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Project Eden

第5章2 マヌ:芸術に光を込めて

1.澄み切った心で神の光を降ろしなさい

2.本物のオリジナルを降ろしなさい

3.個人の悟りが仕事の質を高める

4.命がけであなた方の光を発信してください

5.この大宇宙は神の愛の表現体

6.この時代の最後の締めくくりをするために

7.全幅の信頼を神に寄せなさい

8.神より与えられた大いなる学習の場

マヌ

1.澄み切った心で神の光を降ろしなさい

我はマヌなり。
そなたたちの文明の中では、私はマヌとして知られている霊である。
今回、この者を通して、そなたたちの前で指導できることを心より喜び、誇りに思い、神に感謝するものである。

そなたたちも、さまざまなる事情により、こたび、再びよく集結し、神の使命を負うために、ここに集ってくれることを心から感謝する。

我はこの者に深い縁がある者なり。この者を通し、今一度、芸術を通し、「レムリアの風」をこの地上に吹かそうと思う。

芸術と言っても、単なる芸術ごとだけではない。
そこに神の光を内在し、人びとを悟りに導くものがあってこそ、この芸術の光は意味をなすのだ。
単に絵がうまいとか、音楽が素晴らしいとか、建築様式が素晴らしいとか、そのようなものだけであるならば、それは単なる技術の集結にしかすぎない。そなたたちは、よくよく心しておいてほしい。そなたたちの悟りが、そのまま作品に出るということなのだ。

よいか。必ず一人ひとりの悟りが、その作品の中に出てしまうのである。だから、常に心を磨け。心を浄化せよ。

そして、自分の心の中に溜った塵、汚れ、欲、執着、そのようなものを常に点検せよ。
そして、澄み切った心で神の光を降ろしなさい。
そのような状態でなければ、いかに技術が高く、絵を描いたところとて、そのような作品は何ら人を変えていく力にはならないのである。

あなた方の悟りを見ていると、まだまだ、本来の悟りになっていない。
あなた方の持っている本来の神性に目覚めていない。
その神性こそ、一人ひとりに発揮されたいと私は期待している。

ダメもとで、林田を呼びなさい。あの者ならわかるかずである。彼はもうすでに老いており、心も体も硬くなっているかも知れないけれど、私の言うことを、いちばんわかる者であるはずだ。傷つくことを恐れず、彼を呼びなさい。光の芸術は、彼によって指導されたものである。あなた方の水準を見ていると、まだまだ大衆布教に使えるレベルではないのである。彼を呼びなさい。彼を呼ぶことで、ほかの人もかずみがつくはずだ。

そして、絵画だけでなく、音楽に、そのほかの者たちが、彫刻に、いろいろな者たちが集まって来るはずである。そのためには、まず、核となるアイデンティティー、考え方、教えをあなた方が、今用意することである。それなくしては、いかなる技術も無為に等しい。

このような神降ろしができる者が、今地上にいるうちに、あなた方は我々の意思を受け取り、それを地上に広げていかなくてはいけない。
そして、今この中継ぎ役であるあなた方の使命にとって、芸術というものは、いちばん役に立つものであると思う。

2.本物のオリジナルを降ろしなさい

あなた方は、何かひとつ忘れていないか?
もっと文章を書きなさい。
小説でもいい、何でもよい。思いを言葉にのせ、発信するのも芸術のひとつだということ。そういうものを、詩でもよい、文学でもいい、そのようなものにのせて伝えていく。あらゆる手立てを考えなさい。

今、彫刻とか、そういう強大なものとしてつくれるような状況にはないように思うのである。であるならば、個人レベルで降ろせるもの、個人レベルで発信できるものを、今はマスメディアとか、ひじょうに情報産業が発達しているのだから、その方面を使いながら発信していきなさい。

今はとても自由が保証されている時代だ。けっして、ペンによってさまざまな表現がされても、それで身の危険に至るまで追い込められるということはない時代であろう。であるならば、大いに今の時代の特性を利用しなさい。絵も一枚、一枚描くのでは限界があろう。カレンダーでもよい。さっき聞いていたが、プリントするのもよいであろう。

