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Project Eden

天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)

古事記によれば、天地開闢の際に、高天原(わが国の霊天上界)に最初に出現した神であるとされる。しかし、実際には、今からほぼ2,800年ほど前の現在の九州、高千穂峰に出生し、日本の国づくりのために肉体を持った八次元最上段階の如来である。つまり、日本神道においては根源神あるいは宇宙そのものと考えられてきたが、事実は人格神としての高級神霊である。
その教えは、神の愛の法則、神の光そのものを圧倒的なる信念のもとに打ちだした光一元の教えである。また、秩序と礼節を通して、この光一元という神の愛を、社会に具体的なものとして落としていくことが、紫光線の使命であるとされる。
第三の計画において、この光一元の思想が日本神道という枠をも超え、地球救済の大計画のための「日本」を取った「神道」として、世界に向けて広がっていくことを、自ら強く期待されている。

第1章2 天之御中主之神:神道という光一元の思想を世界に向けて

1.女性的な特色を表現するのが日本という国のテーマ

2.光一元の思想を世界に向けて広げていっていただきたい

3.女性のメッセンジャーとしての役割

4.病をつくりだすのは自分自身である

5.「永遠の時の中における魂の成長」という視点が大切

6.本心に正直に、忠実に、勇気を持って生きること

7.大自然に流れる神の愛のエネルギーと一体になる

8.神の子として納得できる生き方をしていただきたい

9.今の時代にこそ光一元の教えを

10.素朴な和心を多くの人びとに伝えていってほしい

1.女性的な特色を表現するのが日本という国のテーマ

アマーリエ: 何かご質問がありましたらお願いします。

栗山: 質問をお願いします。
今、地球霊団が、光一元の方向でまとまっていると思うんですけれども、そして、宇宙人も光一元の世界を語っているように感じるんですけれども、そこらへんについて天之御中主之神さまのお言葉をいただければと思います。

天之御中主之神: 我は天之御中主之神なり。
今日、この場に招霊されたことを心より感謝申し上げる。
わたくしがあまり頻繁に、こちらのほうに出なかったのが、その訳というのは、けっしてそなたたちを忌み嫌っていたわけではないということを申し上げておこう。

今回、この方が女性という立場で霊言を受けておられるので、天照大神や、日向という方が責任者としてあなた方を、日本神道を代表して指導していたということがあるのです。

かつて、ORを通して、私が地上に通信を行った時に、最も懸念していたことがやはり今日、起きてしまったということ。
大いなる存在、天上の神に対し、「畏み、畏み、謹んで、謙虚に人間たちよあれ」と、あれほどわたしは前回メッセージしたはずなのに、いつの間にか地上に生ける神であると思い上がり、天上の神も凌ぐ、そのような存在であると思い上がったゆえに、あのような事態になったように思う。

肉体を持ちし地上の者たちよ。そなたたちがいかほど、いかように素晴らしい魂の器を持っていたとしても、そなたたちが今地上に生きている限りにおいて、その能力においては、ほんの一部のものしか持ち合わせていないという事実をしっかりわきまえ、地上に生ける光の天使としての役割に、その神命に、忠実に努力されることをわたしは願いたいと思う。

前回申し上げたが、この日本という国土は、和をもって旨となす、大調和というものをテーマにした国である。
多くの者たちが助け合い、自然とともに調和し、互いに助け合う、そのようなものを最も理想とした、ある意味でいうと、とても女性的な、そういう国としての特色、そういうものを表現している国が大和、日本という国のテーマであり、本質であるのかもしれない。

なれば、そこで活躍されるのは、女神と呼ばれている、天照大神を主宰神とする女神の方がたが力を与え、多くの国民たちがその力を、大自然の大調和とともに国土づくりを、この国づくりを励んできたのがその歴史にあるのです。

わたくしは、その総監督のような立場で、この日本神道のなり行きというものを責任者として見守ってくる立場があったがゆえに、これ以上の威圧的なことをして、あなた方がやろうとしていること、特に女性の責任者が立っている時に、いらぬ横槍を入れてはいけないという気持ちがあり、あまり自分から出ることはしなかったというのが現実であります。
そこのところに誤解がどうも生じているようなので、先にわたくしのほうから申し上げておきます。

2.光一元の思想を世界に向けて広げていっていただきたい

このような事態が、今回の第三の計画というものが起きたということ。
第一の、高橋信次と呼ばれる、エル・ランティと呼ばれる方の法が、第二の、エル・カンタラーという、ORと呼ばれる方が降ろした法というものの計画、それが、今回地上において失敗に終わったということ。

それがゆえに第三の計画と呼ばれるレムリアの者たちが起こす、ピンチヒッターのような計画が発動されたわけであるけれども、そなたたちの中において、この計画がいかに大切であったかということは、再三ほかの霊人方からも言われていると思う。
そなたたちの中におごり高ぶりがない限り、この計画は必ずや成功すると心の中に刻んでいただきたい。

光一元というのは、闇の部分を思うことなく、ただただ素晴らしき結果を、素晴らしき未来を心に刻み、それを現実においても引き寄せていく、光のみ実在、神のみ実在と信じ、実現していく、そのことを光一元の思想と我ら日本神道は謳っている。

