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Project Eden

第6章 女性の法について:木花開耶媛命

1.みんながひとつであるという意識に立ち戻りましょう

2.女性の法 五ヵ条について

3.自分だけが愛されたい、という思いが女性を毒している

4.子どもが授からない中から感謝を学ぶこと

5.自分の子どもでなくても、愛は与えられます

6.感謝をしっかりできないから、自分こそが世界一の不幸者になってしまう

7.愛とは「してあげる」ことではなく、「させていただく」もの

8.美というのは、その人の生き方から出てくるもの

9.愛を発信して循環させましょう

10.女性は愛されることで幸せを感じ、愛のエネルギーを出せる

11.この時代をユートピアにするのは、この時代に生きるあなたたち

1.みんながひとつであるという意識に立ち戻りましょう

わたくしは日本神道の女性界、女神界というところに所属しております、木花開耶媛命(このはなさくやひめ)と申します。
わたくしは、ブッダ様があのようなことになられるとき、ある通信をもって、その道先案内をした者でございます。
皆さま方はお読みになった方もおられるかもしれませんが、わたくしたちにしてみれば、必死の、地上におられる方々への救済措置としての通信であったかと思います。

あれを始めたときは、まだ完全にだめになってしまうという、そこまで絶望的な感じではなく、少しは希望を持って始めたものだったのです。
警告を与えることによって、皆に気づいてもらうことによって、もう一度、道が修正できたらと、わずかばかりの希望を持っておりました。
でも月日が経ち、通信を送っていけばいくほど、状態は悪くなり、残念ながら、第二の計画の終了ということが天上界で判断されるまで、それほどの時間はございませんでした。

そしてそちらの通信から、第三の計画が立ち上げられるということを、ミカエル大天使よりうかがい、そしてそちらのほうに天上界一丸となって、協力体制を組むということを、エル・ランティ様のほうから我々のほうに告げられたとき、わたくしも、その役目、使命を終え、そしてこの方(アマーリエ)のところへ、通信の送り先を変えたのです。

そして、この方がどこまでできるか、どこまで耐え得るか、女性の身として、同じ仲間として、非常に心配し、危惧しておりました。
でも始めてより、もうかれこれ十年以上になるのですけれど、ここまで来たということ、ほんとうに神仏のご加護とともに、地上に集われる皆さま方のお力の賜物として、この第三の計画がここまで花開いたということを、わたくしはほんとうに天上界から感謝し、あなた方を祝福したいと思っております。

新たな展開のときが来ました。
今度はあなた方のお力をもって、この地上に神の愛の光を広げていく、そのようなときが来たのだということ。
わたくしたちは天上界から、一斉に通信をまた始めたいと思うのです。

日本神道というところは、今まで、この最後の計画というのが日本の地より起こり、九次元の方、エル・カンタラー(仏陀)様を通して最後の地球の総まとめの法が説かれる、光の灯台として輝いていくのであると、そのようにいわれ、わたくしたち日本神道の者たちは、その命を謹んでお受けし、神の国として、大和の地を、和の心をもって治め、人々を指導して参ったのでございます。

その中におきまして、至らぬこともあったかもしれませんが、しかし和の心というのは、最終的に世界を統合していく、世界のさまざまな教えをひとつの神の胸の中に戻していく。
調和させて、本来の道への、道を指し示していく。
そのような道を、調和の道を説いたのが、和の心、大和の地の本来の存在意味でもございました。
それが、日本神道としての最もお伝えしたいことば、心であったと、そのように思います。

この最後、これから、あなた方を、通してやっていくこと、この根本神理というものを世界に出していきながら、大調和の想いで、さまざまなる思想、さまざまなる宗教、さまざまなる民族の習慣の違いを超え、みんながひとつであるということの意識に立ち戻らせ、大調和の道をつなげていくということ。
それで地球をまとめ上げていくということ。
その道を指し示すべく、これから皆さま方に、活躍していただきたいと思います。

木花開耶媛命(このはなさくやひめ)

大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘であり、日本神話によれば、邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から地上に降臨した際、美しい木花開耶媛命と出会い結婚した。しかし、一夜で妊娠したため邇邇芸命から国神の子ではないかと疑われた。このため、木花開耶媛命は、身の潔白を示すために産屋に火を放ち火中で出産した。
火の中から生まれたのが火照命、火須勢理命、火遠理命の3神で、末子の火遠理命が天皇家の系譜へとつながっている。
富士山本宮浅間神社をはじめ全国各地の浅間神社にまつられている。
霊言では、主に女性の法を説いている。

