Project Eden

須佐之男命(すさのおのみこと)
古事記には、伊邪那美神(いざなみのかみ)と共に国産み、神産みの天地万物創造を行った伊邪那岐神(いざなぎのかみ)の子、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟として生まれ、天岩戸隠れの原因を作ったかどで高天原を追われるが、追放された出雲の地で八岐大蛇(やまたのおろち)退治を行い、櫛名田姫(くしなだひめ)を救い、国造りのさきがけとなった英雄的な神として記されている。
須佐之男命の事跡は、のちに大国主命(おおくにぬしのみこと)に引き継がれ、邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨を経て、日本武尊(やまとたける)の東奔西走による全国統一につながっていく。
須佐之男命も、永らく裏神道に属する神とされてきたが、大変に優れた男神であり、霊言の中では、「人間は、大自然の循環の中の一つとして、地球神霊の神殿の中に住まう一つの存在として、自然霊に対する感謝の心を忘れてはならない」「そなたたちも一人ひとりが英雄となっていきなさい。誰が評価せずとも、神の国の英雄となって生きていきなさい」「一人ひとりが命をきらめかせ、一瞬一瞬を男として、女として勝負していくような、そのような命の燃えたつような生きざまをして、帰って来なさい」と熱く語りかけている。

1.新たな社会をつくるとき、理念の後ろ盾となって働く役割があった
~須佐之男命は天照大神の弟としてうまれました。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したという伝説で有名です~
アマーリエ: 何かお聞きになりたいことありますか?
デル: ポセイドン様のお話で、ギリシャ等の西洋的な龍神様というか、海神と日本の龍神界とが一体になっているということがお話にあったんですけれども、やはり須佐之男命様もギリシャと日本の両方にまたがる方として、現代の状況、そして、ひとつになっているのかどうかということも含めてお話しになっていただけたらと思います。
須佐之男命: はじめまして。
今日、この場にわたくしをお呼びいただきましたことを、心からお礼申し上げます。たいへん光栄なことだと思います。
わたくしは、今日本神道の、あなた方の記憶の中で、須佐之男命と呼ばれた者の意識としてまいりました。
わたくしが常にこの地上に生まれる時、それは新たな時代をつくる、新たな文明をつくる草創の時、まだ秩序が確立せず、この地上に神の御心を展開するには、まだ混沌とした時代に、その骨格をつくり、その道筋をつくる、そのような役割を持って地上に降り立っております。
あなた方のように、今、新たな時代をつくる幕開けとして、新たな社会を誕生させる時、それはある種の破壊というものをもって、次の時代をつくる産声をあげさせる道筋となるのです。
わたしが、かつてこの国、大和の国に降り立った時、あなた方の意識の中では神話の時代と呼ばれているのであろうが、わたしはわたくしなりに国づくりに貢献したと思っております。
その時、天上界の指導により、姉、天照大神と呼ばれている方が、天上界の意思をこの地上に伝え、わたしは弟としてそのとき生命を持った者であります。
なにやら、日本の歴史の中において、わたくしは忌み嫌われる、乱暴者というレッテルが張られているように思うが、女性的な調和というものをもって、神の心を伝え、人びとの心を平和に導く、そのような役割の方がおられる一方、その意思をその命として受け取り、日本のあちこちの国に行って、中央集権的な国家の礎として、国を平定して回らねばならない、国家としての基盤をつくらねばならないという、ひじょうに荒療治のような役割をする者も、あのときは必要であったのです。
なかなか、知的なことを言って、理論で、理屈で話をしてわかる者たちばかり住んでいた時代ではなかったがゆえ、荒療治のように、有無を言わさず、この計画を強行したというとこはややもしてあったかもしれないが、それにより、大和の国という、日本の礎、それが後に日本武(やまとたける)という、日本武尊とあなた方が呼ばれている方も、わたくしの仕事の延長にあられる方であるが、ともに国家の基盤というものをつくるために、わたくしも頑張ったという自負心があるのであります。
女性的な者が人びとの心を和まし、その優しさと母性より、多くの荒らくれたちの心を治め、国を調和に導き、神の御心を地上に投影することができるのもまた事実。
