類のために、神のために、愛のために、どれだけ捨て身で、人びとのために、自分の人生を生かそうとするか。自分の力というものを注ぎ込もうとする、その決意があるか。人生頑張り切ったか。そこがすべての判断の材料になるということです。

生まれ落ちたところとか、お金を持っているとか、学歴があるとか、それは、あなた方が地上に生きる意味においては、生き易さを示すかもしれないけれども、我々の世界から見たのならば、それはただただ、あなた方の実力としてなってくるのは、どれだけ神の御心に通じて、そして自分の個性、自分の命の限りをもって、多くの人びとのために、その愛のために、人生を生き抜くことができたか。人の幸せのために生きることができたか。そこに努力をしたか。工夫をしたか。知恵を使ったか。そこしか判断基準がないということです。

あなた方、肉体も、そのうちには土に還り、魂だけで我々の世界に帰ってくるときに、永遠の命の流れの中で、今という一瞬を、地球という惑星の中で、かけがえのないこの時を過ごした、この中において大きく魂が飛躍する、人のために、そして神のために、捧げられる一生を過ごすことができたという、その思い出が、どれだけすべての他のものに比べて勝るものか。

それから見たら、お金とか、名声とか、そういうものは、ほんとうに取るに足らぬものだということが、私たちの世界に帰ってきたときによくわかると思うのです。

6.地球にいる人類すべてが永遠の魂を持った神の子

そういう意味も含めて、そして、地球という惑星のメインテーマが、銀河系というものを含めて、愛というテーマで、その使命というものがくくられている、そういう霊団の集合体であるということ。

そういう意味において、アカシックレコードというのが、アガシヤーという、愛をつかさどる方の名前を通して、この地球系霊団の記録庫というものに、アガシャーの記録というのが実はあります。

それは、他の惑星にもあって、そして全体の宇宙の中におけるレコード、いわゆる記録です。ねっ、記録庫というものがあるのです。それを見れば、どこの宇宙にいても、我々の星、オリオンの星や、遠く離れていても、そこにいる者でも、このアガシャーの記録を読もうと思えば読める。そういうふうに記録庫は全部つながっている。

だから、すべて今までやってきたことは、全部、その中央省庁のほうで、まあ、あなた方がわかるかどうかわからないですけども、すべての記憶、宇宙の中で何が起きているかということは、すべてがそこでわかるようになっている。それぐらい中心になるところというのは、ものすごく進化したところであるということですね。

そこは、一種のメインコンピューターみたいなところになっていましてね。そこは頭脳をつかさどるセクションの場所があるんです。ここは心臓でしょ、ね。心臓、銀河を中心にして愛という血液を送り出していくポンプという、気高い場所ではありますけれども、心臓部なんです。

で、それを、統括としてのメインコンピューターの、脳を預かるところがあって、そこのところのコンピューターみたいなところで、すべての記録庫というものを何系、何系ということで全部統括しているそういうところがあります。だから、みんなそれぞれの各部署によって、霊系団によって、やっている使命というものも、個性も違うということです。

だから、愛という心臓のとこで、すべての修行を終えていったのならば、今度は別の、じゃあ今度は頭脳を表すとこに行ってみようかとか、目を表すとこに行ってみようとか、いろんな所に移って行きながら、修行というのは無限にあるんです。

だから、この間どなたか言っていましたけど、「九次元って言うけどまだ一桁か。すごい、まだ一桁か。上は何十次元まであるんだろう」っていうぐらいの、進化、無限の進化発展があるのだということ。どれだけいっても神の叡智というのは底がない、深いということです。ですから、あなた方も、私も、同じ修行する身であるということ。

それを今回はっきりと、根源神のように思われているかもしれないけれども、実はあなた方と同じ神の子であって、我々も修行をし、無限の進化の過程にある、永遠の魂を授かった、個性ある神の子たちであるということを打ち出していく。それを知るということ。

そして、地球にいる人類すべてが、自分たちも永遠の魂を持った神の子であるということ。そこの誇りに目覚めるということ。それが小学校レベルを卒業していく、次の段階にいく、最低限のレベルであるということなのです。

それはひじょうにシンプルだけれども、そこが、まず基本ができていなかったら、中学校、高校、大学レベルの惑星に行ったときに、応用編ができないということなのです。

7.悲しみの呪縛からの解放が、今回の指導のメインテーマ

それを今、まるで神の子ではない、罪の子であるかのように思い、自分自ら限定して罪悪感の中でね、この今生だけがすべてであり、肉体が滅びたら魂は永遠ではないと思うから、地上であのような醜い戦争や、いがみ合いや、不幸というものができるし。

そして、その思いが間違っているから、それが自分の霊体やなんかにうっ積して、病とか、けがとかという現象をつくって、生老病死という苦しみを人間に与えていくわけです。

そこから解き放ってあげたい。そのような鎖から、悲しみの呪縛から解き放ってあげたいというのが、今回の我々の指導のメインテーマでもあるのです。それをレムリアに打ち出しているということ。今度その翻訳していただくその本が、ほんとうに世界中に、英語に翻訳されることをもって、世界中に広がっていくことを我々はとても楽しみにしています。

たくさんのことを語ることはないのです。かつてエドガー・ケイシーも、シルバー・バーチと呼ばれている者たちも、言っていることはみな同じはずなのです。言ってることは同じであるけれども、やはり時代的なもの、宗教的なものの殻をかぶって、ひとつ簡単な言葉で表すということがひじょうに難しかったから、多くの人びとの中で、やはりどうしても簡単な言葉の中で神理というのが定着していなかった。

でも、その流れの中で、人類は確実に学んできた精神史の歴史というのがあるから、今日最終的にそれを全部総結集し、統合し、人類は、神というのは、自分たちは何者であったかということをほんとうの意味で確認していく。知っていく。それがこの地球の最終的な大詰めにきたときの課題になっているわけです。

だから分裂と、分裂の中で二極対立、さまざまな苦しみの中にあった中において、最終的に統合していく、ひとつになっていく。そして神のところへ戻っていく。そこからまたすべての第二段階が、第二章が始まっていくということ。そこにまず、神のもとに、ひとつのもとに戻っていくという、そこがあってこそ次の段階は開けるということ。

そこがわからなければ、次の章は、次のレベルの学校は入れないということが、あなた方神の子たち、地球人類の者たちは、わからなくてはいけないという、そういう段階なのです。

マヌ

古代インドの法典「マヌ法典」の伝説上の編纂者である。
「マヌ法典」は、ヒンズー教の基礎となる天地創造から、日常の生活、道徳、儀式や作法などに関する細かい規定が、記載されている。
洪水、神話においてノアと同様な役割を果たし、「人類の始祖」と称されることもある。
英語における「man」(=人間)は、「manu」(マヌ)に由来するという説もある。
レムリア時代には、マルガリットという名の指導者として活躍し、芸術を中心とする文明を築き上げた。
天上界では、緑色光線(自然・調和)を担当し、芸術および民族問題などを担当している。

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