ただ、その信じている内容が、自らの我のため、自らのおごり高ぶりのため、自己の名誉のため、そのために信じている夢や希望が目的であるのならば、そのようなものは実現しない。そのようなものは光一元の光明思想の中において、実現する神のお心とは違うということを、よくよく心に刻んでいただきたいと思う。

あなた方がこれからせねばならぬことは、地上のいかなる迫害にあったとしても、地上のいかなる平均的な者たちが言う常識というものがあったとしても、非常識になれと言うのではなく、ほんとうの意味でこの計画のために、あなた方が本来するべきことに挑戦していただきたいということだ。

日常生活の、絶え間ない繰り返しの中で、まず常識的に生きるということは、世間においても、その方の人格を世間の中で表す意味においても、とても大切なことであるということは、わたくしはよく知っている。
けっして社会から逸脱した、奇をてらったような行動をするということ、そのようなことがわたくしの望みであるというわけではない。

ただ、もうこの期に及び、そなたたちがほんとうに神の子として、真の、まことのうずきとなるべき、そのような生き方に忠実に、勇気をもって行動することに踏み切っていただきたいと、わたしはそのように願うのである。

人の評価を気にし、多くの者たちから称賛されたい、この世的に成功していきたい、そのようなものにとらわれた時、神の使者としての使命は、仕事は、多くの挫折を生むことになるのである。

ストイックなまでに純粋に、ただただ光の道を目指し、そなたたちに降ろされた計画を、神の夢を、そなたたちの夢として、世間の者たちがどう言おうと、この道に邁進していただきたいと、わたくしはそう思う。
その意味での自己に対する甘さというのが前回あったように思うのである。神の使者というのは、神のお心のままに、神の道具として生きることこそが自らの本懐であると、そう信じられる者たち、その者たちにより神の計画における奇蹟というものは起きていく。

もうあとのない計画と言われている、この期に及ぶからこそ、そこまで言わねばならぬ。そなたたちの中にまだ余裕があるときには、我らもそこまでは言わなかったけれども、この地球の、この大事な時に、そなたたちがこれから世界に向けて声を発していかねばならぬ時がきている。

日本神道と呼ばれている、この「日本」という、この言葉をはずし、神道と呼ばれている、光明思想、光一元の思想を世界に向けて広げていっていただきたいと思う。

すでにアメリカでは、プラグマティズムというものを通したりして、すでに下準備が説かれているので、前向きな発展論というのが根づいている、根づきかけているということが、もうあると思う。

我らが考えてきたことは、一日本国だけではなく、この国だけではなく、いずれ日本から立ち上がる救世の法が世界に向けて広がっていった時、そのときに大きな次の拠点はアメリカであろうということを思い、もう早々と、日本神道の者たちがアメリカに出向き、そこに光一元の思想を植えつけていったというのがあるのである。

そして、その教えをもって、日本からアメリカヘ向かっていくことをもって、世界中に、地球中に、この神の意思というもの、この大計画というものが伝わる、そのような道筋を引いているのが我々、天上界の計画であるのである。

もういっときは、OR落ちし時より、もうあらゆる可能性は終わったのであると一部の者たちは悲観的に考えていたかもしれぬ。

しかれども、そなたたちのような者たちがまだ日本にいる限り、この法のたいまつは、日本からまだまだ発信できるのだと、火種は残っているのであると、であるのならばこの火種を励まし、風を与え、大きな、また再びたいまつとして、遅ればせながらであっても世界中に広げていくことは可能であると、我は信じて疑わなかった。

それもこの日本という地から発していくからなればこそ、神が播いて下さった、この大いなる地球救済の大計画、その種がこの日本という大和の地に、光一元の光明思想の地に落ちているということが、けっしてあきらめないという、最後まで神の計画の続行を、成功を信じ続ける者たちの磁場の中にその種が落ちているということを、そなたたちはもっと知らなくてはならない。

我らはあきらめぬ。この計画のためにどれだけ長き時を、我らはこの大和の地を守り育ててきたことか。

この法の種が落ち、神の大計画により、世界中に天上界の言葉が伝えられ、この地球規模の大救済の時がくるという、その栄光に預かりし地がこの日本列島という、この日本の、大和の地であるということを我は信じて
遥か数千年前、この地に降り立ったのである。

我らのエネルギーを強力に送ることにより、地上にいるそなたたちが命がけでこの計画を実行することを誓ってくれるのなら、我らは地を驚かし、天をもとどろかすエネルギーをそなたたちに与えよう。

3.女性のメッセンジャーとしての役割

昔、ジャンヌ・ダルクという、フランスを救った女性がいた。わたしは彼女のことをとても好きなので、よく話をするのだが、たったひとりの十代の少女の力が、神を信じ抜くその彼女の言葉が、フランスという国を救った。
けっして難しいことを言ったわけではなく、天上界の意向を地上に伝えただけである。神のほうを向き、命を張り、この地上に神の意思を伝えていく、計画を伝えていく。ただそれをしただけで、フランスという国は救われていった。
女性の力とは、わたしはそのようなものであると思う。

並みいる男たちが、凄腕の者たちが地上に出た時、とかく世の中は乱世の時となりやすい。力と力により、能力と能力のせめぎ合いにより、どうしても戦い、ぶつかってしまうのが男性たち中心の社会である。