ただし、女性的なるエネルギーが、光を放とうと思えば思うほど、男性的な力の源である、ときには猛々しい、ときには押しの強い、ときには勢いが強い、そのようなものでバックアップせねば、国家は立ち行かぬことがある。
新たな社会をつくり、新たな理念のもとに国家が誕生する時、常にその理念の後ろ盾となって働く、わたしのような荒神系の者たちが、正義の名のもとに実行していく、国家づくりの基盤をつくっていく、アレキサンダーたちのような者たちが、常に裏で骨身を惜しまず働いているということを、忘れないでいただきたいと思う。それぞれに役割が違うということ。そのことを思っていただきたい。
2.自然霊と呼ばれている者たちの役割
先ほど、質問にあったが、わたしはあなた方でいう、裏神、荒神と呼ばれている範疇に、多少所属しているかもしれぬが、「本来神の役割に表裏なし」と思っている。
役割の違いだけであり、表と言われている者たちが、理念だけでまことしやかに言ったとしても、それを実行していく時に、そのパワーとしての源、それの根源のパワーを持っているのが、裏神や荒神と呼ばれている我々でもあると思う。
今、天地が一体になり、すべての者たちが手を取り合うことにより、地球規模の大改革を行おうとしている。
そのとき、我らが力を無視して、我らが力の協力なくして新たな時代の産声はあがらないとわたしは思う。
ときに派手にやり過ぎてしまうので、ご注意も多かろうが、わたしもあなた方を、ぜひあなた方の後ろ盾として協力したいと思うのでよろしく頼みたいと思います。
言いかけたが、わたしの手足として動いている龍神たち、龍神は基本的に水の中の世界によく住まうというが、山にいる龍神たちというのをご存知であろうか。
山、山岳というのは、本来が男神たちが住まうところ、仏教とかよく言うが、山というのは荒々しい男の霊気を秘めている。
そこを飛び、その力の自然霊としているのが、山に住まう龍神たちである。その者たちの力を、わたしは我が力として、この地上を治めている者である。
山は、時としてすぐ天気を変え、あっという間に雨を降らせ、雷を轟かせ、そして大地を潤し、次の瞬間は素晴らしい天候で人びとの上に太陽の恵みを降らす、そういう力の激しい、でもすぐ変わっていくような、変転していくような力を秘めたのが、山の者たちである。
山の神と呼ばれているところに住まう精霊たち、その者たちを治めるのもまた山に住まう龍神たちの姿でもある。
海には海の、海神という者たちがおり、山の中は山の神と呼ばれている自然霊、我々の中でいう、山の神という者たちがいる。
その者たちが、龍神たちをそれぞれに仲間とし、この地上界の自然というものを守り、治めている。
自然霊は時として気性が激しく、なかなかいうことを聞かない時もあるが、地球というものが本来生まれた時からあらゆるものの中に自然霊が宿り、大地から、海から、川から、山から、大気、空から、あらゆるものの中に精霊は宿り、自然霊は宿り、地上にいるそなたたち、神の子たち人間たちの修行を側面から守り、育ててきているのが、彼ら自然霊と呼ばれている者たちの役割なのである。
現代の者たちは、地上にいる肉体だけがすべてであり、その知に、自分たちのわずかな知におぼれ、自分たちだけがこの地上を創造しているのだと、地球で、宇宙でいちばん賢いのだと思い上がっているが、そなたたちが今、生きていられるのは、この地球という神霊、そして、その環境を守っている自然霊たちの努力あってこそ、そなたたちの修行も、地上での生活も存在し得るという、自然霊に対する感謝の心というものを忘れてはならぬのである。
そういう大自然の循環の中のひとつとして、地球という神霊の、神殿の中に住まうひとつの存在であるという謙虚さを忘れるからこそ、この地球を破壊してしまうような、愚かな思いあがりに満ちた振る舞いを世界中でし、温暖化現象などを含む、この地球を破壊する方向に行ってしまうのである。
その思いあがりはいつか、そなたたちがやった自然界に対する法則を無視した姿は、必ずや自らの反作用として、そなたたち人類に振り返ってしまうのである。
神は罰は与えない、当てない。
だけれども、そなたたちが自分でやったことの償いは、自分たちでせねばならぬであろう。その大浄化の時が、反作用がくる時代というのが今の時代であるかもしれない。
今一度、地球という宮に、我々神の子たちがみな、手を取り合って生きていくため、神の愛により生かされ、今この地上に存在し、生きている、その感謝がもう一度取り戻され、大自然の中においても、神のお心の中において目に見えぬ者たちに守られているという、愛の中に生かされているのであるという、そのような認識に、今一度人類は気づかねばならぬ。