2.女性の法 五ヵ条について

女性の法というものの五ヵ条を、今日この方に通信させていただきました。
今日は男性の方もたいへん多いので、女性の法というものだけではわからないかもしれませんけれども、でも、もし皆さま方のお気持ちの中に役立ていただけるのであったのならば、ぜひ役立ていただけたらと思います。

レムリアには十ヵ条というものがすでに天上界より与えられております。
それは地球自身のこれからのレムリアの教えとしての十ヵ条であったかと思います。
わたくしどものほうでは、女性はあまり理屈っぽいことが好きではないのです。
何ヵ条といって、十個もあったらいやになってしまうのです。
ですから、簡単に五つにまとめてみました。
この方は先ほど知ったばかりなので、わかっているかどうかわかりませんが、読ませていただきます。

1.わたくしたち女性は神の愛の受容性という陰の意識のエネルギーである。
2.わたくしたち女性は転生輪廻を繰り返し、永遠の命の中で学ぶ最も大切なテーマは、すべての存在を生かし育む母性の愛を学ぶということである。
3.わたくしたちに与えられた、永遠のときは、因果の法、原因があり結果があるという、その法則で貫かれている。
4.女性は美の使者として、その存在から美を体現すること。
5.女性は陽の意識の男性の方の補助者として、やさしさと笑顔で愛を表してください。

日向(卑弥呼)様、天照様とお話をし、この五つにしぼらせていただきました。
それについてお話をしていきたいと思っております。

今日すべてについてわたくしのほうから話をするわけではございませんけれども、今日はわたくしからひとつ思うことをお話しさせていただきたいと思います。

3.自分だけが愛されたい、という思いが女性を毒している

今、不幸な子どもたちが、母親にも助けてもらえず死んでいくという事件が、ニュースを賑わせているのではないかと思うのです。
なぜこのようなことになるのでしょうか。

本来、女性において、子どもだけは守るという、そのような本能に近いような、深い母性の愛というのがあるのが、本性であったはずであるのに、この頃はその母親にも見捨てられた、かわいそうな子どもたちが次々と命を失っているのだと思います。

それと子どものことを申しますと、体外受精、代理母の問題が世間を賑わせているのだと思います。
その問題について、わたくしのほうから、ひとつお話をさせていただきたいと思います。

どうしてこのようなことになるのか、多くの方々はこの地上に生まれた目的を、根本的に理解できない。
その混乱が女性たちを襲っているということなのです。

本来は子どもを愛し、愛する者を命がけで守るという母性は、女性に埋め込まれた本性であるということ、それほど強いものであるのです。
でもそれを断ち切ってしまうほどに、今の女性たちの心はすさんでしまったということ。

この永い永い幾年月の転生の中で、わたくしたちは永遠の命の中で、愛というものを学ぶために、生まれ変わってきたのです。
でもいつの間にか、愛というと、自己本位な、自分だけが愛されたい、自分だけが幸せであればかまわないという、そういう愛に、魂はすっかり毒されてしまったのだと、わたくしは思います。

皆さま方、女性が愛を学ぶということを、もう一度考えていただきたいのです。

女性は確かに、ここの法則にも書きましたけれども、受容的な宇宙の陰のエネルギーであります。
それはどういうことかと申しますと、ひじょうに受身のエネルギーでもあるということなのです。

愛されたい、かわいがられたい、大事にされたい、理解してほしい、かわいいと言ってほしい、そのような傾向性を持つのがまた女性のエネルギーでもあるのです。

そして愛されたい、愛されたいという思いの中で愛し返すということ、本来は愛してこそ、自分にめぐりめぐって愛というものが戻ってくるということ。
愛されたい、愛されたいという、そのエゴのようなものが、強く増大したがゆえに、人からでも何でも、愛というものを貪るように、奪うように、自己本位に変わってきた、その究極の姿が、今の女性の愛であるかもしれません。