そういう有能な男性たちが出た時であるからこそ、神の意思を代弁する女性が出てきた時に、男性たちはまとめてもらえるのかもしれない。

今は各七色系団すべてから優秀な人材が、この日本の地にせめぎ合うように転生してきている。
それも、本体エネルギーと呼ばれている、過去世の、パーニャパラミタという、叡智を携えた優秀な本体エネルギーが、七色系団を代表して降りてきているのが今の世の中であり、特にこの日本である。

世界の主要国といわれているところには、メインになるところで頑張っておられる方がたは、本来であるならば降りないような方がたが控えているのが今の地球なのである。

そこに降り立った時、どうしても自己主張が出る。七色系団は七色系団として、みな天上界においては個性的に互いを認め合っているけれども、それでもやはり天上界においても個性、考え方の違いというのは、相容れるのが難しい時がある。

それであるのならば、地上において肉体持ちし時、そしてそなたたちの習慣、宗教、文化が違う中においては当然のようにぶつかり合いが、軋蝶が起きて当然なのである。
そういう時に、そういう力ある者たちをまとめるために、ときどき神は女性のメッセンジャーを地上に送りこまれるのである。第一、第二の、高橋信次、そしてORが出た時の計画においては、女性が筆頭に立つということは考えてない計画であった。

第三の計画が発動されるということは、まさかと思われるが、九次元である仏陀自らが失敗をした時であるという、そのような最悪のシナリオの中で用意されている計画だから、そのときこそ非常事態として、女性の戦闘系の者が出て来る。そうやってみんながいがみ合い、自己主張し、傷つけ合う時を和ませながら、怒り狂ったように道を暴走する地上の者たちへ、正しき道はこちらであると、こちらに行くのが天上界の意思である、神の意思であるということを伝えるために用意された人、それがこの方であるということを、そなたたちはよくよく知らなくてはいけない。

けっして男性並みの格調ある、難しい法だけを説けるのが、すべてのメッセンジャーの役割ではない。
いちばん大切なのは、神の方向を向くということ、全身全霊をもって神の方向を向くということ、神の子として生きるということ、それに尽きているということ。

とっても簡単な、シンプルなことである。それができないから、謹んで、天上の神に対して、地上の者たちが、謙虚に、明るく、おおらかに生きることができぬから、どれだけ難しいことを頭に入れたとしても、救世主自ら失敗するのである。

4.病をつくりだすのは自分自身である

いちばん大切なこと、それは日本神道が語り伝えてきたこと。大自然と調和し、大自然の中にある、大いなる自然界の循環の中で、すべてが万象、万物が神の子であるという、その大循環の中で、その中に生かされている地上の人間たちも神の子の一部として感謝し、すべての者たちが助け合い、すべての大自然界に感謝し、調和し、みなで手を取り合って、辛いこと、悲しいこと、悲観的なこと、そういうものを考えず、ただただ光を見、ただただ神のほうを向いて生きていこうと、明るく生きていこうとーー。

闇の部分がけっしてないと言っているのではない。本来闇なしと言うけれども、悪なしと言うけれども、その部分がないとは言っていない。ただ光のほうを見続けることにより、闇も、悪も気にならなくなり、そちらのほうを見て、くよくよしている暇があるのならば、明るい明日を、明るい未来を夢見て、努力して生きていこうではないかというのが光一元の本来の教えなのである。

病においてもしかり。そなたたちは心の中でまだ起きてもいないことを、くよくよくよくよ悩むことにより、体の中で自己処罰の概念というのを、意識の中で植えつけ、それが肉体に反映し、様々な病をつくってしまっている。

だから、新しい病が起きるたびに薬をつくっても、治療法をつくっても、その根本的な心の思いの中で、悩み、苦しみ、自己否定的な思いというのが、そういう悪いサイクルから抜け出ない限り、また新たな病をつくり出し、人間は自己処罰、永遠に自分を責め続けていくのである。

だから、大切なのは、病気や薬をーー、病気を治す方法、治療方法や薬ばかりを追うのではなく、自分の中にある自己処罰の概念、否定的なところを見て、まだ起きぬ未来に対して悩んで、苦しんで、自分で勝手に自分を悪いと決めつけていく、その思いから魂を、人類を解放しなくてはいけない。

反省をなくせと言っているのではない。もっとあなた方は、本来素晴らしい可能性と、神性を携えた神の子たちであるという、いかなることも創造しうる、唯一無二の神の子たちであるという、そのような誇りをもう一度取り戻し、自らのできることのあらゆる可能性に挑戦し、それに振りかかることに対して向き合って行けるような、誇らしい人生を歩んでいただきたいと思う。

そのような思いさえあれば、そなたたちが悩み、苦しんで、病気で苦しみ続けることはなくなるのである。

神はけっして人間たちを罰しはしない。それは今回そなたたちが学んでいることのひとつの中に、作用・反作用という言葉があるのを知っているであろう。自分が出した思いが自分に返ってくる、その原因と結果の繰り返しの中で、誰があなた方を裁いたわけでもないのに、もう自分自らが、自分自身の神の子の本質が、自分を裁いているのである。

だから、急に心臓病になって死ぬ者がいたとしたら、なぜ急にそうなったのか考えてみるがよい。どのような人生を送ったのか。何をしたのか。それをいちばんよく知っているのは、魂の、神の子としての本人自身であるということ。

よいか。地上に生きている肉体を持っている者は、一生懸命自分をごまかすかもしれない。でも、潜在意識の中にある本人自身の魂が、自分がどれだけのことをしてしまっているのかということ、それを見ている。