それにはまず、本物のオリジナルを降ろすことである。
もっともっと、水準を高めなさい。
あなたはそれができるはずなのだ。あなたの絵は、まだそんなものではないはずだ。まだまだ光が足りない。内側に光を塗り込めるという作業。林田さんの絵を、オリジナルを見なさい。どのように光を込めて彼が書くのか、身近にオリジナルがあるであろう。もっと見て勉強しなさい。その絵に出会ったことがーー、かつてモナリザという絵が、今だに名画として、あの小さな絵が人びとに多くの奇蹟を与え、多くの感動を呼んでいるではないか。あの小さな絵一枚があるためで、レオナルド・ダ・ヴィンチの名前というのは、今世まで伝わっているのだ。

たくさん出すだけではない。質を高めることをもっと主眼に置きなさい。その本物があるならば、たとえコピーであったとしても、それは多くの人びとを変えていくのだ。質を高くし、レベルを高くしたものを、それを売るという仕事も大事だが、売るだけでなく、展覧会に出していきなさい。

かって、あなた方が○○美術館を射止めた時、あなた方いろいろな会場を引き当てた時、どのように引き当てたか思い出しなさい。何十倍であろうと、一発で当てたであろう。○○の絵が賞をとったであろう。あの時は神の意に叶うものだけが神に選ばれていたのだ。

Aさん。あなたの絵はまだ水準に達していない。はっきり言います。あなたに、今かかっているのですよ。もっと質を高くしなさい。あなたはできるはずなのです。できるから、私はこれだけ強く言うのです。もっともっと、精進しなさい。そして、林田画伯の絵をもっと参考にしなさい。今、彼が来られるか、来られぬかは、これからの動きにかかっているけれども、少なくとも彼を手本としなさい。彼は光の芸術として、人びとを指導した立場にあった者なのだから。彼の絵を見て光を降ろすということ。人びとに感動を与えていく絵をつくるということ。

私は残念に思う。それだけの仲間が、今地上み降りていながら、どうしてここに集って来られないのかを、とても残念に思う。

でも今、Aさん、あなたの肩にかかっているのだということを忘れないでほしい。質を高めなさい。もっともっと、質を高めなさい。あなたの思いを、愛を塗り込めなさい。塗り込み方が足りない。もっと愛が足りない。あなたの絵の感動によって神を感じさせ、そして、人びとに涙を流させられるような、そのような名画を描きなさい。その絵が一枚あれば、あなたの名前は後世まで残るであろう。
たくさんの絵を、駄作をたくさん残さなくてよろしい。一枚の名画を残しなさい。そうすれば、必ずやそれが、あなたに名声と富をもたらすであろう。

今、天上界で待機している芸術家の群れが、絵を降ろしたくて、順番に出て来ている。その者たちの絵を描きながら、あなたは参考にし、あなた本来の絵に至らなくてはいけない。これはあなた自体の、本来の絵ではないのだ。わかるであろう。あなたがいちばんよく知っているはずだ。

あなたの絵を描く、そのための準備期間として、この一年があるのだ。そして、そこを掘り当てたとき、そこまで至ったとき、あなたは真の名画を残すことができるのだ。もっともっと、勉強しなさい。そして、もっともっと、自分の内側にある神の子としての仏性に気づきなさい。その光を塗り込めることができたとき、悟りを塗り込めることができたとき、あなたの絵は本物になるであろう。そういうものだけでしか、人びとを変えるなどという、大それたことはできないのである。

世の中には食べていけない絵の大好きな者たちがごまんといるのである。そのような者たちと、なぜ、このような使命を降ろされた者とが違うのかがーー、そこで一線が引かれているのか。単に信仰していれば、そのような絵が簡単に描けるのだと思ったら、それは大間違いなのである。

3.個人の悟りが仕事の質を高める

我々の文明は、技術と研鐙と、そして、悟りがそこにあったからこそ、それだけの水準あるものが世に残せた。そして、それにより社会で評価されたのである。その時の流れが、現代でもギリシャの彫刻の中に、一部、残っているであろう。あれを凌ぐ彫刻が今あると思うか? あれは「レムリアの風」が入っているのだ。レムリアの時代に研鑽した者たちが残したものなのだ。

