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Project Eden

第1章 女性の使命と大和心:天照大神

1.古来、大和の民は、秩序と礼節、簡素を美徳としてきた

2.女性の美しさは、心根の美しさ、心の優雅さにあり

3.男性は本来の陽の意識を発揮し、社会改革をせよ

4.波動が乱れた暗い想念の時代を生き抜くには

5.日本の使命もそのうちに終わりを告げていくでしょう

6.本来の女性の法を打ち出す時期が来た

7.天上界の者たちは、けっしてあなた方を見捨ててはいません

8.この地上をユートピアにするために

9.傷ついた者たちを癒し、抱きとめるのは、母の愛

1.古来、大和の民は、秩序と礼節、簡素を美徳としてきた

天照でございます。
日本神道を代表いたしまして、この天照が、皆さま方にご挨拶ができることを、心から光栄に思い、神様に心から感謝いたします。

わたくしのような者が、ほかの神々をさしおいて出てくるのも、どのようなものかと思いましたが、今回、この方(アマーリエ)の使命を考えてみますに、女性霊からもひとこと、女性の使命ということを語りたくそして、大和心というものを皆さま方にお伝えしたく、わたくしは、今日、参ったのでございます。

今、この方がお話になられましたように、今日の日本というものを見まして、わたくし天照も、卑弥呼様も、そして、天之御中主ほかの神々も、心を痛め、しかし、今日、神の国として、この神国日本というものが、この神理が説かれる場として、選ばれているということを、わたくしどもは心得ておりましたので、そのような宗教の根源として世界を救っていく光の発信地として、そのお役目があるために、わたくしたちは長い間、この大和という、日本という国土を調和し、指導してきた者たちなのでございます。

そして、今、この「日本神道」という枠から超えて、この「日本」という名を外した「神道」というものが世界に出ていく、そのような時が参ったのだとわたくしは思っているのでございます。

古来、大和の民というものは、大和心という調和の中に、大自然の調和の中に、秩序と礼節を持ち、簡素というものを美徳として、その生き方を学んできた者たちなのです。

今日、物質的には、豊かになったかもしれません。
しかし、心からの礼節というもの、謙虚さに満ちた、神々を敬うという信仰心、そして、日常の中にあまりにも物があふれすぎ、幸せの価値観というものが物質的な豊かさの中にしか見出せないという、哀れな貧しい心の持ち主に、日本という国民たちがなってしまったということを、わたくしは深く憂うものなのでございます。

人が幸せに生きる時、その時に、物というものがたくさんなければ幸せになれないということは、過剰な物質の中にしか己が幸福感というものを見出せないという、そのような間違った心の教え、心の価値観というものが根づいてしまったかのように思われるのです。

日本というもの、大和というものを見直すために、かつての伊勢神宮とか、日本の古い建築物をご覧になっていただきたいのです。
大自然の中に育まれ、包まれ、そして、その大自然の美しさを、そのまま木の感触の中で、簡素さの中で、自然と溶け合うという建物、建築様式の中に、自然と一体となって、人間たちも、国民たちも、その自然の中の一部として、大自然の中に感謝をこめて生きるというそれが、大和心の信仰心であり、生きざまだったのです。

そこに多くの物はいらないのです。
山に生えている木を切り出し、そこに簡素な家を建て、生活調度品においてもシンプルであり、けっして電化製品とか最先端の機器がなくても、人びとは幸せに暮らしていたのです。

いつからでしょう。
幸せというものが、物をたくさん所有するという、所有欲の中でしか見出せなくなってしまったということ。
それとともに、人びとは、本来、神に感謝し自然の中で共に生きるという心の豊かさ、ゆとりというものを、謙虚さというものを、失っていったのでございます。

神々の心というものを常に感じ、そして、神により導かれ、神により降ろされた言葉を、指導者というものが受け入れ、祭政一致の中で日本という国を指導してきた。
それが、ある意味でいうと、卑弥呼様やわたくしがやってきたルーツであり、そして、その思いを継いだのが、天皇家だから、日本という国は、天皇制という中で流れてきたのだと思うのです。

そのようなかたちで、神に結びついた指導者というものが国民を治め、そして、神様のお心と一緒になり、自然に包まれる。
自然というものは神様のお心です。
大宇宙の調和の心なのです。

その中に包まれながら、簡素さを持ち、謙虚さと秩序と礼節というものの美徳の中に包まれて、日本人、大和の者たちは幸せに生きてきたのです。
これが大和の民の美しさであったのです。
それをわたくしは、皆さま方に伝えてきたはずなのです。

天照大神(あまてらすおおみかみ)

日本神道の主宰神である女神。
現文明の始まりのときから、法を発信する国・日本の礎をつくり、日本の人びとを指導してきた。
また、ムー文明では、女王として生まれ、東洋思想の源流をつくった。
地球人類を指導する偉大な女性霊のひとりである。
セラビムの母星の出身である。