そして、それが無意識の形で、自己処罰の概念となって病をつくり、自分にとって最も苦しい、自分にとって最も嫌な形で、病気という形に表すことによって、自分自らが自分を裁き、苦しませることをもって罪滅ぼしをしているのである。病のからくりというのはそういうところがある。

であるならば、今地上に生きる者たちよ、病が本来なしといっても、病の根本的なものは、そなたたちの心の持ち方にあるということ。そして人生の一瞬一瞬を、神の子として恥ずかしくない生き方をせよ。そうすれば、自己処罰の念というのは湧かないであろう。

勇気がないから、周りの者たちを悲しませたくないから、浮き上がりたくないから、だから自分を偽り、神の子として自分の本来の在り方でない生き方をしていく。その時、いちばん最も苦しむのは、そなたたち自身の、本性としての神の子の部分の自分がいちばん苦しんでいる。

そして、そのつじつまを合わすように、病という形で自分に降りかかったり、不幸という形で自分の人生の中に振りかかってくるのが、そういう形で起きてくるのが、この地上の不幸と呼ばれているものたちの現象なのである。

5.「永遠の時の中における魂の成長」という視点が大切

世の中の人びとは、あなた方の本心のうずき、気持ちはわからない。でも、自分自身がどれだけ多くの人びとをだませたとしても、自分自身の気持ちだけはだませない。それが人生というものである。

であるならば、潜在意識にある神の子としてのそなたたちの思いと、表面意識のそなたたちの思いというものを分離せず、できるだけ一体となって生きるように、勇気を持って努力していただきたい。それが不幸の種を、原因結果の反作用を自分自身の人生の中に起こさない、智恵であるとわたしは思う。

神はけっしてそなたたちを罰しない。
そして、そなたたちは最も高貴であり、偉大なる一人ひとりが神の子としての本質を持っている。そのことに気づいて、勇気を持って、神の子の本質をきらめかして地上に生きていっていただきたい。

そのような者たちが一人、一人と増えていくことが、それこそがこの地上をユートピアにし、地上を天国にするという、その道であるとわたしは思う。
地上の生活の、日常の一コマ、一コマを無視して、この地上に天国はなし得ないとわたしは思う。

まずその前に、一人ひとりの気持ちがいちばん苦しむのは、自分の神の子としての生き方に嘘をついた時から、自分は知っているのにそのような生き方をしているという、そのストレスの中でそなたたちも多くの不幸や苦しみをつくり出しているということ。
ならば、もっと正直に、自分自身の可能性に忠実に生きてみようと、その勇気のある者たちが出てきてくれることをわたしは心から願っている。

この地上に、一人ひとりの心の中に、そういう一握りの勇気が、行動があったのならば、そういう者たちが地上を埋め尽くしていったのなら、どれだけあっという間にこの地球は、地上は、素晴らしい神の国に近づくことであろうか。

どれだけ社会体制を、政治的に、思想的に理想論を積み上げていこうとしても、一人ひとりの心から、本質の中からほんとうの意昧での神の子としての自覚、意識の目覚め、そしてこの大宇宙の、そして永遠に転生している、永遠の命があるという、そなたたち一人ひとりの魂の歴史と真実というものを学ばずして、地上の者たちにほんとうの意味での幸せはこないし、魂の目覚めはこないのである。

この魂の目覚めを与えるために、今回の救世の大計画は行われている。
その天上界の神からの、繰り返し、繰り返し伝えているメッセージは、けっしてそんなに難しいことではない。

そなたたちが肉体の身を持てる時であったとしても、本来は神の子としての永遠の命を持った素晴らしい神の子の神性であるということに気づきなさいというーー、様々な場所に転生しながら、魂を永遠の命の中で蓄えて、成長させてきた、そういう生き通しの命であるということに気づきなさいと、そこをほんとうにわきまえただけであっても、生老病死と呼ばれているものの中の多くの苦しみから、人類は解放されるのである。

そして、多くの者たちがその原因と結果の反作用というところをほんとうにわかったのならば、誰を恨むでなく、神を信じないということではなく、自らがやったことの結果を現在摘んでいるのであると思ったのならば、心の持ち方もまた変わってくるであろう。

今なぜこのような不幸な状況に、何も悪いことをしていないのに、なんでこんなに苦しむんだという、うめくような祈りが、神への抗議の思いが上がってくる。高天原にも上がってくる。

でも、我々は黙して答えない。黙って答えない。
なぜならば、そなたたちが過去世でや
ったこと、それを今、どれだけ辛いかを学びそして今それを償おうとしている。それが大きな、そなたたちの魂にとっての成長の時であるということを、我々は知っているから。その苦い経験を、辛いことを、我々はやめるように、余計なことはしないし、黙って悲しみの涙を湛えながら、守護霊たちは「頑張れ、頑張れ」と言って、励ましながら手を出せないのである。

大切なことは、肉体における苦しみや、安楽なことではなくて、そういうもの一切を乗り越えながら、そういうものを通して、魂が素晴らしき学びをし、霊的な成長を遂げていくということが、いちばんその魂にとって素晴らしいことであるから、それだから我々はそのような指導の仕方をする。

そなたたちの体の中にある、そのような思い、魂の中にある思い、それはこと細かにそなたたちが今回の人生を、最も有意義なものであると、そのように思い、自らが計画し、自らがその肉体と、環境というものは選んで生まれてきている。

