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Project Eden

第3章 祈りについて:天照大神

1.あなた方の生きざまそのものが祈りになる

2.宇宙時代に入った時、テレパシーで感じる思いは”愛の度数”です

3.自分自身の中にある魂の気高さを表現してください

4.すべてを捨てて、もう一度原点に戻りましょう

1.あなた方の生きざまそのものが祈りになる

天照でございます。
女性の皆さま、あなた方のおかげをもちまして、女性の法、金星の法といわれるものを、やっとこの地上に降ろす道ができました。
本日は、祈りについて、ひと言申し上げたく、参上させていただきました。

祈りと申しますと、キリスト教、仏教、イスラム教におきましても、祈りの言葉が決まり、今まではそれを唱和させることをもって、多くの者たちの意識を統合し、その祈りの波動の中に、その信徒たちの意識を高めるという、そして神との間をつなぐという役割を持って、その指導者により提示されてきたのでございます。

日本神道におきましても、祈りというものが数々ございます。
しかし、わたくしは皆さま方に、いちばん形から入る日本神道であるがゆえに、この機会をもちまして、皆さま方に申し上げたくて今日参りました。

あなた方の新たな運動の中におきまして、祈りというのは、形を持ち、皆で念仏のように唱えるような言葉をもって、祈りとはもう言わなくなるということ。
その認識に皆さま方に気づいていただきたいとわたくしは思うのです。

神を敬い、神の前に謹んで謙虚に向き合っていく、その天上の神に対して、頭を低くし、語りかける言葉、それが祈りの原点ではあります。
しかし、これからは、あなた方の思い、あなた方の生きざまそのものが、祈りへとなっていくのです。

祈りという言葉の中には、皆さま方がここに十人、十一人おられるのであるのならば、皆さま方が同じ文句を唱えたとしても、語った方の言葉の波動で、その祈りの行く世界が違うのですよ。
それが言霊の持つ力でもあるのです。

であるのならば、もう決まった言葉の中で、自分を表現するのではなくて、あなた方の認識を、あなた方の愛の思いをもって、あなた方の言葉でその言霊を発して、そして神とつながり、あなた方の仲間である神の子たち、友人たちに対する感謝の思いを伝えていく。
そのような真に生きた言霊としての祈りの言葉が語られなくてはならない時代がもう来るのです。

今までは祈り方がわからないから、形の中において、気高き言葉を並べることをもって、語りかけをしていくことが、魂を純化し、神につながる道であるよということで、イエス・キリストも、モーゼも、そしてイスラムのマホメットも、そして我らが日本神道においても、仏陀におきましても、祈りの言葉というものを示していったのです。

しかしもうこのような言葉が、形の中で隠れている時代ではないということ。
逆にいうと、先ほどから女性の問題、ありのままである大変な時代が来るよと、申しますけれども、逆に言うと、その方その方から、語る祈りの言葉によって、その方の言葉のバイブレーション、言霊のレベルによって、その方の認識がどの程度のものであり、愛がどの程度の豊かさと深さを持つものであるか、それが他の者にもわかってしまうほどの、そのような純粋な霊域の時代が来るということです。

天照大神(あまてらすおおみかみ)

日本神道の主宰神である女神。
現文明の始まりのときから、法を発信する国・日本の礎をつくり、日本の人びとを指導してきた。
また、ムー文明では、女王として生まれ、東洋思想の源流をつくった。
地球人類を指導する偉大な女性霊のひとりである。
セラビムの母星の出身である。

2.宇宙時代に入った時、テレパシーで感じる思いは”愛の度数”です

他の方から見ても、もっと言うのであるのならば、今皆さま方が、椅子の上に座っておられますね。
椅子の上に座っておられるこの個性あるエネルギー、そのあなた方のこのエネルギーそのものが、祈りであるのです。

愛の祈りの姿である、あなた方が神の子であるのならば、神の子として、愛のエネルギーとして、愛の親たる神に、どのようにつながっているか、それがむき出しでわかってくる。
その語りかけ、存在をもって愛のエネルギーであること、神の子であるということを証明している、その姿、その存在そのものが祈りであるということです。

神との関わり合い方、愛の存在の仕方、それがあなた方自身でもあるし、それの存在を通して、祈りが行われているのです。

言葉を語らなくても、あなた方の存在を見たならば、あなた方の愛の祈りがどのようなものであるか、それが他の方々から見て、一目瞭然わかってしまうのです。

だからイエス・キリストは公会堂で、人の目の前で、大きな声で祈りを捧げるユダヤ教徒たちに戒められたのです。
大きな声で人前で、美辞麗句を並べて祈るようなことはするなと。
そのようなものは、神の心へは届かないのだと。

何もしなくても、片隅で豆を売っていても、一生懸命病気の母親のために、売って仕事をしていた少年は、その存在、その行為そのもので愛の祈りそのものであります。
それを神は喜ばれるのです。