2.女性の美しさは、心根の美しさ、心の優雅さにあり

これまで仏教が入り、キリスト教が入りということはございましたけれども、大和の魂というもの、心というものは、それほどひどく塗り替えられたとは思っていないのです。

しかし、第二次大戦という戦争があり、それを敗戦したことにより、アメリカから、外国から、西洋の間違った発想が日本の中に植えつけられ、そのことにより、日本人は、己が美しさを、大和民族としての誇りまでも捨てて、間違ったものの刺激の中にのめりこみ、物質文明と科学文明の中で、わたくしたちが持っていたかけがえのないものを捨て去り、そこへ邁進し、今日の没落を招いたのでございます。

このようなかたちというものは、ある程度、わたくしたちの世界からも想像はしていたものです。
想像はしておりましたが、やはり、人びとの心の荒廃ぶりを見ますと、特に女性たちの心の荒廃ぶり、礼節のなさというもの、それを思いますに、わたくし天照は心から悲しく、日本女性として、大和女性として、ほんとうに恥じ入るものが多いのでございます。

かつて、大和の女性、日本の女性は、世界の女性の手本となるべき美しさと、知性と、謙虚さに満ちた信仰心、それでいて誇り高いものを常に持ち合わせていたように思うのです。

けっして男性に張り合うことなく、男性たちの使命というもの、天意というもの、天命というものを優先し、弟橘が身を持って示したように、日本女性の美しさというもの、心意気というものを現しながら、男性の使命というものを補助していくという、補助者としての美しさを、常に見せ続けてきたように思うのです。

しかし、それが失われてしまいました。
日本の女性たちの心の中に、謙遜、献身の美徳というもの、優雅に生きるということが、どれだけ伴うものであるのか。
数々の高価なもの、ブランドもののバッグなどを身につけて、高価なドレスを身にまとい、派手なお化粧をしながら、美しさを競っているように思うのですが、わたくしのような者から見れば、とても地獄的な波動の中で、表面だけの装いの中で、女性たちが美というものを追求しているかのように思うのです。

女性の美しさというものは、心性、心根の美しさにあります。
心の優雅さにあるのです。
女性が心の中に謙虚さと、男性に対する、自然界に対する、信仰心に対する、神々に対する、謙虚さ、美徳というものを失っていった時に、女性がどれだけ表面を塗りたくってみたところで、そこに美しさは存在しないのです。

内側からにじみ出てくるものなのです。
美というものは、内側からにじみ出てくるものなのです。
いっとき若い頃に、表面だけを飾ってみたところで少し話をすれば、その方がほんとうに美しい人であるのか、心性が美しい方であるのか、男性たちでも見抜いてしまわれるのではないでしょうか。

しかし、わたくしが思いますには、男性方にも、多少、罪があるのではないかと思うのです。
そういう女性が、その道に励んだとしても、男性たちが、まったく、そのような女性は必要としない、ということをはっきり明言してくだされば、彼女たちも、それが間違った方向であるということに気づけると思うのです。

しかし、やはり世の中には、奇をてらい、派手なものを好み、表面的な美しさの中でちやほやされることを、とても悦に入り甘美な思いをする女性たちがいる。男性に認められたくて、そのような表面的なことをするのだと思います。

今の女性たちが真に美しくなるには、心根のやさしさ、心から出てくる生きざまにおける優美さというものが欠かせません。それは、信仰心、神への信仰心を今一度、取り戻すというその謙虚さに満ちたものなのです。
その謙虚さ、礼節というものがなくして、女性の美というものは存在し得ないのです。

3.男性は本来の陽の意識を発揮し、社会改革をせよ

男性方は、宇宙における陽のエネルギー、猛々しく世の中を改革し、秩序をつくり、大きく時代を切り開いていかれる積極的な力の現れとして、神々は、大宇宙の神様はあなた方をおつくりになったのです。

しかし、女性は本来、そのように、積極的に秩序を変革してまで、大きな時代の流れをつくろうという者はひじょうに稀なのです。

やはり、力のある男性の脇にいて、補助者として、陽に対する陰の意識として、謙虚さを持ち、その方の潤いとして存在する、美の体現者として存在するということ。それがわたくしたち女性たちの使命であるのです。

おおかたの者はそうなのです。わたくしにおいても、日向(卑弥呼)様においても、そして、ここにおられるこの方(アマーリエ氏)においても同じなのです。
本来は同じなのです。

その陰の意識というもの、積極性の裏にある意識というもの、男性に対して補助者として仕えたいという思い、そういう思いはわたくしたちでも同じなのです。

ただ、何人かの女性たちが、指導者たるがゆえに、積極性の意識というものを持って、責任というものを背負いながら、女性霊としての指導者というものを引き受けているということなのです。

わたくしたちがこのような場に出てくるからといって、けっして積極的であるというわけではなく、あなた方に畏怖されたいと思って、しゃしゃり出てきているわけではないのです。