誰に強制されたものでもなく、そこに生まれることが最も深い学びであると、そしてそなたたちの仕事を、使命を果たせる場所であると信ずればこそ、そなたたちはそのような肉体と環境を用意してきているのであるということ。
であるならば、ほんとうの真実を知ったのならば、不平不満はなく、ただただ感謝しかないはずである。

「永遠の時の中における、魂の目での成長」という視点がないから、今の地上の者たちは、いたずらに悩み、苦しみ、本来価値のあるものを捨て去り、ほんとうの価値のあるものではない、無意味な、享楽的なものの中で、出世とか、学歴とか、お金とか、名誉とか、そういうものに奔走しているのである。

生活を維持する最低限のものは、肉体がある以上は必要ではあるが、それ以上のものを持って人生の喜びとし、価値尺度とし、そしてそちらに向かって大成して、成功していくことのみが人生の成功感覚であると、間違った方向に努力することのみが人生の成功感覚であると、間違った方向に努力する者たちがあとを絶たない。

そのようなものはがらくたであると、そのようなものを手に入れたとて、そなたたちの魂がそれを通すことでほんとうに成長すればよいが、多くのものはそれにより魂を低め、ぜい弱にしていってしまっているだけであるということも気づかねばならぬ。

6.本心に正直に、忠実に、勇気を持って生きること

地上に降りた今の時は、あとで取り戻したくても取り戻せないほど、貴重な時の価値を持っている。今できることを、永遠の魂の中で、地上で修行できる時はほんとうにわずかな時である。

わたしにしても、天照大神にしても、地上で転生している時というのはほんとうにわずかな時である。であるならば、そなたたちにおいても同じなのである。

長い、長い永遠の魂の中で、そなたたちが今この地上に肉体を持ち、自らの魂を成長し、進化させ、学べ、そして多くの者たちのために、そしてそれ以上に神の使者として、天上界の意向を受け、その仕事ができる幸せに浴している、そのような貴重な瞬間は、これからの転生の中もそうはないかもしれない。

それにしても、この地上の時の一瞬一瞬は、黄金でできた時のような意味を持つ。
そのときに、「無駄な生き方をするな」とわたしは言いたい。ほんとうにあっという間の数十年であるとわたしは思う。

毎日毎日が平凡なことの繰り返しであり、また今日のように明日が、明日の次に明後日が、一年後が、十年後が、永遠に続くかのようにそなたたちはこの地上の時を生きているかもしれぬ。

でも、そうではないということ。いつか必ずや死というものが訪れ、そなたたちは地上の仲間たちから、家族から別れて我々の世界に帰ってくる。

それはすべての者において平等であり、ひとつの真実として、システムとしてあるということ。
であるならば、残された黄金の時を、月日をどうやってそなたたちは生き抜くか。今回のように、特に歴史的なターニングポイントにあたるような時代を生きているそなたたちは、この黄金の日々をどうやって生きるか。世間の者たちの価値尺度に合わせ、そこに恥ずかしくない、そこに成功していくような、そういう生き方をしながら、最後まで生きる、まあそれもそなたたちの自由かも知れぬ。

でも、その黄金の日々を先ほど、病気になるというたとえでも話したが、いちばん大事なことは、神の子としての神性、あなたの魂のうずき、それとずれず、ギャップを起こさずに、一体となって生きる、そのぐらいのストイックな勇気がある生き方、そのようになった時、本来の神の子としてのあなた方と、地上であなた方が行う、振る舞う行いが一体となる。

そのような生き方をしてみせたのが、最近で帰天した中では、マザー・テレサと呼ばれている方がおられるであろう。あの方は、地上に降りた神の子としての彼女の魂と、地上に姿を持っているその肉体の振る舞いが、言動が、すべて一体となった
ずれのない生き方をした方、それがマザー・テレサのような方であったとわたしは思う。

であるならば、そなたたちがそなたたちの光を最大限に発信するには、天上界の意向のために自己を犠牲にして不本意な生き方をするのではなく、そなたたちの神の子としての神性のそのうずきに
地上の肉体を持ったそなたたちが一体となる努力をして、そなたたちのオリジナルの、そなたたちでしか出せぬエネルギーと愛を地上に広げて、発散して生きて行くこと、発信して生きて行くこと、それこそが最大の神のメッセンジャーヘの道であるということをわたしは言っておきたい。

そなたたちの中にある、そなたたちの魂の奥底にある力、魂の深いところにある、神の子としてのそのハート、エネルギー、力。それは、天上界にあるそなたたちの、大いなる知恵を宿す、天上界にある叡智のエネルギーとつながっている。そこと一体になることにより、地上にいるそなたたちの力がますます力を持ち、そなたたちのオリジナルの光を地上に発信するのである。

それを引くには、神の子としての本心に、正直に、忠実に、勇気を持って、地上の生ける神の子として、そなたたちが振る舞い出した時、すべての者たちが地上に生きる仏陀となり、覚者となっていくであろう。