龍神という姿を持っているから自然に感謝しろというのではなく、そなたたちが目に見えないと思う世界の中にも、そなたたちの幸せを支えるために、必死に努力している者たちがいるということ。
ひいてはそなたたちの肉体も、この地球という、地上の天体においても、そなたたちが無償で与えられている、そのことに今一度気づき、感謝をし、自分たちの魂の立脚点というものをもう一度取り戻さねばならぬ。
人間は、肉体のみで生きるのではなく、魂という、長い、長い歴史の中におき、それぞれの歴史を刻み、それぞれの成長をし、生かされ、愛され、助けられ、今のあなた方が存在しているということに気づきなさい。
太陽の恵み、雨の恵み、緑の恵み、大地の恵み、海の恵み、ありとあらゆるところから、あなた方はその人生の恩恵を受けているではないか。
貪ることばかりに夢中になり、生かされている環境に対する感謝と、報恩の心を忘れた時、大自然は人類あなた方に、その反作用となる結果をもたらすのである。
3.地球に対してなせることを、その一人ひとりの努力を始めなさい
その清算をこれからするということは、けっして脅しでもなんでもなく、そなたたちが招いてしまった、大切な、大切なこの地球という星を汚しに汚してしまった、そなたたちの罪である。
それに気づいたのなら、一日も早く、一人だけで、自分たちだけで、一国だけで幸せになろうと思うような、自分さえよければよいというような、そのような自己本位な思いを、生き方を捨てることである。
愛と感謝に目覚めたのなら、今度は自分たちで、この地球という惑星に、大自然の恵みに対して返していけることを、なせることを、その一人ひとりの努力を始めなさい。
それがひいてはあなた方の命を守り、幸福を保証することになるであろう。自分自身を捨て、多くの者たちのために、多くの者たちの幸せのために、多くの人びとを、多くの大宇宙の者たちを愛するために生きるという、その発想の転換をしなくては、そなたたちは今回の文明で行きつくところまで行ってしまっているのである。
究極的には、核兵器というものを使い、大自然の生態系をばらばらにし、この地球という惑星の息の根も止めようとしているのかもしれない。
そなたたちは、神の愛がなくて、この地球という惑星に抱かれて、育まれるという愛なくして、一体どこに行って住まおうというのか。
この美しき星は、丸く、そなたたちが汚してしまったものは、必ず一巡りして、そなたたちの国の上に、頭上に戻ってくることであろう。
自分さえよければいい、自分たちのエゴさえ通ればいいと、そのような思いでーー。自分の命をかけて、自分たちの存在が、多くの人びとを生かし、愛するために存在しているのだという、そのような使命感を持った者たちが出てくる時代がこなくては、この地球の危機は救われないであろう。
自然霊たちはそれを怒っている。
今まで必死に守り育ててきた、守ってきた地球の生態系。それを、人間たちのエゴにより、動植物まですべてを含み、巻き添えにして、今この惑星を苦しめようとしている。現に動植物たちは苦しんでいる。
やれることはいくらでもあるはずなのだ。やれないというのならば、それはそなたたちがほんとうの意味で問題意識を持ち、自らの人生の中でやれることから逃げているだけに違いない。
やれることを探しなさい。そしてこのメッセージを世界中に伝えていくことによって、多くの者たちが同じ思いで地球という惑星を愛し、自らの人生の方向性を、価値観を変えていったのならば、この地球という惑星は救われていくことであろう。
しかし、このまま各国の利害と、各国のエゴだけで、力に任せて競い合うのであったのならば、早かれ遅かれ地球は壊滅的被害を受けてしまう。
そなたたちの肉体がこの地上に存在することがもうできなくなる前に、そなたたちの肉体を使って、まだそなたたちが自分たちの主張が展開できるうちに、一人ひとりが今、これから未来の地球をつくるために何ができるのか、何を言わねばならぬのか、それをしっかり押さえ、発言していきなさい。そして行動していきなさい。
神理というものは、神法というものは、頭でいくらわかっていたとしても、おのが人生の中の行いとして反映したものでなくては何にもならぬ。生きた法とはならぬ。
わたしは地上に出た時、理屈よりまず何をせねばならぬかを思ったのならば、それに向かってしゃにむに戦い、挑戦し続け、行動し続けたという思いがある。