わたくしは、謙遜と美徳、秩序と礼節、優雅さというものを、今一度、女性たちの心にほんとうの意味で復活したいと思います。

やはり時代の流れの中で、そういうものにもう一度帰っていくということを、男性方が社会の構造をも変革する、社会の改革を、皆さま方にわたくしは期待するのです。

女性は、組織的な変革には向いていないのです。
心性の美しさを現すということ、理念を感性において表現していくということ、やさしさと母性でもって、多くの人を包むということは女性の指導者でもできるのです。

しかし、大きく時代を切り開いていくパワーは、陽のパワー、積極性のパワーなので、あなた方のような優秀な男性方にこそ期待されているエネルギーであり、お仕事であります。役割に違いがあるのです。

今の時代はなんということでしょう。
男性と女性が同一視されるかのような教育体制の中で、女性だけでなく男性も、自分たちの個性、自分たちが本来与えられた使命というもの、その陽の積極性、そいいうものを見失っておられるのではないかとわたくしは思うのです。

古来、大和の男性たちは、ひじょうに調和を重んじ、大自然と共に生きてきたのです。
それは、男性として、あまり猛々しくないように思うかもしれませんが、しかし、調和をしながら、国の体制というものを、しっかりと組織的に打ち立てていくという、そのようなパワーをお持ちの方々が多かったのです。

皆さま方は、侍、武士といわれている鎌倉武士という方々が日本の男性であるとお考えかもしれません。

わたくしの頭の中にあるのは違うのです。
日本神道の男性方ということをいっているのです。
一部、日本武様とか、須佐之男とか、いろいろ猛々しい方もおられますが、だいたいが日本神道の男性方というのは、ひじょうに穏やかな波動をお持ちの、ともに大調和という、自然の中における調和、和をもって旨とするという、調和の中に生きるということを重んじておりますので、あまり猛々しさを前面に出される方は少ないのでございます。

しかし、日本の中に、侍というもの、武士というものが、もう一度、この時代に注目され、皆さま方の意識の中に出てきていると思います。

本来の日本の武士道というものの中に、男性が社会を骨格から変えていくという荒々しさ、そのような男性エネルギーを、しっかり表現してきているものも、また、この日本の侍美学の中にあると思うのです。

このことに関しまして、わたくし天照から語るようなことではないと思いますが、やはり男性が男性であるからこそ、女性がますます女性になっていくという、そういう、やはり、共鳴し合っていくものがあるのです。

男性が男性で、陽の意識が強くなっていったら、女性も猛々しくなるかというと、そんなことはないのです。

強い男性がしっかりしてくれれば、女性も安心して女性に戻れるのです。
それができないから、男性たちにおぼつかない感触を持ち、女性が男性化している現状があるのです。

だから、男性方にもお願いしたいのです。
本来、あなた方がお持ちである、陽の意識、積極性の意識、責任を持ち、女と子どもを守り、社会を守り、社会を変革していくのだという、本来、大宇宙の神様があなた方に期待しておつくりになられた、その積極性の陽の意識というものを、どうかこの日本の国の大転換期に、いえ、地球の、この世界全体の大転換期に、発揮されることを、わたくしは望んでいるのです。

男性方が、そのような意識に燃えて、本来の男らしさを取り戻していただけるなら、女性たちは必ずや、安心して、本来の女性の姿に戻ってこられるのではないかと、わたくしは、そのように思うのでございます。

ひじょうに知的に優秀で、男性に負けまいとして張り合う女性たちが、一時期、台頭していた時代があります。

しかし、そのようなことがけっして幸せを生まないのであるということ。
女性の幸せは、やはり男性しだいなのです。
そして、男性の幸せも、男性が仕事をもって天命を果たせるかどうか、それも、配偶者である女性しだいであるということ。
そのように皆さま、お思いになられませんでしょうか。

悪い妻がつけば、それ相応の優秀な方であっても、たいした仕事もできずに堕ちていかれていることは、おわかりにもなられるでしょう。

やはり、配偶者の大きさ、その男性の仕事を助ける、内助の功の偉大さということも、女性の美徳にはあるのではないかと思うのです。

女性は男性を尊敬したいのです。本来ならば敬いたいのです。
敬うほどの力強さを、勇気を、知恵を、愛を、もし、女性に浴びるほどに見せてくれたのなら、女性はたぶん、安心して本来の女性の姿に戻っていけるのです。

その姿を、どうか男性方も見せていただきたいのです。
それが示されるべき大変革の時期が、今、来ているのです。
坂本竜馬とか、そのような明治維新の時の志士たちが(霊言として)出ているように思いますが、彼らはある意味で、ほんとうに男性の中の男性という方であったと思われます。

そのような男性たちのエネルギーが、今一度、この変革の時期に必要になっているのです。
あなた方はひじょうに知性において優れておられるかもしれない。
しかし、ある意味で、この時代の中で、本来の男らしさというものを、もう一度、再現なさり、もう一度、取り戻されなくてはいけないのです。