ですから、わたくしたちも、もうそういうものを超えて、何か形で、言葉で守る自分ではなくて、自分自身の中にある愛のエネルギーにどこまで忠実に、神の前に立てるか、そして自分の存在をもって、愛としてあなた方は神の前に自分の人生を捧げることができますか。
そのような生きざまを出すことで、感謝の思いを伝えることができますか。

あなた方が愛のエネルギーであるということ、神の子であるということを伝えられました。
そして神にこれだけの愛で、今まで育んでこられたということを知っておられます。

そしてその思いが、感謝の思いであるのであったならば、あなた方がほんとうに心からどのように思い、感謝し、この社会のためにこの神の子たちの世界を、この美しい星を、愛の星にしていくために、あなたがどのような思いで関わり合いたいと思い、どのように日常のひとコマひとコマを生きようとなさっておられるか、その生きざまそのものが、そのすべてが、愛の祈りなのです。

そのことをわかっていただきたいのです。
いかなる美辞麗句に、いかなる表面的な愛の行為に見えることをしたとしても、思いにおいて、存在において、生きざまにおいて、愛が光っていなくては、あなた方がいかなる祈りの言葉をもっても、その祈りの言葉はうそになります。

わたくしたちの世界は、天上界はそういうところなのです。
肉体すらございません。
ですからその霊人がどのような愛の思いで生きて、どのような思いで存在し、仕事をなしているか、それが他の方から見ると、手に取るようにわかってしまうのです。

そして地球がこれから愛の星の時代を迎え、宇宙時代に入った時、宇宙の友たちが、あなた方の目の前に来た時に、たとえ今の地球人として肉体を持っていたとしても、テレパシーで感じる思いは、愛の度数です。

あなた方は「アミ」の話をご存知ですね。
進化した惑星は愛の度数というものを計る。
その人その人が行くのを見て、愛の度数を瞬時に言い当ててしまったのではないですか。
そのように宇宙の進化した友たちは見るのです。
ということはその方の認識、今現在生きていること、関わっている行為、そのすべてに愛の深さ、愛の度数というものがある。
その存在そのものが愛の祈りになっているということです。

3.自分自身の中にある魂の気高さを表現してください

愛の祈りとして、あなた方は生き、存在していく。
そのような時代がもう幕開けしているということです。

ですから、形の中で、言葉の中で、自分を偽っていく、そのようなもので自分を守ろうとする、そのような宗教との関わり合い方、信仰との関わり合い方、そういう時代は終わりを告げるということなのです。

それをわたくしのように、日本神道という、形によるものを美とした、礼節というものをどこの形態よりも強く言った者であるわたくしからあなた方に申し上げます。
そうやって、形というものを卒業していくのです。

でも内面的に、本来の神の子として、愛の豊かな思いというものがあったとき、あなた方の中から、オリジナルの固有の美しい愛のエネルギーとして、燦然と輝き渡り出しだのならば、そのエネルギーのもとに、その燦然としたエネルギーの美しさの中から、その方たちならではの、美しい形というものが生まれてくるのです。
それを本来は、神はお望みです。

以前マヌ様が、美しい思いで生きていれば、オリオンの方々は、みな美しい美男美女ばかりになるのだよということを、おっしゃっておられたと思います。
実際オリオンというところは、そういう方々が多いのですけれど。

あなた方の中において、ほんとうに純化した神の子としての、愛のエネルギー、自分自身がほんとうに神につくっていただいた、こんなに素晴らしいわたしをつくっていただいて、ありがとうございますという思いのもとに、幸福感に満ちて、あなた方があなた方の人生を、あなた方の魂を生き抜いておられたならば、その幸福感の中において、あなた方は、おのずとほんとうの意味での美しい表現形としての形、肉体、人生の外郭というものが、自然に美しいしぐさとなって現れるものなのですよ。

形から無理やりするものではない。
それは内面があまりにも、劣っていて、未成熟なときに、形からだけでも、神の方向性を気高さを、こういうふうにすると、神の方向に来られますよ、ということをひとつの指標として、あり方として、わたくしたちは形というものの美というものを通して、信仰というものを教え導く。
そのような過程があったのです。

でももう、これだけの成熟した時期が来ましたから、皆さま方どうぞ、あなた方の中にある美しさ、自分自身の中にある、魂の気高さ、それを誰から見られても心の中を覗かれても、そして日常のひとコマひとコマを見られても、納得していただくような、そのような愛というものを表現できるような、あなた方であっていただきたいと思います。

そうしたならば、あなた方ならではの、素敵な美しさに満ちたリズム、それに満ちたエレガントさ、女性であるのならば、そういうものをおのずと雰囲気に漂わす、そういう真に魅力のある女性たち、男性たち、人間として魅力のある方たちが、すべての形を持って、地球上に誕生してくるのです。

