Project Eden


イエス・キリスト(アモール)
アモール(AMOR)とは愛を意味する。
今から約四億年前、愛というものを説くために、射手座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
二千年前、イエス・キリストとしてイスラエルの地に肉体をもち、愛の教えを説いたことで知られる。
アトランティス時代には、アガシャーという名の指導者として、愛を中心とする教えを説いた。
天上界では、白色光線(愛)を担当し、さまざまな指導方針を決定する役割を担っている。
1.自らが愛のたいまつとして光り輝きなさい
我が弟子たちよ。
かつて今まで学んだ、私が伝えた愛の法を、この地上に生きている間に、自らの言葉として語り伝えなさい。
愛を語るのは、私だけが語るのではない。
私たちの弟子の言葉をもって、生き様をもって愛を語った時、私の思いも、私の教えも、この地上に流れいでていくのです。
今回、この方が立たれたという中で、この方が、私の説いたキリスト教という愛の教えをひじょうに学んでおられることが、私の思いを、こと細かに地上に伝えるのに、たいへん力になり、役に立っていただけました。
しかれども、我らがホワイト霊団の中で、愛というものを深く学んできた光の使徒たちは、たくさんおられるのです。
今、地上に散らばりし光の天使たちよ。
自らが蓄えてきた愛の思い、愛の教え、それをこの地上に発散し、自らを愛の化身として輝きなさい。
今、その時がきた。
あなた方が愛を、口先だけで語るのではなく、愛をもって、教えの中で、生き様の中で光り輝いてこそ、この地球からいたる所に愛が発信され、この地球が愛の星になっていくのです。
愛でこの地球を包むには、一人ひとりが灯台となり、一人ひとりが愛の発信源とならなくてはならない。
一人だけ、この者だけに、愛の発信者として、光のたいまつだけを出すのではなく、あなた方自らが愛の化身として、愛のたいまつとして光り輝きなさい。
もうすでに教えはたくさん学んでいるはずなのです。
それを生き様の中に、行動実践の中で、愛とは何であるかを語ることに臆することなく、勇気をもって語り続けなさい。
今それこそが、この時代の中で必要とされること。
今、この地球の中に、我が弟子たちは、地球の各地に埋め込まれている。
そして、それぞれにメッセージを受けて、それなりの仕方で愛というものを、神というものを表現しようとして、その使命を着々と果たしているのです。
ですから、いつかその愛の光が、地球のあちこちで発信されていった時、その手と手を取り合うことにより、一斉にこの地球が愛という光のたいまつで包まれる時がくることでしょう。
2.キーワードは愛なのです
そのためには、キーワードは愛なのです。
それを語ることが、この運動の、この救世運動の要になります。
いかなる反省行を説いたとて、八正道を説いたとて、神の天上界の理念を明かしてみたところで、真なる愛がいかようなものであるかということを、人類が学ばなくては、最終的な光の革命、第三の計画の中にある、価値観の大転換による、愛の星へ変えていく大転換運動はできないのです。
自分のように他者を愛し、他者の痛みを我が痛みとし、そして動物をはじめ、植物、鉱物、この生命一切が神の愛の懐により創造され、愛の血液の、神の愛の流れの一部であるということ。
それが、動物、鉱物、人間、すべての、地球意識だけではなく、他天体におけるまで、すべてが愛の奔流の一部であるということを認識する。
宇宙の生命活動そのものが、神の愛の思いの倫理の中に動かされているということ。
そのことを、あなた方、一人ひとりが認識していったのならば、国同士で争ったり、民族同士で争ったり、差別が行われたりということがなくなっていってこそ、最後の光の転換という、価値観の大転換の中での、この地球意識の変革、変換、統一ということがなされうるのです。
キーワードは愛なのです。
愛というものの中の、深い、深い学びを、どれだけ人類が学べ、どれだけ実際に行うことができるか。
そこにより、最終的な地球の革命的な、地球維新とあなた方が呼んでいるような大転換が起きるということ。
その愛の思いの、愛の学びの深さなくして、最終的なそのようなことはありえないのだということ。
そのことを、あなた方は深く心にとめていただきたい。
ならば、あなた方の中で、かつて一度もキリスト教を学んでいない者などはいない。
それぐらい、あなた方の魂はもう最終的な仕上げに入っている。
だから、自分は仏教だけである、キリスト教ではないとか、キリスト教だけであり、何はやっていないというような、そのような観点ではなくーー。