女性ばかりが反省を求められている時代だと思うのです。
しかし、殿方である男性方にも、そのような反省を多少は持っていただけたならば、共に変わっていけるのではないかと思うのです。

なぜなら、ユートピアというものは、本来の神の国というのは、幸せな家庭、幸せな男女のあり方を基盤として、広がっていくものなのです。

どんな人間たちであっても、男性か女性かであり、そして、男性、女性の本来の幸せを見出すことができなければ、心の安定も平和もないのです。
心の平和も安定もないところに、ユートピアなど再現できないのです。
確立し得ないのです。
あくまで、ユートピア、神の国というのは、心の中に、まず築かれるべきもの。

わたくしたちが本来、神の子であるということ、己が神性の美しさというものに気づいて、わたくしたちの中にある、女性であるならば女性への道・・・、男性であるならば男性への本来の道へ・・・、還っていくべきなのではないかと、わたくしは思うのです。

女性ばかりに反省をさせるのではなく、殿方たち、男性方においても、本来、男性はこれでよかったのであろうかということを、今一度、お考えいただけたならば、わたくしはほんとうに嬉しいのです。

4.波動が乱れた暗い想念の時代を生き抜くには

昨日、日蓮様、高橋信次様のありがたいお言葉をいただきましたが、このような法が降り、じかに言葉を聞けるという時代は、今までの時代の中でも、たいへん稀に見る時代なのでございます。

わたくし天照の言葉も、このように自由に地上の者たちに伝えることができる。そのような時代は、何千年ぶりであろうかと、わたくしの中でも思うのです。
じかには伝えられないのです。

肉体を持った地上の者たちに、このように、高天原から降りてきて、自由にわたくしの気持ちを伝えるなどということは、なかなかなかったのです。

この方が今、女性としてわたくしの言葉を受け、皆さま方にお伝えいただけるということにおいて、わたくしは、心からの喜びを感じているのです。

言葉や難しい理論ではないのです。
優雅さ、優美さ、秩序というものの中における、女性本来の謙虚さ、信仰心の美しさと、礼節が、本来どういうものであるかということ。

礼節がどういうものであるかを、理論の中で、言葉だけで定義できるものではないのです。これは、ひとつの波動の中で、皆さま方に感じていただくものでしかないのです。
わたくしたちは、高天原の頂点にいるからといって、自らを偉しとし、神の中の神であるといって、国民たち、人びとを見下しているようなことはけっしてないのです。

上に行けばいくほど、己が未熟さというものを知り、大いなる大宇宙の神の前にひれ伏し、「我々をどうかお使いくださいませ」という、謙虚さに満ちた中で、さらに高級神霊と呼ばれている、根源の神に向かっての拝礼をしているのでございます。

そのような気持ち、そのような言葉の中に、礼節や秩序というものがあるのです。
本来の秩序なき礼節はないのです。
秩序があり、礼節がある。
それがないものの中に、自由も愛もないのだと思います。
けっしてそれは神の御心ではないのだと思うのです。

あなた方は本来であるならば、このような最高霊域からの言葉は受け取れないのです。
その神の使者として、人びとを見下すのではなく、神の使者としての誇りを持って、礼節というものをしっかりと踏まえた秩序というものを確立せねばならないと思うのです。

そして、「生かす」という、大いなる愛の思いの中で、秩序というものは自然に、見出されてくるものなのです。
人を支配する組織ではないのです。
秩序というものを、皆さま方は間違ってとらえておられるかもしれないけれど、謙虚さに満ち満ちた、人びとを生かし続けようという愛の思いの中に、自ずとできてくる秩序の形式なのです。

それを、今一度、打ち立てていただきたいのです。そのような思いがあれば、いたずらな混乱は防げることでしょう。
そして、神の心を、神の言葉を、すべての判断基準の中心に据えることなのです。
この神の国、神国日本というものは、常に神の言葉を降ろし、神の言葉のメッセージにより、政治というものが営まれてきたのです。

その時にこそ、この国土が、無事に、安らかに、治められることができ、そして、女性が指導者として立つ時、この国は最も安定していくのです。
今は魔が暗躍し、暴れ狂い、法を学ぶ者たち、光の使者たちを惑わし、地下へつぎつぎと引きずり込んでいるのです。

このように、波動が乱れた暗い想念の時代の中で、今ひとたび、女性が神の言葉を授かるところに立たれたのです。

5.日本の使命もそのうちに終わりを告げていくでしょう

わたくしたち神道においても、「日本神道」の中から。「日本」というものを外すべき時というのが参ったと思っているのです。

日本神道の中にある素晴らしい教え、理念というもの、それを単なるこの日本国土という中でなく、世界へ発信していく時代が参ったのだとわたくしは思っているのです。
その時期がやってきた。そのような時代がやってきた。

それで、この外国の女神がこの地に降りられ、わたくしたちの言葉を伝えるという意味が、ますますもって、大きな意味をなしてくるのだと思うのです。
この方(アマーリエ)とは、かって昔、わたくしもともとに同じ時代に出たことがあるのです。わたくしは、この方を妹として出ていた時もあるのです。