芸術という一点だけを見れば、今回の芸術、今回の文明における芸術というのは、まだまだ赤子のようなものなのだ。今回は、知性により悟りの段階論というものを説かれた仏陀という方が、初期にお出になられ、アモール、イエス・キリストの愛の教えがこの地上に流れてきた。そういう形で悟りというものを、人びとが追求する時代だったのだから、芸術自体が、それほど進歩しなかったのも仕方ないのだ。

しかし、大天使ガブリエルや、ミカエル、ラファエルという方たちが、数々の名画や彫刻というものを残されてきているはずだ。そういうものを通して、人びとは芸術をかいま見ながら、神の存在というものを知らしめるように、それなりの指導を、我々もしてきているのだ。

最後に、本物を残せ。
ギリシャ以来出ないなどと言わせない。本物を残しなさい。それには、わかるか、そなたの体の中に大天使を降ろすような悟りを保たなくては、それだけの絵は描けないのだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロが、彼らがそれだけのものを降ろせたということ。それは彼らが七大天使クラスであったからこそ、それだけの指導が受けられ、それだけの光を塗り込める作品を降ろせたということなのだ。彼らのもともとの器もあったであろう。しかし、器を超えた悟りというものが、その作品に色濃く出るのである。

我々の文明ではそうであった。作品を見れば、その作家の悟りの段階がわかったのだ。だからその方に、そのチームに、社会を統率する権限が与えられたのである。社会を任せても、この方たちならば大丈夫であろう。そのようなことを思って社会を治めさせたのである。そうでなければ、とても今回のような非現実的な、非日常的な芸術家たちに、社会を治めさせるなどという、恐ろしいことはできないはずであろう、今回の文明では。

我々の時はそれができたのだ。トータルな人格においても、悟りにおいても、素晴らしい芸術家方が出て行ったのだ。だから、大天使と言われている方たちは、芸術の部分でも素晴らしい芸術を降ろせるのだ。その当時に、彼らは磨いているのである。大天使として、法を、神の法を降ろして、そして、神の補助者として、神の使徒として働かれているというのが、今回の彼らの素顔であるが、あの時代に、彼らは芸術としての技量も磨いてこられたということなのだ。でなければ、単に法のメッセンジャーだけが、あれだけの芸術作品や、絵画作品を降ろせたであろうか。

私はこの天上界の秘密を、今明かしているのだ。覚えなさい。よくよく心に留めなさい。悟りというのはーー、その方たちの悟りの高さが作品に出るのである。あなたが七大天使のように悟れというのは無理かも知れない。でも、あなたも相当な方なのですよ。もっと自信を持って、そして、かたくなな、その心を解き開き、人びとに対する大いなる愛の使徒となったときに、あなたの悟りは一段と高さを増し、そこに大いなる神の器としての光が降りてきて、そして、作品の中に生かされるのです。それが光の芸術ということなのだ。個人、個人の悟りあってこそ、光の量なのだ。わかるか。

それは、一芸術家だけに限ったことではない。そこにいる大西さんご夫婦たち、あなた方にも言えていることなのだ。あなた方の悟りが、あなた方の仕事の質を高める、仕事の質を証明しているのですよ。医療に、そして、法の編纂役に、大西さん、あなたが携わっています。でも、あなたは本来は僧侶だけではない。もっと多くの西洋系の者、この文明で、西洋系と言いますが、時代を超えたーー、前の時代では、もっと多くの人を指導していた立場です。

4.命がけであなた方の光を発信してください

その時代のことを思い出しなさい。この者だけにレムリアの時代のことを思い出せと言っているのではないのです。大西さんの奥さん、香澄さん、あなたもそうですよ。あなたがレムリアに関係ないなのてことは、とんでもないことです。でなければ、ここに、今いないのですから。この者だけがレムリアに関わっていただけではないのです。その時からのご縁なのです。