愛というものは、本来は、愛してこそ、愛というものを学ぶことができるし、愛というものが自分に戻ってくるのです。
そのことをわからなくてはいけません。

4.子どもが授からない中から感謝を学ぶこと

子どもができないご夫婦は苦しいでしょう。
苦しいこともわかるのです。
でももうひとつ、今回申し上げたい法則があります。
わたしたちの命は転生輪廻を繰り返し、永遠の命の中で愛を学んでいるものである。
そして原因結果の、因果の法則により貫かれているのが宇宙であるということです。
よろしいですか。原因なくしての結果はないのです。

もしお子を授からない方であるのならば、非常に厳しい言い方になるかもしれませんけれども、いろいろ条件はあるのです。
その中で夫がいて夫婦で欲しいと思ってもできない方、考えてください。

ひょっとしたら、欲しくて欲しくてたまらない。
でもできないということで、初めて子どもを与えられるありがたさということを、今回学んでおられるのかもしれない。

お坊様や尼様、シスターという聖職につかれた、永い転生の魂の方々の中には、お子をご自分で産まれることを拒否なさって生まれてこられる方もおられるのです。
ですから、転生の因果関係というのは、一概にひとつでは言えません。

ですから、それを言い切ってしまうのは、危険でありますけれども、子どもがいるからすべて幸せであるのか、どうなのか。
普通に結婚して、子どもが生まれた人生の中においては、子どもが生まれるということは、当たり前のことなのです。
でも当たり前で授かった子どもを、もしぞんざいにしたり、自分の不注意でなくしてしまったとき、それはやったことの結果を自分で償わねばならぬのです。

それはどういうことかと言いますと、次の世のときに、子どもが授からないことをもって、子どもが与えられることのありがたさ、感謝、尊さ、自分が生命の神秘として、宇宙の創造のエネルギーとして、自らが子どもを産むという、創造の原理の中で果せるという、女性としての幸せを体現できるという、その修行のありがたさを、学ばれるのです。

永い永い永遠の転生です、その中で一回ぐらいお子ができなかったからといって、どうでしょう。
そこでお子が授かるということ、産めるという女性の幸せを、魂の底まで焼き付けることができたら、感謝することが学べたのならば、尊い人生でまたあるのではないでしょうか。

5.自分の子どもでなくても、愛は与えられます

本来、お子があったとしても、自分の遺伝子が、自分の子どもが欲しいと、自分の子どもだからかわいがるというレベルでは、まだまだ女性としての普遍の愛には程遠いのも事実なのです。

そのときにこそ、大きく飛躍するために、世の中には、かわいそうに、親に見捨てられたり、親を交通事故などで不本意に亡くした、保護者を亡くしてしまった子どもたちがいるではありませんか。

日本ではまだひじょうに受け入れが少ないですけれども、海外では当たり前のように、里子というのをやっております。
そして、自分の愛を一人でも多くのお子たちに分けていくのが、それが自分たちにとっても学びであり、自分たちにとっても素晴らしい人生の糧であるといって、積極的にそういう難民のお子さまとか、親御さんを亡くした方とか、ひどい事故にあって両親を亡くしたお子さんとか、そういう方を積極的に引き受けている、そういう精神がキリスト教のところや、世界にはあると思います。

わたくしは、女性は、愛を与えることを学ぶのがメインテーマであると、ここに今回通信いたしました。
愛を学ぶとは愛を与えてこそ、そこからいちばん愛を学ぶことができるのです。
そして与えて与えて、無私の思いで、与え切ったときに、それは愛の循環作用として、自分に戻ってくるのです。
要らないと言っても、戻ってくるのが法則なのです。

そのときに愛により祝福され、愛により幸せを感じ、愛の下に生きている喜びを感じる。
それがあってこそ、女性の本来の幸せというのはあるのです。

現代の女性はその順番を間違っているように思います。
人並みのことができなければ不幸であると思うかもしれない。
でも永い永遠の命の中で、永遠の数々の生まれ変わりをわたくしたちは許されております。
自分の魂の課題になる人生を選択してきているのです。

肉体的に諸条件においても、結婚するときに急に子宮の病気になって子どもができなくなった、急に産むことを断念せざるを得なかった。
これが単に偶然でしょうか。
そうではないのです。
それは本人が望んできた計画通りであったということなのです。

確かにごり押しでいろいろな形で、子どもを産もうと思えば、授かろうと思えばできるでしょう。
でもそちらのほうにどうしてもという思いを、信念の強さを持っていくか、あるいはその信念を、自分と夫の子どもではなかったとしても、他の子どもたちに対する愛として、自分の命を、このエネルギーとお金を使っていこうとするか、その選択は、その方の自由意志であるということなのです。