ですから、魂の根源は、日本神道であるとか、ギリシャの神々であるとか、キリスト教であるとか、仏教であるとか、あなた方の今回の文明の中では、そのような位置づけをするかもしれない。

そして、わたくし天照も、日本神道の主宰神としての立場がございましたので、日本神道の女神であるという、主宰神であることをもって、大和心を、女性の美しさ、優雅さというものの中で、この日本の国民たちに指導してきたものであるのです。

しかし、その時代はもう終わりに近づき、日本神道ではなく世界神道に、いえ、世界神道という枠を超えて、おおいなる宗教がひとつのものの中に統合され、そして、本来の大いなる法が、この地球の法として確立される時期がやってきた、大いなる時であるということ。

今までは、とても、地域的な宗教が、地域的な神々が腕をふるい、世界的な交流のできない時代でしたので、地域的に、ローカルな宗教としての、神々としての役割を果たしてきたのです。
しかし、これが、大いなるもののご指導の中で、大いなる神の、中心におられる神のご指導の中で、ひとつにまとまる時期が来ているのです。

わたくしたちも、最初は、他の天体から来ました。他の星から来て、そして、今は地球の神となり、地球を最も愛する神となっているのです。
地球人になっているのです。
ですから、他の惑星から来た者であるという、他の惑星から持ってきた理念というものに固執しているわけではないのです。

地球としての、本来の在り方というものを、これから地球教という教えを一本化する、大事な大事な時期が来ているということなのです。
そのために、今、大いなる力が働いているのです。
皆さま方には、その「時」というものをわきまえられ、この今回の改革というものに取り組まれていただきたいと思うのです。

物質的な豊かさというものだけで、幸福、不幸というものを限定しすぎるものではありません。
本来、人の幸せとは、幸福とは、物質だけではないのです。
心の中にある充足感によるのです。
神に生かされているということ。大事な人びとに愛され、愛し合っているという幸せの中にあるものなのです。

その心を、今一度、取り戻すために、たかが数十年の修行の場として、この地上を与えられているのです。
しかし、素晴らしい学びができる地上の修行場とするために、どうか、光のユートピアの修行場とできるように、皆さま方に力をお貸しいただきたいのです。
この日本というものの使命も、そのうちに終わりを告げていくことでしょう。

大きな天変地異がある中で、長い目で見たならば、別な意味で、地球の意識の中の一部として統合されていく時期が来ると思うのです。
その前に、地球の理念として、今ひとつに、中央の神々が努力していらっしゃる根本法というものを、今、地球上に広げる、そのための発信基地として、この神国日本というものが選ばれているということ。

そのために、九次元といわれる、(人霊としての)最高霊域におられるエル・ランティ様、エル・カンタラー(仏陀)様が、そして、我々、柴神道からいいましても、最高位にあられる孔子様が、次々とこの日本国に、大和の地に降り立たれているのです。

そのために、わたくしたちは努力し、この国を光の国とするために努力をしてきたのです。そのような光の場として、この大和の地というものを、わたくしたち本来の目的の中で、今、活かしたいと思うのです。
閉鎖的な島国という感覚で、ほかの神々を排他的に見るような思いというのは、わたくしたちの中には、けっしてないのです。

6.本来の女性の法を打ち出す時期が来た

日本神道の女性の中には、穢れというものを極端に忌み嫌い、わたくしたちのこの女神の世界に隠れこむ者たちが多かったから、日本女性に対する指導というものが立ち遅れたかもしれないのです。
しかし、今、このように女性の指導者が、このわたくしたちの用意した大和の地に降り立ったということ。

どうか、このことの意味を深く留め、わたくしたち日本神道の女神たちの期待も一身に受けて、日本の女性を通して、世界の女性たちに、本来、女性の法とはどうあるべきなのか、それを打ち出す時期が来たのだと、わたくしも卑弥呼様も、胸が震えて、意気込んでいるのが現状なのでございます。

ですから、この方の使命の中には、女性の法を確立すること、女性の法を打ち出すということ、それは、中央の方のお考えの中にあるものでもあるのです。

女性が法を説かれ、女性が女性としての道を極めるという中において、女性の法が現されたことは、今回の文明ではあまりないのです。

わたくしがかつていた時に、やはり、美しき、優美なる女性の模範的な姿として、どのようにあるべきかということを説いたことはあります。

そして、キリスト教の中で、聖母マリアといわれる方が、その清楚な母性に満ちた美しさの中で、多くの人びとを、女性たちを指導した姿というものもあるのです。
しかし、それは、多くのシスターという、修道院の中の閉鎖的なものの中で、やはり、一般の家庭生活をする者たちの手本としてあったものではないのです。

仏教においては、もっと悲惨でした。
仏教の中において、女性は本来いないのです。
存在として許されていないのです。
存在として許されない者たちの天命を現す法など、どこにもないのです。