思い出しなさい。私は再三、この者にレムリアの時代のことを思い出せと言っているのです。それはなぜか。今回のこの仕事に、いちばん役に立つのがレムリアの過去世であるということ。それを前提に、私は彼女に、今迫っているのです。強要しているように見えるかも知れない。でも、必ずやあなた方のお仕事のお役に立てるということを私は知っているから、あなた方に言っているのだ。

皆、それなりの事実を持っているのです。それなりの素晴らしいパーニャパラミタを持っているのです。怖れず、それを開きなさい。もう、そういう段階に来ているのではないですか。一人ひとりが素晴らしく悟り、一人ひとりがそれぞれのパーニャパラミタを発信していく。一人ひとりが光の灯台として、灯火として、社会を照らしていくのだという強い覚悟がなければ、このような人数で世界を救うなどという偉業はなしていけないのです。

この者だけに背負わせないでください。この者だけではできないです。はっきり言います。あなた方の助力があってこそ、あなた方のお力があってこそ、この者も仕事をしていけるのです。助けてあげてください。あなた方の力は、あなた方が信じているより、もっともっと、偉大なのですから。あなた方が核になるのです。あなた方が、心合わせて核となるのです。我々の言葉を直接、聞ける者など、これからもたくさんはいないのです。

でも、我々はあなた方の前には出ましょう。心を尽くし、思いを尽くし、あなた方を指導していきましょう。であるならば、命がけであなた方の光を発信してください。そのために今、あなた方は何ができますか? 何をしますか? もう、今からできることを探しなさい。そして、一人ひとりの悟りを、もっと深く高いものにしていきなさい。

高橋信次、エル・ランティが説かれた八正道という教えもあったはずです。仏陀、エル・カンタラーが今回、説かれた、悟りの段階論というのもあったはずです。それがあなた方の、一人ひとりの個性の中でどれが有効であるか。イエス・キリストの「愛の段階論」というものも、もう習っているはずでしょう。

どれでもいいのです。どれでも行き着く所は同じなのです。その方法論のひとつにしかすぎないということ。芸術を通して、また、方法論として悟っていく方もいるのです。自分がどれに合っているか。それを確実に見つけ出して、自分の悟り、そして、自分自身の魂を開いていくのです。

神は私たちを神の表現体として、愛の表現体として、それぞれに個性を持たせ、おつくりになられたのです。わかりますか? であるならば、何もできぬ、何の個性も持っていない者など、一人として本来いないのです。ましてや、あなた方のように、神の使者となるような方がたに、本来の個性がないわけがないのです。自分がどの部署に所属し、どのような力なら発展できるか、それをもっともっと、見極めてください。最後は必ず己自身に出会うのです。

いかなる悟りの段階論があろうとも、それは単にあなた方の悟り、魂の楽器をチューニングする、調律するだけの作用でしかないのです。汚れを取り除き、調律し、そして、神が大初に我々をおつくりになられ、そこに期待を込められてぬり込められた個性を、そこに気づく、出会っていく旅、それが悟りなのです。

けっしてこのような固苦しいものでなく、けっして悲痛な面持ちで、すべての物質的な本能までも押さえ込んで修行し
難行苦行しなければいかれないような、そんなものではないのです。

5.この大宇宙は神の愛の表現体

神が本来、喜びにあふれ、最初にこの地をつくられ、この宇宙を形成されたときに、なぜそれぞれの惑星や恒星をおつくりになられたのか、この宇宙が日毎に成長しているのがあなた方はわかるか。

我はこう思う。この大宇宙、その、どこまで広がるか我々ですらわからない、この大宇宙は神の愛の表現体であるのだと。

遠く星雲を、遠く惑星や恒星たちの流れを見たことがあるでしょう。何と美しいものを神はおっくりになるのか。その星雲を、色とりどりの美しさの中で、神こそ至上の芸術家であるのだと、かつて多くの方がたが申していると思います。