そなたたちも、今この時代の大転換期、新たな時代を生み出す、大きな、大きな潮流の要の中に今、生きているのであるのならば、わが身を捨てて、勇気を持って、次の時代の理念となるべき根本法を伝えていただきたい。
まだ社会を立て直す、荒療治の時代には少し早いかもしれぬが、そなたたちが見る、そなたたちが指し示す、地球の未来に向かって、これからの人類たちは歩んでいくことであろう。
それこそが、神が望み、神の子である地球人類が本来的に求めている道であると一人ひとりが納得したのならば、いかなる奇蹟も起きるであろう。
しかし、それには、自らの肉体を、自らの保身を、気を取られ、その欲の中で人生を考えていくようでは、なかなかこの道は険しいかもしれない。
地上に肉のある身、それがたいへんな道のりであるということは、重々わたしも知っているが、その苦しみもよくわかっているが、どうかこの新たな道標を打ち出し、多くの人びとが気づけるところにこの神理の道を引くまで、道を通すまで、頑張り抜いていただきたいと思う。
4.神の法を実行するために命がけになってみよ
地球人類が、自らが何者であるのか、そして、どのような方向に向かって夢を共有することが、新たな時代をつくっていくエネルギーになっていくか、新たな潮流をつくっていくことができるか、そこにかかっているようにわたしは思う。
いつでも新たな時流、そのときの時代の流れをつくるには、最初流す者たちの根気強い努力がいることはわかっている。
時には力任せで押さなくては道がつくれないときもある。でもそれを、荒ぶることを、人に後ろ指さされることを恐れるな。
自らの名誉は、自らの保身は、自らの批判は、受けて立ちなさい。そんなわずかなことに心を揺らし、そんな小さな心で新たな時代の幕開けは切って落とせないのである。
常に新たな時代の草創期というのは、そうやって切って落とされている。
女性が、姉上のように立つ、この時代であるならば、レムリアに集う男性たちよ、そなたたちは本来の男性霊としての、男としての力を発揮せよ。
女性がその天の法を預かる時、それを地上に降ろし、実行するは男性の役割であるとわたしは思う。
その時に男が雄々しく、本来の男性として、男らしくなくてどうするか。男とは、やるべき自らの使命に対して命がけで、命を捨ててでも、その生き様の中でその神法を預かる方の意思を実行するために、全精力を使って生き抜く者たちのことを言う。
男が男であるがゆえに、そのエネルギーの源は開かれていくであろう。
女性が男性のように生きることは、本来の女性のパワーを出すことにはならぬ。
男性がそなたたちの中にある本来の、男性としての力を引き出したいのであるのならば、女性を守り、神の法を実行するために命がけになってみよ。
その責任感、その使命感、そこをほんとうに腑に落とした時、そなたたちの魂が男性霊としてつくられた本来の力というものが沸き上がり、生命エネルギーとして立ち上ってくるであろう。
その力を全開させ、魂の中から男性としてのパワーを開いた者たちの上に、龍神たちは援護に行くのである。そのような者たちでなければ、龍神は扱いきれない。
そのような龍神たちというのは、その者が実行しようとした時、その後ろ盾となって、追い風となって、その者の行き先を守り、協力し、エネルギーを倍増させる力を持っている。
でも、彼らに協力を願い、もし彼らを使いこなそうと思うのならば、彼らが主人であると認めるような男となっていかねばならない。
そうなった時、援護を受けた男の中の男たちは、社会を変えていく英雄となり、偉人となって、時代を、一時代をつくっていくことであろう。
大きな時代の転換期の中で、常に時代というものは、英雄と呼ばれてきた男たちの手により展開されてきたように思う。
そういう時代の節目、世界中の時代の節目の中に活躍をした者たちは、必ずや彼ら自体の力以上のバックアップというものを得て、その力を呼び込んで、一時代を築き上げて、たたきあげていくのである。
そなたたちの中には、このようなことをする役割がある者が、まだ少ないかもしれないけれども、仏教関係の者たち、キリスト教関係の者たち、法を預かる、法を編纂する方たちが多いかもしれない。
でも、わたしは言っておく。これからレムリアに来る者たち、そして次の時代に集って来る者たちに言っておく。
そなたたちが、今この者たちが降ろして編纂しているレムリアの霊言の中にある神法、神の法というものを地上に打ち立てていく時、神の国をつくっていく時、今わたしが言った力を引き出していける男たちがそのうち集まって来るであろう。