ですから、女性たちを救っていかなければ、地球全部の人びとを救うことはできないのです。
その女性たちにとって、いちばん大切な女性の法を、これから説かれようとしているのです。
それをまとめ上げるのが、この方の使命なのです。

それくらい、この方に、わたくしも卑弥呼様も期待しているのです。
なぜならば、日向(卑弥呼)様には悲願がございます。
日向様の方の魂のご姉妹が、今、地上におられ、本来であるならば、女性の法を説かれるお役目にあったのです。

あの方が高橋信次様のお嬢様といて生まれ、そして、現象をもって女性の法というものを打ち出すことにより、そして、仏陀と一緒になられていかれることのなかで、あの方が説いてこそ、大いなる女性の法がひろがっていくというそういう救済措置、女性に対する救済方法が、本来の計画であったのです。

孔子様では、これはできないのです。
他にできる女性はいないのです。

だから、わたくしたちは、全面的にこの方を指導することによって、女性の法というものを打ち出し、多くの女性たちの心に安らぎを与え、わたくしたち女性が、何のために宇宙の神から創造され、期待を込められ、どのようにしたら、わたくしたち女性が幸せになっていき、その幸せをもって、男性方を、殿方を幸せにして、本来の使命にお返ししていくことができるか、助力できるか・・・、その女性の道というものをわたくしたちは、今回、どうしても降ろしたいのです。

そのために、ここに弟橘を降ろしているのです。
この方が法として打ち立てられ、皆さま方に、女性たちに伝えられたものを、彼女は生きざまの美しさとして、表現してみせるのです。

彼女は常にそうです。
難しいことは言わないのです。
日本神道の女性は、だいたいが難しい理論的なことは言わないし、言えないのです。
わたくしとか日向(卑弥呼)様のような者は、ひじょうに限られた者たちなのです。

ただ、心性の美しさ、感性の美しさ、優雅さ、謙虚さ、美徳、愛というものを、その誇り高さ理念の中で、美しさとして、その生きざまの中に、彼女たちは表現していくすべを持っているのです。
その献身に満ちた、その謙虚さ、やさしさ、美しさ、誇り高さ、芯の強さ、それが日本女性の美しさであり、日本女性の鏡として、彼女は常に生き続けてきたのです。

その者を降ろしました。
ここに今、降ろしているのです。

女性を救わなくてはなりません。
女性の心に、今一度、謙虚さと安らぎを見出さなければ、あなた方男性たちも、けっして幸せになれないのだということ。
それが集大成として、この最後の法の総仕上げの時にきているのです。

7.天上界の者たちは、けっしてあなた方を見捨ててはいません

総仕上げと申しましたけれども、完璧な仕上げではないかもしれない。
しかし、法の意味では、総集編にあたるのです。
できること、できないことがあるでしょう。
幾多の挫折と苦難がやって来ることでしょう。

しかし、わたくしたちが本来の女性として、いえ、女性だけではなく、神の子として、今一度、神のもとに還っていくという、回帰するという、信仰を取り戻すという、それを確立するべき、この大事な大事な修正期に当たっているのです。

どうか力をお貸しください。
この日本を通し、神様の法というものを世界に発信し、もう一度、挫折した計画を本来の道筋にのせ、我らが、孔子様が降りられたということ。
その計画をどうか無駄にしないために、お力をお貸しいただきたいと思うのです。

わたくし天照に、もし、皆さま方から質問があるならば、いくらでもお受けいたしましょう。
わたくしでお答えできることがございましたら、いくらでもお答えいたしましょう。
そして、どうか、お願いしたいのです。
これから、本来の男女の法というもの、女性の法を通して、男女の法というものが説かれていくのです。

それを説かれていく時に、この方(アマーリエ)は多くの自分の魂の傷口の中で、法を編み出さねばならないのです。
これがこの方の卒業試験なのです。

もっともっと、やらねばならぬことがあります。
そのために、どうか皆さま方、この方にすべてを任すのではなくて、どうか、これだけ力のある男性たちが集まっているのですから、皆さまが、それぞれの力をフルに発揮されて、どうか、お力を出すことによって、今回の計画を立ち上げていただきたいと思うのです。

つぎに、大衆救済ということが、芸術を通して多くの人びとに打ち出されるということを伺っております。
わたくし天照が口をはさむ分野ではないのでございますけれども、日本神道にも、本来、雅楽とか、さまざまな音楽を通して、神の波動というものを多くの人びとに伝えるという、波動の中で神を感じさせるという、日本特有の旋律というものがございます。

あの中に、日本神道の高天原における神々の世界にただよっている雰囲気を伝えることができるはずなのです。
神々の世界の厳かさや、そのせいひつな美しさ、それを音楽の音にのせ、神楽というものなどを通して、伝えているはずなのです。

芸術のことは、わたくしは専門ではございませんが、芸術には、多くの人びとを、理屈ではなくして、教化し、清めていくという、使命というのがあるはずなのです。

理念だけではないのです。
感性を通して、女性が美しき感性に立ち戻るように、感性を通して、大衆救済をしていく。その表現方法においては、いかなるものであっても、差別はされないのです。