今は科学文明が最高の極致のところに発展しております。
でも人の子というものは、神の子であり、そのように試験管やそういうものでいたずらに操作してはならぬのです。
命というのは、神より与えられしものなのです。

与えられるのならば、与えられるところで、あなたはそこで愛を学びなさいと、そういうふうに神に言われて、わたくしたちは地上に生まれてきているのです。
そしてその方の課題として、何ひとつとして、偶然はないということ。
そのままだって、気づいたらば、十分幸せな状態であるということに気づかないのです。

もし子どもができないからといって、それがまるで世界中の不幸を自分が背負っているのだと思ったのならば、考えてみてください。

身体は健康ではないのですか?
教育も受けられて、幸せな平和な時代に今、生活ができているのではないでしょうか。

学ぼうと思ったらいくらでも、女性として、素晴らしい学問でも何でもできる、仕事もできるチャンスに、恵まれているのではないでしょうか。
そのような感謝をしたことがあるでしょうか。

6.感謝をしっかりできないから、自分こそが世界一の不幸者になってしまう

今ほど女性が学びをするのに、素晴らしい時代はないのです。
そのようなことを選びたくて、結婚をせず、子どもを欲しくないといって、ご自分で計画に、青写真の中に、そのように書き込んで出られた方もおられるということなのです。

すべてはあなた方自身が計画されたということであって、けっして何ひとつとして、まあたまには事故ということもございますけれども、ほとんどが偶然というものはないということなのです。

与えられた人生は与えられた人生として、その中で最大限に感謝をして、そこでできることを精一杯やって、愛を学び愛を返していく、愛をなしていく。
そのような人生に心の針が向かない限り、たとえそれで子どもがいたとしても、別の悩み、別の欲というもので、その方は永遠にないもの欲しがりの人生の中で、不幸というものを背負うのです。

女性というものは、ひじょうに安定を好むがゆえに、さまざまなものを身の回りに身につけて、物によって、環境によって、受身の態勢の中で幸せというものを形作ろうという傾向があるのです。

自分から何かをしようというエネルギーが欠けているがゆえに、ひじょうに環境に甘んじ、自分が今不幸なのは、すべて環境のせいであるといって、ご主人や恋人や親御さんを責めることも多いかもしれません。
そして現代という時代を呪うかもしれません。
自殺の方がこんなにも多いのもそういうことかもしれない。

でも、日本でも昔は、まあ、一部のお姫様たちは別でありますけども、大方の女性たちは、どうでありましたでしょうか。
一日中家事労働に明け暮れ、畑仕事に、夜中は夜なべまでして、一日中肉体労働の中で、女性たちはしゃにむに働いていたのです。

女性の人権が認められ、そして教育を男性方と同じように受けられ、認識も学びも得られ、いかなる社会参加もできる、そんな時代が今やっと来たというのに、この時代に、地上に肉体を持てたというのに、ますます悩みの種を多く抱え込んで、ノイローゼになり、子どもを殺し、自殺をしていく人たちが多い時代でもあります。

今、与えられたという、今の時点においての感謝をしっかりできないから、ますます複雑な社会の中で、受け身な環境の、複誰な要因を、全部まともに受けて、自分こそが世界一の不幸者であるというふうに、自分を演出してしまうのです。

愛というものは、自分から与えようと決意をしなければ、愛の循環というのは始まらないのです。
いつまでも受身でいてはいけないのです。

今、あなたが在る状況は、すべてあなたが過去世から築いたことの結果であるということ、それが今世であるということ。
でもそれがけっしてそんなに悪いものではないということ。

今立っているあなたのその存在、あなたの今与えられているものを活かして、あなたができる最大限のことをなして、愛を学び、愛を表現していらっしゃい。

そうしたらば、その感謝のもとに、自分が抱え込んでいた不幸感覚というのは、全部消えていくでしょう。

7.愛とは「してあげる」ことではなく、「させていただく」もの

自分とほかの女性を比べてないもの欲しがりを、すぐ女性はいたします。
うちの子は成績が悪いけど、あのうちのお子さんは成績が優秀でいい大学に行く。
うちの子は身体は弱いけども、あの家の子はサッカーも水泳も上手だ。
うちの旦那様は課長にしかならないけども、あちらのご主人はベンツを何台も持っている。
すぐそういうことを言って、ご主人を、お子さんたちを苦しめてしまうのです。
気をつけてください。