そなたたちの時代を、力を吸い上げ、そなたたちが力を合わせることによって、次の激動の男性たちの時代がまた繰り広げられていくのである。
ひとりで生きていると思うな。ひとりだけで、自分だけですべてがなせると思うな。
依存心はもってのほかであるが、多くの者たちの協力により、神の導きにより、大自然の協力あってこそ、そなたの力も、魂の力も引き出され、作裂するのであるという、多くの者たちに守られているからこそ、そなたたちが力を発揮できるのであるという、その言葉、その心境だけはくれぐれも忘れないことである。
その思いがあれば、多少、力任せなことをしようと、押しの強いことをしようと、法力を使おうと、それはけっして間違ったものにはならぬ。
多くの人びとを幸せにし、神の愛に報いるために、我が身を捨て、我が人生を捨て、できることを探していく。
次の時代に来る政治家たちよ。
経済を動かしていく者たちよ。
学問、教育の分野を立て直していく者たちよ。
明治維新と呼ばれている時代に、憲法も含め、社会の根底から理念が変わっていった。
新たな宇宙時代と呼ばれている、神の国の幕開けをするには、憲法というものの代わりに、神法と呼ばれている、神の国の理念というものが中心になり、国家が再編成されていくことであろう。
そのときは、やはり自らの国、一国にこだわり、自らの宗教にこだわり、自らの概念、思想にとらわれ、あちこちでぶつかり合いもあるかもしれぬ。
でも、心を揺らすことなく、大いなる神の国実現、神の御心の中に存在する、本来の神の国、ユートピア実現のために、そなたたちは向かうべき、しっかりとした夢と、ヴィジョンというものを共有しなくてはならない。
全部同じである必要はないが、やはり皆が共通の、「ああこれこそが、この方向こそが、間違いなく多くの人びとを幸せにする、本来の地球のあり方であり、神の子としてのあり方であるのだ」と、それがいちばん神もお喜びになり、わたしたちもいちばん幸せで、喜べる姿なのであると、そのことを深く認識していかなくては、この地球の未来に神の子、我々の、幸せな姿はないのであると、そのように思っていただきたいと思う。
5.大いなる理想と熱き情熱と気高い夢を持ち、魂の力を炸裂させよ
時代の中において、いつか、「そんな激動の時代もあった」と、わたしが出ていた時代も神話の、かつての時代であったと、その荒ぶれたところだけが言い残され、語り継がれ、その姿は、見失っているかもしれぬが、ほんとうの意味で神の法が降りた時、捨て身で生きる男たちの生き様があったということ。
それがひとつの時代の頂点を、ひとつの時代の新たなエネルギーとして、社会を根底から変えていったのであるということ。
それこそがほんとうの意昧での、男性霊としてつくられた神の御意思がかなう道であると、わたしはそう思っている。
男性であっても、確かにさまざまな役割があるのはわかっている。
しかし、わたしが担当しているところは、国家の根底を、新たな時代の前ぶれをつくるところにいるから、このような表現になる。
新たな社会を、新たな神の国としての価値観の国家をつくっていくのであるのならば、それは暴力ではなく、戦争ではなく、核兵器とかではなく、ほんとうの意味での、今までの既成概念、こうあるべしという、そなたたちの中では常識と呼ばれていること、それの破壊から始まるのが必要なのかもしれぬ。
言い方がきつく思うかもしれぬが、ほんとうにそなたたちが抱えている、正しさの価値観というものを、世間でいう常識というものを、こうあらねばならぬというものは、「ほんとうに必要であるか?」という、もう一度点検をしてごらんなさい。
もっと幸せに生きるということ。幸せに生きるとは、自分だけがいいということではなく、多くの者たちと幸せに、ともに共存して生きる道であるという、その認識に至ったのならば、至れるのであるのならば、そなたたちがやるべき道はおのずと決まってくる。その中において自らの個性と能力により、やれることはいくらでも探していけるものである。
地球に住まう者たちが、その認識のもとでやれることを日常生活の中で始めていったのならば、地球はどれだけ多くのパワーを発揮することであろう。
まず大切なのは思い、思いの中における理想と夢。
そう言うと、あまりにも架空なもののように思うかもしれないが、高い、高い理想と、熱き情熱と、気高い夢、それを皆で見ることである。