もうすでに、すべてを学びつくしてきたと、自らの力に応じて、自らの段階に応じてではあるけれども、ありとあらゆる宗教と、民族と、宗教の間を、信仰の価値観の中を、学んできたればこそ、最終仕上げの、今のこの計画に臨む、その総合的な判断力が試される、今があるのだと。
そのような立場にいるのだということを、もっと、もっと深く心にとめ、あなた方は使命を果たしていかれなさい。
それが我が思いであり、最終的に愛の教えの中で、この地球を愛の霊団として包み込んでいく、それあってこその「アガシャー系」と呼ばれる地球人類なのです。
あなた方の中に、愛というものがどれだけ深く認識されたか。
どれだけ我が言葉を、あなた方のものとして、人生の中に生かしてこられたか。
それがあってこそ、認識されてこその、今回の計画でもあります。
このレムリアの中心に、今座ることが許されているあなた方は、愛というものに対する認識力、実践力において、ひじょうに高度なものがある方がただと見受けております。
であるならば、どうか力を貸してほしい。
我が手足となり、我が力として、我が道具として、私に力を貸していただきたい。
あなた方の人生をもって、私を助けていただきたい。
我がこの手の中に、今いっぱいにある、この人類に対する愛の思いを、一人ひとりの心に届け、配っていく、その担い手として、その援助者として、あなた方の人生を私に貸してほしい。
その愛の担い手として、私とともに、この計画を歩んでいただけないものかと、お願いに参りました。
3.みんな愛の化身である神の子なのです
愛というものが様々に語られているけれども、究極的には神の愛そのものが、どれだけ神の子として理解できているかという、そこに尽きてくるのです。
究極的には、宇宙の中に内在する神の思いを、自らのエネルギーの一部として、神の子として今自らがいるということ。
そこに、どれだけ、自らの内側に入っていくことにより、自分自身を知っていく、神の子としての自分自身の、愛の奔流としての思いを、いかに認識していくことかということが、究極的には宇宙の愛のエネルギーである、愛の法則である、神ご自身を理解することにも通ずるということなのです。
それが仏教でいう悟りであり、内観であり、自分の中で禅定したりしていく中で、自分自身の悟りを高めるというけれども、悟りは高めるものではなく、本来が神の子として、自らの中にある偉大さに気づいていくだけの旅路であるのです。
だから、すべての者たちが、今もうこの地球にいるすべての者たちが自らの魂の偉大性に気づいたのならば、すべてがイエス・キリストになり、仏陀になり、モーゼになり、孔子になっていくということ。
そのような者になれて当たり前の者たちであるということ。
ただ、自らを気づくチャンスがなかった、いや、気づこうともしない、気づいてはいけないというブロックがかかっているだけなのです。
みんな偉大な神の子なのです。
みんな愛の化身である神の子なのです。
けっして、私だけが特別な者ではなく、あなた方も私と同じ神の子であり、愛の化身であり、愛の奔流であるということ。
その時に、なぜ私とあなた方の違いが出るかというと、私は自分が愛の化身であり、ささやかながら、神につくられた神の子であるということを信じて、知っているというだけのことなのです。
それを信じているということなのです。
そこに疑いを持たなかったというだけのことなのです。
皆さま、皆わたくしと同じであるということをもって、自らに蓄えた、素晴らしい叡智が眠っておられる方がたであるということに、敬意を表しつつ、どうか、そのような自分自身に気づかないという、もったいないことをすることなく、自らの可能性を信じ、神の子としての己自身に誇りとプライドを持ち、どうか人生の中で、それを愛する、他の神の子たちに気づかせてあげる自灯明となられ、愛のたいまつとなられんことを、私は望み祈るものであります。
愛とはすべてに勝り、すべてを生かしていくもの。
自分自身を愛し、そして自分自身を愛することが、他者を愛し、他者を生かしむること。
相手を生かすということは、相手の尊厳を、相手が神の子であるという素晴らしさを信じて、気づかせてあげるということ。
その担い手になるということ。援助者になるということ。
そのことが愛の担い手でもあります。
我がホワイト霊団は、愛の助力者としての使命があるけれども、それは他の者たちに、神の子であるという、あなた方も愛の担い手であるという、愛の奔流であるということを気づかせてさし上げる。そのために、その使命を持っているのです。
けっして、私たちが持っている愛を配ってあげるとか一部分だけを譲ってあげるのではない。
周りにいる方がた、すべて神の子たちに彼ら自身の中にある愛の炎に気づきなさいと言って、教えてさしあげて自らの神の子の神性に光を灯してさしあげる。
そうすれば、一人ひとりが愛の化身として、神の子として光り輝かれることでありましょう。