7.大自然に流れる神の愛のエネルギーと一体になる

何かの修行の方法論があるわけではない。仏教ではそのようなものを、いちいち段階をつくっていくが
日本神道では、ただただ自然と一体になることにより、神の子として、神の使者として、大自然に流れる、神の愛のエネルギーと一体になることにより、そなたたちが本来の自分の力に気づけよ、本来の愛のエネルギーに気づけよ、そしてその絶対的なる光と愛のエネルギーに忠実に生きることにより、疑いのない神の子としての力を発散し、幸せを多くの人びとにもたらすことのできるような、そして本人も幸せに満ちて生きるような、そのような生き方をせよ。

それこそが神が望まれる神の子の姿であり、神がわたしたちに期待されているその姿であると、そのような生き方を一人ひとりがしていった時、この地上は、この地球は、神の国ユートピア、楽園となっていくであろうということを謳ったのが、光一元の、神の子の思想である、我らが日本神道の教えにあるのである。
これを我々は世界に広めていきたいと思う。

「日本神道」ではなく、「日本」をはずした、「神道」と呼ばれている、この光一元の思想。それはけっして無理のない生き方だし、難しいことを知らねばならぬ、論理的なものが入ってなくて、そして特定な難しい肉体行がなくては一部の者たちだけしか悟り得ないような道しかないとか、そういうものではないということ。

大自然から学ぶ、謙虚な、謙虚な姿があれば、あとはあなた方が持っている力を、あなた方の正直な、嘘のつけない本来の魂に忠実に生きるということが、あなた方を、神の子の道を、そして悟りの道を開いていくのだよ。

そしてそれこそがこの地上をシンプルな形で楽園にしていく、天国にしていく姿の道標なのだよということを、大自然と一体になることにより教えてきたのがわたしたちの教えでもあったのである。

だから、日本神道は、すべてにおいてシンプルであり、多くのものをゴタゴタ使うことを嫌がってきた。
そして、大自然の中のすべての生きとし生けるもの、すべてを神の子として讃え合うという、そのような姿をもって教え、我々がすべてそのような大自然から学ぶ姿をもって、教えの道に悟れということで、難しい教義を残さなかったのである。
そこに日本神道と呼ばれている、光一元の思想の神髄があるのである。

まあ、それ以外のキリスト教には素晴らしい愛の教えがあり、仏教には仏教の教えがあり、それぞれの宗教と呼ばれているものの中には素晴らしい教えがある。

そしてそれをまた学ぶために、永遠の転生の中で、そなたたちはいろいろな教えを学んできたはずである。魂の幅を広げていくために、そなたたちは過去世、十分な転生を積んでこられたと思う。

そしてそれが今ひとつとなっていく時、そなたたちが最後の救世の計画を降ろす場所が、この大調和を謳う、和の国、日本で、この最終的な神の計画が実行されるという、その意味を深く考えなくてはいけない。

様々な宗教が乱立し、様々なイデオロギーが出て、学問や哲学を含めて様々なものが、地上にいる人類たちに提供され、すべてを学び尽くしていった時に、最後にそのすべてを包んでいく、大調和し、神の懐のもとに、ひとつにまとめあげていく和の心、調和の心、それを神の名のもとにおいて実現する国が
その日本の国であったということ。

その意味をもちてこの日本という土地を選ばれ、そしてその国民性、国の風土、そしてその個性というものが我々に託されて、日本神道というものをつくってきたのである。

それぐらい気が遠くなるほどの長い時を、我々はこの最後の文明における、救世の時のためにこの日本の地を用意してきた。その思いがあればこそ、けっしてあきらめぬという我々の思いがある。

8.神の子として納得できる生き方をしていただきたい

そして、大方だめであろうと、もうだめであろうと悲観的になった時に、かつてのフランスにおいてジャンヌ・ダルクが出てきたように、ひとりの女性に白羽の矢があたり、本人が望むと望まないにかかわらず、嫌がろうと、嫌だと言おうと、天上界からのメッセージが降るように降ろされているのである。

その言葉を伝えることをもって、神が望まれる道、その計画の意義、右往左往し、狼狽する地上の者たちに、こちらの方向に行けという、道標を示すということ。そのことをもってこの方の使命はある。だから、細かいこと、詳しいこと、専門的なこと、そのことにのみこの人に期待し、追い詰めるようなことをしてはいけないと思う。

ひじょうに、男性が受けても難しいような、ダイナミックな、規模の大きな計画で、使命であるから、ひじょうに多くの責任感を感じ、また先ほど言ったような自分の能力に対する自信を失い、何かトラブルが起きるとすべて自分が至らないという、自己処罰の概念がこの人に出ているから、本来病なしというのにもかかわらず、病に苦しめられていく。

その思いはこの人の中にある責任感ではあるけれども、それは現実とのギャップの中で、ひとりで背負うべきものではないとわたしは思う。
だから、あれもこれもこの人にかぶせることはやめなさい。そうしなければ地上での肉体がもたなくなってしまう。

それに対しては、あれもこれもレムリアに対して頼む我々が、天上界の者としてはたいへん心苦しいところではあるけれども、レムリアはやらなくてはいけないことがおおまかに見てもたくさんあるから、そのおおまかなことであるかもしれないけども、やらなくてはいけないことをまず整えていただきたいと思う。

欲を言えば、やりたいこと、降ろしたい霊人もたくさんおられると思う。わたしたちのように、何度も何度も出て来られる者たちと違って、一人ぐらい、あの方も、この方も出してほしいと思われるかもしれないけども、でもそのようなことは二の次にし、まず今、天上界が何を望み、おおまかな道筋で、何を地上の人類に伝えなくてはいけないか。それから優先してとっていただきたいと思う。