そういう意味での、内側の成熟を伴った形の美しさ、外見の美しさ、表現形の美しさというものを、到達するというそういう時代が来るということを学んでください。

祈りというのは、それほど全存在をかけて、神と関わることです。
神とコミットしていく、関わっていくということ、そのことが祈りであるということです。

だからせっかくここまで、ルネッサンスヘあなた方の意識を開放してきたのですから、どうか逆行現象にならぬように。
一人ひとりのオリジナルの言葉をもって。
自分で納得した言葉でなければ、言霊は宿らないのですよ。

真に力のある言葉というのは、ご本人がほんとうに深く、心の中で納得し、咀嚼し、人生を賭けて、行いを通して実感した言葉だけが、力を持つのです。

ですから、ほかの方を説得したり、指導したりするときに、言霊を使える人というのは、やはりそれだけの言葉に人生の力というもの、能力というものを込められる方であるということです。

ですから、皆さま方も、言霊、そして全存在をもって、あなた方の神の子として、愛の度数を試されているのであると、逆にそういう逃げも隠れもできない時代が来るということ。

でもそれがね、真に美しい姿なんですよ。
別にその度数が低いから、高いから、他の人と比べて高くまたなろうとか、そのようなおかしな、今の偏差値のようなことを、思わないでくださいね。
あなた方の納得した姿、ありのままの自分でいいんですよ、ということを言っているのです。

形に無理して背伸びをしなくていい、自分自身の愛の豊かさをありのままに表現して、あなた方自身であってくださいと、そしてそれに伴う真の美しい形態というのが、外側ににじみ出てきますよ。
愛の方向にさえ努力していればということを、申し上げているのです。

4.すべてを捨てて、もう一度原点に戻りましょう

これからは、日本神道も「日本」というものを抜かして、大いなる宗教の神の思いの教えの中にひとつになっていきます。
多くの宗教が、救世の計画を通して、地球を愛の星に導くという、ひとつの神からの法というものに、まとめられる時代が来るのです。

そのときに、もうそれぞれが、宗教形態としての形というものにこだわっていたら、また宗教同士のいがみ合いやぶつかりが出るのです。

形は捨てましょう。
どんな宗教にどんな民族に生まれていようと、どんな社会やイデオロギ―の中にいようと、一人の人間が存在し、神の子であるという、内なる愛の思いにだけ忠実に生きましょう。

それ以外の形はすべて祈りごとであっても、形であっても、習慣であっても、宗教のいろいろな祭儀というものかおりますが、そういうものをすべて捨てて、もう一度原点に戻りましょう。

あなた方から、神の子であるあなた方一人ひとりから始めていきましょうと、そういう呼びかけが今回の教えの法の呼びかけにあるのです。
そのもとにでしか、地球がひとつにまとまることは、できないということです。

自分たちの中にある原点というもの、ほんとうにむき出しの原点で生きるということは、たいへんある意味で辛いときもございます。

でも誰に気兼ねもしなくていいよ、あなた方自身である、あなた方のオリジナルの愛そのもので、存在してくださいと、そういうふうな呼びかけ、それが今回の人間復活、神の子として復活していく、本来のルネッサンス、この教えの根幹でもあります。
ですから、どうかもう一度、古い宗教の形の中に戻らぬように。

わたくしたちに対する謙遜なる感謝があるのであったのならば、どうかあなた方の思いで、親であるわたくしたち神に対して、霊界の者たちに対して、大宇宙の神に対して、あなた方の素直な心で呼びかけてください。

そして思いを伝えてください。
その思いが祈りでございます。
そういうふうにこれからはしていきましょう。

今イスラム教徒の方たちにおいても、祈りというのがたいへん人生の何分の一かのエネルギーを、使うほどのことがあります。

そういう形を彼らがどれだけ捨てることができるか、そこに今回の救世の計画の最終的な着地点というのがあるということなのです。

また新たな祈りというものの形をつくってしまったならば、彼らは彼らの祈りの形に執着することでしょう。
でありますから、祈りにおいても、形というものを提示しないで、一人ひとりの思いから、一人ひとりの愛の思いから、語りかける。

存在を通して伝えていく、それが祈りであると。
形を持たなくていいのだということを、しっかりと伝えていかなくては、さまざまな宗教の者たちが合流はできないということです。
またそこで、自分かちの形を保持するためのぶつかり合い、いがみ合いが起きてしまうということです。

ですから、なるたけ形というものを外していく、そういうことを根幹においていただけたらと思うので、いちばん、秩序と礼節と形というものを、形式というもの今説いてきた日本神道の主宰神であるわたくしのほうから、皆さま方に、どうぞ、形式というものを、愛の思いによる内側からにじみ出る形、個々人による愛の思いの形、そういうものへと変えていくことができますよう、お願い申し上げるために今日は参りました。

ありがとうございました。

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