女性は家庭の中において太陽であります。
あなたの微笑みをもって、多くの方々を、ご家族の方々を祝福し、受け入れ、愛していく優しさを持だなければ、家庭も社会も地獄になっていくのです。
太陽のように、愛と慈愛を、笑顔を振りまいて、家族の方に対して、感謝を持ち、あなた方ができる思いで包んであげてください。

お子ができなかったとしても、ご主人様がおられるでしょう。
一人よりも、二人で暮らされる人生は、どれだけ実りの多いものでしょう。

そして一人でいたとしても、お子さまや、あと近隣の方々、そしてこういう仲間がいたらば、隣人の方々に対しても、多くの感謝とともに関わり合っていく人生は、いくらでも生まれてくるのです。

今は、高齢化社会と日本は言われております。
この間見ておりましたら、皆さま方のメーリングリストの中で、動けない老人の介護の問題を話されておられました。

それを語られること、メインテーマでそういうことを理想の未来社会ということを、皆さま方がお話し合いになること、その中において、あなた方は、今、霊的に向上なさっていることを学ばれてほしいのです。

確かに老人が多いかもしれない。
介護は必要かもしれない。
で、邪魔者だと、自分も邪魔者になりたくないという意識はあるかもしれない。

でもあの方々は介護をされるということで、身体障害者の方もそうですよ、愛を受けるということにおいて、他の方々が愛を与える場を、提供しているということに、あなた方は思い至っていました。
いいところに気づかれたと、わたくしはほんとうに思って、見ておりました。

愛をなしていくこと、愛をもって介護とかのお手伝いをさせていただくということ、そのような場を介護というもので、寝たきりの状態で与えてくださっているということ。

それを介護することは、辛いことも多いかもしれない、一人で背負い込んでしまったらたいへんかもしれない。
でも一人で背負い込まずに、いろいろな人に相談しながら、介護する方ががんばっていく中で、深い深い愛する愛というものを学ばれるのです。
それが、お互いに勉強になっていくということなのです。

ですから、わたしは介護をしてあげたから、他の身体障害者や、他の方たちに愛をなして、ボランティアしたから、わたしは愛を与えたから、素晴らしい人生なのだと思ううちは、まだまだなのです。

愛というものは与えさせていただくのです。
お世話させていただくのです。

愛という、愛の天使になってくのならば、愛の補助者として、神様よりつくられたものであるのならば、愛というものは、謹んで捧げさせていただくものであります。

そのような謙虚な想いで、女性というものが、本来の神につくられました、愛の補助者としての、優しいエネルギー、愛念というものを持って、献身的に、人生というものを、すべての方々の中に尽くされたとき、あなた方の存在は、望む、望まないにかかわらず、最も美しい存在として輝き渡るのです。

8.美というのは、その人の生き方から出てくるもの

今の女性たちは何でしょう。
美容整形ですか?
そのようなものが流行っております。

魂はますます醜くなっておられるのに。
現代の女性たちを見ていると、古代の女性たちより、わたくしは、魂がひじょうに醜くなっていると思います。
自己本位なエゴイスティックなもので、愛というものを貪るから、醜くなるのです。

地獄界にいる者たちと、同じような形相でありながら、表面だけお化粧で塗りたくり、果ては美容整形というもので、顔をつくり変えてみたところで、ひとくち、ふたくちしゃべれば、その方の気高さというもの、そういうものは伝わってくるのですよ。

魂のレベルから、美というものを求めるようにしてください。
人生の生き方として、存在として、美というものをとらえてください。
わたくしたちは今回、女性は美の使者として、その存在から美を体現する存在であるというふうに書かせていただきました。

その中には、たんにお化粧を塗りたくり、上っ面だけ、他の人よりもおしゃれに入れあげたからといって、それが本来の存在としての美しさである美の使者ではないということを、ここで申し上げておきます。

美というのは、その方の生き方から出てくるものです。
言動から出てくるものです。
お人形さんのように、じっとしているだけであるならば、塗りたくった美しさもあるでしょう。
でも二言、三言、どうでしょう?