その上で、やはり様々なトラブル、撹乱というのはあるかもしれないけども、そのようなものは、この時代は一種の乱世の時代と同じであるから、そのようなものはただただ現れ、消えていく姿であると思い、とらわれず、その責任を全部自分たちでかぶり、自己処罰の概念で、そなたたちの心にも、肉体にもいらぬストレスがかからぬように、いらぬ病や不幸の種を自らが呼びこまぬように、わたしはそなたたちにお願いしたいと思う。

地上に今、生きているそなたたちの努力でこの地球の未来が決まり、そして多くの者たちの、この地球で修行しているこの多くの神の子たちの幸せというもの、幸せな未来というのがかかっているのである。

そう思うと、とても苦しいかもしれない。過重な負担だと思われるかもしれないけども、今ここで踏ん張って、この計画が流れ去って壊れてしまうのを引き留め、体当たりでこの一度崩れかけた川の流れを、本来の道に戻す者たちが今必要なのである。

そのときに、その最先端にあたる者たちは、最も偉大なる常識人となれというふうに、そなたたちも学んできたかもしれぬが、時には奇異なことを言うものであると、世間に、家族に後ろ指をさされる者たちもいるかもしれない。

でも、この人類の大いなる文明の中における危機を、体当たりで道を修正することに、命をかけてくれる者がいるのであるのならば、どうかそのような世間の評価ではなく、神の目から見た評価に、そしてそなたたちが心の底で、神の子としていちばん知っている、本質の、本心の神の子としての気持ちに納得できる生き方をしていただきたいと思う。

それぐらい、今あなた方の置かれている場所を、今の時代、今あなた方のいるということは、大切な、大切な意味を待った人生の時であるということ。そのような歴史的な瞬間に今、命を持っているあなた方であるということを気づいていただきたいと思う。

9.今の時代にこそ光一元の教えを

わたくしのほうから伝えることは、この日本神道として我々が光明思想と呼ばれてきた、光一元の思想というのがあるが、いずれは日本という国も使命を終えたのならば衰退していく時がくるであろう。

そのときにこそ、世界に向けてこの光明思想が、神の子として誇りを持ち、大自然の中に生きるすべての神の子たちと和合し、大宇宙の神というのは、愛のエネルギー、愛の法則、ただただ愛のエネルギーが満ちているこの宇宙の神の体の中で、他の天体にいる宇宙人と呼ばれている神の子たちともみなで手を取り合い、大きな認識の中で互いに奉仕し合い、助け合い、神の体の一部として、愛というもの、光というものを表現しながら生きていくーー、助け合い、地球というものを、もっともっと高い認識と、愛を表現できる惑星に光り輝かしていこうという、そういう素晴らしい未来を形づくっていく、そのような地球に、次の時代のページを開けていくことができるか、幕を切って落とすことができるか、それともこのままつぶれていくのか、そのぎりぎりのところにある今、時代である。

そなたたちも知っておろうが、北朝鮮という国が、今不穏な動きをしている。それに連鎖反応的に、他の諸外国が、中道論ではなく、過激なことを考えながら、自国の利益というものでせめぎ合って、今世界的に危機的な状況をつくろうとしている。

ほんとうにちょっとしたショックがあったのならば、地球規模的な破壊は、ボタンを押した本人たちすら、その国の者たちですら滅ぼしてしまうにもかかわらず、思い込むと気が狂ったように戦い合い、滅びの道を突っ走るのが、悲しいことに人類というものであるかもしれない。認識が育たない人類であるかもしれない。

だからこそ、今ほんとうの人類の、一人ひとりの魂のルーツを明かすことにより、その構造を、魂の構造を伝えることにより、このような悲劇的な認識の低い、殺戮にいたる滅びの道から人類は卒業できるように、我々は今回教えていきたいのである。

どうか、そのためにーー、このような危機が追っている、このようにならなくてはわからないという者たちも多くいるであろう。でも、もう我々の目から見たのならば、地球規模の大破壊が起きるか、一人ひとりが死ぬ気になって、この天上界からの言葉を伝えながら、本来の魂のあり方というものを、明治維新の時のように、一人ひとりが自覚をし、瞬間的に新たな時代の幕開けをしていくことができるか、ボタンを押して滅びの道に行くか、そのぎりぎりのところに立っている時代であるということ。

もっともっと時代認識を磨かなくてはいけない。我々が大げさなことを言って、地上にいる人類たちを、神の子たちを脅しているわけでも何でもない。
今そのような危険な状態に自らを追い込んだのは、地上にいる神の子たち、あなたたちではないか。それを語ることしか、手助けすることしかできない我々が、必死にそこからの脱出を、脱却していく道標を必死に教えているのである。

どうか、そこのところをわかり、お一人お一人の、この地上での転生を、今の時というものを、自分の人生のチャレンジというものを、正面からぶつかり、日常生活のご苦労があるのはよくよくわかっているけれども、そのようなものに負けず、大切な人切な人生の時の中で、今あなた方は何をするべきか、何をしなくてはいけないか、それは我々からあなた方に命令するものでもなく、押し付けるものでもなく、あなた方自らが選び取り、覚悟を決め、命がけでこの計画に賛同し、頑張っていただけるか、そこにのみ今回の計画の成功か、失敗かの鍵がかかっているとわたしは思う。