そこのことをどうかお考えになり、この表現手段ではだめなのではないかなどとお思いにならず、ありとあらゆるものを使い、ご自分たちの特技とするものをどうか活かされることによって、この神の理念を、法というものを表現されて、少しでもひろげていただきたいのです。

すでにこの計画というものは、立ち遅れているのです。
多くの穴があいているのです。
そのあいてしまった穴を、たくさんのぼこぼことあいてしまった穴を、ここも埋めてくれ、あそこも埋めてくれ、そして、ここもやってくれ、ここも集めてくれと、あなた方に強要し、そして、この方には次から次へと通信を送っているということも、わたくしはわかっているのです。
現在は、いろんな方々があけてしまった穴の修復から始まっているのです。

ですから、まず、水がこぼれ出ようとしているのです。
多くの者たちが、その穴から地獄の穴に落ちこもうとしているのです。
まず穴を塞ぎなさいと、穴を塞いで、下へ巻き込まれる、下に引き降ろされることをまず防いでほしいという、緊急の応急処置がとられているのです。

その上で、つぎはぎをした革袋のところに、
今一度、神の光を入れてほしいと・・・、
これが本来の神の光であるのだと・・・、
ここの革袋が神の国であるのだということを・・・、
今、神々が、けっしてあなた方を見捨てていないのだということを・・・、我々、天上の者たちは、必死に、この方を通して地上に伝えているのです。

その先達として、あなた方がいるのです。
天使として、あなた方がいるのです。
どうか伝えていただきたいのです。

8.この地上をユートピアにするために

今の時がどれだけ重要であるか。
今、この場所で、わたくしの言葉を、法を縦横無尽に聞けて、神々が降臨しているということが、どれだけ稀有なことであるかを、あなた方は少しもわかっていないのです。

この時は永遠に続くのではないのですよ。
天上界の扉が開き、法が生の言葉で降りて来るという時は、ほんのいっときのことなのです。
このチャンスを最大限に活かしなさい。

自分たちだけのものとして、自分たちの興味関心のものだけとして溜め込むのではなく、多くの者たちに神々の言葉を伝えていきなさい。
この喜びを分ち合いなさい。
それこそが、多くの、後の時代の人びとを救う指針となることでしょう。

古来、わたくしや日向(卑弥呼)様や、デルフォイの神託といわれて、ギリシャの神々が言われたことは、けっして、けっして、難しい言葉ではなかった。
イエス様におかれましても、仏陀様におかれましても、けっして難しいことを一般大衆、衆生に語ったのではないのですよ。

わたくし天照は、一度だって難しいことを、過去、伝えたことはないのです。
やさしいけれども、信仰心に満ちた愛の言葉で、多くの人びとを、国民を浄化せしめ、清め、そして、人びとに生きる喜びと希望を、神のもとに立ち返らすという使命において、国を治めていったのです。

それが神のお心を心とし、人びとの心をつかみ、そして、心を幸せに導き、それが社会においても、調和した世界を実現し、制度をつくっていくという指針になっていたのです。

古代の社会は祭政一致でした。
本来は祭政一致であるべきなのです。
神の言葉を預かる者が本来、政治的指導者になるべきなのです。
そして、今一度、過剰な物質、過剰な科学の中で、現代科学の中でしか幸せが見出せないという、その誤った概念を、今一度、考え直す時期がきているのかもしれません。

科学の発達というものが、けっして罪であるわけではないのです。
誤りであるというわけではないのです。
そのくらい、わたくしたちもわかっているのです。
ただ、科学の中で、過剰な物質に囲まれたものの中でしか、幸せを見出せないという方向性が、間違っているということを言っているのです。

掘っ立て小屋のような家の中で、竈で、薪でご飯を炊き、何もない、電化製品もないところの中にだって、人びとの幸せはあるのです。
そのように、もう一度、原始の時代に戻っていくことのほうが、人びとは本来の心の豊かさというものを取り戻していくのです。

自分は何者であったのかという、大自然の中に育まれ、大宇宙の神殿から生まれた神の子であるという、その神の子へ回帰していく、もう一度、その道を、自分のルーツを見出せるのかもしれません。

物があふれ、物に溺れ、そして、自惚れきった増上慢の中で、神の子としての己が神性を穢しているのが、今日の現代人のように思うのです。

だから、やはり、組織、国の体制というものが、人びとの心の幸せを左右するのであるのならば、なぜ、あのような人びとを放っておかれるのか、ということも思うかもしれない。
でも、それは、物の豊かさだけが、人の心の豊かさになり、そして、人の幸せになるというのでは、けっしてないのだということ。

そして、わたくしたちの基本の中、特に紫神道、紫の法の光線の中にありますが、指導者というものは、本来、神の言葉を預かり、神近き人が国を指導するということ。
その中に、神のお心を心とした社会秩序や、社会制度というものがこの地上に具現してこそ、地上ユートピアというものは再現するのであるということ。