その担い手が愛の使者たちの役目なのです。
4.霊言集を残すことが長期的には数多くの魂を救う
霊言集とかで我らの言葉を伝えることにより、または、ホームページなどで見ることにより、あぁ、私たちも皆、同じ神の子であったのだと、光の化身であるのだと思って、自らがその愛の化身であることに気づき、神の子であるということに気づき、一人ひとりが、神の子として本来の姿に生まれ変わっていくことをもって、愛の伝道者と言います。
愛の担い手と言います。
そのことがいちばん大切なことなのです。
おなかを空かせ飢えているからといって、水やパンをいつまでも配っているのが、けっして愛ではないでしょう。
飢え死にしかけた時には、確かにその時に水とパンを与えることが、さしあげることが、その方の命にとって愛ある行為となることもあります。
でも、長期的に、長い間、この方たちにとって、どのようにすれば、いちばん愛ある姿かといったら、ひとつの井戸を掘ってさしあげることかもしれない。
水を与え、その水でもって、あなた方は稲作をするのだよ、食べ物をつくるのだよと言って、教えてあげることのほうが、長期的に見たら、その方にとっては、自立支援していくための愛ある行為だということがあるでしょう。
であるならば、あなた方がやろうとしていることは、そういうことなのです。
一見、もっと安易な、愛の配り方があるかもしれない。
でも、あなた方が今降ろし、霊言集として出そうとしているものは、その時は、すぐには効き目がないように思うかもしれないけれども、この霊言集の、天上界の言葉をもって、多くの人びとがその書物を読むことにより、自らの神性と、自らが神の子であるということ、自らの尊厳ということに気づいていくことにより、一人ひとりが、その気づいた時より、未来永劫に向け、神の子としての愛の化身として、生まれ変わっていくということ。
その瞬間が訪れるという、魂の歓喜の時がくるということ。
そしてほんとうに神の子として、自らを信じられた時に、彼らは光の化身として、今度は愛の担い手として、他者への愛を伝えていく伝道者となっていくのです。
そのようにして、愛というのは語り伝えられ、光というものは伝えられていくのです。
ですから、今やっていることが、まだるっこしく思うかもしれない。
今やっていることがどれほどの価値があるのか、もっともっと世間で見た慈善業のようなことのほうが、より愛深い姿ではないかと言われることもあるかもしれないけれども、ひじょうに遠回りで、地道な作業のように思われるかもしれないけれども、今、天上界よりの扉が開き、我らの言葉が直にこのように降りるときに、この霊言集を、この我々の言葉を地上に降ろしてくださるということ、そのことのほうが長期的に見たのならば、どれだけ数多くの魂を救っていくか知れないということ。
その意味をもって、あなた方の仕事を受け取っていただきたい。
霊言集を降ろすということ、霊言が降りるということ自体も、この時代の中におき、かつての時代から見ても、これほど立て続けに霊言が降りることはないけれども、我らの言葉を、直接この地上に降ろすこのチャンスに、少しでも多くの言葉を、明快な言葉を使い、ひじょうに日常的な、多くの人びとの目線に合った言葉として、納得できる素朴な言葉を使いながら、より明快に我々の意思を伝えていくということ。
その言葉を学ぶ人びとの、人目の多さということを考えると、易しい言葉を使いつつ、多くの人びとへのメッセージを伝えていくということ。
そのことが、のちに書物となって残ったときに、時代を超えて、次々と多くの人びとに、我々の天上界の意思ということを伝え、彼ら自身がその書物を読み、一人ひとりがまた、神の子へ、神の子へと気づいて、自分が本来、神に生かされた愛の化身、神の子であると知り得て、それを信じて、その自らが変身したとき、神の子としての自分自身に変身していったとき、その魂は光り輝き、時代から時代へと連鎖反応的に人びとが生まれ変わっていくのです。
それをもって、しなくしては、この地球を、今の戦争や、争いや、貧困や、様々な悲しみ、苦しみの差別の中で、乗り越えながら、愛の星にしていく道は切り開かれないのです。
ですから、とても、今さら愛と思われるかもしれないけれども、信仰の世界も、この宇宙も、この世の中も、すべてが愛により、愛に始まり、愛により終わっていくのだということ。
愛は循環し、愛は未来永劫に、永遠に流れ続けていくということ。
愛なくして、いかなる者たちも幸せにはなれず、愛そのものの奔流の、枝分かれした自分自身が神の子であり、愛の化身であるということに気づいたのなら、自分を愛するように、他者を、身の回りの者たちを、地球の生きとし生けるすべての者たちを愛していく。
その姿が当たり前になってくるはずなのです。