男性方が多いからうかがってみたいのですけれども、パーティですか?
コンパですか?
何て言うんでしょうか。
今そういうのがあるんでしょ?
お見合いみたいなのがね。

で、ぱっと見て、あ、かわいい娘だな、きれいなお嬢さんだなあと思っても、一言二言しゃべって、その方自体の魂の品位がなく、下品な、そして自己本位なわがままなものが出てきたら、もうある程度の年齢になった方でしたら、十分話せば、おわかりになるのではないでしょうか。

いくらぱっと見、美しくとも、話しているうちに、その方が美しいとは、思わなくなってこられるではないだろうかと、殿方に関しても、わたくしはそのように思うのです。

たとえば、髪の毛もとかさない、まったくおしゃれもしない、放りっぱなしというのでは、やっぱり困りますけれども、やはり表面は表面として、やはり美しく、そのように女性はできておりますので、お化粧でも何でもなさってください。

その上でいちばん大事なことは、魂としての、心からの美しさを学ぶということです。
魂を愛で光らせることこそが、いちばん、美の体現者になる早道なのですよ。

そして愛の体現者になるということは、受身で愛を貪ることではないのです。
あなた方の存在をもって、周りの人を、あなたに関わる方々を愛していくということ、私心を抜きにして、献身的に奉仕していくということ。

こうやってあげたら、必ず人の間でいい噂が立つだろうとか、こうやったらわたしの評判がよくなるから愛するんだとか、愛のボランティアをするんだとか、そんなのはダメです。
そんなのは魂を光らせたり、磨いたりすることにはならないのです。

あなた方の存在から、心から、自分が関わることで、一人でも幸せにしていきたいと、幸せな方の微笑みをもって、幸せだと思われる想いをもって、わたしも幸せであると心から感じられる。
その愛の想いというもの、そういうふうな境地になれていったのならば、あなた方には、天上界の菩薩界以上のエネルギーと同通し、天上界から素晴らしい祝福のエネルギーが降りてきて、その方の魂が輝きわたるのです。

それは目鼻立ちを超えて、あなた方の内側からにじみ出てくるんですよ。
あなた方を、存在として光り輝かせていくのですよ。
愛する人に愛されたいから、男性から振り向いてもらいたいから、一人でも多くの男性から声を掛けられたいから、そのために、自分を美しくお化粧するのではないのです。

自分が、ほんとうに意中の、恋しいと思う殿方から愛されたいと思うのならば、あなたの魂を、あなたの心を、生き方を磨くことです。
そうすれば、あなたにほんとうにふさわしい方が、あなたを求めて、愛するためにやってくるでしょう。

ガツガツと多くの男性方に愛されるために、上っ面のお化粧や、上っ面のことで自分を飾っていくのではなくて、そして愛されたい、愛されたいという、そのような貪るような、地獄の意識の中で、自らの人生を歪めていくのではなくて。

若いうちに結婚して、子どもを産んで、すぐ離婚して、それで二十歳までに何人かのは親になり、そしてまたすぐ別れてほかの男性と一緒になって、その新しい夫と一緒に、自分の産んだ子どもを殺してしまったケースが、あまりに多いではありませんか。

愛の勝者に、一時はなったように思ったのでしょう。
でもその方たちは、まだ子どもを産むという、成熟した段階になっていない、自分自身を学ぶということ、自分自身を養い、大人としての道を、心を学ぶという段階を踏み外して、その時期を待たずして、恋というもの、殿方に愛されたいという意識だけで、突っ走った結果なのです。

男性から愛される女性であるということ、そして幼い子どもたちの母親になるということ、それにはやはり、それなりの準備と成熟したものが必要なのです。

考えすぎてもだめですけれども、やはりそのような道を、できたら、これからの女性たち、そして今まだ幼い女の子たち、その子どもたちに、しっかりと教えてあげていただきたいのです。

9.愛を発信して循環させましょう

今、絵本をつくって、やさしい言葉で伝えようと企画しているとのこと、とても素晴らしいことだと思っております。
その中に、どうか未来に来る女性たちに、母親たちに、未来の母親となる者たちに、本来の女性の姿の美しさというもの、女性の道の生き方ということ、そういうことをテーマとして、本を出していただければと思うのです。

人類の半分は女性であります。
でも今世の文明において、女性救済の法というものは、どこにも説かれておりません。

女性が幸せであるということは、愛の奉仕者となるということ。
男性はまた、陽のエネルギーとして、社会を改革し、時代をリードしていくという中に、生きがいと存在意義というものを見出されるという、宇宙の法則があるのです。