そして、人びとが神の子であるという本来の信仰心に立ち戻り、謙虚さの中で互いに生かし合い、神に感謝し合い、わずかな物質の中で、この地上的な物質に左右されることなく、喜びを感じ、幸福に生きることができること。
それらが、わたくしたち神道の者たちの、この地上をユートピアにするという基本的概念の中にあるのです。

しかし、そこまで、この地上が追いついていないということなのです。
社会制度の変革をするということも当然わかっているので、次に孔子様が出ておられるのです。
いろんな意味があって、あの方が選ばれているのです。
あなた方がお考えになる何手先も、上の神々はお読みになり、今、この方を女性として降ろされ、そして、次に孔子様が降ろされているということなのです。

だからどうか、孔子様が成長されるまで、孔子様が使命を果たされる時まで、どうか皆さま方が、そのために用意できることを、風土として残していただきたいのです。
用意していただきたいのです。

我々もやるしかないのです。

孔子様にしたって、「やるしかない」と言って、降りていかれているのです。
どんな高級霊といわれようとも、やはり、その環境、その時代、そして、その育ち方に左右されていくのです。
その影響から逃れて、法を説くことはできないのです。
ですから、どうかひとつの時代の雰囲気というもの、環境というものを用意して、あの方を待っていただきたいなと思います。

そのために、あなた方が、何をしなくてはいけないのか。
それを、あなた方の知恵を絞ることによって、用意されていかれることをわたくしは期待しているのです。

9.傷ついた者たちを癒し、抱きとめるのは、母の愛

今、この時、多くの者たちが傷つき、魔が跳梁し、ずたずたになった光の天使たちの屍が、あちこちに転がっているのです。
そして、また新たに地獄に引き込まれようとしているのです。
ですから、どうか、わかっていただきたいのです。

傷ついた者たちを癒し、抱きとめるのは、母の愛なのです。
それゆえに、この女性が立っているのです。
彼女が体現するのは、理屈に満ちた難しい理論ではないのです。
その母性による愛なのです。

それで彼女は、傷ついた人たちの、あなた方男性たちの傷を癒そうとしているのです。
それを思い、その母性を授かったということ。
この母性ある女性というものがこの地上に降りているということ。
それが女性の最高神といわれている、わたくしたち女性指導者たちのするべき務めであるということ。
けっして、男性と競って、男性の指導霊と同じようなことをしようと思って、この地上に降りているのではないということ。
それをどうか、皆さま方、深く心にお留めいただきたいのです。

この方をつぶさないでください。
この方をつぶすと、もう後がないのです。
それだけ申し上げておきます。
この方が最後の切り札であるということ。

魔界の者たちも相当な思いで来ているのです。
相当な思いで、あなた方をつぶそうとして来ているのです。
これから、あなた方も標的になるかもしれないということなのです。

しかし、ご安心めされ。
わたくしたちには強い警備の者たちがおります。
竜神たち、不動明王、そして、裏神道の者たちも、あなた方を護るために警備にあたっております。
そして、西洋の世界からは、ミカエル様をはじめ、数々の戦闘系の方々が、あなた方を何重にも包んでお護りしているのです。

よろしいですか。
お守りしているこれだけの強いエネルギーの中にいるから、わたくしもこのように言葉を降ろすことができるのです。
しかし、魔界の者の手引きから、わたくしたちがいくら護ろうとしても、あなた方の心に濁りが生じ、欲念が湧き、そして、増上慢の心が起きた時には、わたくしたちがどれだけ何重にあなた方を守ろうとしても、守ることはできないのです。

その時は、悲しいけれども、堕ちていくのを見守るしかない。
時が経ち、その方が理解し、また上がってこられる時まで、お待ち申し上げようと思って、悲しい涙を流しながら見守るしかないのです。
そのようには、ぜひ、ならないでいただきたいのです。

(中略)

ここに来て、みんなで調和をするという、礼節をもって調和するという思いは大事です。
しかし、己が個性の力を発揮することをためらってはなりません。
最大限に発揮するのです。
それを恐れることなく、誇りを持って発揮してください。

自我をもってぶつかり合うのではなく、お互いの違いを認め合い、お互いの良さを互いに引き出すような、そのようなふれあい方をし、仲間としての結束力というものを深めてください。
そして、あなた方男性の積極的な陽のパワーを使って、どうか社会を変革してください。
構造変革をしてください。

今日のこの言葉を、このわたくしの波動というものを、お一人おひとりの心の中に留めおき、お持ち帰りいただき、ご自分たちの心性の中で、神の光というものを灯していただきたいのです。
そして、みんなが素晴らしい光のたいまつとなられんことを、わたくしは、高天原より深く祈っております。

また、何かお尋ねしたいことがございましたらば、どうか、何なりとまた、この天照をお呼びいただけることをお願いして、今日はこれにて失礼させていただきます。

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