神の表現方法として、神の愛の表現体として我々はつくられたのです。神の内側にある素晴らしさをこの地上に投影するために、この太陽系もつくられ、星々もつくられました。そこに数ある星から、色々な星から、この地上の人間をつくり、我々は長い時の間を、生命体をつくり上げるところから数々の色々な各異星人を連れて来て、それを地球に合う地球人として、姿までつくり上げてくるまで、どれだけ苦しみながら、悩みながら、数々の実験をしながら今に至ったことでしょう。

やっと地球人ができ、やっと地球の環境が、高い神の子の精神レベルに修行できるものとして、この地球ができたのに、人びとは心の教えをすぐ失います。自分たちが住んでいるのが、神の愛によってつくられ、支えられているのだという感謝の思いをすぐ忘れてしまうのです。

我々から見たら、何かこの地上人の喜び、物質、このようなもの、何がほしくて心迷わすのか。こんなものは、あっという間に、大陸が沈んだらおしまいになってしまうものなのに。その地位や、名誉や、権力というものに狂い、自分自身をつくってくれた、父なる神の愛すらも見捨て、暴言を吐き、己の魂を深い、深い闘いの中へと葬ってしまうのです。しかし、それは地上に出たら仕方ないことなのかも知れない。

6.この時代の最後の締めくくりをするために

我々の仲間ですら、今ではそれを見失って、深い悲しみの中にいます。だからこそ、取り戻してほしいのです。その仕事のダメージを、その仕事を果たせなかった彼、エル・カンタラーの無念を。彼自体はもう天上界に帰っているのです。どんな思いをしているか。あなた方は想像がつくだろうか。無念さを、申し訳なさを。エル・カンタラーのお心がわかるならば、彼の悲しみがわかるならば-ー。

地球神として、この地球をいちばん古くより支え、愛の星にするために誰よりも頑張られてきた方が、今天上界でたいへんな苦しみの中にいるのだ。

彼により、あなた方は見守られてきたではないか。であるならば、命をかけて、天上界のエル・カンタラーのために頑張ってほしい。あなた方がその仕事の穴埋めを少しでもできるならば、そして、サタンたちの思い通りにならずに、この文明最後、本来のエル・カンタラーの仕事の穴埋めができたならば、彼もそれほど苦しまずにすむであろう。

セラビム、孔子は、我々の依頼を受け、そして引き受けて、少し時期は早いのだが、地上に降りて行ってくれた。彼に手渡す前に、私も今までは、今回の文明においては歴史の裏側にいたけれど、もう裏側と言っていられない、できる限り助力をしながら、あなた方の仕事をして、セラビムにバトンを渡してほしいのだ。彼も必死で出て行っている。

その時がくれば、我々の世界からも彼に対するメッセージが降りてこよう。そして、彼が本来、覚醒したとき、脇にいてやってほしい。そして、彼に何をしなくてはいけないのか、どうしていったらいいのか、その援助をしてやってほしい。教育してやってほしい。それほどに、このような複雑な中で使命を帯びた者はたいへんなのだから。

わかるであろう。ナザレの地にイエス・キリストが降りられたとき、確かに彼をはりつけにし、虐待したのは、モーゼのユダヤ教の者たちだ。だけど、時代が相当経っているから、イエスの愛の教えとして法を説けた。仏陀の時もそうだ。その前にジャイナ教とか、さまざまな教えはあったとしても、しかし、仏陀は仏陀の法をそこで説くことができたのだ。

しかし、セラビムは違う。エル・ランティ、高橋信次という方がすでに核を打ち、エル・カンタラーがあれだけの法を残している。それを踏まえたうえで、彼はまた、九次元指導霊として法を降ろさなくてはいけないのだ。

全くの基礎からやれるのであるならば、彼の本来の法というものは、素晴らしいものは、いくらでも出てくるであろう、かつて中国で語ったように。しかし、今回は自由にそういうものができない。前のを継承しなくてはいけないのだから。そして、この時代の最後として、この時期の締めくくりとしての役割が、彼の説く法には期待されている。もう一度、九次元の指導に戻すということ。そのためだけに彼は出て行っている。であるならば、あなた方が中継ぎ役としてどのようなことをしなくてはいけないかわかるであろう。