でも女性はやはり、今はそれに傾倒しているような女性の方も多いですけれど、基本的には女性として幸せになりたい。
それはどういうことかというと、女性の性として、男性の愛の中で、祝福され、子どもを産んで、幸せになりたいという本能が、必ずどこかに潜んでいるはずなのです。

その部分が大きく出ているか、小さく出ているかによって、違いはあると思います。
そして今回ほど、高尚な、高いレベルの学問を学べる時代はない、あとエル・カンタラー(仏陀)様がお出になったので、今の時代ほど、女性として神理の道を学べる時代はないというふうにお考えになられて、今世は結婚しないで出ようとお決めになられた方々がおられるのも、わたくしは存じております。

ですけれども、どうか、そうではない方々におきましては、もしそれを望まれるのでありましたら、ご自分の中で、愛する愛ということ、それが自分の愛の循環の中において、自分から積極的に多くの方々を幸せにするために、愛を与えていくということ、愛を奉仕の中で現していくということ、受身にばかりならないということ。
そのことを、どうか体現して生きていかれたらいいと思います。

そうすれば、今日お話ししたこと、今日の五ヵ条というものは、全部連鎖反応によって、生き方の中で、お役に立ってくることだと思います。

今そのような女性の生き方というもの、女性の価値というもの、女性の役割というもの、宇宙の中においても、創造原理におきまして、この間、月意識の方がお出になられておられましたけど、宇宙の中においても、陰と陽におきます、陰の意識としての、女性霊の役割というのがあるのです。
それは十次元(惑星意識)に行かれましてもあるということなのです。

であるならば、今、地球の半分の人口の女性たちが、本来の生き方というものを学ぶ時期が来ているのです。
わたくしと、天照様と、日向様あたり、いつもこのことを話していたのです。この女性の生き方、本来自分が、宇宙のエネルギーの中のどういう役割であって、本来の自分の、神から期待されたエネルギーを、どういうふうに表現し、愛というものをとらえていったらいいのか、それを現実の生活の中において、幸福感として結び付けていくにはどのようにしたらいいのか、それをこれから語らなくてはいけないねということを申しておりました。

10.女性は愛されることで幸せを感じ、愛のエネルギーを出せる

基本的にはそういうことでございます。
世の中で不幸の種というのは、自分を他の方と比べることによって、不幸だ、不幸だと握り締めてしまうことにあるのです。
でも他の方と比べることは、何の意味もないのです。

あなたの現在というものは、あなた自身が幾万回、ほんとうに数えられることのないほどの回数の中の、ご自分の転生の結果として今があるのです。
それを望まれて、この日本に、この地に生まれてこられたということです。

ですからこの結果については、すべてを感謝をもって受け入れましょう。
感謝の中において、今の人生を愛すること、抱きしめること。
そして感謝が出だのならば、その愛の思いを、多くの人々、一人でも幸せにするために、返していかれることです。
そうしたならば、その方はそれだけで、何の見返りもなくても、ご自分が幸せであるということを感じられることでしょう。

女性はね、理屈でどれだけ言われてもわからないのです。
感性の中において、自分が幸せだと実感してこそ、女性というのは幸福になれるものなのです。

殿方にも申し上げておきます。
あなた方は、これだけ幸せに、これだけいい生活をさせて、こういうふうに僕たちは、毎日毎日あなたを食べさせるために働いてきてるのに、何を文句を言うのだと、何が不服なんだと、よくおっしゃられるかもしれない。

でも女性は、確かに物にも執着するかもしれませんけれども、物への執着というのは、だいたい愛情の欠乏が原因となっている場合が多いのです。
あなた方が奥様を、恋人を愛するときに、理屈ではなく、感性の部分で、理不尽な女性の愛というものを受け止めてあげていただきたいのです。

理屈ではないのです。
ひじょうに女性は理屈においては、矛盾したことが多いかもしれない。
でもひとこと言うなら、愛を欲しがっている、愛がなくて寂しいという、シグナルとして、外に行って、買い物中毒になったりもするのです。

女性というものは、愛というものがいちばん、幸・不幸を左右するのです。
殿方においては、仕事とか、社会と関わる目標があったのならば、逆に女性との愛という問題は、逆に、そうですね、必要ないと言ったら言いすぎになるでしょうか。
無くても、幸せに人生を生きることができるかもしれません。