その方向に向かって、どんなにさげすまれようと、どんなに嘲笑を受けようと、批判を受けようと、その一度つかんだ夢と理想を手放さず、それを黙々とそなたたちの人生の中で行動することが、それこそがいちばん大切なことであるとわたしは思う。
今の時代の者たちは、あり余るほどの物質と、あり余るほどの便利さの中で、豊かさに恵まれながら、何を肺抜けたことをしているのかと、怒りすら感じる。
そなたたちの人生はそんなものであってよいのか。
そのように怠惰に、貪るためだけに生まれてきたのか。
この時代の中において、いつの時代においてもそうであるが、特にこの時代の日本において、エネルギーと時間を持て余し、人生の意味も問うことなく、無為に過ごしている者たちよ。そなたたちの中に、ニートとか、オタクとか呼ばれている者たちが、たくさんいるのも知っている。
働く気力も持たぬ者たちが、年老いた父親に依存し、働かず、周りに迷惑をかけ、ぜいたくのし放題をしながら、自分の小さな、小さな世界の中で時を貪り、暇つぶしをしているのかもしれぬ。
そんなことであっていいのかと、そなたたちは自分に問いかける力すらもうすでになくした、無気力な状態であろう。
でもそなたたちは気づかねばならない。
そなたたちの中に、まだまだ隠された、並外れた力が眠っているということ。もう一度自らの人生を、多くの人びとと共有し、多くの人びとの幸せのために勝負して生きてみようと思う者たちが、出てくれることをわたしは望んでいる。
その者たちが力を合わせていった時、この日本は変わっていく。
働くべき者たちが働かなくては、国家は衰退していく。
男たちが「男である」というその誇りを忘れ、その気概をなくし、女たちが「女性である」という、その母性と優しさを捨てていき、子どもを産むことを拒否し、男性と女性がともに歩み、手と手を取り合うという
その男女和合の姿がなくなっていった時、必ずや国家は衰退し、国は滅ぶ。
地球の未来を考えるのであるのならば、まずそなたたちの日頃の人生から、生き様から、よくよく考えていきなさい。
あなた方には多くの仲間がおり、このレムリアだけではなく、この日本が、世界が、あなた方の家族である。
その家族を愛するため、愛する仲間たちを守っていくために、この地球を、地球規模で再建していくという
大いなる試みが今実行されようとしている。
「地球維新」という言葉を聞いたが、わたしから見たのならば、新たな地球の歴史の草創期、新たな宇宙時代に向けての幕開けの時を、そなたたちは建国しなくてはならない。
その時は、我が身のことは振り捨てて、この道をひたすらに、信じた道を生き続けてほしい。
そうでなくては、地球には未来は訪れないことであろう。少なくとも今回の計画は失敗に終わってしまう。
地球自体を神の国にしていくということは、けっして神の心を優先し、あなた方をないがしろにし、神のご機嫌とりばかりをする道ではないのである。
無私な思いで、互いに助け合い、愛に満ちた慈しみ合いの中で、我がことのように周りにいる者たちを心配し合う、そのような社会は、神の御心であり、そしてそれこそが地上に住まうあなた方を幸せにしていく道であるのだと。空理空論であると思うことなかれ。
そのような道の先にこそ、人類の未来も地球の未来もあるのである。
そのために、どうか命がけになって、この時代をつくり、乗り越えてほしい。
この者も日本神道のエネルギーを多少受けた者であったが、いつまでも肉体は、そなたたちの肉体は永遠にあるのではないということ。
まだ若いと思っているであろうが、我々の世界から見たら、彼にしても、あなたたちにしても、早かれ遅かれ帰ってくるのであると、ほんとうに肉体を持ち、地上で仕事をできる時代というのは一瞬の時であると、こちらに帰って来た永遠の時から見たらば、どれだけ短い時間を今、地上であなた方が生きているか。かけがえのない、大切な、大切な宝物のように、貴重な時をあなた方は生きている。
どうかその時を無駄にせず、それを単なる自己満足に使うのではなく、自分が生まれてきたということが、多くの人びとを幸せにしていく道につながるような生き方を各自が発見し、そのために生き抜いていただきたいと思う。
大和の地に降りた神の子たちよ。
大いなる理想を持ち、大いなる気高い夢を持ち、そなたたちの魂の力を作裂し、本来持てる力を最大限に開き、我々天上の者たちの協力を、エネルギーを、そなたたちの力として呼び込み、この地上を、新たな時代をつくっていくために、その生涯をかけて、ひと働きをし、戦っていただきたいと思う。