今までは、エル・ランティ、エル・カンタラー、アモール、セラビム、モーリャ、このような方がたが今回の文明の表面に立ってこられている。我々は今回の文明の責任者でないので脇に控え、あまり発言することを控えてきた。しかし、今こうなった以上、私もけっしてあなた方に無関係な者ではないのだということ。そして、私も神の使者であるということ。そのことを踏まえ、できる限りのことをあなた方にさせていただこうと思う。

だから、あなた方もけっしてひと事だと思わず、この者が神降ろしするだけであるとか、そのように思わず、みなが私の心に針を合わせなさい。そうすれば、知りたいこと、わからぬこと、いつでも喜んで私は参ろう。私はあまり堅苦しくないですから、気軽にお呼びください。

7.全幅の信頼を神に寄せなさい

理念ということ、芸術における理念ということ、それはまたの機会に語りたいと思います。もう少し、仲間を集めてください。芸術の理念を降ろせる、そういう専門家を、もう少し集めてきたとき、私は芸術の理念としての悟りの段階論をあなた方に降ろそうと思っています。

今は立ち上げの時です。、何もないところから立ち上げることのたいへんさ。それは「○○○○の○」を立ち上げたときにも、よくわかっておるはずだ。最初に旗を振る者、それが最もたいへんであり、勇気のある者であるということを我々は知っている。あなた方はそのような者たちであるのだということ。

どうか、そのような者として、選ばれし者であるということ。神に選ばれた者たちであるということ。その誇りを保ち、自分自身の中で、その使命を受けとめていただきたい。

あなた方のレムリアの記憶は、そのうちに解けてくることでありましょう。そうした時に、どのような熱気をもって、人びとが大らかに神の道を歩んでいたか。これはこの者一人だけのことではない。あなた方にも入っていること。それを思い出してほしい。

今、主流の神々が控えておられ、マイトレーヤーもこの前、お出になられたけれど、我々のほかにゾロアスターも出ていただきましょうか。そのような者たちが今、九次元十人が力を合わせて、出て来ているときなのだ。我々も歴史の中に引っ込んではおられない。
やれることをやりましょう。

そして、常に神のもとにあるものを、もとあるものをーー。真に正しい者は、けっして闘いには負けないのだということ。モーリャが以前、言っていたと思います。そう、あなた方の名前ではモーゼという方ですね。おっしゃっていたはずです。「神近き者、正義ある者、正しき者は勝たねばならぬ」と、彼はいつもそう申しております。私もそう思います。争い事はあまり好まないが、闇というのは光の不在だけだと思う。光を大きくし、光ですっぽり闇が入り込む隙間もないほどに、この地球を包むのです。そうすれば、闇が消えていく。

地球にいる者たちも苦しいのだ。光を求めているのに、どう光を求めていいのかわからず、迷い、さまよっている。その者たちは最初から神に勝てる訳がないのに、一時期、迷わすだけが精一杯なのに、自分かちが神に勝てるのだと必死に闘いを挑んできている。

こんな時、あなた方は、全幅の信頼を神に寄せなさい。光に寄せなさい。そうすれば闇は入れぬ。闇は近づけぬ。闇の者たちを救うためにも光をたくさん発信するのです。そうすれば、彼らもいつかは我々のもとに戻って来るでしょう。なぜなら、彼らも我々の仲間であったのだから。今は法がわからず混迷し、道を見失っているだけなのだから。

私は彼らのことも同時に救ってあげたいと思う。彼らを抹殺することなく、消去することなく、彼らを本来の光の天使に戻してあげたいと思う。それが我々の願いであり、愛です。

8.神より与えられた大いなる学習の場

サタンも聞いているならわかってほしい。
我々はけっしてあなた方を憎んでなどいない。
あなた方を消そうとはしていない。
あなた方を打ち負かそうなどと思ってはいない。
戻って来い。
もう一度、神の懐に戻って来いと、我々は語りかけているのだ。

もう一度、あの美しかった、気高かった天使に戻って来いとーー。
かつてあなたは素晴らしい光の天使だったのではないかとーー。
私たちは呼びかけているのだ。

かつてルシファーを地獄に封じ込めたミカエル大天使は、彼自身が許さなかったのだ。天上に帰って来ようとするルシフェルを、ミカエルが許さなかった。そして、無限地獄へと封じ込めたのだ。

なぜ、そのようなことをしたか。
そなたたちにはミカエルの気持ちがわかるか?