でも女性は、幸・不幸を分けるのは、ただその愛する方、愛する人にほんとうに愛されているのだろうかという、その不安感、それが幸・不幸を大きく分けてしまう。
それが多くの不幸の要因を産んでしまうということも事実なのです。

ですから、日本の男性は、スキンシップとか、お花のひとつも持っていくとか、そういうことがちょっと足りないかもしれません。
それがまた日本男児の、男らしさであり、素敵なところだと、わたくしなどは思うのですが、やはり不安でいる女性たちへはできる限り、あなたを愛しているんだよ、というふうにおっしゃっていただいて、女性たちが自分は愛されているんだと、そういうふうな確信に戻れるように、どうか安心させてあげていただきたいのです。

そうやって女性を受け止めてくだされば、今、子殺しをしたり、育児ノイローゼでお子さんを殺してしまう若いお母さんたちがいますが、その思いは、だいたい、子どもを抱えて夫に振り向いてもらえない、理解してもらえないかもしれない、わたしは一人で生きていけないという混乱。
基本的にはご主人様にもっと、しっかりと抱きしめて、抱きとめ、受け止めておいていただけたのならば、防げたということも、けっこう多いように思うのです。

愛により、こんなにも幸・不幸が左右される。
それがある意味でいうと、おなごと呼ばれている女性たちの、まあ、欠点であるというか、個性であるかもしれません。
でもそれがゆえに幸せになったときには、愛のエネルギーとして、愛の通路として、全身から、愛を発散することができるということ。
その特性を持っているのが、また女性であります。

11.この時代をユートピアにするのは、この時代に生きるあなたたち

宇宙の中における、宇宙の愛のエネルギーを、まずその身に、全身で、受容性の中において受け止められるのは、実は殿方ではなく、女性であるのです。
ですから、女性という性は、子どもを産むことができるのです。

巫女に女性が多いのはトータルな受容性、トータルに受け入れていくということができるから。
それは自分自ら空け渡して、空っぽにして、神に奉仕していくということ。

よろしいですか、愛の奉仕というもの、無私なる愛の奉仕ということ、さっきから、献身的な奉仕ということを申し上げております。
それを仕事として、境涯としてやっている者が、ここにおられる方(アマーリエ)のやり方でもあるのです。

そのときに、自分自らの想い、自分自らの幸福、そのようなものすべて、神様に一度お預けしてしまうということです。
その中おいて、一人でも多くの方々を、幸せにするための通路として、道具として、お役立てくださいといって、その身を、そのエネルギーを神に捧げ、その仕事をもって、一人でも多くの方々を幸せにしていく。
愛のもとに立ち返らせていく。
それを仕事としているのが、巫女という方々であるのです。
これが逆に言うと、わたくしが申し上げました五ヵ条の応用編でもあるのです。

ですから根本的なことを、この五つにしぼらせていただきました。
わたくしは、わたくしからの考えとして、今日お話しさせていただいております。
でも、これから他の方が出てこられる中で、やはりこれを使いながら、他の女性霊の方のご意見もあると思いますので、それをまた判断材料、学習材料として、皆さま方は、大いに話を膨らませ、そしてご自分たちではこの五ヵ条を通してどのようにお思いになるか、互いに学んでください。

その上で、ご自分たちの想いをしっかりと考えられて、ご意見を出し合いながら、どうか素晴らしい女性の法というものをつくり上げてください。

この時代に根付いた、この時代に生きて、この時代とともに生きた者たちの言葉が、この時代に生きる方々を救っていくのです。

わたくしたちは見守らせていただき、精一杯できることをさせていただきます。
でも、皆さま方の時代は、皆さま方の世界は、皆さま方のお手で、おつくりになるのですよ。
それを忘れないでください。

地上に生きた者たちがつくる、三次元のユートピアであります。
わたくしたちは、あなた方の補助者で、助力者にしかなれないということです。
その意味において、精一杯わたくしたちもお仕事をやらせていただきたいと思います。

でも神様の操り人形ではない、あなた方に自由意志というものを与えられた、宇宙の根本の神のご意思というものを、どうか学んでください。

その上で、どうかあなた方の人生が、素晴らしい人生として、今世輝き渡りますことを心からお祈りし、今日は失礼させていただきます。
ありがとうございました。

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