けっしてそれは間違った道でもなく、そしてそなたたちがその過程におき、あらゆる批判を受けたとしても、嘲笑を受けたとしても、時間が経てば、必ずやその道が間違ったものではなかったと、取るに足らぬ道ではなく、気高い道であったということが、こちらの世界に戻って来てからわかるかもしれぬ。
だがそれは、そなたたちの永遠の魂の中における素晴らしい勲章となって、、満足感となって、幸福感となって、そなたたちの魂と人生を祝福するであろう。
そのような生き様をしていただきたい。
男性であれ、女性であれ、本来の役割というものがあり、その魂に神が創造の時につくられた、埋め込まれた計り知れない可能性と、力というものがある。
それをどうか引き出して、この今の時、打って出るべきときに打って出る。引いてはならぬ時には引かぬだけの、そのような気迫を持ち、頑張っていただきたいと思う。
6.一人ひとりが命をきらめかせ、輝かせ、勝負していけ
わたくしは裏神と呼ばれてきたけれども、裏神と呼ばれている者たちには裏神と呼ばれている者たちの信じている理念というものがある。
そなたたちは、表の正道の、神法としての理念と、魂から咋裂して出てくる生命エネルギー、これが裏でいうパワーというもの、気というものであるが、それを両方使いこなしていけるような、そのような者たちであれ。
そのどちらが欠けても、いい仕事はできないのであるとわたしは思う。
ためらうことなく、怖気づくことなく、自らの評価を気にすることなく、命をかけてその時代をその使命の中に駆け抜けていった者たちが、時代の中できら星のごとく輝く。そのような道を人類は歩んで来ている。つまらぬ、ケチくさい生き方をするな。
大きな意昧でそなたたちが何をしなくてはいけないのか。そして、その理念の中だけでなく、何度も言うが、そなたたちの魂の力に気づいていってほしい。
自然界から、いくらでも気というエネルギーを使って、そなたたちの魂が望むのであるのならば、自然界のエネルギーをそなたたちの力として、パワーとして役立て、この地上を建国していくエネルギー源にすることができるということ、わたしは繰り返し強調しておきたい。
いつの時代でも、政治家や、様々な偉人として呼ばれている者たちは、その力を自らの力として引き寄せることを、そして気高い理想と愛の信念のもとに、無私なる思いで、その力と自らの生涯を使いきった者たちが、英雄と呼ばれている、偉人と呼ばれている、時間の流れの中で残っていった者たちなのである。
ならば、そなたたちも一人ひとりが英雄となっていきなさい。誰が評価せずとも、神の国の英雄となって生きていきなさい。
それをけっしておごり高ぶるものであるとか、恥ずかしいことであると思わなくてもよい。自らの気持ちの中で、誇り高い男として、誇り高い女性として、気高く生き抜いていくという、その誇りを、気概を忘れないで生きていっていただきたい。
そういう者たちが、この地上から、日本から、世界から、わきあがるように出てきた時、大宇宙のエネルギーをその者たちは引くことをもって、この地上を浄化し、新たなる時代の理念の中に、愛の波動の中に導き出すことができるのである。
他の誰がやってくれるのでもない。
地球を清め、地球を浄化し、地球を愛の星にしていくのは我々地球人であり、地上に生きる神の子たちの使命であるということを、わたしは伝えたいと思います。
今日はお呼びくださり、ありがとうございました。
たいしたことは言えなかったかもしれぬが、我々は常にあなた方の警備をし、魔界の者たちがそなたたちの行く手を阻もうとする時、いち早くそれと対応し、護る役をしている。もし我が地上に肉体を持っていれば、もっと違う生き方があったであろうが、今地上に肉体がないがゆえに、天上界におき、そなたたちの身辺警護と、このようなメッセージを送ることをもって理想を伝えていく、理念を伝えていくという役割に徹しております。
そなたたちもこちらの世界に戻って来てから、「ああ、地上にいた時ああいうことをしておけばよかった、こんなこともできたのにしてこなかった」という、後悔だけはくれぐれも残さぬよう、そなたたち一人ひとりの心に一瞬一瞬という、宝のような時という流れの中で、命をきらめかせ、輝かせ、一瞬一瞬を男として、女として勝負していくような、そのような命の燃えたつような生き様をして、こちらの世界に帰っていただきたいと思う。
わたしは、わたくしたちは、それを心より期待し、あなた方の指導霊団の一員として、やれることを精一杯やっていく所存でございます。
本日はまことにありがとうございます。
失礼いたします。
一同: ありがとうございます。