彼らはいちばんの、無二の親友だったのだ。ルシフェルを救うには、無限地獄に閉じ込めるしかなかったのだ。彼を無限地獄に封印しながら、今一度、神の世界に戻るチャンスをミカエルは与えたんだよ。そして長い時を闘いながら、何度もミカエル自体が傷つきながら、かつての親友が戻って来る日を彼は待っている。けっして憎んで闘っているのではない。

だからGの時でも、K会の時でも、ミカエルはミカエルの力をもってルシファーを封印することはできても、ルシファーに気づけと、おまえはそんなことをしていていいのかと、その彼に悟りを与える余裕をつくってやっているのだ。

とっくに消滅させることなど、神の力をもてば簡単なこと。でも、ルシフェルのような者であってすら、神はただ最後の一人ですら、けっしてお見捨てにはならないのだ。

であるならば、この地上にいかなる悪人と呼ばれる者たちが増えていようと、神がただ一人の人間であれとて、消滅させ
見捨てるということはあるだろうか。神の愛とはそのようなものなのだ。圧倒的な愛とはそういうものなのだ。その身を、我身を傷つけてすら、ルシファーと闘いながら、ルシファーの魂を救おうと、今回の計画も最初から関わっているミカエルの気持ち、彼はけっして言わないだろう。そんなことは絶対、自分では言わないだろう。

しかし、ルシファーをいちばん愛していた者として、私は彼の気持ちが痛いようにわかるのだ。だから、九次元の我々もみな、ルシファーのやりたいことをある程度許すのだ。それを通し、我々の悟りが生悟りであったということ。神の子と言われた仏弟子たち、キリスト教関係の弟子たち、今回のために幾転生しながら、今回の計画を大切に練り上げていた者たちですら、多々、落ちている。

しかし、サタンが攬乱してくれればこそ、我々の悟りも、まだ生悟りであったということを気づかせてもらっているのかも知れない。私はそう思う。そのような意味において、ルシフェルに、そのような役回りをしている者として感謝したいと思う。

だからあなた方も、今回のことを、すべてマイナスばかりに思われぬことである。マイナスに思わず、このような攬乱あればこそ、我々の隠れた執着というもの、名誉心というもの、この地上に執着していた己が未熟さというものを学んだのではないだろうか。

TKしかり、ORしかり、数々の仏教徒たち、我こそはと出て行った者たちが、どれだけ多かったことであろう。その者たちが帰って来たとき、「大きな学習をしたね」と、私は迎え入れてやりたいと思う。だから今回も、失敗に次ぐ失敗だとばかり思わず、大いなる学習の場を神より与えられたのだという感謝を持って、このチャンスを成長の場としたいのだ。

我々、九次元であると言っても、まだまだ個性を持った修行未熟な者だ。それを改めて学ばせていただいたように思います。我々、九次元の者がそのように反省している。成長しようと思っているのだから、あなた方だって、このようなチャンスを、大いなるチャンスを神よりいただき、このような素晴らしい仕事に携われたということ、そのようなチャンスに恵まれたということ、それをもっと感謝し、仕事をなしていただきたいと思います。

しばらく時がたてば、人はいくらでも集まって来る。今は核となる人たちがほしいのです。核となるに足りる人たちがほしいのです。入れる時は一人ひとりをよく吟味し、ほんとうにこの人はわかってくれると思う人たちを集めなさい。焦らず、そして、今はまず核となるあなた方の認識を、より高度なものにし、団結していくのです。

数を増やすだけなら、あっという間に集まったこと。それをあなた方は知っているであろう。そのような者たちを指導する立場として、今一度、覚悟を決め、己自身の悟りを磨きなさい。

では、今日は強引にはいりました。また、次回に参りましょう。

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