その時にはいかなる差別も、悲しみも、苦しみも消えていくのです。
自然に消えていくのです。
そのような星にするために、どうか、私に力を貸していただきたい。
愛の霊団よりメッセージが、今ここに降りておられるということを、今日は伝えたく、ホワイト霊団の長老が出て来られたのです。
愛を伝えるということに臆してはなりません。
愛を伝えていく、自らの使命というものを正面から受けとめ、このレムリアを中心に神の霊言を世に伝えていくということ。
霊言集を広めていくということ。
そのことをもって使命となされ、けっしてそれが、多くの人びとの悲しみ苦しみを救うことが、離れていることと思われず、今あなた方がおやりになることが、最終的には、多くの人びとの苦しみや、悲しみを救っていく大いなる力で、手段であるというふうに神は思われ、天上界はそういうふうに考えて、今の計画を降ろしている。
大切な、大切な計画の中に、あなた方がおられるだということを、どうか理解していただきたい。
5.やれることを精一杯やっていただきたい
私たちの世界から見ておりまして、期間というのは、ひじょうにおおらかに考えております。
順番がどうであるにせよ、あなた方が精一杯、この使命の中で頑張っていただけているのであるならば、我々は順番などにこだわりません。
地上には地上の、やってみなければわからぬ事情というのがあることは、私も地上に降りて、なかなか思うようにならないことは知っておりますので、そのようなことで、腹を立てるとか、怒るとか、機嫌を損ねるような者が、我々の世界にいるとは考えられません。
あなた方が苦しみながら、こんなにも傷つきながら、こんなにも辛い立場の中で、精一杯努力していただけていることを、我々は良く知っております。
ですから、できる限りの最善のことをおやりになり、そしてあとは、結果は時の流れの中に任されたらよろしいかと思います。
今回の件においても、いちばん苦しいのは、私はEさんではないかと思います。彼自身の心は、彼自身の本来の心を偽っているのです。それでなければ、今の立場を守れないのだとも思います。で、今さら引き返すこともできないし、ということが実情でしょう。
でも、彼自身が、本来の力がある者であればこそ、自分が今何をやっているかということは、彼の善なる神の子の意識は知っているのです。
ですから、やるべきことをやったら、あとはもう、すっぱりとあきらめてもよいのです。また、別の形で出せばよろしい。ただ、やるだけのことは精一杯やって、あの霊言集を法灯のひとつとして、語り伝えていただきたいという気持ちはございます。
ですから、あなた方のご苦労を見ていて、ほんとうに申し訳ない、お気の毒なことだと思いますが、神理の戦いに、常にこのような魔との戦いというのはありますのでーー。
でもほんとうに、最終的にいちばんかわいそうなのは、彼らのほうであるということ。私は、彼らが精一杯、光の使徒として頑張りたかったよいう気持ちに嘘はなかったと知っているけれども、でも、現況、今このような状態であるということをもって、彼らを不憫に思わざるをえないのです。
ですから、残すべきもののために、神理の戦いは精一杯やっていただいて、そのあとは、もう、あなた方が不必要に傷つくことのないよう、切り捨ててしまわれてもかまわないと思います。
これからは、このような安定した体制の中で、どうか頑張って、次々と霊言集を出されていかれればよろしいかと思います。その順番について、天上界から差し出がましいことを言うことはありませんし、もし何か緊急の場合がありましたら、我々のほうから、強いインスピレーションなり、言葉を送ります。
九次元が出たから、六次元のほうが先に出ちゃ悪いのじゃないかとか、七次元のほうが先に出ちゃ悪いんじゃないかとか、そうあなた方の意識では思っておられるようですが、そんなものは、何次元でもかまわないのです。
あなた方のほうで編纂し、良き内容であるならば、あと出版社との兼ね合いの中で、どうか、ことらのほうが売れるとか売れないとかあられるのだと思いますが、そのようなもので、上手に折り合いをつけていただいて、地上に肉あるあなた方の助力をもたなくては、いくら天上界での大計画であろうと、意思であろうと、地上には降りないのです。効果を奏しないのであります。
ですから、あなた方のやれる範囲で、精一杯やっていただけるということ。それをもって我々は、心から感謝しているということだけをお伝えしておきましょう。他にありますでしょうか。
では、愛について、今日来られた、ホワイト霊団の長老の方に敬意を表し、あなた方に、その愛の思いというのを伝えられたということ。
どうか自らを信じ、愛の使徒として、この計画の中に、多くの神の子としての愛を広められることを期待し、今日はこれにて失礼させていただきます。