どちらに転んだとしても、人類はまたその結果から学んでいくことであろう。でも、できることであるのならば、このステップアップの機会に、一人ひとりが魂のより高度な学びの場へと行けるような、そのような幸せな未来をこの地球に、地上に表していける、そんな愛の星にできる、そのような今の時であったらどれだけ幸せであろうかと、そのために我々はどれだけこの今の時を待ちわびてきたかということを、私はそなたたちに伝えていきたいと思う。

わたくしが言うと多少、威圧的に聞こえるかもしれぬ。でも、地上にいる神の子たちは、自由意志という、結果も自分で摘み取るけれども、人生の一コマ、一コマを自分自らが決めていけるという、自由意志というもの持っているから、よくよく見極め、そなたたちの人生をどう生きるかを、あなた方で決めていただきたいと思う。

10.素朴な和心を多くの人びとに伝えていってほしい

この光一元という思想は、時として誤解をされてきたかもしれぬ。でも、このような時にこそ、最も効力を発する教えであると思う。
今の時代、悲観的なこと、暗いこと、ネガティブなことばかりを考えていたのならば、どれだけでも悪いことが浮き上がってくる現代である。

その時に、なるたけ自分の中にある、素晴らしい誇りある神の子の道として、光だけを見続けていこうと、そこを信じて、勇気を持って、頑張って、明るく生きていこうという思いは、このような暗い時代であるからこそ、多くの人びとを明るい方向に引っ張っていけるのであると思う。

そして、もう一度見失われた、文明の爛熟の時に、素朴な大自然の教えの中に、もう一度自らのルーツを見いだし、大自然の中に溶け込むことにより、もう一度自分本来の道を、見つけ直してみよう、発見してみよう、それこそが本来の自分の魂のルーツである。

愛への、愛のエネルギーである神へ戻っていく道であったということを、そなたたちはもう一度気づいていただける、そういうことを人類に提示していく。それが我ら日本神道が信じ続けてきた、光一元の教えであるということ。
そのことをわたしは今日、わたくしの立場にから、あなた方に伝えていきたいと思います。

ご苦労であるということは重々わかっております。無理なことを言っているのも重々わかっております。でも、今地上におられるそなたたちしか、やれる者はいないのであるということ。
この大和の地から、この神の法を伝えていく者たちがいなければ、アメリカを通し、世界に経由していく、メッセージを伝えていく者たちがいなければ、この神の法は地球中に広がり、多くの人類たちを救っていく道はないのであるということ。

どうか、その今、道が、川が氾濫し、堰崩れようとしております。そこを今、必死で、応急措置でこの者たちが押さえているけれども、どうか多くの人びとを連れて来て、この破れかけている堰をもう一度補修し、本来の神の、神理の大河が流れる道を、もう一度神の方向の、神のエネルギーが流れる、天上界のエネルギーが地上に伝わる道へと直す、天上界の手伝いをしていただけないかと、そのようにわたくしは思い、今日まいりました。

わたくしで伝えられること、わたくしではなく、また天照たちが伝えることもまた多くありましょう。みな役割分担を持っております。
またできることでありましたら、いくらでもありますので、どうかいつでもお呼びいただきたいと思います。

日本神道は日本神道としての教えがあります。まだ教えを出していない者たちもいるでしょう。
でも、いちばん大事なことはけっして難解な法を説くのではなく、まずこの素朴な、和心と申しますか、日本の中における大調和の思い、神の分としての誇り、勇気、明るさ、それを多くの人びとに伝えていくということ。

それこそが神の子としての原点であり、その神の子としての原点を忠実に生きるためにこそ勇気が必要であるという、それに尽きている。子どもでもわかることであるとわたくしは思うのです。それをどうか伝えていただきたい。
あなた方お一人お一人の言葉で伝えていただきたい。誰が言ったからではなく、それをしっかりと心に受け止めたのならば、そなたたちの言葉で語れるはず。そなたたちの個性を通し、そなたたちの職場、家庭、社会における発信をしていただくことにより、世の中は確実に変わっていくのです。構いませんから、わたくしの言葉に忠実でなかったというのでも、本質的なことがわかっていれば、少々のことはいいのです。

芸術においても、文化においても、我らが思いをどうか伝えていただきたいと思う。そのような道をつくっていくことが、多くの人びとに、また法に触れるチャンスを提供することになると思います。

今度十五冊の本が出るということを、天上界の者たちも知って、たいへん楽しみに待っております。思わぬところから出ていくことが、神理というものが四角四面なものであると思っているのが、逆に多くの人びとに、神理に対する警戒心というものも、また自分たちでつくり上げてきてしまった既成概念というものを、打ち破る道になるかもしれない。

あらゆるチャンスに、あらゆる可能性にチャレンジして、試してみるということ。だめなら他の道を選べばいいのです。

ただ、くれぐれも法敵と呼ばれている方たちとのことには慎重にしてください。まだまだこれから先があるということを思い、慎重にしていただきたいと思います。せっかく出た、この大切な、大切な芽を、可能性を、わたしはつぶしたくないと、見守ってきた者として思うのです。

では今日はこれにて失礼いたします。
今日はお呼びいただき、誠に光栄でありました。こてにて失礼いたします。
ありがとうございました。

一同: ありがとうございます。

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